昨日の南阿蘇村の
梅雨の晴れ間です。
子牛も気持ちよさそうでした♪
初対面の「かなばあちゃん」は、南阿蘇の地産地消キャラとして登場したようです。
もうすぐ90歳で、フラダンスが趣味で、得意料理が「なすびのひこずり」(これ私、知りません!)で、好きな曲は水前寺清子の「365歩のマーチ」らしいです。可愛いおばあちゃんでした。
次は孝女白菊です。
阿蘇の山里 秋ふけて
眺め寂しき 夕まぐれ
いづこの寺の 鐘ならむ
諸行無常と 告げわたる
とはじまる孝女白菊の物語詩は明治21年国文学者、落合直史が井上哲次郎博士(東大教授)の漢詩を新体詩として書き直したものです。
歌詞が長編で内容がロマンチックな孝女の物語なので、家庭小説の読み物として構成され続々出版されました。また、ドイツ語、英語にも翻訳され世界的にもダンテの神曲に迫るほど素晴らしいと讃えられた名作です。
この詩は3章からなり七五調の詩形としては非常に長いもので552行にも及び、おそらく世界最長の詩と思われるそうです。
明治、大正から太平洋戦争前にかけて全国的に一世を風靡した懐かしい孝女白菊の物語、その舞台がこの南阿蘇一帯とされ、ここ(南阿蘇村白川)に眠る「妙喜尼」が、白菊のモデルといわれています。
かなばあちゃん
「孝女白菊」富田千秋(著)
自宅の近所にひっそりとしたたずまいで、小さいけれど、とてもレトロないい雰囲気の郵便局があります。熊本東海学園前郵便局です。
その建物には「建物の由来」というプレートがあり、
そのプレートには、「この建物の建築様式は、明治35年(1902年)当時としては、県内最初の洋風による宇土郡役所として、三角町大字三角浦に建築されたものです。
その後、三角町役場として使用され、昭和21年(1946年)東海大学総長 松前重義先生により、終戦後 世の中の荒廃を憂い、郷里 熊本に最初の中学校として、『有明中学校』を創立し使用された由緒ある建物であります。
ここに 松前重義先生の教育者・科学者としての多大な功績を称え再現されたものであります。
1989年7月吉日」
と書かれています。
帰宅して、宇城市のホームページで宇土郡役所を調べてみると、
「(前略)大正15年、郡制が廃止されると、三角町役場となりました。昭和18年、陸軍の暁舞台の拠点となり、昭和21年には有明中学校となりました。昭和22年、学制改革により中学校が義務教育となったため、わずか1年で閉鎖されました。(後略)」
とありました。
この旧宇土郡役所跡のデザインを模した可愛い郵便局には、ただのレトロ調ではない深い熊本の歴史が刻まれていたわけです。
UFO(未確認飛行物体)写真№12、13
2012年6月10日(日)午前10時17分と20分、南阿蘇村にある「蘇対国王者居館跡」付近での撮影です。②南阿蘇村の物体拡大(右)は、今までにない異様な形に見えるので鳥だと思います。その他はUFOではないかと・・・。
とくに、②南阿蘇村の写真は、6月11日のブログに掲載した4枚目の写真の1~2秒前に撮影したものです。ということは、②南阿蘇村の物体は1~2秒で姿を消したことになります。なぜ覚えているのかというと、②南阿蘇村の写真の右下に小屋が写りこんだのが見えたので、連写的に撮り直したのが6月11日のブログに掲載した4枚目の写真だからです。
蘇対国王者居館跡とはその碑に、
「史学者の説では、この山下尾羽根は邪馬台国の傍らであって、蘇対国の王者の居館跡であろうといわれている。このことを立証するにたる幾つかの石器・土器が付近一帯から出土し、県文化課の調査の結果6000年前の縄文後期から弥生後期のものであることが判り、このことよって原始時代から既にこの地に館があって生活を営んでいたことが立証されている。
山下尾羽根の名は御神人と仰ぐ阿蘇山の真下にあることから付けられたと察せられる。今では道路が通って尾羽根の主要部分を失ったが、昔から頂上は整地され一部には土手や溝も作られ眺望絶佳、王者の居館にふさわしい所である。」
とあります。
縄文時代からUFOは飛来していたのでしょうか?真実はまだわかりません。しかし、南阿蘇村が古代のロマンを感じさせる巨大なパワースポットである可能性を感じます。
№12
①南阿蘇村の物体拡大
№13
②南阿蘇村の物体拡大(中)
「蘇対国王者居館跡」の碑