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これは11年前(2014年)の記事だけど…
「JCO臨界事故15年 東海村 死亡2作業員に黙とう(茨城新聞より、2014年10月)」
茨城県東海村の核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)で起きた国内初の臨界事故
国内の原子力開発史上初めての犠牲者を出し、「原子力安全神話」が崩れたと指摘された大惨事ですが、風化もささやかれるようです
同村の山田修村長は11年前(2014年)この日、職員約150人を集め、「原子力関係者にはあらためて安全が何よりも優先することを肝に銘じてほしい」と語ったようです
他県の人にとっては、14年前の東日本大震災での福島第1原発事故が日本最初の大惨事と思っているかもしれない
しかし、茨城県民にとっては、1999年9月30日に起きた東海村の核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)で起きた国内初の臨界事故が初の大惨事として記憶していることだろう
事故は1999年9月30日に起きました
JCO東海事業所の転換試験棟でウラン溶液の混合作業中、規定を大幅に上回る量の溶液を沈殿槽に投入したため、核分裂反応が連続する臨界が発生
沈殿槽は「裸の原子炉」となり、約20時間にわたって中性子線を放ち続けました
この結果、「作業員2人が死亡」、住民ら660人以上が被ばく
村独自の判断で、半径350メートル圏内の住民に避難要請が行われました
国際原子力事象評価尺度による評価はレベル4で、福島第1原発発生まで国内最悪の原子力事故だったのです
国や行政の対応の遅れも問題視され、この事故をきっかけに原子力災害対策特別措置法が制定されました
福島第1原発でさえ、直接、放射能汚染での死亡が無かったことと比べると、作業員2人が死亡を出したこの事故は、いかに恐ろしい状態だったかがわかると思います
救助活動も、放射線に対する知識不足を露呈するぐらいお粗末なものだったと思います
この事故があったこともあって、福島第1原発の事故は放射能による死亡者が無かったのではないかとも思ってしまいます
犠牲に上に科学の発展があると言う人もいますが、やっぱり、人類は核分裂反応(核融合も含む)に対する知識不足だと思ってしまいます(多分、専門家は反論すると思いますけどね…)
1999年9月は、1歳の次男が都内で口蓋裂の手術をした月でもあるので記憶にあります
事故現場から自宅は70km離れているので、中性子線が飛んでくるとは思いませんでしたが、ニュースを見た瞬間、子供達の身の安全をどうするか考えてしまいました
それからさらに12年経って、さらに140km離れた場所で福島第1原発の事故が起こり、今度は放射性物質が飛散して来ました
福島第一原発の事故で、原発の対する不測の事態の対策は、高まったかもしれません
でも、今の人類の知識と技術では、まだまだ、それを実生活に取り込み使いこなすには、知識不足だと思います
原発を再稼働されている現在、人々が忘れた頃に、また、何か起こりそうな気がしてなりません
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7年前(2018年)見た番組の所感
NHKスペシャル「被曝(ばく)の森2018~見えてきた”汚染循環”~」を見た
多くの地域の除染作業は進んで、放射線量はかなり下がってきている
しかし、いまだに手つかずのところがある
福島第一原発の北西方向にある帰還困難地域
ほとんどが森
そこに降り注いだ放射性物質
いまだに残っているのがセシウム137
半減期30年
あの事故から7年たったいまではまだ残っている
そして、セシウム137は土壌にとどまり、植物や動物の内部に入っていく
植物の花や実にセシウム137が集中していることもわかってきた
それを食するのが動物
動物の体内でもセシウム137は確実に取り込まれいるようだ
スズメ蜂の巣は、木の樹皮で作られるので、濃縮されているようだ
そして、動物は取り込まれたセシウム137で確実に内部被ばくをしている
今は、体内コントロールでセシウムの影響は抑えられている
染色体異常も頻繁に起こっているようだ
それが、収束に向かうのか、破たんするのか、不明
今後も調査ではっきりするだろう
規模は違うが、広島や長崎の原爆では10~15年後にがんを発症する人が多発している
福島の汚染された森でも同じことが、動植物で起こるのか?
そして、気になったのはセシウム137が花や実に集中していること
まさか、すぎの花粉にも同じようなことが起こっていないか?
花粉症の原因となるスギ花粉
この汚染の森から、セシウム137を持った花粉が広範囲に広がっていくのだろうか?
花粉にどれぐらいのセシウム137が蓄積されるのか知りたい
14年たった今、福島の花粉はどうなっているのだろう?
そして、それは首都圏へ降り注いでいるのだろうか?
徐々に二次汚染が広がっていないだろうか?
数年前から発症した自分の気管支喘息もまさかそのせいじゃないだろうね
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フラッシュバックがあるので、あまりふり返りたくないのですが…
でも、あの時のことを忘れないように、毎年、同じ記事を繰り返したいと思います
(去年の記事を引用しました)
2011年の今日はこんな天気でした
当時の携帯の天気予報メールより
2011年
■3/11(金)
降水確率20%
11℃(+2)/-2℃(-3)
最高/最低(前日比)
午後は『曇って』来ますが、日中は平年並まで気温が上がり、寒さは少し和らぐでしょう
花 粉:■■■■□
└非常に多い
快 適:■■■□□
└快適
紫外線:■□□□
└まあ大丈夫
洗 濯:■■□
└乾きにくい
外は曇っていて、風が強い日だったことを覚えています
地震が起こった時、意外に冷静な自分であったと思います
揺れの大きさには驚きましたが…(まさか、三つの地震が連動しているとは思いませんでした…)
本震が収まった後、身の回りのチェックや、家のチェック、そして、その後に必要なもののチェックを迅速に行うことができたと思います
でも、家族や親との連絡がなかななかできなかったのは不安でした
この日、故郷広島ではマツダスタジアムでGとカープがオープン戦をやっていました
揺れはどうだったかわかりませんが、結果は、6対12のボロ負けだったと思います
そんな結果を知る余裕は、その時まったくありませんでした
ともかく、次々押し寄せてくる余震に家族全員で(このときは長男がまだ帰宅していませんでした)怯えていたと思います
茨城県南部ですらそんな感じでしたから、宮城・岩手・福島の人たちはもっと恐ろい思いをしていたのだと思います
恐ろしいほど多くの「震度情報」、「津波警報・注意報」が、携帯に配信されていたのを知ったのは、その日の夜遅くでした
そして、最悪の事故を招いてしまった福島第一原発の情報は、原子力安全・保安院からの「地震による原子力施設への影響」として携帯にメールが配信されていました
普段から、原子力安全・保安院からの情報はメールで受けれるようにしていました
(メールはサーバーに溜まっていて、リクエストをしない限り取り込めませんでした)
でも、そのメールには危機的なことは一切書かれていませんでした
(実際にはメルトダウンが起こりかかっていたというのに…)
深刻な情報を伝え続けたのはテレビだったと思います
この日の23時00分に配信された第7報でようやく
「○原子力安全・保安院等の対応
14:46 地震発生と同時に原子力安全・保安院に災害対策本部設置
15:42 福島第一原子力発電所1、2、3号機にて原子力災害対策特別措置法第10条通報
16:36 福島第一原子力発電所1、2号機にて事業者が同法第15条事象
発生判断(16:45通報)
18:08 福島第二原子力発電所1号機にて原子力災害対策特別措置法
第10条通報
18:33 福島第二原子力発電所1、2、4号機にて原子力災害対策特別措
置法第10条通報
19:03 緊急事態宣言
20:50 福島県対策本部は、福島第一原子力発電所1号機の半径2kmの
住人に避難指示を出した。(2km以内の住人は1864人)」
と言うことが書かれていました
はっきり言って、この日、原発の被害の動向が気になって眠れませんでした
この日、電気が復旧した直後に残した手記がありますので、再度、公開しておきます
午後2時過ぎ、ものすごい地震が起こった
パソコンの周りのものが次々と落ちてきた
いつもならすぐにおさまる地震がおさまらず、どんどんひどくなった
そして、これが大変な大地震であることをラジオをつけてわかった
すぐに停電となり、断水ともなった
次男は?かみさんは?長男は?
揺れていたのは数分間か?
おさまった状態で、その他の部屋を調べていたら、長男の部屋も次男の部屋もものが散乱していた
ラジオを聞いていると、東北で10mの津波が押し寄せたと言うニュース
この地震は三陸沖の地震らしい
最初ニュースで流れた地震規模はマグニチュード7.9
それが、8.4となり、最終的には8.8と言うことになる
なんと、日本観測史上最悪の規模になってしまった
茨城では震度6強だったようだ
その後、茨城沖でマグニチュード7.4の地震が誘発された
まずはかみさんから携帯がかかってきた
そして、職場から自動車で帰ってきた
その後、次男が小学校から保護者の方に連れられて帰ってきた
長男は連絡が付かず
停電・断水なので、水の確保と懐中電灯のチェック
そして、逃げる通路を確保
地震がおさまったところで、家の外に出て家の状態を確認
亀裂・地割れが無いことを確認
家の内部を確認して、亀裂の無いことを確認
家はとりあえず無事であることを確認
(自分はなぜこんな行動をすぐとれたのか?それは2001年広島市・呉市で起こった芸予地震で実家が震災し、地割れが起こり、家が傾いて、玄関や窓が開かなくなった経験があるからなのです。今回の地震は、芸予地震の経験がいかされました)
水は風呂の水が少し残っているので、大を流すときに使用
小をしたときは流さないことにした
冷蔵庫のものをチェック
日持ちしないものを、最初に食べることにする
携帯コンロを用意
ガスが復旧するまで、携帯コンロを使用することにする
夕食は、残りご飯を3人で食べる
広島(母)からは、かみさんの携帯に電話があった
自分の携帯にも電話があったが、出られなかった
夕食中に長男から電話
でも、電話が故障していて出れなかった
無事だと言うことがわかった
学校(高校)で夜を明かすのか?
食事が終わって、そして、何もする事がないので、午後8時ごろ寝床につくことにする
午後10時頃、電気が復旧
広島(母)から電話がかかってきた
そして、長男も先生に車に乗せてもらって帰ってきた
一安心
(2015年の記事)
最後に、2011年3月11日に発生した東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)においてお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様、そのご家族の皆様に心よりお見舞い申し上げます
いまだに見つからない行方不明者が早く見つかりますように
災害は、岩手県・宮城県・福島県の被害が大きく報道は三県に集中していますが、その周りの青森県や茨城県そして千葉県もいまだにその傷跡が残っていて復旧が遅れています
復旧が早く進みますように
そして、福島第一原発
福島の子供たちに甲状腺がんが発生しませんように
汚染水の問題が早期解決しますように
これからはストロンチウム汚染が非常に気になります
「内部被曝の第二ステージ、「ストロンチウム90汚染」(2015年)のネット記事より)
一昨年(2015年)2月、今まででもっとも高い1リットル当たり2億4千万ベクレルのストロンチウム90の高濃度汚染水約100トンが海洋へ流出しました
その影響は?
ストロンチウム90をごく少量、体内に取り込んでも、セシウムのようにうまく排出されないので、主に骨にどんどん溜まっていきます
ストロンチウム90は、ベータ線、ガンマ線の両方を放射するセシウム137、134とは違って、ベータ線しか放出しません
国や大学の高性能検査機でもなければ検査できないのです
ストロンチウム90の半減期は約28年です
ストロンチウム90が食物や呼気から体内に入り込んでしまうと、骨の形成部に取り込まれてカルシウムに置き換わることによって骨肉腫や白血病を引き起こしたりします
日本では、神奈川県横浜市までストロンチウム90が飛んできたことが分かっています
途中の茨城、栃木、千葉、東京などにもストロンチウム90が舞い降りたということです
一体、ストロンチウムはどうなっているのか?
もはや祈るしかないのか?
(2015年の記事を引用しました)