☆ワシの終活☆ -38ページ目

推しキャラ(その1)黒影豹馬・ブラックジャガー 「風雲ライオン丸」<75>(妄想版)

黒影豹馬・ブラックジャガー(black jaguar)

「風雲ライオン丸(1973年)」

 

「風雲ライオン丸」<75>(妄想版)

 

サンケイ新聞に連載された「風雲ライオン丸(後編)作:うしおそうじ、まんが:若林不二吾」のストーリーを題材にして、一峰大二の風雲ライオン丸の内容の漫画の画像を使って作ってみたのだが、原作漫画で、ケカビーが登場する回がないので、ここでは、テレビ版の風雲ライオン丸 第6話「黒豹よ 三吉を助けろ!」をもとに実写版を作る

 

獅子丸の目に薬を塗る志乃

獅子丸「そうか、三吉もさらわれたのか……」

 

志乃「どんな毒にも効く薬だと三吉は言ってたけど」

 

豹馬「目が治るのか?それともこのまま目が潰れてしまうのか。哀れ。盲目のライオンか」

 

志乃「何を言うの。獅子丸さんの目はきっと治るわ。治るに決まってます」

 

豹馬「俺もそう願いたい。盲目のライオンの手助けはごめんだからな。」

 

志乃「……」

 

豹馬「おい。そう怖い顔で睨むなよ。獅子丸の眼が治るのをここで待つのか、それとも三吉たちを助けに行くのか。どっちなんだ?」

 

獅子丸「その前に、豹馬、お前、ケカビーを知っていたのか?」

志乃「そうだわ、三吉も豹馬さんと同じようになるって言っていたけど…」

 

豹馬「おれのことはどうでもいい、何度も言うが、獅子丸の眼が治るのをここで待つのか、それとも三吉たちを助けに行くのか。どっちなんだ?」

 

獅子丸「豹馬の言う通り、三吉たちが殺されてもいいのか。今は三吉たちを助けることが大事だ。」

 

志乃「でも、その目では」

 

獅子丸「私の目は治るもんなら治る。治らなければそれまでだ。でも三吉は助けだそうと思えばできるんだ。志乃さん、豹馬。出発しよう」

 

豹馬「その闘志、盲目にしておくにはいよいよ惜しいぜ」

 

獅子丸「豹馬、くだらんことを言ってないで出発だ」

 

 

(参考資料)

テレビ版の風雲ライオン丸 第6話「黒豹よ 三吉を助けろ!」と第10話「うなる大砲 怪人ズク」

一度やってみたいコスプレはある?

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そりゃもう、今、一番推しの「ブラックジャガー」でしょう。
でも、「黒影豹馬」は、年寄なんでできません。

推しキャラ(その1)黒影豹馬・ブラックジャガー 「風雲ライオン丸」<74>(妄想版)

黒影豹馬・ブラックジャガー(black jaguar)

「風雲ライオン丸(1973年)」

 

「風雲ライオン丸」<74>(妄想版)

 

サンケイ新聞に連載された「風雲ライオン丸(後編)作:うしおそうじ、まんが:若林不二吾」のストーリーを題材にして、一峰大二の風雲ライオン丸の内容の漫画の画像を使って作ってみたのだが、原作漫画で、ケカビーが登場する回がないので、ここでは、テレビ版の風雲ライオン丸 第6話「黒豹よ 三吉を助けろ!」をもとに実写版を作る

 

豹の嗅覚でマントルの基地を探り出し乗り込もうとしている豹馬、そして志乃

 

それを狙う地虫忍者たち

 

しかし、間一髪、地虫忍者は打ち取られる

 

そこに現れたのは獅子丸だった

獅子丸が地虫忍者を打ち取ったのだった

獅子丸「気をつけろ豹馬、油断は大敵だぞ」

 

地虫忍者たちを斬り、身を寄せる三人

豹馬「獅子丸、いつものマントル退治か?こっちは三吉がさらわれて大変なんだ!邪魔はするな!」

 

獅子丸「私も、さらわれた子供を助けにやってきた。豹馬!助ける前に地虫どもに斬られないように気を付けろ」

 

豹馬「ほっとけ」

 

地虫忍者たちを次々に斬り倒す獅子丸と豹馬

 

そこに怪人ケカビーが現れる

 

獅子丸にカビ玉を投げつけるケカビー

 

カビ玉を斬る獅子丸

 

カビ玉から拡散する赤カビ

 

カビの煙をまともに受けて目を押さえる獅子丸

 

勝ち誇るケカビー

ケカビー「見たか、マントル忍法カビ流れ!」

 

ケカビー「貴様が獅子丸だな」

 

目が見えなくとも獅子丸は答える

獅子丸「人は私をライオン丸と呼ぶ」

 

ケカビー「そのライオン丸も盲目では赤子も同然。このケカビーが遠慮なく命をもらった」

 

獅子丸をかばい、そこに割って入る黒影豹馬

豹馬「待てケカビーその前に、俺が相手だ!今度こそ勝負しろ!」

 

ケカビー「ほう、豹馬か、とっくの昔に死んでいたと思っていたのだが、まあいい、今度こそ息の根を止めてやる」

 

ブラックジャガーに変身する黒影豹馬

「必法、豹変!」

と一喝すると空中でブラックジャガーに変身

必法

豹変

 

「ブラックジャガー!!」

 

そして、ブラックジャガーは、ケカビーと地虫忍者たちに立ち向かって行く

 

地虫忍者たちを斬り倒し、ケカビーに戦いを挑むブラックジャガー

 

しかし、ブラックジャガーの刀はケカビーに弾き飛ばされてしまう

危うしブラックジャガー!

 

その時、目が見えなくても、耳を澄まし、ケカビーの足を鞭で攻撃する獅子丸

 

足もとをすくわれるケカビー

 

「くそう」とうめき姿を消すケカビー

 

 

しかし、体勢を崩されただけで、逃げるケカビーはどうしたものか?

獅子丸は目が見えないし、ブラックジャガーの刀は無いし(短剣はある)、まだ、勝ち目はあったのでは……

と、細かい突っ込みをする

 

(参考資料)

テレビ版の風雲ライオン丸 第6話「黒豹よ 三吉を助けろ!」と第10話「うなる大砲 怪人ズク」

推しキャラ(その1)黒影豹馬・ブラックジャガー 「風雲ライオン丸」<73>(妄想版)

黒影豹馬・ブラックジャガー(black jaguar)

「風雲ライオン丸(1973年)」

 

「風雲ライオン丸」<73>(妄想版)

 

サンケイ新聞に連載された「風雲ライオン丸(後編)作:うしおそうじ、まんが:若林不二吾」のストーリーを題材にして、一峰大二の風雲ライオン丸の内容の漫画の画像を使って作ってみたのだが、原作漫画で、ケカビーが登場する回がないので、ここでは、テレビ版の風雲ライオン丸 第6話「黒豹よ 三吉を助けろ!」をもとに実写版を作る

 

マントルの人体実験場

 

とらわれた、平太と新之助と三吉

平太に泣くなと言う新之助

新之助「男の癖に泣くなんて見苦しいぞ」

平太「だっておいら、こわいんだもん」

新之助「男ならどんな怖い目にあっても泣くんじゃない。恥を知れ」

 

そんな新之助に文句を言う三吉

三吉「そんなこと言ったって、こわいものはしょうがないじゃないか」

 

新之助「じゃあ、三吉。お前もこわいのか?」

 

三吉「当たり前だい。マントル一族に捕まって、怖くないヤツなんているもんか」

 

新之助「私は平気だ。ただ父上の仇をなんとかして討ちたいとそればかり考えているんだ」

 

そこに怪人ケカビーが現れる

 

獣人の製造本をもとに毒カビの液体を調合するケカビー

 

泣き叫ぶ平太を実験台に選ぶケカビー

 

嫌がる平太に毒カビを飲ませるケカビー

 

その様子を見守る新之助と三吉

 

たちまち獣人となる平太

 

その姿に驚く新之助と三吉

 

それは失敗であった

「くそう失敗したか」と呻くケカビー

 

そこに地虫忍者から伝令が入る

ケカビー「なに、小僧と娘が……」

 

豹馬と志乃が人体実験場に近づいているのだった

それを知ったケカビーは……

 

 

(参考資料)

テレビ版の風雲ライオン丸 第6話「黒豹よ 三吉を助けろ!」と第10話「うなる大砲 怪人ズク」

推しキャラ(その1)黒影豹馬・ブラックジャガー 「風雲ライオン丸」<72>(妄想版)

黒影豹馬・ブラックジャガー(black jaguar)

「風雲ライオン丸(1973年)」

 

「風雲ライオン丸」<72>(妄想版)

 

サンケイ新聞に連載された「風雲ライオン丸(後編)作:うしおそうじ、まんが:若林不二吾」のストーリーを題材にして、一峰大二の風雲ライオン丸の内容の漫画の画像を使って作ってみたのだが、原作漫画で、ケカビーが登場する回がないので、ここでは、テレビ版の風雲ライオン丸 第6話「黒豹よ 三吉を助けろ!」をもとに実写版を作る

 

敵は去った

残された豹馬と志乃

豹馬によって志乃は救われたが、三吉は連れ去られてしまう

志乃「豹馬さん、三吉を助けください……」

 

豹馬「なかなか難しい相談だぜ、そいつはな…」

 

志乃「駄目でしょうか……?」

 

豹馬「駄目だというわけじゃないが……」

 

今回の敵の戦力からして、豹馬でも、安請け合いは出来ない様子

しかし、今の志乃には、他に頼れる人はいないのだ

必死の嘆願の想いを込めた志乃の眼差し……。

 

豹馬「そう怖い顔で睨むなよ」

 

志乃「だって……だって三吉は殺されてしまうかもしれないのよ?」

 

泣き出してしまった志乃に、豹馬はどうすることも出来ず……。

 

豹馬「目をはなした俺にも責任があるからな。なんとか三吉を助け出す工夫をしようじゃないか。このままでは、俺みたいに三吉が獣人にされるかもしれないからな」

 

志乃「えっ、どういうこと豹馬さん?」

豹馬「なんでもない、気にするな……」

 

このシーン、実写版と台詞をちょっと変えてみた

泣く女に弱い豹馬?

 

(参考資料)

テレビ版の風雲ライオン丸 第6話「黒豹よ 三吉を助けろ!」と第10話「うなる大砲 怪人ズク」

推しキャラ(その1)黒影豹馬・ブラックジャガー 「風雲ライオン丸」<71>(妄想版)

黒影豹馬・ブラックジャガー(black jaguar)

「風雲ライオン丸(1973年)」

 

「風雲ライオン丸」<71>(妄想版)

 

サンケイ新聞に連載された「風雲ライオン丸(後編)作:うしおそうじ、まんが:若林不二吾」のストーリーを題材にして、一峰大二の風雲ライオン丸の内容の漫画の画像を使って作ってみたのだが、原作漫画で、ケカビーが登場する回がないので、ここでは、テレビ版の風雲ライオン丸 第6話「黒豹よ 三吉を助けろ!」をもとに実写版を作る

 

殺されている村人たちを見て、「ひどいことを」とつぶやく獅子丸

 

「ううう」とうめく和馬

 

獅子丸「誰にやられた」

 

和馬「マントルだ。子供を助けてくれ。新之助」

 

事切れる和馬

 

(参考資料)

テレビ版の風雲ライオン丸 第6話「黒豹よ 三吉を助けろ!」と第10話「うなる大砲 怪人ズク」

 

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そりゃもちろん、
怪傑ライオン丸(1972年)に出てきた怪人クマオロジでしょう!

原爆裁判

「原爆裁判」

この裁判を先人が行ってくれたおかげで、被爆者や被爆二世の自分も特別に受けられる健診が存在する。

その効果は別としても。

この行動が無ければ、被爆者も被爆二世も、ずっと泣き寝入りしていたかもしれない。

NHKの連続テレビ小説「虎に翼」にて、その原爆裁判が描かれた。

被爆二世の自分はそれを見て感じるものはあった。

以下に、それに関する記事があったので、そのまま載せる。

毎年読み返すことになるだろう。

このドラマも、再放送をしてほしい。

ダイジェストでもいいからと思う。

 

 

「プレジデントオンライン(2024年)

「朝ドラのモデル三淵嘉子らが出した原爆裁判の判決文がすごい…「忘れられていた歴史的裁判」が描かれた意味」

連続ドラマ小説「虎に翼」(NHK)では、60年前の史実に基づき、裁判官の寅子(伊藤沙莉)が「原爆裁判」を担当する様が描かれた。

NHK解説委員の清永聡さんは「寅子のモデルである三淵嘉子さんは東京地方裁判所の判事時代、8年かかった原爆裁判を裁判官の中でただひとり最後まで担当し続けた。

そのことについては生前語らなかったが、裁判官を退職後、核兵器禁止の署名活動をしていた」という――。

三淵嘉子が実際に8年間担当した「原爆裁判」とは?

「虎に翼」の第20週から第23週にかけては、「原爆裁判」が描かれました。

寅子(伊藤沙莉)が所属する東京地方裁判所の民事24部が、広島・長崎の原爆被害者が提起した日本政府に損害賠償を求める訴訟を担当しましたが、寅子のモデル・三淵嘉子さんも実際に原爆裁判に関わっていました。

「原爆裁判」とは、昭和30年代に被爆者によって原爆投下の違法性が初めて法廷で争われた国家賠償訴訟のこと。

この裁判をご存知なかった方も多いのではないでしょうか。

広島や長崎で被爆した人たちが日本政府の責任を追及した裁判です。

非常に重要な裁判だったにもかかわらず、今の世の中で一般の人には半ば忘れ去られた裁判でもあります。

取材にあたり、東京地裁に問い合わせてこの裁判記録の保管状況を調べてもらいましたが、資料は廃棄されているとのこと。

本来は裁判所が「特別保存」すべきものですが、近年全国の裁判所で民事訴訟記録の大量廃棄が明らかになり、原爆裁判記録も判決文を除き、すべて捨てられていました。

残念なことです。

原爆をめぐっては「被爆者」の認定を求める集団訴訟が今も続いていますが、原爆裁判の意義は、「原爆投下は国際法に違反するか」を直球で問うものだったことです。

私は『家庭裁判所物語』(日本評論社)を書く際、原爆裁判を闘ってきた松井康浩弁護士による記録を引き継いで保管している「日本反核法律家協会」会長・大久保賢一さんに、閲覧させてもらいました(現在はネットでも全て閲覧できます)。

そして、裁判の経過を詳しく調べました。

第1回から結審まで一貫して担当し続けた三淵嘉子

その古い紙の綴りは手書きの訴状から始まっています。

原告は広島と長崎の被爆者5人。昭和30年に訴えを起こし、東京地裁で4年に及ぶ準備手続きを経て、昭和35年2月から38年3月まで、9回の口頭弁論が開かれました。

残された調書の表紙には右陪席の裁判官として全て「三淵嘉子」の名が記されています。

3人の裁判官のうち、裁判長と左陪席は異動で交代していく中、三淵嘉子さんは第1回口頭弁論から結審まで一貫して原爆裁判を担当し続けたのです。

司法担当として原爆裁判は真正面から描いてほしいと希望

「虎に翼」の企画が動き出した際、私は、原爆裁判はぜひ真正面から描いてほしいという強い希望を出していました。

短く少しだけ触れるというやり方は、深刻で重大なテーマにそぐわないと考えたからです。脚本の吉田恵里香さんや演出の梛川善郎ディレクターの理解も得て、こうした希望をかなえてもらえました。

第1回の準備手続のシーンは、反核法律家協会が保管している資料の中に調書があり、それをもとに描かれています。

まず「原告代理人の訴状陳述」から始まり、「被告指定代理人はいかがですか」「私どもとしては、請求棄却を求める方針です。

答弁を準備したく、準備手続きの続行をお願いしたい」「では、答弁書は遅くとも3カ月後……」といったシーンも、実は保管されている記録をもとにセリフにしています。

続いて第2回準備手続きでは、弁護士の岩居(趙珉和)が国側の指定代理人に対し「広島の原子爆弾の投下は、国際法に違反すると言っているじゃないですか」と少し語気を強めている場面があります。

おそらくテレビを見ていた人は、これだけでは何のことかわからなかったでしょう。

実はこれ、保管されている記録の中に、第2回で提出された国への「求釈明申立書」があります。

そこに「昭和二十年八月十日帝国政府は(中略)米国政府に対し、広島に対する原子爆弾の投下が国際法に違反する」とスイス政府を通じてアメリカに抗議していたことを明らかにしています。

つまり、さきほどのシーンは岩居が「あなた方(帝国政府)自身が当時、国際法違反と言っていたじゃないか」と追及しているわけです。

ちょっと怒っていることもわかるでしょう。

記録の保存がいかに大事かということがこれでわかると思います。

一方で、例えばこういう小さな部屋で行われる手続きだからといって、ドラマ的に映えるよう面白おかしくはしない。

厳格にそのまま、特に広島と長崎の方々に対して誠実に伝えようということを制作スタッフ全員一致で考えています。

平埜生成演じる裁判長が史実の判決文を読み上げた

第23週の9月6日では、最後に判決の瞬間が描かれました。

これはほぼ4分間、裁判長が判決文をただ読んでいるだけという異例のシーンなのですが、読み上げているのは昭和38年12月に言い渡された「原爆裁判」の判決文の一部です。

特に後半部分は、放送で聞いている人が理解できるように表現を少しわかりやすく修正したほかは、できるだけ当時の判決のままにしています。

この収録には私も立ち会いましたが、汐見裁判長役の平埜生成さんはとても気合が入っていて、4~5回撮影をする間、1回も言い淀まず、しかも冷静に感情をグッと抑えて読み上げる熱演でした。

収録スタジオの中にも感動が広がりました。

よく考えたら、判決文を読んでいるだけなんですよね。

それは、熱演と梛川ディレクターの演出の巧みさに加えて、原爆裁判の「判決が持つ力」もあったのだと思いました。

あの段階で例えば架空の判決文を作ることはできない。

あくまで史実通り本物の判決をできるだけそのまま読んで、ドラマを観ている皆さん、特に広島と長崎の人に三淵さんたち3人の裁判官が練り上げた判決を伝えたい、知ってもらいたいという思いで作りました。

判決の前にその理由を読み上げたことが画期的だった

ドラマでは、判決の際に「主文後回し」になったということも描かれましたが、実際もそうでした。

当時の民事裁判で理由から読み上げるのは異例のことでした。

これも私が当時の記事を調べていた中、「判決言い渡しは主文を後回しにする異例のやり方で始まった」と書かれた記事を発見し、さらに「『国際法からみて違法な戦闘行為』という言葉が述べられた瞬間、メモを取る原告側代理人松井弁護士の顔がさっと紅潮した」と法廷雑感も書いてあったためにわかったことです。

ドラマでも実際と全く同じように主文を後回しにして、判決理由から読んでいます。

この判決文がすごいんですね。

最大の争点だった「原爆投下の国際法違反」は明確に認め、末尾には被爆者への援護策を国に強く促しています。

しかし、主文上は国への賠償を求めた原告が負けている。

国は勝訴したので、判断内容が不服でも控訴できないんです。

逆に原告は控訴することもできたけれど、「国際法違反」という判断をあえて確定させた。

三淵さんを含めた3人の裁判官は、おそらく自分たちの判断が国際的にも影響を与えかねない、さらには政治的な影響力も生じうることも覚悟したうえで、この判決文を作成したのだと思います。

三淵嘉子をモデルにするからには原爆裁判を描きたかった

3人の裁判官の間で実際にどんな話し合いが行われたかは、「合議の秘密」があって、わかりません。

そこは空想を広げることができる部分です。

ドラマでは脚本の吉田さんが生き生きとした合議の場面を作っています。

また、ドラマでは原告の当事者尋問を非常に悲しい事情で取りやめてしまいますが、史実でも原告の当事者尋問の申請はあったものの、おそらく争点を絞り込んだ結果、最終的には取り下げられています。

この当事者尋問については吉田さんのオリジナルで、入れうるところには創作を入れつつも、原告本人たちがおかれた状況や手続きをできるだけ史実に即して作成したつもりです。

「虎に翼」で三淵嘉子さんを主人公のモデルにするからには、原爆裁判は絶対に外せないというのは、私自身、この企画がスタートした2022年から変わっていませんでした。

『家庭裁判所物語』を書くために証言や資料を集めていましたし、三淵さんの生涯において大きな裁判であったことは間違いがないと思っていました。

私の個人的な思いもありました。

私は生まれてすぐに父親の転勤で広島に引越し、小学生時代まで広島に住んでいました。

1970年代ですから家の近所には被爆の傷跡が残る高齢者もいましたし、小さな頃には母親に平和公園や資料館にも連れて行かれました。

そうした子供の時の記憶もあって、正面から史実通りにやってほしいという思いが強くありました。

原爆投下を「国際法違反」とした歴史的瞬間をどう描いたか

裁判の終盤、「国際法違反」と言って、請求棄却になるところで、記者たちが1回飛び出ようとするのを汐見裁判長が引き戻す。

戻れと言うわけではないけれど、記者たちが判決文に聞き惚れてもう1回座るあたりは、梛川ディレクターの名演出です。

ちなみに司法記者だった私も判決途中に慌てて飛び出そうとして、やはり判決文が気になり、もう一度座りなおした経験があります(笑)。

ところで、この原爆裁判の判決は国際社会からも高く評価されました。

日本の反応も当然大きく、判決が出たときは新聞各紙1面トップで扱われています。

それなのに、その後一般の人たちからはこの裁判が忘れ去られてしまった。

ただ、これで終わりではありません。

1996年、国際司法裁判所は勧告的意見の中で、核兵器の使用は「一般的に国際法に違反する」と指摘しています。

この判断について、日本反核法律家協会の大久保賢一会長は、「判断枠組みは原爆裁判と同じであり、その影響が見て取れる」と指摘しています。

三淵さんたちが出した判決は、その後も影響を及ぼし続けているということです。

家庭裁判所に異動してからも兼任して原爆裁判を担当した

もう一つ、皆さんが気になっているのは、なぜ三淵さんが裁判体である3人の1人になったのか、ということかもしれません。

これは結論から言うと、偶然だと思います。

東京地裁に訴えが起こされた場合、当時も今も行政訴訟や労働事件などを専門的に扱う「専門部・集中部」という部署を除くと、「配てん」は機械的に行われます。

また、三淵さんが名古屋地裁から異動して東京地裁の民事24部に着任したのは昭和31年。原爆裁判の提訴はその前年で、すでに準備手続も始まっていたというのが史実です。

ただし、三淵さんの意思が反映されたのではないか、と考えられる部分もあります。

彼女は原爆裁判が係属中の昭和37年12月に「東京家庭裁判所判事『兼』東京地方裁判所判事」となっています。

おそらくその後は家裁に勤務しながら、原爆裁判の法廷がある時には地裁へ来ていたのでしょう。

結審は翌年(昭和38年)3月でした。

その翌月(4月)に彼女は兼務が解かれ、東京家裁判事となっています。

断定はできませんが、三淵さんはこの裁判を結審まで担当し判決文を書きたいと自ら希望して、兼務となったということも考えられます。

史実では判決の瞬間、三淵嘉子は裁判官席にいなかった

実際、残されている記録を読むと、第一回口頭弁論から結審まで3人の裁判官の1人として彼女の名前が書かれています。

しかし、昭和38年12月の判決のタイミングではもう東京家裁に異動となっていましたので、法廷での言い渡しには立ち会っていないはずです。

おそらく判決の時には、気にしながら東京家裁で少年審判などを行っていたのでしょう。

ドラマでは言い渡しの場にも寅子がいますが、このあたりの変更はドラマのオリジナル部分となります。

ところで、私は『家庭裁判所物語』を書く際、彼女が判決後、この原爆裁判について何か書き残したり、周囲との会話の中で触れたりしていないかどうか調べましたが、何も見つかりませんでした。

長男の芳武氏にも生前、直接質問しましたが、「当時大きく報じられたので、母が原爆裁判を担当していたことは知っていたが、家庭でも話したことはない」と答えています。

基本的に嘉子さんは事件の話を家でしなかったそうです。

自身の経験や経歴を語る場も多かった彼女が、一言も触れていないのは不思議に感じられます。

おそらくは事案の深刻さと「合議の秘密」を守るため、意図的に語らなかったのでしょう。

三淵嘉子が退官後に反核の署名運動をしていたという逸話

ただ、三淵さんの思いが透けて見えるエピソードがあります。

彼女は裁判官を退官した後に日本女性法律家協会の会長になります。

1982年にニューヨークで「第2回国連軍縮特別総会」が開かれました。

これに合わせて核兵器の禁止を求める署名活動が全国で行われました。

実は、彼女は日本女性法律家協会としてこの署名活動に参加し、会長の三淵さん自身も池袋駅の西口に立って署名活動を行っているのです。

私は三淵さんの署名活動のことを知りませんでした。

三淵さんの後輩にあたる女性法律家の方々に「あなたそんなことも知らないの、取材が甘いわね」と言われてしまいました(笑)。

それにしても、元裁判官はあまり署名活動などやりません。

それだけに三淵さんの核兵器廃止への思いは強かったのだろうと思います。

そもそも最初の夫の和田芳夫さんも弟の一郎さんも戦争で亡くしているわけですから、「戦争を繰り返してはならない」という思いもあったはずです。

ただし、三淵さんも戦後しばらくは子供や弟を養わねばならず、自分や家族の生活に追われていました。

年月が経ち、日本も占領下から独立し、改めて「あの戦争とはなんだったのか」と思うようになったのかもしれません。

こうした彼女の戦争や平和に対する思いがゆっくりと醸成され、「原爆裁判」の歴史的な判決につながっていったのではないでしょうか。

 

---------- 清永 聡(きよなが・さとし) NHK解説委員 1970年生まれ。NHKで社会部記者として司法クラブで最高裁判所などを担当。司法クラブキャップ。社会部副部長などを経て現職。著書に『気骨の判決――東條英機と闘った裁判官』(新潮社、2008年)、『家庭裁判所物語』(日本評論社、2018年)、『戦犯を救え――BC級「横浜裁判」秘録』(新潮社、2015年)がある。 ----------

被爆二世

自分の祖父は、8月6日、教師ということで広島市内の学校に向かっていて被爆した

しかし、自分の父は?

当時、15歳だった父は、広島市内の学校に通っていた

でも、8月6日の当日、学徒作業で、30kmぐらい離れたところで、朝から作業していたそうだ。

そして、翌7日、広島市内に入市している。

祖父は被爆者手帳を持っていることを知っていた(現物を見たことはない)が、父が被爆者手帳を持ってるかどうかわからなかった。

父が五十数年前に亡くなって以来、その事実は分からず、知ることも無かった。

しかし、父は被爆者手帳を持っていた

被爆者だった。

分かったのは、母からのちょっとした話からだった。

今から十数年前だった。

その時点で、自分は、被爆二世が確定。

そして、自分の子供たちは、被爆三世が確定した。

それから、不安がよぎるようになる。

この記事も当時気になった。

「被爆2世、消えぬ不安=遺伝恐れ、差別も体験―原爆忌2017年8/6(日) 19:24配信、時事通信」

 広島の被爆者を父母に持つ「被爆2世」の不安は、原爆投下から72年がたつ今も消えない。

  今年になって26人の2世が、国に慰謝料を求める訴訟を広島地裁に起こした。

原告の1人、広島県福山市の中学校教員占部正弘さん(当時59)は、10年前から喉の痛みを感じている。

被爆し、肝臓がんで亡くなった父を思い、放射能の影響に恐れを抱き続ける。

  全国被爆2世団体連絡協議会によると、被爆2世は全国に少なくとも30万~50万人いるとされる。

訴訟で被爆2世らは、放射線の影響は遺伝している可能性があり、健康不安を抱えているのに十分な支援を受けていないと主張。

国側は「遺伝は科学的に立証されていない」と反論している。

  占部さんの両腕には子どもの頃に突然、白斑ができた。被爆直後、父親の背中にできたものと似ている。

「体の表面に遺伝があるのなら、内部にもあるかもしれない」という思いが消えない。

  約20年前、被爆2世の知人女性が乳がんのため40代で亡くなった。

女性からは、「2世はがんになりやすいから」と注意を促されていた。

「もし彼女が被爆者として認められていれば、健康手帳を交付されていれば、生きていたかもしれない」。

そう考え、訴訟への参加を決めた。

  訴訟で被爆2世は、差別の存在も訴える。

占部さん自身もかつて縁談が持ち上がった際、仲人から「(2世であることは)相手方に言わん方がいい」と勧められた経験がある。

結婚後、被爆2世であることを隠したままの人は少なくないという。

  仮に勝訴しても、「2世は原爆の遺伝を受けた障害者だ」と、さらに差別を助長してしまうのではとのジレンマも感じる。

それでも、「自分たちだけでなく、子や孫まで将来、がんになるかもしれない。その時に何の手だてもない方が問題だ」と、訴訟の意義を訴える。

  2019年には教員を定年退職する。

教え子の被爆3世にも健康不安が残ることを憂慮し、「裁判で勝てば、彼らも国の支援を受けられるようになる」と話す。

教え子らには、「核のない平和な世の中のために、声を上げられる人間になってほしい」と願っている。 

 

自分は、もう、還暦を過ぎた。

たぶん、がんなどの重篤な疾病が発生しても、それは、一般の人の発生率と変わらない確立だろう。

でも、子供たちはどうなのだろう?

そればかり気になる。

二世より三世は、より一世の遺伝の情報は薄くなる。

子どもたちは、自分の遺伝情報より、原爆遺伝は少なくなっていると思いたい。

でも、隔世遺伝と言う言葉ものある。

不安はまだある。

こんなこと、一般の人には、関係ない苦痛だろう。

それが、放射能物質の影響なんだ!!

今年も、被爆二世の健康診断の時期がやってくる。

ピカドン先生

10月24日は、坪井直さんの命日です。

坪井直(つぼいすなお)と言っても一般の人にはわからないだろう。

坪井直さんは、広島に投下された原爆の被爆者であり、長年、病魔と闘いながら、被爆者団体の代表をつとめ国内外に向け核兵器の廃絶を訴え続けた人です。

その坪井直さんの言葉を以下の記事で振り返ります。

 

「坪井直さん「ネバーギブアップ」貫いた人生 病魔と闘いながら、核兵器廃絶訴える

2021年10月27日(水) 19:00配信」

 

長年、被爆者団体の代表をつとめ国内外に向け核兵器の廃絶を訴えてきた坪井直さんその足跡を振り返ります。


【坪井直さん】

「あきらめたらいかん、ネバーギブアップ」

これは坪井さんの口癖です。

坪井さんはがん、心臓病、貧血。

いくつもの病魔と闘いながら県被団協の理事長として核廃絶のための運動を長年リードしてきました。

坪井さんは20歳のとき爆心地からおよそ1・2キロの広島市役所付近で被爆。その後、目にしたのは地獄絵図だったと言います。

 

【坪井直さん】

「指と指の間から腸が出かかっとる。そんなのは皆さんがみたら先にびっくりする倒れるよ。我々はそういうところばかりを見て来た」

奇跡的に生き延び教師となり、授業の合間に生徒へ原爆の悲惨さを語り「ピカドン先生」と慕われました。

定年退職後は被爆者運動の先頭に立ち核兵器廃絶を訴え、海外で20回以上も被爆体験を証言。

2010年にはNPT再検討会議が行われたアメリカ・ニューヨークで世界に向けて「ノーモアヒロシマ」を訴えました。

 

【坪井直さん】

「人間の波なんです。ヒロシマやナガサキの波じゃない。このチャンスを逃すべきじゃない」

2016年には広島を訪問した当時のアメリカ大統領・オバマ氏と面会し核廃絶への思いを直接訴えました。

 

【坪井直さん会見】

「これからが大事なんですよと。ときどき広島にやってきて、色々な人に聞いたり見たりそれを重ねてくださいと(伝えた)」

原爆の熱戦の影響で、がんを患い、点滴や輸血をしながらも活動を続けていましたが、ここ数年は体調を崩し、県被団協には理事長代行職が設けられ、その声を聞く機会は減りました。

これまで坪井さんは折に触れ若い世代へメッセージを残しています。

 

【坪井直さん】

「常に命を大事にするということが先決だと思っています。特に若者は未来志向で物事を考えていってもらいたい」

TSSでの最後の取材となったのは2019年5月。

坪井さんの被爆証言の英訳に取り組む高校生たちに向けて電話でメッセージを送りました。

 

【坪井直さん】

「あなたがたの世界を作らないといけない。私たちよりもよっぽど・・・重いものを持ち上げよる」

それは、70年以上訴え続けた核廃絶を次世代に伝えるために絞りだした言葉でした。

坪井直さん96歳。

最後までネバーギブアップの信念を貫き通した人生でした。

 

【坪井直さん】

「あきらめたらいかんネバーギブアップ」

広島ニュースTSS

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