論語にある有名な一節

己所不欲勿施於人

己の欲せざる所人に施すことなかれ

自分が好まないこと

他人に無理強いしてはならない

その思いやりこそが

「仁」の精神だと説いています

 

スライムも強く意識しているつもり

しかしこのスライムの場合「欲せざる所」

つまり「なんでもない」「ことはない」

と感じるところが

他者とはまるで違うのかも知れない^^;

 

これって意外に厄介なんですよ。

うっかり安易に、あるいは無意識に

対偶左差しらしきものを取ってしまうと

人に施すべきことは己の欲する所

これを実践してしまって

嫌がられる事って沢山あるw

消極的な「なかれ」なら

問題は生じないんです。

しかし積極的に「施して」しまうと

途端に事情が変わります。

自分の欲することと、相手が欲することって

とことんズレてるんですよね。

 

自分は喜ばしいからしてしまう

だが相手にとってそうとは限らない

善意のつもりがそう受け取られない

メイワクコウイになっちゃうのよ。

このアメブロでもおなじで

ついウッカリしちゃうんです、自分^^;

 

いくら自分が強く意識しているつもりでも

他者からするとむしろ冒頭の命題が

頭からスッポリ抜けている人に

なってしまいかねないのです。

おそろしいパラドックス、陥穽です。

 

逆に欲せざる所をしても

いやがられないことも沢山ありますね。

それどころか喜ばれるケースもある

つまり「欲すること」「欲せざること」

って人によって違うのです。

これが難しいところです。

 

従って元となる

『己所不欲勿施於人』は

教訓としては良いが

100%正しい命題ではない

消極的「なかれ」は知恵になるが

対偶を取って積極的に「施し」になると

より矛盾が大きくなって

軋轢を起こす場合もあるわけです。

 

この陥穽はたかだかちっぽけな

スライムではなくって

指導者さんも陥っていますね。

典型的なのが

meticulousでsustainableな

customizeされた社会へのユードーを

目指すあの人たちです。

meticulousもsustainableも

customizeも字面はキレイですが

あの人たちが勝手な価値観で

欲する思い込んだもの」であり

万人が欲するものではあり得ないのです。

 

だからmajorityとか最大多数とか

excuzeをつけて正当化したりしますが

その実これを全く弁えずに

影響力を行使しようとすることを

日本語では強権・独裁と言います。

 

スライムの場合、

日常のちょっとしたことなら

自分がそうなりがちですから

欲せざるところでも

善意と捉えそこを感謝し

ニコニコ応対するよう努めています。

それが矛盾をちいさくする

平和な生き方だと思っています。

 

しかし行きすぎた過干渉

独裁には断固ノー

突きつけるしかないのです。