戦い、権威、勝者、1番、優勝、高級、リッチ、

と、そんなものが優位の時代だった

 

「だった」のであって、

もうとっくに過去の価値観となっている

 

いま様々に問題を起こすのは、

その価値観がすでに過去の遺物であると気づかない人

 

だからそんな人を責めなくてもいい

勝手に自滅するから

 

放っておこう

 

 

時代の流れ、星の流れには

逆らえないし

もう後戻りすることもない

 

だから

過去の価値観を捨てきれない大人たちに

お願いしたい

 

子どもたちに

「好きなこと、得意なことを伸ばしなさい

それはあなたの武器になる」

なんて言わないでほしい

戦いの時代はすでに終わっているのだから

 

代わりにどう言えばいいかって?

 

「好きなこと、得意なことは

あなた自身が楽しむためにある

楽しみが深まった時

それはきっと誰かの役に立つ時が来る」

調和の時代って

こういうことだと思う

 

長所は自分を生かす武器ではなく

人のために使うものと考えれば

簡単に幸せになれる

 

 

「病気のままでいたい人がいる」

 

こんなことを言われた時

激しい怒りを覚えたなら

あなたは立派なナルシシスト

 

病気のままで・・・、なんてもちろん

本人にそんな自覚があるはずはなく

自分では気付かない無意識レベルの話である

 

病気という権力を振りかざし

周囲の関心を集めながら都合よくコントロールする

病気であることは

支配の道具になるのだ

あなたは無意識でそのことを知っている

 

病気であることが利得につながるので

決して病気を手放そうとはしない

 

だから食事の改善や生活改善など

何かにつけケチをつけて

行動しようとしないだろう

 

 

 

さらにこう言うかもしれない

「私の病気は難病で、

苦しくてつらくて希望もない

こんな病気になりたいわけがない

病気になった人にしかわからない苦しみなんだ!」と

 

このようなマウント発言を浴びせられるのは

健康のために日々努力を惜しまない

健全な人たちなのである

理不尽極まりないことだ

 

 

ナルシシストでも

自己愛性パーソナリティ障害でも

なんでもいいけれど

私は彼らのことを

「はらぺこおばけ」とよんでいる

 

決して満たされない人たち=餓鬼

という意味である

 

 

「はらぺこおばけ」さんには

他人からむさぼっても

永遠に満たされないことを知ってほしい

 

「はらぺこおばけ」さんのお世話係さんには

ブラックホールに貢物をしても

誰も幸せにならないと知ってほしい

 

 

 

 

 

 

 

 

トラウマ研究の第一人者(と私は勝手に解釈している)

Gabor Maté の

依存症や中毒症のメカニズムについて書かれた名著

” In the Realm of Hungry Ghosts” 

 

仏教国の人間としては、

Hungry Ghosts とは「餓鬼」のことだと直感的に思う

 

「餓鬼」は、飢餓道に落ちた霊のこと

決して満たされることはない

 

依存症や中毒症の人はもちろん

餓鬼道に落ちたかのように

決して満たされない飢餓感に苦しんでいる

 

同様に

身近にいるナルシシスト傾向の人物をよく観察すると

これはいわゆる「餓鬼」だな、と感じる

 

決して自分の足で立たず

身近な優しい人に寄りかかる人生を送るナルシシスト

優しい人を支配し、その人の人生を完全に搾取するナルシシスト

それでも何をしても永遠に満足しないナルシシスト

 

まったく、

ナルシシストは

Hungry Ghosts であり餓鬼である

 

そしてわりと多くいる

これもまた恐ろしい

 

ただ、

本人もその周りの人も気づいていないだけだ

 

気づかないから解決のしようがない

やれやれ・・・

 

 

 

 

 

本を読まない人が増えている、なんて

以前からずっと言われていたことだ

 

かといって

「年に○冊読みます!」と

読む冊数を誇る人も、

実のない読書をしているんだろうなと思う

 

褒められるための読書と

楽しむための読書の違いが

わからなければどうしようもない

 

それにしても

 

文春オンライン2025/7/18 の記事

『ごんぎつね』の読めない小学生たち 

にあるような

 

現在の子どもたちの読解力の欠如と

学校の勉強以外の知識の無さには

さすがに驚いた

 

 

お仕着せの詰め込み教育の

たまものだと言えるだろう

 

子どもは育てられたように育っただけだ

 

知識偏重で

感性をおきざりにしてきた

数十年のおかげで

「優秀」であることが

「無能」であることに

変化してしまった

 

そして

感性を取り戻さなければ

自然とともに生きることも

自然療法を理解することも

無理な話なのである

 

 

 

「〇〇に□□をされてトラウマになった」

と言って周りに気遣いを求める人がいる

 

たとえ周囲の人に

いたわってもらったとしても

そのトラウマは解消されないだろう

 

だって、トラウマって

たぶんそんなもんじゃないから

 

 

 

養老孟司先生の講演動画をご紹介

【養老孟司】 ※手遅れになる前に見てください※ トラウマから立ち直る方法【ラジオ/ながら聞き推奨】

 

 

トラウマがどういうものか、

トラウマの解消が

どんな風に起こるのかがよくわかる

 

 

 

以下要約

・・・・・・・・・・・・・・

 

中高生の頃に挨拶ができない子だった

知っている人に挨拶をするという

当たり前のことができない

ある日突然その原因が

幼少期のトラウマと結びつく

 

4歳の時、父の臨終の前に

「さようなら」と言えなかったこと

 

「さようなら」と言ってしまうと

父を失ってしまうという

自覚のない恐れがそこにはあった

 

父の臨終の日の出来事は

写真のように記憶の中に常にあり

日常の中できっかけもなしに

ひょこっと現れたりする

それが私の人生では当たり前のことであった

 

中高生の頃挨拶ができなかったことと

4歳の時、父を失うまいとして

「さようなら」が言えなかったこと

この2つのことに

つながりがあると気づいたのは

40代の頃

 

電車の中でそのことにふと気づいた時

涙があふれた・・・

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

過去の自分がフタをしたことに気付けるのは

自分自身だけ

 

ということは

自分を癒せるのは

自分自身だけ

 

だからトラウマの解消って、美しいと思う

 

あなたはどう思う?