2021年9月2日記

 

あなたもスタンプをGETしよう

☆ 靴自体は何のこだわりもない、
サイズが26.5ってことだけ。
あ、靴べらいらずでスンナリ履けること
これもこだわりと言えるのかな。
靴の思い出と言えば、高校時代体育の時間、
アクシデントで靴が壊れたクラスメートに
貸したことがある。
貸した人はクラス一の韋駄天だったが、
えらく走りづらそうだったのを覚えている。
そう、私は壊れたバネ仕掛けの人形
幼いときから走り方を揶揄されていて
靴の減り方が独特だったのだw
 
当たり前を疑う 
 

南国の酋長、ツイアビによる説話集。

我々が当然のように享受している文明に、

素朴な目で疑問を呈しているのですが、

その1つ1つの表現がいちいち愉快です。

 

例えばに関してはこんな具合。 

 

パパラギの足やわらかい皮

かたい皮包まれている。

死にかけていて、

いやにおいする。

 

パパラギというのは、

南国の酋長からみた文明人のこと

 

常識って言うが、いつからのものなのか?

無批判に受け入れているだけではないか?

半可臭い因習をひきずってるんじゃないか?

 

当たり前を、時には疑いの目で見ることも

必要かも知れません。

 

昔海外支援に同行した人から

こんな話を聞いたことがあります。

現地の子どもたちに「靴」を手渡しました。

しかし子どもたちは靴を投げ出して

裸足で駆け出したというんですね。

それを見て激しい衝撃を受けたというお話。

我々から見た施し、干渉が

果たして正しいものばかりと言えるのだろうか?

 

更にパパラギにはこんな記述もあります。

 

 パパラギはわれわれに向かって、貧しい、物を持たないという。確かに人間がつくったものは持たないが、大いなる心がつくったもの、たとえばヤシの実や貝やバナナはたっぷり持っている。
 パパラギは、自分の家の前のヤシの木は自分のものだという。誰のものでもないのに…。
 熟したヤシは、自然に葉を落とし実を落とす。パパラギは「これは自分のものだ」と、
まるで葉も実も落とすまいとするヤシの木のように生きている。でもヤシは、葉を落とし実を落とすから、新しい実を結ぶことができる。ヤシはパパラギよりずっとかしこい。

 

近年ではイザヤベンダサン(いざや!便出さん)同様、ツイアビが実在の人物ではないとの指摘もあるようですが、それでもお堅くなりがちな批判を、面白おかしく表現する文章技術を学ぶのに良いかも知れません。

 

 

ユーモア精神溢れる

戦記を書くと評判の靴王さんや

彼の戦記をオモシロスと評する医クラさんに

読んでいただきたいな^^;