age

母のために買った

おしゃべりダッキー君2号

施設に置くには大きくて重いので

今は私と一緒だ。

我が家はダッキー君と私だけ^^;

 

このダッキー君、頻繁に可愛らしく

なんでもないよ、ヘヘッ」

って言うんだよw

いやホンマ、いいこと言ってるよ ウインク

 

 

思えば「何でもない」と言う説明に対し
何でもないことはない

とレッテルを貼りたがる
医療とセケンに対して
余りにもムダなエネルギーを費やしすぎた。


一方でこちら側が「何でもなくはない」

困ったことに対して

(例えば詰め襟の強要とか)は

「そんなの"なんでもない"じゃん」

というこじれすぎたパラドックスw
結局『ナマケモノ』か

『うちでは扱えません』のどちらか
あるいは診断し直せ、証明書が要りますとか
もうウンザリであった

しかしながら
されどされどタブタなら左差し

どんなに罵られようが泰然自若な
「タブタシップ」で

なんとか切り抜けてきたつもりw

されどされど「コロナソードー」には参った
悪夢再び、上記と全て同じ構図になるんだよ。

しかもだ、センモンカが煽るそれじゃなくって

ホンマモンの『実害』『後遺症』に

延々とつきまとわれるんだよ。


例えばオミクロンで40度近い発熱
何でもありません
寝てれば直ります」に対しては

何でもないことないだろう
医者の診断を受けたまへ
一方で「動けない両親の介護は
この状態じゃ無理ですし

自分も養生しないと

総倒れになりかねませんから

2,3日助けて欲しい」に対しては

2類指定の壁が立ちはだかり
全く聞いてもらえなかったわけ。

寝れば治るのに寝ることも出来ない。

これって拷問だろう。
話が通じなくってホンマ往生したわ。

でね適切な処置がないから

取り返しの付かぬ致命傷を負うわけ。

これってずっとだった

恥を忍んで
ムダなw説明してみるww

自分では制御しようもないこと
説明しようもないこと

9歳の時に私は壊れた。

診断を受けた大学病院の権威は
軽い脳性麻痺が起因しているかも知れないが
「この程度なら」問題はない、

なんでもない

先生はご自身も小児麻痺を克服された方
若干足に不自由を抱えてらっしゃるようだった
だからご自身の経験もあって
この程度ならなんでもない
受けようと思えば受けられるが
認定を受けない方が良いだろう

これは善意だし、正しいと思う。

しかしセケンはそれじゃ通らなかった。
なんでもないのなら

そう徹底してくれれば有り難かったのだが……

例えば「軽い脳性麻痺?」を

克服するため門を叩いた
水泳教室は10分ではねられた。

水泳は権威の勧めだった。

プール遊びは大好きだったが

バタ足しかできない。

このままだといつまで経っても

平泳ぎも息継ぎも出来ない。

だから総合的運動が効果的という見地からも

キチンと教えを請うた方が良いという判断。

普通の水泳教室じゃ軋轢が起こるだろうと

下調べも説明もしている。

それでもはねられる。
で、改めて説明を求められるわけ

ドクターとやらいうおっさんと

教室の責任者というおばさん。
医者ってのはおそろしくプライドが高い
こっちは権威にそう言われたことを
よりどころにしているだけで
別に目の前の人をバカにしているわけじゃない
「○○大学の○○教授に

何でもないと言われました」
こう言うと向こうはいきり立つ
何でもないわけないだろう

以降なんでもないわけないだろうを

知らしめたいのか

おっさんに

「あれやってみろ、これやってみろ」

「ほれ出来ないじゃないか」

おばさんに、とどめのひと言

「こんな人間を面倒見るとは言っていない

慈愛とはそう言う意味ではないのです」

こんな調子になる。

 

人間ってさ「結論ありき」の

陥穽に陥りやすい

この場合あらゆる理屈をつけて

私をハイジョしたかったわけ。

 

なんでもないわけないだろう

その結論にムリヤリ結びつけようと

都合の良いチェリーピッキング

要するにある一面だけを

殊更クローズアップして

強引に端からある結論に繋げてしまう。

これって非道なことなんだよ。

アレ?これってコロナソードー

そのままですやん

この繰り返し、健康診断の医者も同じ。
「どこの誰の診断か知らないが
何でもないわけないだろう
セケンあらゆるところで同じw

権威から『お墨付き』を頂戴して
それをよりどころにしたかったわけだが
恐ろしく生きづらかった。
それより別の『お墨付き』
「○○手帳」をいただいた方が楽だった。
それさえ見せりゃ相手は

ヒドいこといわないんだろう。
少なくとも説明に煩わされることはなかった。

 

でもそれってオカシクないか。

ちょっと理解があればすむこと

役所が発行した証明書云々じゃないよ。


現実はいちいち説明することに
ホンマイヤケが差した、

説明しようのなさにウンザリした
はいこうです、変なのです

証明書を出せれば楽

なんでもない証明書ってない
なんでもないと主張しても

認めてもらえないw

なかなか伝わらぬかも知れないが
コロナソードーで悪夢再びだったね

別に証明書なんかなくったって

生きていけるわけ。

ただちょっとしたことで困ることはある。

そこだけ少しだけ配慮があれば

何とかなるわけだが

それをなかなか認められない。

母の場合短期間のサービスでも
いちいち医師の診断書がいる。
しかもそれにより過干渉が始まる
だから公的サービスは躊躇したんだね
でもそれで問題なかった。

しかしセケンはそれが悪いという。

違うだろ、信義則を破って

5時間放置するのが悪い

単純なことで双方がwin-winなのに

それを全然理解しようとはしない。


9~12歳くらいまで
最初の大学病院だけでなく
母と色々なとこ行ったっけ
水泳教室だけじゃなく
各地で結構ヒドイ言葉を浴びせかけられた
母も憤慨してたっけ
私は勿論辛かった、

どうしたらよいのかパニクった
その度に壊れていって苦しかった
しかし、その様を見ていた母が
一番辛かったのかも知れない

自分は2020年までその認識がなく
母に対する感謝が薄かったのかも知れない
あのノーマスクハイジョで

5時間寒空をさまようハメになったのは

愚鈍な自分に
それを知らしめるための神の啓示だったのか
半世紀前の母と私
ソックリ立場を入れ替えた仕打ちだったからね

でも最後がこれってとても哀しい
もう終わりにしたい

★昭和40年代の学園ドラマを見ていて思う
よく出来ていて面白いのだが
自分に照らし合わせるとそれで良いのかw

生徒はいわゆる劣等生にスポットが当たり
魅力的な人物に描かれている
一方で優等生は悪役である
必ず腰巾着の教頭や
融通の利かない女性ベテラン教師の
寵愛を受けている。
それを主人公の若い熱血教師が糾すパターン。

私の担任は20代の若い人ばかりだった
こういうドラマの影響をもろに受けていたよね
私はいわゆる融通の利かない女性ベテラン教師に
最も可愛がられるタイプだった。
だから若い教師はガマンできなかったんだろう
自分の致命的欠陥、運動能力の欠如に
矛先が一気に向かったわけ。

とにかく評価が極端でウンザリした
私は黙って校庭を走っていた
欠点を克服するために……
それを校長先生が見ていて
いたく感動されたらしい
小学でも中学でも同じだった
表彰したいと打診されたが断った

なんでもないよ
普通に扱って欲しかったんだよね

 

これは最近も一緒だよ

なんでもないよ

と言っている人まで

肥え太った王様が

『いいえ、そんなことはありません

なんでもないと思うのは

利己主義に過ぎません

人間はひとりで生きているのではありません

太った人のことも考え

彼らを救うためアレを打ちましょう

アレをピッタリつけましょう』

 

これはオカシイだろう

なんでもない」と主張する人は

利己主義なんかじゃない

哲学を持って生きている場合も多い

むしろ押しつける側

太った王様の方が極めて俗物的な

利己主義に支配されていないかにゃ。

 

選民意識がそうさせるの?

勿論そうじゃない方も沢山いらっしゃる

でもコロナソードーを見ていると

どうしても半世紀前を思い出してしまう

鼻持ちならなかった医療関係者

教育関係者を想起してしまう

 

なんでもないわけはない

安易にそう思いすぎていませんか?

ちっぽけなことを

大袈裟に荒立てていませんか??

 

不自由を障害

変えていませんか???

 

世の中にはあえて

なんでもないよ

と見做した方が良い事って

沢山あるのです。

 

セケンは『ただのカゼ』とすると

血相を変える人ばかりでしたが

そう見做した方が良いでしょって事、

残念ながら殆どの人は

未だに誤解したまんまだよね。

 

W浦先生のツイートを見ると

「ただの感染症であるわけない」

要するに「なんでもないわけはない」

と言う趣旨のものが

頻繁に見受けられました。

これこそが陥った陥穽なのです。

過干渉、医原病という概念が

スッポリ欠けてしまっています。

 

この書き方は大甘かにゃ

鉢割さんや王様のホンマのfaultは

科学者じゃなく政治屋だったこと

数字に対するmeticulousに

欠けたことだよね。

それを精査しないから

私の言は苦笑いを浮かべられながら

殆どの場合聞き流されてしまうだけ、

 

なんでもない」というよりも

そう「みなすべき」でしょう

というお話なんですが

誤解したままのセケンは

再び操られてしまうんですよね……

 

ついき

私はですね、やはり思い起こすと

これまで信念を持って

積み重ねてきたことがコロナソードーで

全否定

されたのが残念でたまらないんです。

そりゃ致死率50%とかの

殺人ウイルスなら仕方がないですよ。

性質上短期で収まり得ますし

その期間の被害を最小に止めるべく

タイサクは理解も出来ますし

それならば『数学』のシミュも奏功し得ます。

しかし老人でさえせいぜい1%、

若い人なら殆どゼロのCOVID19

弱毒故に長期化するわけですが

それで全体主義を4年間も

押しつけることに

疑問を呈しているわけです。

規制が長期に及べば及ぶほど

矛盾の方がデカくなるのです。

何度も書いていますが

これは哲学でもあり、物理・数学

問題でもあるはずです。

教養のない自分が言うのは

気恥ずかしい限りですが

徹底して学問が機能しなかった。

また普段は「ジャクシャキュウサイ」を

訴えているリベさんも

実はその視点など微塵もないこと

が露呈してしまいした。

それがソードーの悲劇でした。

 

これだけでは漠然としているので

私は何度も何度も弊害を

具体的に訴えてきました。

受けた被害は紛れもなくタイサク由来

それに対して効果なるものは

これまで散々訴えたとおり『壺理論』

推進者のサジ加減だけなのですよ。

 

ですからせめて個々に

『拒否』する権利は

認めて欲しいですね。

 

ところがセンモンカさんは

「医学部出てから意見しろ」

「うるせーばか」

自分たちの押しつけた規制の

弊害を一顧だにしません。

 

このような姿勢の人が

meticulousでsustainableな

customizeされた社会へユードーしたいと

未だに仰っているのすが

許されて良いのですかね

 

繰り返しますが

長期に及べば及ぶほど矛盾が大きくなり

弊害が大きくなるのです。

これさえ頭の中にない人に

meticulousでsustainableなんて

押しつけられたくはないのですよ

彼らの言うsustainablleこそ

彼らの脳内にある独善的概念で

「長期的」な支配を試みることであり

それを日本語では

強権独裁と言うのですよ

 

皆さんはどう思われますか?