資本主義社会の基礎は、商品生産です。
そしてこの、商品生産を基礎とする社会では、「生産者が彼自身の社会的関係に対する支配力を失う」(72頁)といいます。
どういうことでしょうか。
どの生産者も、同じような商品がどれぐらい市場に出回るのか、どれぐらいが必要とされるのか、誰もわかりません。
需要があるのか、元は取れるのか、売れるかどうか、それさえもわかりません。
だからそれは、社会的生産の無政府性だといえます。
しかし、そんな無政府性の中にも、ある「法則」があるといいます。
その法則は、生産者にたいして競争を強います。
この法則は生産者から独立し、生産者の意思に反し、盲目的に作用するこの生産形態の自然法則として、自己を貫徹するのです。
それが、「生産物が生産者を支配する」(72頁)ということなのです。
物が人間を支配する、という事態になるというわけです。
ところで、資本家たちも競争に必死で、いつも機械(エンゲルスの時代では)を改良しなければなりません。
そうしなければ競争に負けますから。
そして、機械の改良によって予想されることはなんでしょう?
人間労働が溢れる、ということです。
もっとも、単に「機械の改良」という抽象的な言い表し方は、現代の先進国にはそのまま妥当しないかもしれませんが、エンゲルスは言います。
そして結局において、資本の平均的な雇用需要を超過する多数の待命賃金労働者を作り出す、これは、わたくしが1845年に完全な産業予備軍(industrielle Reservearmee)とよんだものであって、それは、産業界が多忙な時期には自由に利用でき、それに必ずつづく恐慌のときには街頭へほうりだされる労働者である、それは……賃金を資本の要求にあうような低い水準に引き下げる役目をする調節器である(75頁)。
なんだか、よく似た状況を知っているのですが…。
エンゲルスはこれを、既に1845年に言っているのですから、すごいですよね。