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新津章夫 Official Blog 《迷宮の森》

謎に満ちた迷宮のギタリスト、新津章夫のオフィシャル・ブログ。迷宮の森 《Forest in maze》

前に住んでいたアパートの大家である友人がアパートを売却したので大掃除を手伝った。彼は僕より一歳上で世代も一緒だし、音楽の趣味も似ている。

 

もうアメリカでグリーンカードを取得して、家族もアメリカ人だからイタリアには帰ってこない。というわけで、いろいろと不用品をくれたのだけど、その中にトーレンス(Thorens)のアナログ・レコード・プレイヤーがあった。

 

1970年代のオーディオブームでは名器と呼ばれたスイスのメーカーで、頂いたのはTD166というベルトドライブのモデル。イタリアのヤフオクでは200~300ユーロくらいで今も取引されている。

 

ついでにLPレコードも20枚くらいもらったのだけど、その中に「スイッチト・オン・バッハ」があった。

 

新津章夫のバッハ信仰は、もちろん「平均律クラビア曲集」から始まったものだけど、自分でもレコーディングしようとしたきっかけは、この「スイッチト・オン・バッハ」だった。

 

制作者のウェンディ・カルロスについては、Wikipeにも詳しく紹介されているのでここでは書かないけれど、改めてレコードを聴き直してみると、「G線上のアリア」とか「Invention」などはモロにその影響が感じられて懐かしい。

 

このあたりは「SCIENCE CLASSICS」(http://bridge-inc.net/?pid=1755714)に収められてますので、ぜひ聴き比べてみてください。

 

 

カンのベーシストであるホルガー・シューカイが逝去。享年79歳

http://nme-jp.com/news/42934/

 

1年ぶりの更新です。

 

1981年に発売されたアルバム「スネークマンショー/死ぬのは嫌だ、恐い。戦争反対!」が手元に届いた時、僕は雷に打たれたくらいの衝撃を受けたものだった。ま、実際に雷に打たれたことはないけど…。

 

そのアルバムには、ホルガー・シューカイという聞いたことがないミュージシャンの「ペルシアン・ラブ」という曲が収録されていた。

 

当時の僕はまだ音楽ライターでもなかったし、どちらかといえばジャズとかフュージョン系の音楽ばかり聞いていたのでCANの存在は知らなかった。

 

「ペルシアン・ラブ」にぶったまげたのは、たぶん、このBlogを読んでくださっている方はわかると思うけど、新津章夫と同じ倍速ギターのテクニックを用いていたからである。

 

もちろん、それまでにも多くのミュージシャンが、アナログの録音機の回転速度を半分に落としてギターを録音し、それを通常速度で再生されることで、音が2倍の高さになるギミックを試してはいた。

 

有名なところでは、KC&サンシャインバンドの「Get Down Tonight」のイントロや、ジミヘンもところどころでこの技術を使っている。新津章夫はこれを「倍速いギター」と呼んでいた

 

しかし、いずれも計算されたフレーズというよりは偶然性の産物に過ぎないものだった。

 

ところが「ペルシアン・ラブ」は違った。「倍速ギター」のレコーディングの難しい点は、音が2倍の高さになるユニークさではなく、弦のピッキングの強さ、音の減衰の長さなどをもきちんと計算に入れていないと、音色の滑稽さばかりが目立ってしまい、独特の音質の美しさ、通常ではありえない速度ゆえかもしだされるメロディーは活かされない。

 

まぁ、今となってはあんな苦労なくとも、倍速ギターの録音などいともかんたんなことになってしまったが、一方で革新的なエンジニアリングを用いた音楽も生まれなくなった。新津章夫は生きていれば今年65歳になっていたけど、ホルガー・シューカイって14歳も上だったのね…。アンドレアス・ドーラウ、ホルガー・シューカイ。ドイツが好きだった新津章夫は、やっぱりドイツに縁がありますね。

 

 

 

 

 

相変わらず放置で申し訳ないです。愚兄も怒っているかもしれませんが…。

今日は訃報がありました。作曲家、編曲家で日本のシンセサイザーの第一人者であった冨田勲さんが亡くなりました。

このBlogでも紹介しましたが、1979年に新津章夫は雑誌「FMレコパル」の企画で冨田さんと対談をさせていただきました。

冨田勲との対談(1979年) 


http://ameblo.jp/petstep/entry-10132421621.html


http://ameblo.jp/petstep/entry-10132628390.html


http://ameblo.jp/petstep/entry-10132630880.html


http://ameblo.jp/petstep/entry-10132633670.html

構成は音楽ライターであり新津章夫のレコードデビューのきっかけを作ってくださった岩田由紀夫さん。

冨田さんとの対談後、家に戻った新津章夫がいつになく饒舌だったことを覚えております。なにを話したかは覚えていませんが…。

冨田さんのご冥福をお祈りします。

貴重な時間を頂きありがとうございました。
皆さん、すみません。完全放置です。

偶然気づいたのですが、今日、9月16日は10年前にこのBlogを解説した日だったのですね。あれからBlogを通じて様々な方々と知り合いに慣れました。ありがとうございました。

今日は、記念すべき第一回の記事を再録しようかと思います。Blogってなかなかさかのぼっては読みませんからね。僕も久々に10年前にどんなこと書いたのか気になりますし。

まやかし音楽?
http://ameblo.jp/petstep/entry-10004337794.html

 新津章夫(にいつあきお)は、1970年末から80年代初めにかけて、ほんの一握りのマニアにだけ愛された音楽家です。しかし、そのファンは本当に彼に心酔していて、彼が音楽家としての活動を休止してから半世紀が過ぎた今も、その短かったミュージシャン生命についてネット上で語られています。数は少ないけれども、その声は賛美の限りを尽くしたもので、その声援に応えるために、私は実弟として知っている限りの新津章夫の秘密を語っていこうと思っています。
 ネット上で彼について語ってくれている人々はミュージシャンだったり、クリエーターだったり、いかにも新津章夫の音楽が玄人好みであるように映ります。卓越したギターテクニック、神秘に満ちた音作りとレコーディング技術。たしかに、製作サイドのことを知っていれば、より深く理解でき、驚かされることも多いことは確かです。しかし、けして気後れはしないでください。
 新津章夫の音楽は、愉快な音楽です。子供番組のBGMのような音楽です。
 エッシャーのだまし絵、クラインの坪やメビウスの輪、シンメトリーとパラドックス、そして、アンチクライマックス、回文、円周率…。視覚や論理、言葉など、あらゆるものの中に、平気な顔をして混じり込んでいる座敷童子(ざしきわらし)のような「不思議」が大好きでした。そんな、新津章夫の音楽は、可能性と挑戦、そして、実験に満ちた音の科学式のようなもの、なのかもしれません。もっとも本人は「まやかし音楽」と呼んでいましたが、異常なまでの照れ屋であるがゆえの照れ隠し的表現に他ありません。
 歌とドラムはありません。現代の音楽と呼ばれる「商品」が、いかに歌とドラムに頼って成り立っているのか、彼のもっとも嫌うところでした。まぁ、それでも歌謡曲のアレンジやロックバンドのプロデュースもしていましたから、気難しい人ではありますが、けして悪い人ではありません。
 これまで聞いたこともない音楽を、という好奇心あふれる方は、ぜひ一度、新津章夫の音の迷宮へようこそ。
皆さんごぶさたしてます。ぜんぜん更新せずに本当にごめんなさい。

ニュースです!! 新津章夫と競演したことがあるドイツ・テクノのアンドレアス・ドーラウ氏が来日しライブを行うそうです。



12月19日(金) 東京 新宿ロフト
12月20日(土) 東京 Basement Monstar Oji
12月22日(月) 大阪 Kitahorie Club Vijon

詳しくは以下のサイトにて!!

http://www.powerline-agency.com/artist/andreas-dorau

http://otooto22.com/dorau

FACE BOOK
https://www.facebook.com/DorauJP?notif_t=page_new_likes

来日はいつ以来でしょうか? 新津章夫とは1980年代半ば、南ドイツ放送のレポーターとして日本のテクノの状況を取材に来日しました。その際に、新津章夫と広尾のスタジオにて数曲録音。

「Taxi nach Shibuya」では新津章夫らしいギターサウンドが聴かれます。


ごぶさたしております。

未発表曲の音源などアップしたいと思っておりますが、いろいろと身の回りのことだけで時間が抹殺されておりまして…。

さて、これは私の家(ミラノ郊外)の近所の教会の鐘の音です。カトリックでは5月はマリア様に捧げられた月とされているそうです。というわけで、時刻を告げる教会の鐘の音はマリア様に関する曲が選ばれています。これは讃美歌だそうですが…。



ちなみに、日本ではキリスト教的な「祈りのポーズ」っていうと手の指と指を組み合わせてひざまずきますが、イタリアでは手と手をクロスさせて胸の前で合わせるマリア様のこのポーズ。イタリアの手話でも「5月」を表す動きはこのポーズなのだそうです。

新津章夫が生きていたら、こういう話は喜んで聞いてくれるだろうなって感じで…。
皆さんご存知のように大滝詠一さんが亡くなった。

新津章夫とはまったく縁がなかったけど、山下達郎(シュガーベイブ)マニアである弟の僕自身はとても存在が大きかった。

以下はフェイスブックにも書いた雑文。大滝さんの功績のひとつについて。

①大滝さんと桑田に共通するのはお二人とも60年代の日本語訳のアメリカンポップスが好きなこと。
②当時の日本語のアメリカンポップスは日本語で歌っていたが、メロディに載せにくい部分は英語のまま歌っていた。
③しかし、歌手は英語が話せる人が多かったわけでもないので、「ルイジアナ・ママ」を例に取ればサビの♪あーあ、ルイジアナママ、from new orleansを「フォニオリ」って歌っていた。
④フォニオリ自体にはなにも意味性を感じられないことは当時のミュージシャンの間で笑い話的によく話題になっていた。
⑤フォニオリってカタカナ的に歌っても聞いている日本人もわからないし(What time is it nowを掘った芋いじんな、と覚えるようなもの)、もちろん他の歌詞は日本語だから英語圏の人もわからない。
⑥大滝さんはこういう背景も踏まえて、いかに日本語をロックにのせるかを考えた。
⑦一方、桑田は乗せにくい部分にはあえて抵抗せずに、そのまま英語を用いて、むしろ空耳的に英語と日本語を混在させた。
⑧「おいしいね~傑作物語」に出てくる「業界不惑」と歌詞を書いて「業界ファック」と歌うなどはその一例。
⑨これに対し、大滝さんは、はっぴいえんど以降、「ロングバケーション」までの間に、たとえば、「福生ストラット」みたいな、R&Bのコール&レスポンスさえ日本語にできないかと模索していた。♪福生行きの切符買って(オーマモリーニー=お守りに)なんて、どこの実験音楽家と当時ファンも唖然とした。←これは音聞かないとわかりにくい。申し訳ない。
⑩そういう鍛錬を続けて、日本語をアメリカの音楽に載せる譜割りを考案してきた。もし大滝さんがいなかったら、「こりゃメロにのせにくいな」と作曲家が思った部分はすべて英語もどきのままだったんじゃあないかと思う。

参考までに。

福生ストラット


「おいしいね~傑作物語」


すみません。あっという間に半年経過しちゃいました。一昨日は新津章夫の11回目の命日でもありました。早いものです。

唐突に思い出すのは「I・O」のレコーディング風景のこと。当時、我々は東京台東区の蔵前という場所に住んでおりました。両国国技館以前の蔵前国技館があったすぐそば。玩具問屋で夜になると人っ子一人通らなくなるような昼と夜の顔のまったく異なる古い町でした。

蔵前とは、江戸時代に幕府の米蔵があったためで、近くには馬を管理する厩があり、隅田川にかかる橋には厩橋という名前が付けられております。

さて、当時の我が家は9坪の小さな一軒家でした。今ならオシャレな雑誌のネタ(ミニハウス)になりそうな3階建てて、父親が設計士だったために3階にも部屋がありましたが我が家が引っ越してくる前は1階が店舗、2階が住居、3階はは倉庫だったようです。というわけで、天井が妙な形で高かったです。そもそも木造三階建ては今は知りませんが、当時は「違法建築」でありました…。

さて、1階には父親の小さな仕事場とキッチン、風呂がありましたが、父親のデスクの奥には2畳ほどの隠し部屋がありました。

いえ、別に誰かをさらってきて…というわけではなく、浅草に住んでいた祖母が訪ねてきた際、泊まれるようにと作った物でしたが、結局は一度も宿泊することはなく私が10歳の時に祖母は亡くなり、その場所は物置になっておりました。

新津章夫は「I・O」のデモテープ自体は3階にあった自室で録音しましたが、レコーディングは当時の日本フォノグラムから2インチ8トラックのマルチトラックレコーダーを借りることとなり、さすがに3階には上げられないため、件の”お婆ちゃんの寝床”を改装することになったわけです。

改装といっても壁とドアを付けただけですが、それでもミキサー、MTR、楽器類が並ぶとマイクロスタジオの雰囲気がありました。今思えばなぜ写真を撮っておかなかったかと…。当時はカラーフィルムでさえ高かったので、写真を撮るなんて特別な行為だったのですが…。

かくして約3畳ほどのスタジオもどきができあがり、新津章夫のデビューアルバムのレコーディングが開始されたわけです。

↓すでにMTRは運び出されたあとですが、チラッとマイクロスタジオが写っております。
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ローランドのサスティナーです。これは僕(実弟)が買ったものです。その昔、伊藤銀二さんが使っているのを見て入手しました。新津章夫の機材はだいたい売ってしまいましたが、なぜかこれだけは手元に残ってます。ヤフオクしても買い手がいません。ボディはダイキャスト性で重いです。

コンプレッサーではありません。サスティナー。1970年代のものですが、ゆえに初期コンプにありがちな最初の圧縮されたプッという音はなく、むしろ元の音が減衰し始めてからが増幅されて面白いです。そして、シングルコイルPUだと上げ過ぎるとハウるほど強力。つまみ類がギター用というのも当時らしい雰囲気ですね。

新津章夫はたまにベースにつなげて使っていましたが、のちにBOSSのコンパンダーやコンプレッサーを手に入れたため使われなくなりました。もはや70年代の遺物です。

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これは珍しいエフェクターです。BOSSのグラフィック・イコライザー「GE-10」ギター・エフェクターでは珍しくAC100W電源のため安定しており、100dB以上という高いS/N比により、オーディオ用、スタジオ用でも充分対応できる、というのが当時のカタログの謳い文句でした。

周波数帯は31Hzから16KHzまで、オクターブごとに10素子、+-12dBの可変ができます。サイズ:220×78×155、重量:1.9キロ。

「I・O」のレコーディングではギターはテレキャスターとSG(ミニハム)、そして、VOXのSuper ACEの3台だけだったので、ほとんどのケースでイコライザーを通していたと記憶しております。とりわけ倍速ギターにした場合、倍音も2倍になるため気を付けないと聞き苦しい音になってしまうためです。

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