☆ワシの終活☆ -246ページ目

(地震関係1332)いまだに訂正され続ける被爆のデータ

「9万人の被爆地点修正=地図見直し精査―広島・長崎(時事通信より、2013年7月)」


原爆投下が人体に与えた影響などを調査している日米共同研究機関「放射線影響研究所」(放影研)は7月12日、広島、長崎の被爆者計9万3741人が被爆した地点のデータを修正したと発表しましたね


修正したデータを基に、一般の人が一定量の放射線を受けた場合がんになる確率を計算し直したところ、これまでとほぼ変わらなかったということです


放影研の関係者は「被爆位置の精緻化により、放射線被ばくとがんの関係がより正確に推定できるようになる」と話しているようです


68年も経って、不明確になるものばかりですが、今までの地道なデータの収集と蓄積は、無駄にはならないでしょう


これから出てくると思われる福島第1原発の事故に影響は、規模は違うかもしれないが、広島・長崎のデータは活用できるのではないかと思われます


「被爆」として活用されず、「被曝」として活用されることを臨みます


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(雑談1355) 物づくりの納期は絶対!

去年(2012年)に記事にしたものをもう一度



NHK「ふたり・宮崎駿×吾朗 ジブリ新作コクリコ坂 父と子の300日戦争」を見て


2011年、NHKで放映されたドキュメント番組の感想をアップしました


息子の監督デビューに大反対の父!

3/11東日本大震災によって「コクリコ坂から」公開延期の危機に、息子の覚悟!

父が送った一枚の絵!

ナウシカ製作の影で!


アニメ映画の巨匠、宮崎駿氏と、息子で同じくアニメ映画監督の吾朗氏に密着したドキュメント番組でした


新作「コクリコ坂から」は、吾朗氏が監督を務め、駿氏が脚本を担当しました


実は、2人の間には葛藤があったようです


六年前、吾朗氏は父の反対を押し切って監督になったのですが、駿氏は息子を認めていなかったようですね


今回の映画製作はそんな中で始まったということです


実は、このドキュメント番組は途中から見ました(最初はわかりません)


本来、同じ道を歩むことの無かった2人なのですが、いつの間にか、同じ道を歩むことになったのでした


父の背中と言うものをひしひし感じたドキュメントだと思います


3月11日に起こった東日本大震災によって制作中の「コクリコ坂から」の公演期日に危機が訪れた時、だれもが、地震のせいで、公演は難しいと感じ、スタッフ会議でも、あきらめ気味の結論をだしました


その結論を、駿氏に提出したとき、駿氏はもうぜんと怒り始めたのです


「「公演期日」は絶対だ!!」


期日を守れないのはとんでもないと言うのです


これは、物づくりを良く知る、駿氏だからこそ言えたことではないでしょうか?


「物づくりの納期は絶対」です


どんな理由にせよ、一度決めた納期(約束)は守るのが、社会人


それをあきらめれば、全てが、あきらめの世界になってしまいます


製造業の厳しさを駿氏の言葉で思い出しました

(自分も製造業の一員として納期の厳しさをずいぶん体験しました)

そして、この駿氏の言葉を、今の政治家・官僚に向かって、聞かせたいと思いました


「先延ばしの政治」


それが、今の日本が停滞する諸悪の根元ではないでしょうか?


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(戦争と平和1357)遺伝…

(戦争と平和1356)8月9日長崎

今日、長崎で平和祈念式典が行われました


長崎は、自分にとって、原爆以外にも関わりのある町です


長崎県には姪が広島市から嫁いでいます


福岡に転勤していたときも、仕事で度々訪れています


その時、防災関係の仕事で土木作業を行いました


その後、茨城の工場に帰ってからも、別の仕事(防衛関係の仕事)で、全く違う仕事のために、度々、長崎を訪れました


自分にとって、縁が深い土地かもしれません


そんな長崎市に、68年前の8月9日11時2分、原爆が炸裂しました
(「ファットマン」プルトニウム型、ちなみに広島市に落とされた原爆は「リトルボーイ」ウラン型)


長崎の平和公園や平和記念資料館は見に行きました


今の長崎からは、想像できない写真が多くあって、衝撃をうけました


広島で平和記念資料館を幾度見ていてもです


今の長崎は、その当時の傷跡も無く、すばらしい町になっています


その長崎市も、戦後、長崎市の中心地(繁華街)である思案橋が1m以上もの水に浸かってしまう大災害(土石流)にあっています
(自分はその災害に対する防災設備の設置工事を長崎で行いました)


そのたびに復興している町なのです


広島より、いろいろな被害にあっていると言っていいかもしれません


そして、転勤している時、長崎の原爆について同時に勉強しました


広島市出身の人間で親族に被爆者を持つ人間だからそれができましたが、他県の人間だったら原爆すら気づかなかったかもしれません


原爆について何も知識のない茨城出身のかみさんも新婚旅行の時に長崎の平和記念資料館に連れて行きました
(当然、広島の平和公園や平和記念資料館もかみさんや子ども達を連れて行っています)


災害などの被害は、テレビや新聞、写真で見ても恐いだけで、実感がわかなのが現実ではないでしょうか?


それが人間かもしれません


実際にその地に行って感じるしかないでしょう


人間は病気でも事故でも何事も自分で体験しないと本当の危機感が湧いてこないような気がします


でも、今の自分たちには、少しでもそれを感じ想像することが必要だと思います


メールやブログで、すべてが伝わるとは思っていません


でも、感じてもらえれば、興味を持ってもらえれば、まず、一つハードルを越えることはできると思います


何も言わないよりはましでしょう


何も知らないでは、平和を語れるはずはないのだから…


(2007年8月9日の手記を利用しました)


P・S 長崎の式典は今年も「長崎平和「祈念」式典」となっていましたね


なぜ、広島は「記念」なのでしょうか?


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(戦争と平和1355)原発建設案のいろいろ

一昨年の記事をひつこくもう一度…


「広島に原発建設案 1953年、米政権内で検討(朝日新聞より、2011年)」


被爆地広島に原子力発電所を造る案が1953年時点で、米政権内で浮上していたことが、朝日新聞が入手した米公文書からわかったと言う記事でした


当時のアイゼンハワー米大統領は「(原爆投下への)罪悪感を示すことになる」という理由で反対したようです


広島に原発を造る案はビキニ事件(水爆実験)が起きた54年以降に米国で相次いだようですが、それ以前に政権内で検討されたことが明らかになっていたと言うのが驚きです


この件は、この記事が出る前に自分は知っていました


森瀧市郎著「核絶対否定への歩み」(渓水社より)の中の一文に書かれてあったからです


始め読んだ時は、「うそだろう」と思いましたが、1960年代に佐藤内閣で核武装の検討が極秘になされていたことを考えると、ありえないことでは無いと納得してしまいました

(この案も、アメリカに反対されました)


さらに


「東京に原発を!幻の報告書を独占入手! (FLASHより、 2011年6月)」


と言うことも検討されていたのには驚きました


"オフィスビルの地下室に超小型原子炉を設置"、"原子力を利用した水の浄化"、"ハウス栽培農業にも小型の原子力を"…


2000年9月、石原都知事の発言を受けた日本原子力産業会議が幹事となり、各専門家を集め、有識者懇談会をおこなった後、懇談会は「都市計画グループ」と「技術検討グループ」に分かれ、東京原発計画の検討会が複数回開かれたのです


まとめられた「大都市など需要地域における原子力利用可能性調査」と題された9枚綴りのその資料には、CO2排出や水不足などの問題を挙げたうえで、首都圏での原子力利用がいかに必要なものであるかが書かれていたようです


これが検討された前年には、東海村で日本の原子力産業で初めて死者を出したJCO臨界事故が起こったというのに…


結局この案も、原発の安全性の問題等あって、お蔵入りしたようです


つまり、安全性はこの頃から、はっきりしなかったということなのです!


原発は、政治と財界のおもちゃになり、暗黙のうちに話が進むものなのですね


もし、これらの案が実現されていたら、今の日本はどうなっていたのでしょうか?


考えるとちょっと恐ろしい感じがします


「知らぬは国民だけなり」、そして、「被害を受けるのは国民」か…


(去年の記事を引用しました)


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(戦争と平和1354)八月九日のサンタクロース

明日、8月9日は、長崎に原爆が落とされた日です(8月9日11時2分)


広島の8月6日は知っていても長崎の8月9日は知らない人がいるのではないでしょうか?


そんな方に読んでもらいたい本を、今年もまた紹介します



八月九日のサンタクロース 長崎原爆と被爆者  西岡由香著
出版:凱風社   発行日:2010年2月
ISBN:978-4-7736-3403-7  価格:1365円(税込)


この本は、現在の長崎を舞台に、転校してきた女子中学生が、原爆について何も知らないまま新聞部員として被爆者の取材をするうちに、被爆者の思いに触れていくお話です


物語に加えて長崎原爆について、丁寧な説明文がつけられており、一見漫画の本には見えない装丁で、ナガサキの入門書としておススメです



また、広島では、漫画家こうの史代さんが「夕凪の街 桜の国」で被爆した家族の戦後から現在につづく物語を漫画に描いています


これは、映画にもなっていますね


これ以外にも、テレビドラマとして放送された作品の原作漫画「この世界の片隅に」も高く評価されています

この世界の片隅に 上・中・下(3巻)  こうの史代著
出版:双葉社   発行日:2008年2月-2009年4月
ISBN:978-4-575-94146-3(上) 978-4-575-94179-1(中)  
978-4-575-94223-1(下)   価格:各680円(税込)


戦前の呉が舞台で、広島から呉にとついだ女性が主人公です


広島の様子も描かれています


「夕凪の街 桜の国」とあわせて読むことで、戦前・戦後の広島をつないでみてはいかがでしょうか?


(広島平和記念資料館メールマガジンより抜粋しました)


(去年・一昨年・3年前の記事を引用しました)


八月九日のサンタクロース (ジュニア平和館)/西岡 由香
¥1,365
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この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)/こうの 史代
¥680
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この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)/こうの 史代
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この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)/こうの 史代
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(戦争と平和1353)立ち上がるヒロシマ

「7年後のヒロシマ、未発表写真130点刊行へ(読売新聞より、2013年7月)」


原爆投下から7年が過ぎた1952年の広島の街や人の姿を撮った未発表の写真約130枚が先月(7月)下旬、写真集として刊行されたようですね


出版されるのは、「立ち上がるヒロシマ 1952」(岩波書店)


広島駅や原爆ドーム、建設中の広島平和記念資料館など、爆心地から主に2キロ・メートル圏内を写したものだそうです


戦後の闇市から発展した駅前のマーケットは、食品を買う客でにぎわい、一方で、市内を流れる太田川沿いには、原爆で家を焼かれた人々が建てた「原爆スラム」と呼ばれた不法住宅が連なる光景があるようです


「原爆スラム」は、自分もかすかに記憶があります


1952年


自分が産まれる8年前の広島


たしか、今は亡き新藤兼人監督が監督した映画「原爆の子」も1952年に撮影されたと思います


映画にも、建設中の広島平和記念資料館が出てきます


重なるものがあるのでしょうね


広島がどのように復興していったのか、それがわかる資料のひとつになるのでしょう


埋もれた資料は、人々が忘れないうちに、公開してもらいたいものです


直接、購入することはできないかもしれませんが、図書館などに入った時は、拝見したいものです


岩波写真文庫アーカイヴス 立ち上がるヒロシマ1952/著者不明
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原爆の子 [DVD]/乙羽信子,滝沢修,清水将夫
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(戦争と平和1352)毎年考えること

毎年のことなのですが、まだ、元気に会社に行っているときの1997.8.6(水)(曇り)の手記を読み返します


毎年、考えていることは同じです



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1997.8.6(水)(曇り)の手記


睡眠時間5時間


やはり朝は眠い


5時半に起きるのは、3年たったがやはりなれない


広島は、8時15分


原爆が投下された時間だ


ここ(会社(茨城))にいると、そんなものは関係ないような感じを受ける


もっとも、広島にいても職場では、そんな雰囲気なのだろうか?


自分にとっては、どうしても、この日は気にかかる


特に自分は被爆者ではない(このときは父の二次被爆を知りませんでした)のだけれど…


でも、身内に被爆者(祖父のことです)がいて、自分は広島県広島市出身であるために、そんな気持ちになるのだろう


原爆祈念式典も単なる記念式としてとらえられがちであり、本来の意味をみんなが考え直すべきかもしれない


いずれ、かみさんや長男にも原爆資料館を見せなくてはならない

(まだ、次男が生まれていません。この後、かみさんや長男・次男を原爆資料館に連れて行きました)


原爆が落とされたという事実を知り、その原爆上回る核兵器が世の中に存在することを教えなければならないだろう


知らないということが一番恐ろしいことである


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自分の父親は、原爆が投下された次の朝広島に入り二次被爆をしていると思われますが、被爆認定はありませんでした


そんな父は、ガンを発症して37歳と言う若さで亡くなりました


したがって、自分は、本当に二世であることも知らずにここまで生きてきました


祖父は被爆者手帳を所持しておりましたが、それを決して人に話すことなく(近親者しか知りませんでした)、白内障は発症しましたが、徹底的な自己健康管理を行い93歳まで長生きしました


二人とも原爆に遭遇したことも言わずにこの世を去っています


それが被爆者なのかなあと思うことがあります


戦争の話は、母方の祖父母や被爆者であった祖父の弟(一昨年亡くなりました)から、聞きましたが、悲惨なことむごいことは、話してくれませんでした


子供時代の自分に対する配慮もあったのでしょうか?、それとも、話したくなかったのでしょうか?


祖父母達からもっとよく聞いておくべきだったと、今になって悔やまれます


でも、少しでも知り得たこと、自分の体験したことを、子供達に伝えるべく、話さずにはいられません


戦争が恐いとか、核兵器が脅威であるとか、脅すということではないのです


事実を知っておかないと、また、同じ過ちを繰り返すと思うからです


無関心や知らないでは済まされないように思います


核兵器に関わらず、放射能物質を取り扱う原発も事故が起これば核兵器以上に脅威だということもしっかり理解しておかないといけないことだと思っています

(毎年つぶやいていたのですが、最悪の原発事故は一昨年起こってしまいました)


広島、長崎が、最初で最後の被爆者を出した地ではありません


長崎以降、第五福竜丸の被爆(焼津)、それから、アメリカ・ロシア・フランスの核実験によるその土地での被曝者、そして、原発もロシアのチェルノブイリ原発の事故での周辺住民の被曝、日本でも東海村で放射能物質の処理ミスと放射性物質の認識不足による被曝者および死亡者が出ているのです


福島第1原発の作業員が、今後何らかの疾病を発症しないと言う保障はありません


原爆の被爆者ですら、10年後にがんや白血病が発病し、さらに、68年たった今でさえ、白血病が新たに発症しているのです


人は、放射性物質と共存できません


今後とも、「戦争と平和」という題名で、放射線物質に係わる核兵器及び原発などについて、つぶやきを続けていこうと思っています


(去年・一昨年・3年前の記事を引用しました)


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(戦争と平和1351)平和祈念式典

今日は、8月6日、広島で平和祈念式典がありました


この平和祈念式典


新聞のテレビ欄で、今年もまた「平和「記」念式典」になっていました


(NHKですら…)


「平和の記念日」とでも言いたいのでしょうか?


平和は祈り願うのでしょう!


平和ボケした日本人は、この日を他のくだらない記念日と同じレベルにしてしまうのでしょうか?


68年間、被爆者が訴え続けても、継承されないものが数多くあります


日本人の意識が陳腐化しているのを恐ろしく感じます

(これは、福島第1原発の事故についても同じです)


人間というのは、その特質・性質などの物理的なことは遺伝子によって継承できるのに、経験は継承できません


もしかしたら、原爆の傷跡は遺伝子の傷跡となって継承しているかもしれないが…


研究によると被爆の遺伝は無いと言われています


やっぱり、すべてを忘れて、同じ過ちを繰り返してしまうのでしょうか?


2011年に起こった原発事故は同じ過ちの一つと考えるべきでしょうか?


去年(2012年)の祈念式典の子供代表の平和の誓いの言葉の中で


「辛いことを経験することはできないけど、想像して共存することはできる」


と言う言葉がありました


良い言葉だと思います


相手の身になって考える人間だからできること


だから、同じ過ちを繰り返さないようできるはず


被爆者がこの世からいなくなる時にこそ、さらに繰り返し、原爆の事実を継承して行かねばならないと思います


誰かがやらねば、誰も知らなくなってしまう


知らないことこそ、恐ろしいことです


知らないから、過ちが起こってしまう


このアメブロのブロガーさん達で、どれだけ、この日、平和について考えたでしょうか?


ほとんどの人たちが、日常生活の延長で、素通りでしょうか?


仕事をしていれば、学校に行っていれば、家事で忙しければ、育児で忙しければ、介護で忙しければ、しょうがないかもしれません


でも、どこかで、平和について考えて欲しい


平和だから、今、生活できるのだと言うこと


この平和はもろいものだとと言うこと


そして、その平和を脅かす核兵器はこの世に存在すると言うこと


単なる歴史の一行に終わらせてはいけません


「放射性物質と人類は共存できない」


(去年・一昨年の記事を一部引用しました)


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(戦争と平和1350)1945年8月6日8時15分のもう一つの太陽

68年前の8月6日8時15分、広島の空にはもう一つの人工の太陽ができていました


その人工の太陽は人々を焼き付くしました


その人工の太陽を造る物は世界に、まだ、存在します


今後、その人工の太陽が人々の上につくられないように願います


太陽は大昔から人々に恵みをあたえてくれている「ティダ」(太陽)、一つでいい


(2007.08.06の手記を利用しました)


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