☆ワシの終活☆ -30ページ目

推しキャラ(その1)黒影豹馬・ブラックジャガー 「風雲ライオン丸」<137>(妄想版)

黒影豹馬・ブラックジャガー(black jaguar)

「風雲ライオン丸(1973年)」

 

「風雲ライオン丸」<137>(妄想版)

 

「風雲ライオン丸」<136>(妄想版)の続き

 

「風雲ライオン丸」<138>(妄想版)へ続く

 

サンケイ新聞に連載された「風雲ライオン丸(後編)作:うしおそうじ、まんが:若林不二吾」のストーリーを題材にして、一峰大二の風雲ライオン丸の内容の漫画の画像を使って作ってみた

自分は漫画家でもイラストレーターでもないので、素人の切った張った程度

 

原作では、感動の再会を果たした勘助が秘密兵器(爆弾)をライオン丸から受け取り、マントルゴッドに向かうのだが、ここではブラックジャガーが復活しているので、勘助とブラックジャガーの会話を入れた

そこには、幼馴染の黒姫凜(くろきりん)を豹馬が捜してマントルに乗り込んだことがようやくわかる

今後、この新しいキャラクター黒姫凜を含めた話が妄想されて続くことになる

 

(参考資料)

怪傑ライオン丸 第2巻 光ノ章 うしおそうじ:作、一峰大二:画

風雲ライオン丸 全1巻 ロケットノ章 うしおそうじ:作、一峰大二:画

 

ヒーローズ

9年前(2016年)1月に、「スターマン」「レッツ・ダンス」などの大ヒット曲で知られる英ロックシーンを代表する歌手、デヴィッド・ボウイさんが亡くなった

69歳だった

1年半にわたりがんで闘病していて、愛する家族に見守られての最期だったそうです

当時、ネットでニュースを見たときは、思わず声を上げてしまいました

スーパースターもがんには勝てなかったか…

1983年に公開され、坂本龍一さんやビートたけしさんとの共演も話題になった大島渚監督の映画「戦場のメリークリスマス」に主演したのが思い出されます

自分としては、デヴィッド・ボウイの曲をよく聞いていたわけではありませんでした

でも、海外アーティストの曲を聞くときに必ずと言っていいほど、彼の曲が耳に入ってきたと言っていいと思います

1977年に発表された「ヒーローズ」(”Heroes”/David Bowie)

2007年にNHKEテレの「ジュークボックス英会話」で紹介されました

当時、米ソ冷戦下にあって、ベルリンの壁が存在していたときに、彼はそれに向けてメッセージを込めて作ったとされています

デヴィッド・ボウイの反戦歌と言うべきものでしょうか?

歌詞の中にもベルリンの壁を思わせるwallと言う歌詞や、敵と言う表現のthemやgunsという歌詞が出てきます

そんな中でも、デヴィッド・ボウイは、愛する男女は1日だけヒーローになれると強調する

 

”Heroes”/David Bowie

I,I wish you could swin

Like the dolphins

Like dolphins can swin

Though nothing,

Nothing will keep us together

We can beat them

Forever and ever

Oh,we can be heroes

Just for one day

 

I,I will be king

And you,you will be gueen

Though nothing

Will drive thme away

We can be heroes

Just for one day

We ca be us

Just for one day

 

I,I can remember

Standing by the wall

And the guns

Shot above our heads

And we kissed

As though nothing could fall

And the shame

Was on the other side

Oh, we can beat them

Forever and ever

Then we can be heroes

Just for one day

 

We can be heroes

We can be heroes

We can be heroes

Just for one day

(歌詞は「ジュークボックス英会話」より)

 

今は米ソ冷戦時代は終わり、ベルリンの壁は無くなった

しかし、残念ながら新たな冷戦構造はある

そして、テロリストははびこり、新たな戦争(ウクライナ、ガザ地区)が始まって、命を落とす人が今でもいる

相変わらず緊張が続く朝鮮半島、台湾有事のリスクの高まり

デビッドボーイのメッセージをもう一度、聞き直してみてはどうだろうか?

 

 

推しキャラ(その1)黒影豹馬・ブラックジャガー 「風雲ライオン丸」<136>(妄想版)

黒影豹馬・ブラックジャガー(black jaguar)

「風雲ライオン丸(1973年)」

 

「風雲ライオン丸」<136>(妄想版)

 

「風雲ライオン丸」<135>(妄想版)の続き

 

「風雲ライオン丸」<137>(妄想版)へ続く

 

サンケイ新聞に連載された「風雲ライオン丸(後編)作:うしおそうじ、まんが:若林不二吾」のストーリーを題材にして、一峰大二の風雲ライオン丸の内容の漫画の画像を使って作ってみた

自分は漫画家でもイラストレーターでもないので、素人の切った張った程度

 

勘助の機転で、志乃は助かり、勘助・志乃・三吉の親子の涙の再会

それを見守るタイガージョージュニア、ライオン丸、ブラックジャガー

原作では、黒影豹馬(ブラックジャガー)は死んでいるので、タイガージョージュニアとライオン丸が並んで見守る構図になっている

でも、やはり、タイガージョージュニア、ライオン丸、ブラックジャガーのそろい踏みが一番と思って、作ってみた

 

(参考資料)

怪傑ライオン丸 第2巻 光ノ章 うしおそうじ:作、一峰大二:画

風雲ライオン丸 全1巻 ロケットノ章 うしおそうじ:作、一峰大二:画

終活のブログ

ブログ18年目

途中、パソコンの故障や病症の発症などで、中断した期間は6年

アメブロに登録したのは17年前の2008年の3月

あるタレントの日記を読むために登録しただけで、自分がここに記事を書くなど微塵も思っていませんでした

そして、実際、記事を書き始めたのが、16年前の2009年1月

その前の1年間は、ペタを受けるだけでした(今はペタ機能はない)

当時、ペタは不規則ですがいつも一人の人から来てました

そのうち、そのペタが2人になり、3人になり、多くなっていったのです(今はペタ機能は無い)

しばらくブログのプロフィールは何もなく、記事なぞ何も無かったにもかかわらずです

その後、なんとなく書き始めた記事

ただ、他のブログ(楽天とauです。楽天だけちょっと)では、すでに2008年から記事は書いていました

ただ、そこのブログよりアメブロが面白そうだから、乗り換えたと言った方がいいでしょう

2016年の5月、PCが壊れ、途切れました

その後、PC修復後も再度破損し、ようやく、10月に新しいPCを購入したときは、ブログを書く気力がありませんでした

一度、放置された書き込みは、なかなか元に戻らない

見に行くことはあっても、コメントも残せない

そんなものだろうなあ

でも、個人の日記には記事を書いていました

それをアメブロに記載する気力が無かった…

病気もいろいろ発症していました

自分のブログの最後の記事への「いいね」はまだ続いていたようだ

ただし、人のブログは読んでいたので、こちらからの一方的な「いいね」(足跡)は残していた

ブログの訪問も、最近は、一日中から、午前中に限られている

一文のブログをぼちぼちやっていて、ようやく、去年(2024年)に本格的にブログを再開した

これは、被爆二世として一種の終活と言う名のブログだろう

推しキャラ(その1)黒影豹馬・ブラックジャガー 「風雲ライオン丸」<135>(妄想版)

黒影豹馬・ブラックジャガー(black jaguar)

「風雲ライオン丸(1973年)」

 

「風雲ライオン丸」<135>(妄想版)

 

「風雲ライオン丸」<134>(妄想版)の続き

 

 

「風雲ライオン丸」<136>(妄想版)へ続く

 

サンケイ新聞に連載された「風雲ライオン丸(後編)作:うしおそうじ、まんが:若林不二吾」のストーリーを題材にして、一峰大二の風雲ライオン丸の内容の漫画の画像を使って作ってみた

自分は漫画家でもイラストレーターでもないので、素人の切った張った程度

 

マントルの本拠地に乗り込んだ一行だったが、志乃が相手の罠にかかる

一難去ってまた一難

さあどうする

そこに勘助が現れるが……

しかし、ブラックジャガーは手首を切られても、元気なんだよなあ……。

 

(参考資料)

怪傑ライオン丸 第2巻 光ノ章 うしおそうじ:作、一峰大二:画

風雲ライオン丸 全1巻 ロケットノ章 うしおそうじ:作、一峰大二:画

推しキャラ(その1)黒影豹馬・ブラックジャガー 「風雲ライオン丸」<134>(妄想版)

黒影豹馬・ブラックジャガー(black jaguar)

「風雲ライオン丸(1973年)」

 

「風雲ライオン丸」<134>(妄想版)

 

「風雲ライオン丸」<133>(妄想版)の続き

 

「風雲ライオン丸」<135>(妄想版)へ続く

 

サンケイ新聞に連載された「風雲ライオン丸(後編)作:うしおそうじ、まんが:若林不二吾」のストーリーを題材にして、一峰大二の風雲ライオン丸の内容の漫画の画像を使って作ってみた

自分は漫画家でもイラストレーターでもないので、素人の切った張った程度

 

ブラックジャガーの手当てを志乃がして、手負いながらもライオン丸と三吉が六能陣車にのってマントル本拠地に乗り込む!

タイガージョージュニア、志乃の後にブラックジャガーが続いている(吹き出しの下に足を入れた)

しかし、手を斬られても生きていられるとはさすがブラックジャガーは不死身の獣人だ!

 

(参考資料)

怪傑ライオン丸 第2巻 光ノ章 うしおそうじ:作、一峰大二:画

風雲ライオン丸 全1巻 ロケットノ章 うしおそうじ:作、一峰大二:画

 

推しキャラ(その1)黒影豹馬・ブラックジャガー 「風雲ライオン丸」<133>(妄想版)

黒影豹馬・ブラックジャガー(black jaguar)

「風雲ライオン丸(1973年)」

 

「風雲ライオン丸」<133>(妄想版)

 

「風雲ライオン丸」<132>(妄想版)の続き

「風雲ライオン丸」<134>(妄想版)へ続く

 

サンケイ新聞に連載された「風雲ライオン丸(後編)作:うしおそうじ、まんが:若林不二吾」のストーリーを題材にして、一峰大二の風雲ライオン丸の内容の漫画の画像を使って作ってみた

自分は漫画家でもイラストレーターでもないので、素人の切った張った程度

 

ライオン丸とブラックジャガーのピンチを救ったのは、タイガージョージュニアでした?

いや、三吉のシトシト爆弾でした!

つまり、三吉が一番強い!!

アグダーまで倒してしまいました

このへんは、テレビ版の「風雲ライオン丸」の打ち切りが決まったからだろうか?話の展開が早い!!

もっと、いろいろな展開を見たかった

 

(参考資料)

怪傑ライオン丸 第2巻 光ノ章 うしおそうじ:作、一峰大二:画

風雲ライオン丸 全1巻 ロケットノ章 うしおそうじ:作、一峰大二:画

核兵器と作った人々

15年前(2010年)にNHKで放送された番組「核兵器と作った人々」を見て手記を残していましたので、その記事をもう一度

 

全世界に核兵器が存在すると言うことは、核兵器を作った製造工場そして労働者が存在し、今も働いている人がいるということです。

この番組は、1947年から核兵器の起爆装置(プルトニウムの固まり)を大量生産していたロッキーフラッツという会社の工場の解体作業について報道していました。

1947年から1974年の間稼働していたこの工場は、老朽化し、解体作業に入ったようなのですが、通常の建物の解体作業とはいかなかったようです。

当たり前でしょう、放射性物質があちこちにへばりついていたのですから…

そして、そこで働いていた人は、やっぱり、被曝してました

今では予想できることです。

現在も、白血病や癌が発症して苦しんでいるアメリカ人労働者がたくさんいるということです。(現在は、日本の被爆者と同じように、多数の方がお亡くなりになっているかもしれません。)

当然、工場が稼働中は国家機密であり、守秘義務のため、そんなことは話すこともできませんでした。

彼らは、会社が無くなった今、保険補償がなくなり、国に補償を請求しています。

(今も続いているのかどうかはわかりません。)

でも、国は、彼らが本当に働いていたかを、疑っているのです。

証拠を出そうにも、彼らが働いていた会社に彼らのデータは何もないからなのです。

(証拠隠滅でしょうか?)

そして、工場跡は、多くの放射性物質をそのままにして埋め立てられました。

その周りを立ち入り禁止にして…(狭い日本では考えられません)

核兵器を作れば作るほど、こんな場所が増えて行くのでしょう

(原発も同じような気がします)

そして、埋め立てただけと言うことは、時間が経てば放射性物質が洩れだして行くかもしれません

人間が生きて行けない不毛の場所がどんどん広がっていくのでしょうね

核兵器を作った、ロシア、中国、インド、フランス、イギリス、パキスタンも同じでしょう

核を持つと言うことは、このような弊害をもたらすのです

政治家・軍人は、核兵器をおもちゃのように考えていますが、被害に遭うのはいつも民間人です

核を持つなら、政治家や軍人が直接作り、直接自分で保管保持して下さい

 

この手記を今一度読み直し、それが原発についても同じ事が言えるのではないかと感じました

核と原発では、放射性物質の分量は違います

しかし、同じ放射性物質を扱っている以上、人間への影響はあるはずです

今後、福島第一原発の廃炉が困難の伴うのは予想もできます

さらに、耐用年数を過ぎた原発の廃炉も、福島第一原発までは行かずとも、やっぱり同じ苦労があることが予想できると思います

もうこれ以上、原発を、日本はもちろんのこと世界に作らないでほしい

もちろん、核兵器も…

 

2010年のあるアンケート

「日本の核武装 「議論だけでも行うべき」が96%(毎日新聞より、2010年12月)」

「日本は核武装すべきか」については「賛成」が85%。「公の場で議論だけでも行うべきか」については96%が「そう思う」と答えました

また、「有事の際にアメリカは日本を守るか」との問いには、78%が「そう思わない」と回答したようです

これも現実です

今、同じアンケートを行った場合、どのような結果がでるでしょうか?

台湾有事、ロシアの北海道への侵略

まったく、可能性が無いとは言えない

その時、日本はどうする?アメリカはどのように動く?

 

あなたは、今の平和な生活が当たり前だと勘違いしていませんか?

 

戦争のにおい

8年前(2017年)の記事をもう一度

「沖縄戦、壕のにおい再現 汗や血…体験者の証言もとに 「悲惨さ、より確かに伝える」(朝日新聞デジタルより、2014年12月)」

沖縄戦で数多くの負傷者がかつぎこまれ、「ひめゆり学徒」たちも看護にあたった沖縄県南風原(はえばる)町の丘陵に掘られた壕(ごう)内の病院の「におい」が再現されたそうです

汗や血、汚物などが混ざった強烈な「におい」だそうです

壕を管理する同町立南風原文化センターが「戦争の悲惨さを、より確かに伝えたい」と、当時、壕にいた人たちの証言をもとにつくったそうです

2015年から壕の見学者にかいでもらっているようですが、どうでしょうか?

(現在、どのようになっているか、わかりません)

戦争を語り継ぐ

これは容易なことではありません

語り部は高齢になり、その継承も難しくなってきています

戦争の写真、遺品、遺跡など、目で見えるものはあっても、そこから想像できるものは限られています

今回、つくられた「戦争のにおい」は、そんな戦争の証拠品などと一緒に体験することによって、強烈な印象が付けられると思います

戦争に香ばしいにおいなどあるわけではありません

死臭が漂うのが戦争

たぶん吐き気を催すのが普通ではないかと思います

だからこそ、そんな状態にしてはならないと肝に銘ずるために、そのにおいを経験することも必要ではないでしょうか?

沖縄県南城市で暮らす戦争経験者は、1945年4月ごろ、米軍の攻撃を避けるため、姉や妹らと病院壕に逃げ込んだそうです

入り口近くにたたずんだ彼等の耳に、暗い壕の奥から負傷兵の声にもならない声が聞こえたそうです

しかし、何より強烈に記憶に残っているのが、においだったそうです

「ブタやネコの死体が腐ったようなにおいに、いろいろ混ざった感じ」

彼等は、病院壕の見学者に、現在の病院と病院壕内の病院を比較してもらいたいと考えたそうです

明るく、広く、清潔な今の病院

しかし、当時の壕内の病院は暗く、不衛生で、悪臭がこもっていたそうです

「なぜ、悪臭がするのか。それは戦争のため。病院もこのようになってしまうということを理解してもらいたい」

原爆投下当時の広島・長崎のにおいはどうだったのでしょうか?

東京大空襲の時の燃えさかる町のにおいはどうだったのでしょうか?

そんなにおいも戦争知らない世代が今こそ知らねばならないかもしれません

まさに、現在、ウクライナやガザ地区で、戦争のにおいが発生していることだと思います

Youtubeなどで画像が世界に配信されていても、においは届きません

画像とともに、においが届けられたら、人々はどう思うでしょうか?

 

あなたは、今の平和な生活が当たり前だと勘違いしていませんか?

 

原爆孤児たちの訴え(6)

被爆二世である自分が、2015年が被爆・戦後70年と言うときに、森瀧市郎著の「「核と人類は共存できない」核絶対否定への歩み」七つ森書館(当時1800円(税抜))を読んだことを記事にしました。

その中に、原爆孤児たちの訴えが記載されていましたので、数日をかけて紹介します。

 

「広島市舟入高等学校一年生 K・K

学校にいき始める喜びに、始めてランドセルを背負って叔母と一緒に学校の門をくぐった昭和二十年四月

当時戦争の激しい恐怖に被われていた、ぼくたち叔母、兄姉四人は広島郊外の可部町の親戚に疎開していた

(中略)

ぼくたち兄姉一生忘れることのできない八月六日

その朝丁度学校で朝会を行っていた

するとどうでしょう

眼を開くこともできないほどまぶしい光が輝いたと同時に大爆音もろとも、はるか山の向こうから真黒い雲がもくもくと立ち昇りはじめたではありませんか

その雲はみるみるうちに空一面を被ってしまいました

ぼくはなにがなんだか全然検討がつきませんでした

無我夢中で家に走り帰りました

夕方頃から種々な人々が続々と負傷して帰ってくるではありませんか

世にも恐ろしい原子爆弾が投下されたのでありました

ぼくは瞬間的に広島に居残っていられる父母弟妹のことが気掛かりました

兄は二日目に親戚の人たちと一緒に広島に急行されました

兄が左官町に在った家の場所にいかれますとどうでしょう、家は無くなり、母、弟、妹は並んだまま白骨となっていました

三日目の朝、父がぼくたちのいる可部町の家に帰ってこられましたが、その日の夕方には、もうむなしく亡くなられてしまいました

父は身体全体が火傷で被われて、所々に大きく負傷までしておられ、ほんとうに元の父とは思えないほどの状態だったのです

一家楽しく愉快に暮らした元の家庭も父母弟妹四人を失いぼくたち兄姉は呆然自失してしまいました

その後ぼくは兄姉と別れて瀬戸内の島の祖父の家で暮らすことになりました

(中略)

ぼくもいまは高校一年生です

いままでのことを振り返ってみると、原爆が投下されて早や九年の歳月が夢のように流れていきました

あの、恐るべき原子爆弾が、世にも恐ろしい戦争に使用されたことについて、ぼくたちは真剣に考えるべき多くの問題をもっています

罪のない多くの人々を死なしたあの恐るべき原子爆弾、ましてや原爆以上の威力をもった水素爆弾などは、一日も早く地球上からなくしてしまわなくてはいけません

それなのに、世界の文明国とほこる大国の間には、水爆を作る競争をし、すでにどしどし実験だといって爆発をさせ世界の人々を苦しめています

またしてもこんなものが戦争に使われるようになったら、九年前のあの悲惨、いや今度はそれ以上の想像も及ばぬ悲劇をおこることは目前にみえています

われわれ青少年は原爆、水爆の使用について絶対に無関心でいるわけにはいきません

われわれ広島の市民が中心となり、原爆、水爆使用禁止の声を、全世界の人々に訴えなければなりません

昭和二十九年九月十五日」

 

あなたは、今の平和な生活が当たり前だと勘違いしていませんか?