『空想より科学へ』(3) | 哲学系ダイアリー

哲学系ダイアリー

哲学関連の勉強日記です。

前回の続きです。

それまでの個人的な生産のなかに、社会的な生産が現れたのでした。
工場では、独立の生産者よりも、生産物を安く生産することができます。
なので、独立の生産では最早やっていけなくなり、生産方法は社会的生産が主流になります。

ところで、中世の個人的生産にあっては、労働の生産物が誰に属するものか、という問題は起こりようがありませんでした。
初めから、本人に属していたからです。
しかし、生産は最早社会的なものになりました。
そうすると、どういう問題が起こるでしょう。

今やそれは彼の生産した物ではなくて、全然他人の労働の生産物であるにかかわらず、労働手段の所有者がこれまでどおりその生産物を取得することになったのである。こうなると、社会的に生産されることになった生産物を取得する人は、生産手段を現実に動かし、生産物を現実に生産する人ではなくて、資本家であった(70頁、強調原著)。

生産方法は社会的なものになったにもかかわらず、取得形態は依然として個人的なままです。
生産物を得るのは、実際に生産する人ではなく、生産手段を持つ人だ、というわけです。
生産手段とは、仕事場とか土地とか道具でしたね。
そして、生産手段を持つ人を資本家というのです。

これが、資本主義の基本的な矛盾とされます。

これにより、個人的な生産者は、賃金を求めて資本家のところに行くより仕方がなくなりました。
賃労働が生産の基本形態となったのです。

一方では資本家の手に集中された生産手段と他方では自分の労働力のほか何ももたぬようにまでなった生産者、この両者の分離は完成した。社会的生産と資本主義的取得との間の矛盾は、いまや、プロレタリアートとブルジョアジーとの対立となって、明白に現れてきたのである(71頁、強調原著)。