データベース制圧の精神科医ブログ、長崎広島原爆・福島原発・第二次大戦・児童虐待・DV・レイプ複雑性PTSDの薬物療法 -4843ページ目

(90)薬剤性催眠術と暗示

催眠術と聞くと忌み嫌う精神科医(わたしもかってそうでした)も、EMDR(PTSDの最新治療法と言われる単なる催眠術)と聞くと抵抗感がなくなりますが、あんなの簡単に習得できるわけありませんし、それだけで治療できるわけでもありません。私がPTSD治療で最初に試したのは医師なら誰でもできる薬剤性催眠術です。第二次大戦中に英米戦陣精神医学が千人単位で治療に用いた手技です。睡眠薬注射剤(当時はバルビツール剤、私が使ったのはベンゾジアゼピン剤)をゆっくり静脈注射すると催眠状態と類似した状態になり暗示をかけることができます。全身麻酔手術の覚醒時に恥ずかしいことをわめいてしまうというのも同じ話です。

(89)PTSDによるアルコール・ニコチン・ギャンブル依存とSSRI(フルボキサミン)

依存症の治療は患者同士による集団カウンセリング(アルコールなら断酒会)しか有効なものはないとされ、薬物治療法はないというのが定説です(役に立たないシアナマイドを知ってる人は無駄な知識だから忘れなさい)。SSRIのフルボキサミン(商品名ルボックス)がアルコール依存を抑制することに気づいた人がいて症例をかなり集めた人もいますが、理屈がないとして無視されています。その人は患者が酒がまずくなったと言うことに気がつきました。私はパチンコ依存に悩んで受診した患者に患者の父親がギャンブル依存で自殺した外傷体験があることを初診で発見し、暗示をかけてフルボキサミンを処方しました。彼はいきなりパチンコをやめました。自分がPTSDと気がついてなかった患者に禁煙を勧め、フルボキサミンを処方すると煙草もまずくなったそうです。依存症患者の中にも多数混在するPTSD患者にSSRIによる治療を併用すれば大きな効果が期待できるのですが。

(88)山間部で広島原爆の「黒い雨」を浴びたPTSD患者 広島原爆放射線医科学研究所の陰謀

わたしの「東京大空襲被災と広島原子爆弾被爆の両方を経験し複雑性PTSDを呈した一例」(2006広島医学)にショックをうけ原爆PTSDの再調査に乗り出した広島原爆放射線医科学研究所 (原医研)とJSTSS初代会長金吉晴は先行論文を無視するという科学の定石破りであるがゆえに 三度目の失敗は運命づけられていますが、彼らがターゲットにしているのは北西部に流れた「黒い雨」を浴びた山間部住民です。被爆の基準を爆心地からの距離により定式化したのは原医研自身ですが、そのために爆心地から離れた山間部で放射能雨により被爆した住民は被爆認定すら受けていません。彼らの被爆による影響を精神医学面で証明しようと考えたのです(素人が無謀な)。わたしは広島で長期間統合失調症として治療を受けてきた患者に解離性障害患者を発見し→原爆PTSDと診断を変更した中に山間部被爆患者を複数発見しています。

(87)人類の文明への日本精神医学最大の貢献である研究

暗示とSSRIとSDAを用いた手法により東京大空襲被災と広島原子爆弾被爆という人類史上最大の外傷体験を有する PTSD患者の同定にも成功しました。このような患者が存在することを証明できれば、その事実そのものが、人類とその文明が今後も存続していくことを可能にする、もっとも重要な警告となるのです。同じこと言ってましたよね広島原爆放射線医科学研究所(原医研)さん?先に見つけましたよ。

(86)SSRIとSDAによって証明されるPTSD

新型抗うつ薬と抗精神病薬として期待されたSSRIとSDAは、前者はうつ病を治せずかえって自殺の危険を高めると警告され、後者は入院統合失調症患者の半分以上が切り替えに失敗しています。しかし抑うつ感があるからうつ病と誤診されているPTSD患者、幻覚があるから統合失調症と誤診されているPTSD患者、高齢で記憶障害があるから認知症と誤診されているPTSD患者には共通して、暗示によりラポールが形成された後にはSSRIは外傷記憶を回復させ、SDAは外傷記憶を固定させるように作用します。アルツハイマーに対するアリセプトと同様に精神医学史上はじめて化学化合物による精神障害の同定に成功したのです。

(85)抗うつ薬、抗精神病薬によるうつ病、統合失調症という仮説の延命とその死

百年間一度もその存在が科学的に証明されなかったうつ病と統合失調症は1950年代に偶然発見された向精神薬により延命の道があたえられました。抗うつ薬と考えられた薬が効けばうつ病、抗精神病薬と考えられた薬が効けば統合失調症という治療から逆算した診断です。ところが現在この擬似証明も否定されつつあります。抗うつ薬で治るはずのうつ病が治らず、廃棄された電気ショック療法までひっぱりださねばならなくなったからです。

(84)復権した非科学的なうつ病と統合失調症の二元論

野口英世の発見した例外的な精神障害モデル。梅毒病原体による脳の破壊による進行性麻痺(脳梅毒)を唯一絶対のものとしたドイツ精神医学はうつ病と統合失調症の二元論を証明するため第二次大戦中に戦争PTSD患者を含む七万人の精神障害者の虐殺に協力し、脳標本の収集に狂奔したあとで自滅しました。世界の精神医学の主流はナチスから逃れて英米に亡命したユダヤ人精神分析医の活躍に移りました。ドイツ精神医学がわずかに生き残ったのは文化果つる極東の孤島日本でした。1970年代まで人類の精神医学にかける情熱とその成果は精神分析学の上にだけ輝いたのでした。ドイツとドイツ精神医学の残り滓をありがたく頂いた日本はこの大きな潮流に関与することはできませんでした。一方共にユダヤ系米国人であるリフトンからハーマンに至るPTSD研究はかってヒステリーと呼ばれた疾患が心的外傷によるものであることを明らかにしました。しかし、全盛を極めた精神分析学は、ある意味でルーツを同じくするPTSDを拒絶したために治療力が低下し、現在アメリカをほろぼしかけている民間保険制度にはめられて消滅しました。保険会社の採用したのはマニュアル化に馴染むがゆえに治療力を既にもたないドイツ精神医学でした。死体に化粧したDSM(アメリカの精神障害診断基準)を新規のものとして受け入れた日本の精神医学は、それが既に耐用年数が過ぎた自分達の過去の輸入品の再塗装品であることに気がつかなかったのです。唯一の希望はリフトン医師がDSMに割り込ませてくれたPTSDだったのです。百年を経過して一度も存在が証明されたことはなく、精神医学史上消滅しかけていた亡霊のような診断基準を元に未曾有のPTSD大量発生時代をわれわれは迎えているのです。

(83)精神医学と心理学とPTSD

人間の心と心の病を扱う主導権を精神医学と最初に争ったのは宗教でした。やがて「世俗化した宗教」である哲学と精神医学も争いました。今やPTSDに対する独占権を主張しているのは「世俗化した哲学」である心理学を奉じるカウンセラーたちです。日本PTSD学会(JSTSS)の主力はカウンセラーです。JSTSS幹部である精神科医師と金吉晴はPTSDの放棄を宣言した日本精神神経学会での失地を回復するため歌織容疑者の精神鑑定をしたり、原爆PTSDの調査に協力したり活動を開始しましたが、私のSSRI、SDAを用いたPTSD薬物治療論文を封印するためにPTSD薬物治療無効を宣言しました。そのためかえって精神科医をPTSDから遠ざけ、処方権をもたないカウンセラーがPTSDにしがみつく結果となっています。カウンセラーたちが診ているほとんどがPTSDと誤診された悲哀反応と思われますが、それはそれで重要な仕事です。PTSDの治療を分かち合うことも必要でしょう。そのための条件として催眠術からSSRI、SDAによる薬物治療まで含めたPTSDの全てを 熟知した精神科医の集団が出現することが絶対条件です。

(82)患者が戸惑う精神医療現場の混乱

「こちらから何を話しても最後は薬を出すだけでおしまい」「何の病気かわからないけれど、この薬を出したから次はこれを試してみようと言われた」「電子カルテの方だけを見て最後まで顔を見ない」患者さんや家族から見た精神科医の姿です。治療としての薬物治療を否定しているわけではないのは共通の合意としても、「プロとしての診断と説明と助言」が欠けているのが問題なのです。ほとんどの精神科医師は現在断片的な薬物に関する知識しか持っておらず、目の前の多様な病像を示すPTSD患者を古い診断体系で説明することもできず、外傷記憶や解離に関する最新の知識も経験もないのです。診断なきまま場当たり的な薬物対症療法を繰り返しているだけなのです。

(81)南京虐殺の加害兵士の外傷記憶

「民間人を主とした30万人の虐殺」という中国側の宣伝が合理性に欠けるという反論は多数なされてきました。「虐殺はなかった」という意見も良心に欠けると思います。最近日清戦争に参加した労働者が旅順での虐殺に触れた日記も新書ででました。「南京で消えた数万人の捕虜」が虐殺されたのは間違いなく、長命した当事者がついにテレビの前で告白した場面を見ました。告白直後に当人が自らの心理状態をどう把握したらいいのかとまどっていましたが、加害者としての外傷体験が表面が化石化しながら中身は60年の歳月を越えて生々しさを保っていた例でした。