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哲学系ダイアリー

哲学関連の勉強日記です。

生産手段の社会化は、株式会社がわかりやすいですね。
しかしこれだけでは不十分になると、大生産者たちは合同してトラストをつくります。
トラストというのは、「同一業種で複数の企業が資本結合によって合同・合併を行うこと」です。
彼らは、生産総額、割り当て、販売価格を予め決めます。
しかしこのトラストも、営業不振になると崩壊するので、社会化はもっと集中し、その産業部門全体が唯一の大会社になり、この会社の独占状態となるのです。

こうして自由競争は独占に変わってしまうので、無計画的な資本主義社会も、計画的な社会主義社会に変わるだろうというわけです。
ここまでくると、搾取は余りにも明瞭なので、こういう搾取は崩壊するに違いない」(81頁)と。
「搾取」というのは分かりますよね。
資本家が労働者から、労働の成果を取ってしまうことです。
労働者たちは、こうした一部の資本家による全体の搾取を許さないだろう、というわけです。
そしてそれに代わって、国家が生産の管理を引き受けるというのです。

世の中の景気がひどく悪くなることが、資本家にはそれをコントロールできないことを示しています。
また、「大規模な交通通信機関」(たとえば、郵便や電信や鉄道など)にも、資本家は特に必要ではありません。
そして、社会的に必要な機能は、サラリーマンたちがやっています。
では、資本家は何をしているのでしょう?

資本家は、収入をまきあげること、利札を切ること、取引所で投機をやり、資本家同士たがいに、資本を奪い合うこと以外に、何らの社会的な仕事をしないのである(82頁)。

資本主義社会における生産の特徴は、無政府性です。
このことは、資本家たちにとって、機械をたえず改良すること、そして、生産力をたえず高めることを強制するのです。
その結果、次のような事態になるといいます。

市場の拡大は生産の拡大と歩調が合わない。衝突は不可避となる、しかも、資本主義的生産方法そのものを破壊しない限りにおいては、ほかに解決はありえないから、この衝突は周期的になる。資本主義的生産は新たな「悪循環」を作り出す(77頁)。

エンゲルスは、資本主義社会では、生産手段は資本へと転化されなければ、その機能を果たせない、と考えます。
この必要性が、生産手段と労働者との間にある、というのです。
このために、生産の物的動力と人間動力とが結びつかない。
それは、生産手段が機能しない、労働者が労働して生活できない、ということです。
資本主義的生産方法には、こうした生産力を管理するだけの力がないのです。
そしてこの生産力は、次のようになります。

これらの生産力自体は、ますます強力に、この矛盾の止揚を求める、つまり資本としてのその性質から自ら解放されることを、社会的生産力としての彼らの性格が事実上においても承認されることを求める(79頁、強調原著)。

生産力自体も、もう、そうした器に納まりきれない、といったところでしょうか。
(※「止揚(しよう)」というのは、「矛盾する諸契機の統合的発展」のことです。難しいですね。
何か矛盾する二つ(A,B)があるときに、片方を捨ててもう片方を選ぶのではなく、いいところを合わせて新しい段階(C)へ至ることです。そのとき高い段階には、低い段階も含まれているのです)

資本主義社会の基礎は、商品生産です。
そしてこの、商品生産を基礎とする社会では、「生産者が彼自身の社会的関係に対する支配力を失う」(72頁)といいます。

どういうことでしょうか。

どの生産者も、同じような商品がどれぐらい市場に出回るのか、どれぐらいが必要とされるのか、誰もわかりません。
需要があるのか、元は取れるのか、売れるかどうか、それさえもわかりません。
だからそれは、社会的生産の無政府性だといえます。

しかし、そんな無政府性の中にも、ある「法則」があるといいます。
その法則は、生産者にたいして競争を強います。
この法則は生産者から独立し、生産者の意思に反し、盲目的に作用するこの生産形態の自然法則として、自己を貫徹するのです。
それが、「生産物が生産者を支配する」(72頁)ということなのです。

物が人間を支配する、という事態になるというわけです。

ところで、資本家たちも競争に必死で、いつも機械(エンゲルスの時代では)を改良しなければなりません。
そうしなければ競争に負けますから。
そして、機械の改良によって予想されることはなんでしょう?
人間労働が溢れる、ということです。

もっとも、単に「機械の改良」という抽象的な言い表し方は、現代の先進国にはそのまま妥当しないかもしれませんが、エンゲルスは言います。

そして結局において、資本の平均的な雇用需要を超過する多数の待命賃金労働者を作り出す、これは、わたくしが1845年に完全な産業予備軍(industrielle Reservearmee)とよんだものであって、それは、産業界が多忙な時期には自由に利用でき、それに必ずつづく恐慌のときには街頭へほうりだされる労働者である、それは……賃金を資本の要求にあうような低い水準に引き下げる役目をする調節器である(75頁)。

なんだか、よく似た状況を知っているのですが…。
エンゲルスはこれを、既に1845年に言っているのですから、すごいですよね。