2022年5月記
クルリンパに捧ぐ
『我考える 故に 我あり』
デカルトの有名な言葉なのだ
ところが 今は
『我なし 故に 我考えず』
こうなっている場合が
多いような気がするのだ ||:3ミつ
これを対偶というらしいのだ。
元の命題が正しければ
対偶は必ず正しい らしいのだ。
※正しい命題の 裏と逆は正しい場合もあるが
必ずそうなるとは限らない。上記の場合は
「人参は野菜である」という命題は真
裏:人参ではないナスやキュウリも野菜だから偽
逆:人参以外にもナスやキュウリ、沢山野菜はあるから偽
正しい命題の
対偶は必ず真
「我考える ゆえに 我あり」
対偶は
「我なし ゆえに 我考えず」
正しいのだから
これでいい……
わけないのだ ||:3ミつ
周りに流されてばかりは良くないのだ。
みんな がしているから
同じにしなきゃコワイからでは
『我なし』なのだ
自分の意思で行動するのが
人間らしさだと思うのだ
「反対の反対」は
ワシの得意フレーズだが、今は
『対偶の対偶』
クルリンパ で 元に戻そう
「我考える ゆえに 我あり」
これでいいのだ ||:3ミつ