☆ワシの終活☆ -253ページ目

(戦争と平和1334)ドキュメンタリー映像「TOKKO特攻」

一昨年、2007年に公開されたアメリカ・日本合作のドキュメンタリー映像「TOKKO特攻」を見ました


日本軍の元特攻隊員と米軍駆逐艦の元乗組員が特攻の真実を語るドキュメンタリーでした


元特攻隊員の叔父を持つ日系二世の女性が監督したものでした


自分が住んでいる街には、「予科練平和記念館」があるので、特攻隊に対するこのようなドキュメント映画は非常に興味がありました


終戦末期とは言え、こんな悲惨で非効率的な作戦は考えられません


お国のためにと、若い命がもののように使われて失われました


戦争とはそれを当たり前のように行う凶器なのです


国が国民を教育・洗脳することでそんなことを可能にしてしまう


興味を持ったのは特攻隊によって撃沈させられたアメリカの駆逐艦の元乗組員の証言でした


彼らは、「もし、自分達が日本のように追い込まれたら、特攻のようなこともありえる」と言うのです


国民的な思想の相違もあり、アメリカはそんなことは考えられない国民だと思っていたのですが、戦争だから考えてしまうことなのでしょうか?


やっぱり、戦争は一般常識を狂わせてしまうのだろう


ドキュメント映画は、一方側からの記録を多く収録することが多いのですが、監督が日系二世と言うこともあって、日本側、アメリカ側から見た記録になっているのが良かったと思いました


この映画は保存版として録画するべきだったかな?


でも、またいつか放映されることだろう


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(戦争と平和1333)「予科練平和記念館」

先月、自分は、次男が課外研修でもらった招待券を持って、友だちとようやく、霞ヶ浦の辺にある「予科練平和記念館」に行きました


二年越しの思いによるものでした


自分の住む町の周辺には、陸上自衛隊武器学校、陸上自衛隊武器補給処、陸上自衛隊霞ヶ浦駐屯地霞ヶ浦飛行場、防衛省技術研究本部試験場などがあります


(武器補給処には、昔、仕事で何回も出入りしていました)


そして、古くは東洋一の航空基地と言われた霞ヶ浦海軍航空隊が設置された場所でもあります


言うなれば、昔も今も軍事設備の拠点のひとつなのでしょうか?


(戦時中は、米軍の爆撃目標になりました。ちょうどこの6月に空襲があり多くの町民も亡くなったそうです)


霞ヶ浦海軍航空隊には、良く知られている「予科練」も含まれていました


「予科練」とは、「海軍飛行予科練習生」及びその制度の略称を言います


14才から17才までの少年全国から試験で選抜し、飛行機の搭乗員としての基礎訓練をするものです


「予科練」と聞くと、「特攻隊(特別攻撃隊)」と連想する人もいらっしゃるかもしれませんが、必ずしもそうではありません


飛行予科練習生制度が始まって、終戦までの15年間で、約24万人が入隊し、うち約2万4千人が飛行練習課程を経て戦地へ赴きました


その中に特別攻撃隊として出撃したものも多くあります


約2万4千人のうち、戦死者は8割である約1万9千人にのぼったということです


(「予科練平和記念館」資料より)


次男は、予科練生と同じような年代


予科練生は死と向かい合わせの戦いのための訓練をし、一方の次男達は高校受験のために日夜勉強を続けています


時代が違うだけで、これほども違うものでしょうか?


子供を持つ親として、もし、我が子が、予科練に入る、或いは入らねばならないとなったらどうでしょうか?


「お国のために頑張ってこい!」などと、軽々しく言えない自分が想像できます


次男は、課外研修で、記念館を訪れて、何を思い、何を感じたかは、聞いていないのでわかりません


忘れてはいけない歴史であることは間違いありません


その「予科練平和記念館」に隣接して、陸上自衛隊土浦駐屯地武器学校の「雄翔館」も入ることができます


そこには、特攻隊として出撃された方々の遺書が展示されています


多くの文が、達筆で、いかにも軍人と言った綺麗な文章なのでした


しかし、中には「テヘッ」や「アハッ」が使われていて、今の若者と変わらないではないかと思わせる文があり、ハッとさせられました


何故に、彼らはこんなに気丈に、文を書くことができるのだろう


かれらの未来には「死」しかなかったのに…


胸が詰まる思いで、館を後にしました


「予科練平和記念館」を一歩でるとそこには平和の日常が…


青空が広がっていました


記念館の入り口には、つばめの巣が


平和のありがたさを思った瞬間でした


二度と戦争をしてはならない


子供達を犠牲にしてはならない


平和ボケにはなってはならない


そう思いました



「予科練平和記念館」
開館時間 午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日 毎週月曜日(祝日の場合はその翌日)12月29日~1月3日
観覧料 大人 500円(団体400円)
    小中高生 300円(団体240円)
〒300-0302 茨城県稲敷郡阿見町大字廻戸5番地1
TEL 029-891-3344
http://www.town.ami.ibaraki.jp/yokaren/


「雄翔館」
予科練平和記念館より徒歩で約200メートル
開門 9:30
閉門 16:30(最終入門は16:00まで)
予科練平和記念館閉館日(月曜・祝日の場合は翌日、年末年始)は雄翔館への通用門は閉まります 


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(戦争と平和1332)身の回りの兵器

(戦争と平和1331)映画「ハート・ロッカー」

去年、2008年に公開された映画「ハート・ロッカー」をようやく見ることができました


2004年のバグダッド(イラク)が舞台


PKO支援を描いたものだと思うけど


アカデミー賞受賞作品じゃなかったかな?


いきなり、画面は爆弾処理から始まる


そして、いきなり爆発


戦争が終わって、いったい何名のアメリカ軍兵士が亡くなったのだろう


新しい処理工員が派遣され爆弾処理は粛々と進む


「爆弾処理に秘訣は?」と問うと、工員は答える「死なないこと」


戦場では精神が麻痺する


新しい処理兵はじょうきを逸した行動をとる


それを他の隊員は理解できない


ショックなのは、子どもに爆弾を仕掛けた人間爆弾


その子どもは、処理兵がいつもDVDを買っていた子どもだった


そして、一般市民に爆弾をつけることも…


毎日のように爆弾の犠牲になって行く人々


それでも、処理兵は粛々と作業をこなして行く


処理兵は、任期が終わって、帰国し、家に帰っても、彼は再び戦場に戻ることを選択する


そうさせるのは何なのだろう?


誰かがやらねばならない作業なのだが…


何故彼なんだろう?


人が死に、そして爆弾処理兵が爆弾処理を粛々と行う


そんな場面しかない映画「ハート・ロッカー」


でも、これが今も地球上の何処かで起こっている現実なんだ


そう思わねばならない


平和ボケした日本人には映画としか映らないだろうか?


そして、1950年から始まった朝鮮戦争は、今日(6月25日)の日にちから始まったことになっているようですね


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(宇宙1320)「UFOの日」

今日(6月24日)は、「空飛ぶ円盤記念日・UFO記念日」だそうです(ウィキペディアより)


1947年のこの日、アメリカの実業家ケネス・アーノルドがワシントン州レニアサン付近で強い閃光が目撃され、これが初のUFO「未確認飛行物体(Unidentified Flying Object)」の目撃談とされてそうなったようですね


そして、こんな記事が…


「英国防省:UFO係、半世紀の歴史に幕 「経費の無駄」(毎日新聞より、2013年6月)」


未確認飛行物体(UFO)の監視・調査を担当し、2009年12月に閉鎖された英国防省UFO係の活動内容を同省が公表し、その内容などを英メディアが6月21日、報じたそうです


この係は50年以上、国防のためUFOの調査を続けたが、「経費の無駄遣い」と結論付けられ閉鎖されていました


国防省は「もはやUFOを見たという報告に反応せず、調査も行わない」としているが、同係閉鎖がUFOの存在を否定するものではないと説明しているそうです


国防省が公表した資料には、「異星人と暮らしている」という電話の入電記録や、「2007年にキャンプに行った際、UFOに車とテントを奪われ、飼い犬を拉致された」との報告を受けた記録などがあったようです


まだ、UFO係があったということだけでも、宇宙に対する認識があったと言うことでしょうかね


日本では、どうでしょう?


防衛省にそんな係があるのでしょうか?


アメリカは?(CIA、Xファイルか?)


NASAは?


UFO目撃というより、UFOを作る方がいいように思いますが…


普通の人は、UFOを目撃したいという気持ちが強いかもしれませんが、自分は昔からUFOを目撃するより、作りたいと思う方が強いのです


アニメの「宇宙戦艦ヤマト」(1974~)や「機動戦士ガンダム」(1979~)など、宇宙に飛翔するものは片っ端から興味を持ちました


1978年に映画「未知との遭遇」が公開されるとなおさらその思いが強くなったものでした


だから、UFOを作るための本は、いろいろ物色したものです
(「UFO製造法」などという本も実在した覚えがあります)


表向きは、「宇宙に関係する仕事にしたい」と周りには言っていましたが、本音は「UFOを作りたい」でした


だから、中学では「科学クラブ」に所属し、高校では「地学部」(天文部として入部)に所属し、そして、大学は航空宇宙工学科に進学し、密かに飛行物体の勉強をしたいと思っていました
(本当は東京大学に行きたかったのですが、そこまでの学はありませんでした)


大学でもクラブは「宇宙研」に所属し、高圧(AC100V)を使ったイオンクラフトの実験をしたものです

(学園祭などで展示したものです)


「はやぶさ」に搭載されていたイオンジェットエンジンにも興味がありました
(イオンエンジンは大学の先輩が昔研究していたのですが、その頃から興味がありました)


一貫した気持ちは、就職にも影響し、大手の宇宙部門或いはJAXA(当時のNASDA)も目標になったのですが、これまた、学が無くて、中堅企業への就職になりました


でも、その会社でも、宇宙開発部門の仕事はしました
(会社でこっそり反重力エンジンを開発しようと思ったことはありましたが…、)


約半世紀生きてきましたが、いまだに「UFOを作りたい」と言う気持ちは変わっていません


UFOは自分の人生の原点なのかもしれませんね


さて、毎年、この手の記事を書くと、「矢追純一」さんの名前を語る人からペタがつきます


今年はあるのでしょうか?


(去年・一昨年・3年前・4年前の記事を引用しました)


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(戦争と平和1330)沖縄慰霊の日

沖縄戦から68年がたちました


今日は、沖縄慰霊の日(お昼、NHKで放送していた式典を見ることはできませんでした)


第二次世界大戦の沖縄戦で、沖縄防衛第三十二軍司令官牛島中将と同参謀長の長勇中将が糸満の摩文仁で自決した日が昭和20年(1945年)6月23日の未明とされており、この日を日本軍の組織的戦闘が終結した節目としてとらえて琉球政府及び沖縄県が定めた記念日だそうです(ウィキペディアより)


沖縄戦は1945年4月1日にアメリカ軍の沖縄本島上陸によって本格的に開始されました


信じられないことかもしれませんが、今もなお、戦争のその瞬間がトラウマになって苦しんでいる人はいます


去年、沖縄県は、惨状を極めた68年前の沖縄戦の証言映像や写真をデジタル保存して後世に伝えようという「沖縄平和学習アーカイブ」(http://peacelearning.jp )を製作しました


戦争を知らない世代が増えた今こそ、戦争の記録を覚えておくべだと思っていたのですが、よいものができたと思ったいます


ネットが発達した社会だからこそ、人々がアクセスして、内容を見ることが必要です


場合によっては、授業に取り入れてもよいのではないでしょうか?


事実は事実と受け止めるために…


二度と同じ過ちを繰り返さない為に…


毎年、この時期になると同じ言葉を繰り返します


あらためて、この戦いで亡くなられたすべての方々へのご冥福をお祈りします


「沖縄平和学習アーカイブ」
http://peacelearning.jp


また、以下のようなサイトもあります


参考までに


「広島原爆写真館 - 平和都市 ヒロシマの願い」
http://www.aeras.jp/abomb/


「大和ミュージアムへようこそ」
http://www.yamato-museum.com/


「東京大空襲・戦災資料センター」
http://www.tokyo-sensai.net/


「予科練平和記念館」
http://www.town.ami.ibaraki.jp/yokaren/


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(戦争と平和1329)6月22日は、あるエンジニア(航空技術者)の誕生日

6月22日は、零戦の設計技術者堀越二郎(ほりこしじろう、1903年6月22日 - 1982年1月11日)の誕生日


今は亡き堀越二郎さんは、第二次大戦中の戦闘機「零式艦上戦闘機」(ゼロ戦)の設計者であり、昭和期の日本の航空技術者です


ゼロ戦については、設計者というより、ゼロ戦開発設計のプロジェクトリーダであり、製造をも兼ねる設計チームの主任であったと言うべきでしょう


終戦後、日本初の国産旅客機YS-11にも、今は亡き木村秀政先生とともに設計に携わりました


設計者というのは、とかく、視野が狭くなり(俗に言う設計バカ)、ひとつの技術に執着してしまうものです


しかし、ものつくりとは、あらゆる方面にアンテナを張り巡らし、浅く広い知識により、製品の方向を位置つけて行くものだと自分は思っています


そして、発想の転換のできる柔軟な頭と最後まであきらめない心を持つ人間こそが、世に残るものを作り上げているように思います


現にゼロ戦設計において、堀越二郎氏は、当時にそむいた操縦系統を採用して成功しています

(詳しくは、佐貫亦男著「飛行機の本」を参照されたし)


自分のように凡人は、全然、こんな境地には達していません


だからこそ、一人の技術者として、堀越二郎氏を尊敬しています


そして、同じような人間である故本田宗一郎氏にも同じことが言えると思っています


資源の無い日本だからこそ、ものつくりニッポンとして生きて行くために、このような技術者が若い人からどんどん出てきてもらいたいと思うのです


今、所沢航空発祥記念館には、唯一飛べるゼロ戦(零式艦上戦闘機五二型)が展示されています


残念ながら所有者はアメリカの民間会社であるために夏を過ぎるとアメリカに帰ってしまいます


自分は、そのゼロ戦が1995年に自分が住んでいる街の隣町に来て上空を飛んだのを見ています


堀越二郎氏の培った技術が継承された飛行機


残念ながら、ゼロ戦は血塗られた歴史の中で悲しい運命をたどってしまいました


でも、技術は、今、我々に幸せを運んできてくれていると信じています


その魂の宿ってるゼロ戦にこの夏、また、会いに行こうと思っています


(去年・一昨年・三年前の記事を引用しました)


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(科学1319)冷蔵庫の日

今日(6月21日)は、今年の夏至の日ですが、同時に「冷蔵庫の日」だそうです


夏に向けて冷蔵庫の上手な使い方を啓蒙するという目的で、日本電機工業会が夏至の日を「冷蔵庫の日」に定めました


今年の夏も暑くなるとすれば、冷蔵庫もフル回転することになるのでしょうね


フル回転してもらうためにも、冷蔵庫の環境条件を良好にしておく必要があります


今年も、節電ということで、エアコンを我慢して、扇風機に頼る人は多いかと思います


でも、ちょっと待った!!


人間が我慢しても、室内にある電化製品に問題が出ます


そして、冷蔵庫も例外ではありません


我が家の冷蔵庫は十数年前のものですが、据え付け場所の温度を15~30℃の範囲を基準とされています(取扱説明書より)


冷蔵庫も熱交換機ですので、エアコンと同じなのです


上記の範囲外でも十分使用できる設計になっていると思いますが、去年・一昨年、室温が35℃に上がった時に、氷のできる量が極端に減ったのを覚えています


やはり、熱交換効率が落ちるのです


気温が35℃以上に上がる日は、通気を良くしても、温度は同じ


エアコンで、冷蔵庫の機能を落とさないようにしなければならないかもしれないのです


参考に、我が家の電化製品の使用温度範囲は


CATVデジタル放送受信用のセットボックス(J-COM) 0~40℃
DVDレコーダー(東芝製)                5~40℃
デジタルハイビジョン液晶テレビ(東芝製)         0~35℃


などです


液晶テレビの液晶は、高温に弱く、画質が悪くなると思います(ひどいときは映らなくなる)


(温度に強いのはプラズマテレビと言われています。でも、プラズマは衝撃に弱い)


パソコン関係も5~35又は40℃と思っていいでしょう


液晶のノートパソコンも同じです


これだけ、世の中が高温になってきていると周りで使っているものの使用温度範囲が気になってきます


(実際は、それ以上の使用温度範囲で設計されているので、示してある温度範囲外になっても、すぐにおかしくなることは無いと思います)


(去年・一昨年の記事を一部引用しました)


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(科学1318)人工光合成

NHKクローズアップ現代「日本がリード!人工光合成」を見て


人類活動は、有機物と酸素を使って二酸化炭素を出す


地球温暖化で問題となっている二酸化炭素


以前までは、その二酸化炭素を石油・石炭のように、地底深くに埋葬してしまおうなんて計画もありました


しかし、地球上には、その二酸化炭素を取り入れて、酸素と有機物を作るものがあります


植物です


植物が太陽光を受けて光合成によって、酸素と有機物を作り出すのです


この光合成が人工的にできるなら、人工的なサイクル機関ができます


この人工光合成の技術でトップを走るのが、日本だと言うのです


人工光合成の仕組みを解明し、進展しているのは、聞いたことがあります


日本の人工光合成サイクルは、目指す頂上に対して、5合目に差し掛かったと番組で説明しています


番組で紹介された科学者は、ご自分達のことを「あきらめの悪い、ひつこい性格」とおっしゃっていました


まさに、あきらめの悪い、ひつこい性格が、人工光合成のような技術を開発して行くのでしょうね


この人工光合成のサイクルシステムが確立されると、エネルギー革命が促進されます


まさに、脱石油(脱原発にもなりますが)になると思います


現在、アメリカ・中国・韓国が技術的に追い上げています


これは、日本がリーダシップをとって、エネルギー革命を起こして欲しい


若手科学者そして技術者に期待したい


以前から、自分は、これから日本はバイオ技術を促進するべきだと思っていましたが、まさにこれがそれにあたるのだろうと思います


40年前に、科学の先生が、画期的な電池ができれば、ノーベル賞ものだと言っていました


この人工光合成は、画期的な電池開発にもつながると思います


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(戦争と平和1328)「木の上の軍隊」

「<木の上の軍隊>井上ひさしさん未完の戯曲を作品化(毎日新聞より、2013年6月)」


この記事の「木の上の軍隊」については、最近、自分でもブログの中で触れましたが、先月、NHKの特集として、報道されていました


この「木の上の軍隊」は、太平洋戦争末期の沖縄戦で、木の上で2年間隠れて過ごした2人の日本兵の実話を基に、作家の井上ひさしさんが構想を練った戯曲でした


タイトルとメモだけが残された未完の戯曲でしたが、今春、劇作家の蓬莱(ほうらい)竜太さん(37)の手によって完成しました

(この完成までの過程とNHKで放送していました)


沖縄本島北部の北西約9キロにある伊江島


伊江村教委によると、1945年4月16日に米軍が上陸して21日に占領するまで島民約1500人、日本兵約2000人が死亡したと言われています


狭い島に逃げ場はなく、集団自決に追い込まれた住民もいたそうです


戯曲「木の上の軍隊」の原作となった人物は、沖縄県美里村石川(現うるま市)出身の佐次田秀順(さしだ・しゅうじゅん)さんと宮崎県小林市出身の山口静雄さん


伊江村史によると、2人はガジュマルの木に登り、下から見えないように枝で擬装


暗くなると下り、米軍のごみ捨て場から食糧や衣服を集めたそうです


2人が終戦を知り、木を下りたのは47年3月だった


つまり、樹上で2年を過ごしただそうです


一度、この戯曲は見るか、読んでみたいと思っています


6月23日がこくこくと近づいてくる


沖縄慰霊の日


「安倍首相:23日の沖縄全戦没者追悼式に出席(毎日新聞より、2013年06月)」


沖縄県糸満市で23日に開かれる沖縄全戦没者追悼式について、政府側から安倍晋三首相や岸田文雄外相、小野寺五典防衛相が出席するようですね


平和ボケした日本人は忘れていないだろうか?


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