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哲学系ダイアリー

哲学関連の勉強日記です。

エンゲルスが構想した社会主義とは、次のような状態の実現なのです。

社会による生産手段の没収とともに、商品生産は除去され、したがって生産者に対する生産物の支配も除去される。社会的生産の内部における無政府状態にかわって計画的意識的な組織があらわれる。個人の生存競争は消滅する。かくしてはじめて人間は、ある意味では、動物界から決定的に区別され、動物的生存条件を脱して真に人間的なそれに入る(89頁)。

これまでは、人間は生活条件に支配されていましたが、これからは反対に、人間が自然を支配するのです。
これにより人間は、自分自身の、社会組織の主人となるのです。
これまでは、「人間自身の社会的行動の法則」が人間を支配してきましたが、これからは、人間が知識を持ってこれを支配するのです。
人間の社会的な繋がりも強制されるものではなく、自由な行為になるのです。
これまで歴史を支配してきたあらゆる力は、人間自身が統制するようになるのです。

そうなって初めて、人間は意識的に自分たちの歴史をつくれます。
そして初めて、「人間が動かす社会的諸原因」が、自分たちが希望する結果をもたらすようになるのです。
それは必然の王国から自由の王国への人類の飛躍である」(90頁)。

社会主義というと、ネガティブなイメージがあるかもしれません。
それは、現実に現れた社会主義を謳う国(あるいは運動)が、評価できるものとは言えないからではないでしょうか。
しかしそれは、彼らが社会主義という名を語っているだけで、エンゲルスらが構想したものとは別物であることは、今回の勉強で分かったのではないでしょうか。
いまのところ、エンゲルスらが構想した社会主義が実現された例はありません。
そのため、現実にある(あった)社会主義国を根拠に、彼らの構想自体を批判することはできないでしょう。
プロレタリアが国家権力を掌握すると、どうなるでしょう。
まず、生産手段を国有にします。
そして、プロレタリアも、階級差別も、国家も止揚されるといいます。
(「プロレタリア」や「止揚」という言葉は以前にも出てきたので大丈夫ですね)

この実現には、理解だけでは足りません。
意欲だけあってもだめです。
経済的条件が必要なのです。
搾取階級・被搾取階級、支配階級・被支配階級に分裂しているのは、その社会の生産の発展が不十分だからです。
ほとんどの人が毎日働かなければならない間は、その社会は必然的に階級に分裂するといいます。

ですから、まだ資本主義すら十分に発展していないような国が社会主義になることは、不可能なことだったのです。
飽くまでも、最早資本主義的生産方法に行き詰まってしまったような社会、そしてそれは資本主義の十分な発展を前提にする、そうしたところに社会主義は適用される、ということなのです。

エンゲルスは、階級対立は、生産力が十分に発展すればなくなる、と考えたのです。
それは最早、時代錯誤の、古臭いものになると。

ある一部の階級が政治や教育や精神的な分野において我が物とすることは、みんなにとっての経済や政治や知識の発展にとって障害となります。
生産手段が膨張すると、最早資本主義の枠にははまらなくなり、それ自体がこの枠から解放されようとするのです。そしてこの解放は、生産力がますます発展することの、無制限に拡大することの条件なのです。

一部の支配階級や政治的代表者たちの贅沢や浪費(そして無駄や非効率な使い方)を止めさせることで、多くの生産手段と生産物とを、全体の自由に利用できるようにするのです。

社会の全員に対し、物質的に十分満ち足り、その上に日に日に豊富になっていく生活を保障すること、それは、さらにまた、彼らの肉体的および精神的能力の完全にして自由な発展と活動とを保障する可能性、そういう可能性が今はじめてここにある、それが正しくここにある(88頁)。

どうでしょう。
今の日本、最早この段階にあると思いますか?
前回までは、資本主義の欠陥とでもいうべきところを考えてきました。
今回からは、その解決篇です。

エンゲルスは言います。

この解決は次のことしかない、すなわち、近代的生産の社会的性質を実際に承認すること、いいかえれば、生産方法、取得方法、および交換方法を生産手段の社会的性格に調和させること。そして、そのためには、社会においてはほかにそれを管理するものがないまでに成長している生産力を、社会が公然かつ直接に所有することが必要である(83頁)。

生産手段や生産物が生産者自身に刃向かってくることは、これまでに見てきたところです。
この生産手段・生産物を、生産者が意識的に利用できるようにする、ということです。

社会的に働いている力の作用というものは、自然におけるそれと同じだといいます。
私たちがそれを認識して考えない限り、それは盲目的で、暴力的で、破壊的です。
しかし、それをちゃんと認識し、その活動や方向や効果を把握すれば、それをだんだんと私たちの意志に従わせ、私たちの目的を達成させる手段にすることができる、というのです。

私たちがこれを理解しない間は、この力は私たちに逆らい、反抗し、私たちを支配します。

このように、今日の生産力をようやく認識されるようになったっ性質どおりに処理すれば、社会的生産の無政府状態に代わって、全体および各人の必要に応じた社会的に計画的な生産の規律が生まれる(84頁)。

簡単に言うと、これまでの生産方法も取得方法も、もはや古く、いまの社会には合わないので、もっと今の社会に合った方法に変えよう、ということなのです。

資本主義的生産方法では、どうしても、大多数の人がプロレタリアになってしまいます。
仕方がありません。
これを避けるには、この方法自体を変えるしかないのです。