2021年9月2日記
南国の酋長、ツイアビによる説話集。
我々が当然のように享受している文明に、
素朴な目で疑問を呈しているのですが、
その1つ1つの表現がいちいち愉快です。
例えば靴に関してはこんな具合。
『パパラギの足はやわらかい皮と
かたい皮で包まれている。
足は死にかけていて、
いやなにおいがする。』
パパラギというのは、
南国の酋長からみた文明人のこと
常識って言うが、いつからのものなのか?
無批判に受け入れているだけではないか?
半可臭い因習をひきずってるんじゃないか?
当たり前を、時には疑いの目で見ることも
必要かも知れません。
昔海外支援に同行した人から
こんな話を聞いたことがあります。
現地の子どもたちに「靴」を手渡しました。
しかし子どもたちは靴を投げ出して
裸足で駆け出したというんですね。
それを見て激しい衝撃を受けたというお話。
我々から見た施し、干渉が
果たして正しいものばかりと言えるのだろうか?
更にパパラギにはこんな記述もあります。
パパラギはわれわれに向かって、貧しい、物を持たないという。確かに人間がつくったものは持たないが、大いなる心がつくったもの、たとえばヤシの実や貝やバナナはたっぷり持っている。
パパラギは、自分の家の前のヤシの木は自分のものだという。誰のものでもないのに…。
熟したヤシは、自然に葉を落とし実を落とす。パパラギは「これは自分のものだ」と、まるで葉も実も落とすまいとするヤシの木のように生きている。でもヤシは、葉を落とし実を落とすから、新しい実を結ぶことができる。ヤシはパパラギよりずっとかしこい。
近年ではイザヤベンダサン(いざや!便出さん)同様、ツイアビが実在の人物ではないとの指摘もあるようですが、それでもお堅くなりがちな批判を、面白おかしく表現する文章技術を学ぶのに良いかも知れません。
ユーモア精神溢れる
戦記を書くと評判の靴王さんや
彼の戦記をオモシロスと評する医クラさんに
読んでいただきたいな^^;