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新津章夫 Official Blog 《迷宮の森》

謎に満ちた迷宮のギタリスト、新津章夫のオフィシャル・ブログ。迷宮の森 《Forest in maze》

皆さんごぶさたしてます。ぜんぜん更新せずに本当にごめんなさい。

ニュースです!! 新津章夫と競演したことがあるドイツ・テクノのアンドレアス・ドーラウ氏が来日しライブを行うそうです。



12月19日(金) 東京 新宿ロフト
12月20日(土) 東京 Basement Monstar Oji
12月22日(月) 大阪 Kitahorie Club Vijon

詳しくは以下のサイトにて!!

http://www.powerline-agency.com/artist/andreas-dorau

http://otooto22.com/dorau

FACE BOOK
https://www.facebook.com/DorauJP?notif_t=page_new_likes

来日はいつ以来でしょうか? 新津章夫とは1980年代半ば、南ドイツ放送のレポーターとして日本のテクノの状況を取材に来日しました。その際に、新津章夫と広尾のスタジオにて数曲録音。

「Taxi nach Shibuya」では新津章夫らしいギターサウンドが聴かれます。


ごぶさたしております。

未発表曲の音源などアップしたいと思っておりますが、いろいろと身の回りのことだけで時間が抹殺されておりまして…。

さて、これは私の家(ミラノ郊外)の近所の教会の鐘の音です。カトリックでは5月はマリア様に捧げられた月とされているそうです。というわけで、時刻を告げる教会の鐘の音はマリア様に関する曲が選ばれています。これは讃美歌だそうですが…。



ちなみに、日本ではキリスト教的な「祈りのポーズ」っていうと手の指と指を組み合わせてひざまずきますが、イタリアでは手と手をクロスさせて胸の前で合わせるマリア様のこのポーズ。イタリアの手話でも「5月」を表す動きはこのポーズなのだそうです。

新津章夫が生きていたら、こういう話は喜んで聞いてくれるだろうなって感じで…。
皆さんご存知のように大滝詠一さんが亡くなった。

新津章夫とはまったく縁がなかったけど、山下達郎(シュガーベイブ)マニアである弟の僕自身はとても存在が大きかった。

以下はフェイスブックにも書いた雑文。大滝さんの功績のひとつについて。

①大滝さんと桑田に共通するのはお二人とも60年代の日本語訳のアメリカンポップスが好きなこと。
②当時の日本語のアメリカンポップスは日本語で歌っていたが、メロディに載せにくい部分は英語のまま歌っていた。
③しかし、歌手は英語が話せる人が多かったわけでもないので、「ルイジアナ・ママ」を例に取ればサビの♪あーあ、ルイジアナママ、from new orleansを「フォニオリ」って歌っていた。
④フォニオリ自体にはなにも意味性を感じられないことは当時のミュージシャンの間で笑い話的によく話題になっていた。
⑤フォニオリってカタカナ的に歌っても聞いている日本人もわからないし(What time is it nowを掘った芋いじんな、と覚えるようなもの)、もちろん他の歌詞は日本語だから英語圏の人もわからない。
⑥大滝さんはこういう背景も踏まえて、いかに日本語をロックにのせるかを考えた。
⑦一方、桑田は乗せにくい部分にはあえて抵抗せずに、そのまま英語を用いて、むしろ空耳的に英語と日本語を混在させた。
⑧「おいしいね~傑作物語」に出てくる「業界不惑」と歌詞を書いて「業界ファック」と歌うなどはその一例。
⑨これに対し、大滝さんは、はっぴいえんど以降、「ロングバケーション」までの間に、たとえば、「福生ストラット」みたいな、R&Bのコール&レスポンスさえ日本語にできないかと模索していた。♪福生行きの切符買って(オーマモリーニー=お守りに)なんて、どこの実験音楽家と当時ファンも唖然とした。←これは音聞かないとわかりにくい。申し訳ない。
⑩そういう鍛錬を続けて、日本語をアメリカの音楽に載せる譜割りを考案してきた。もし大滝さんがいなかったら、「こりゃメロにのせにくいな」と作曲家が思った部分はすべて英語もどきのままだったんじゃあないかと思う。

参考までに。

福生ストラット


「おいしいね~傑作物語」


すみません。あっという間に半年経過しちゃいました。一昨日は新津章夫の11回目の命日でもありました。早いものです。

唐突に思い出すのは「I・O」のレコーディング風景のこと。当時、我々は東京台東区の蔵前という場所に住んでおりました。両国国技館以前の蔵前国技館があったすぐそば。玩具問屋で夜になると人っ子一人通らなくなるような昼と夜の顔のまったく異なる古い町でした。

蔵前とは、江戸時代に幕府の米蔵があったためで、近くには馬を管理する厩があり、隅田川にかかる橋には厩橋という名前が付けられております。

さて、当時の我が家は9坪の小さな一軒家でした。今ならオシャレな雑誌のネタ(ミニハウス)になりそうな3階建てて、父親が設計士だったために3階にも部屋がありましたが我が家が引っ越してくる前は1階が店舗、2階が住居、3階はは倉庫だったようです。というわけで、天井が妙な形で高かったです。そもそも木造三階建ては今は知りませんが、当時は「違法建築」でありました…。

さて、1階には父親の小さな仕事場とキッチン、風呂がありましたが、父親のデスクの奥には2畳ほどの隠し部屋がありました。

いえ、別に誰かをさらってきて…というわけではなく、浅草に住んでいた祖母が訪ねてきた際、泊まれるようにと作った物でしたが、結局は一度も宿泊することはなく私が10歳の時に祖母は亡くなり、その場所は物置になっておりました。

新津章夫は「I・O」のデモテープ自体は3階にあった自室で録音しましたが、レコーディングは当時の日本フォノグラムから2インチ8トラックのマルチトラックレコーダーを借りることとなり、さすがに3階には上げられないため、件の”お婆ちゃんの寝床”を改装することになったわけです。

改装といっても壁とドアを付けただけですが、それでもミキサー、MTR、楽器類が並ぶとマイクロスタジオの雰囲気がありました。今思えばなぜ写真を撮っておかなかったかと…。当時はカラーフィルムでさえ高かったので、写真を撮るなんて特別な行為だったのですが…。

かくして約3畳ほどのスタジオもどきができあがり、新津章夫のデビューアルバムのレコーディングが開始されたわけです。

↓すでにMTRは運び出されたあとですが、チラッとマイクロスタジオが写っております。
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ローランドのサスティナーです。これは僕(実弟)が買ったものです。その昔、伊藤銀二さんが使っているのを見て入手しました。新津章夫の機材はだいたい売ってしまいましたが、なぜかこれだけは手元に残ってます。ヤフオクしても買い手がいません。ボディはダイキャスト性で重いです。

コンプレッサーではありません。サスティナー。1970年代のものですが、ゆえに初期コンプにありがちな最初の圧縮されたプッという音はなく、むしろ元の音が減衰し始めてからが増幅されて面白いです。そして、シングルコイルPUだと上げ過ぎるとハウるほど強力。つまみ類がギター用というのも当時らしい雰囲気ですね。

新津章夫はたまにベースにつなげて使っていましたが、のちにBOSSのコンパンダーやコンプレッサーを手に入れたため使われなくなりました。もはや70年代の遺物です。

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これは珍しいエフェクターです。BOSSのグラフィック・イコライザー「GE-10」ギター・エフェクターでは珍しくAC100W電源のため安定しており、100dB以上という高いS/N比により、オーディオ用、スタジオ用でも充分対応できる、というのが当時のカタログの謳い文句でした。

周波数帯は31Hzから16KHzまで、オクターブごとに10素子、+-12dBの可変ができます。サイズ:220×78×155、重量:1.9キロ。

「I・O」のレコーディングではギターはテレキャスターとSG(ミニハム)、そして、VOXのSuper ACEの3台だけだったので、ほとんどのケースでイコライザーを通していたと記憶しております。とりわけ倍速ギターにした場合、倍音も2倍になるため気を付けないと聞き苦しい音になってしまうためです。

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今日は12月18日です。ネットを見ていると、そこらじゅうにチャイコフスキーの「くるみ割り人形」の話が出て
いるので、なんだろうと思ったら、1892年12月18日、サン
クトペテルブルクのマリインスキー劇場で初上演されたのだそうな
。今年は120周年記念。なるほど。


というわけで、新津章夫「サイエンス・クラシックス」の「金平糖の踊り」でも聞きましょうか。



新津章夫 「金平糖の踊り」

http://www.youtube.com/watch?v=trM90UTd9_A



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新津章夫がレコーディングをしていた70年代末から80年代初めにかけてはエフェクターも創生期であり、今ほど選択肢はありませんでした。

とくに歪み系についてはファズからディストーション、オーバードライブと多種多様なタイプが出はじめた頃でしたが、ボリュームペダルとなるとほとんどバリエーションがなく、プロが使えるクォリティーとしては、ショーバッドとアーニーボールの2大ブランドの時代でした。

この2機種については大きな違いがあって、ショーバッドはたしか2万6000円ほどし、アーニーボールは1万5000円くらいで買えたと記憶しています。30年も前の記憶なので、間違えていたらごめんなさい。

結果、ビンボーミュージシャンだった新津章夫は否応なしにアーニーボールを使うしかなかったわけですが、アーニーボールの特徴は写真を見てもらえばわかりますが、サイドにボリュームがついていて、これで音の立ち上がりを調節できたと記憶しております。ボリュームカーブですね。

要するに、ちょっと踏むだけでぐぐーっと音が大きくなるか、踏み込まないと大きくならないかという違いです。

アルバム「I・O」では「ワンダーランド」のエンディング付近、また「迷宮の森」では笙篳篥を模した音などに大活躍をしております。とりわけ、笙の音の立ち上がりの遅さを表現するには、このサイドボリュームがとても役にたったわけです。

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$新津章夫 Official Blog 《迷宮の森》-Nadines Over Drive

新津章夫はエフェクターフェチでした。というわけで、当時としては手に入るものはほどんど持っておりましたが、機材を順番に紹介してまいりましょう。入手時期、使用曲などは順不同です。すみません。

まずは、いきなり珍品登場、ネイディーンのオーバードライブです。1980年ごろにL.A.のネイディーンズ社と椎野楽器とで共同開発したエフェクター「Nadine's / Signal Device」。右側の「IN」にギターのプラグを差し込むと自動的にスイッチが入り中央上のインジケーターが点灯します。チューブアンプを彷彿とさせる倍音の多い情感豊かでとてもナチュラルな歪みが特徴です。

これは何に使いましたかねぇ…、入手したのは「I・O」の後ですから未発表状態かもしれません。そのうち、音をアップします。イメージ的にはボストンの名曲「宇宙の彼方へ/More Than A Feeling」のリード音に近いですかね。

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実はこれについては実弟である私もよく知らないのです。新津章夫が亡くなる半年くらい前にもらったメールに書かれていたメモ程度にしか…。

話を総合すると、1985年に所属事務所である「オレンジ・パラドックス」を辞め、ミュージシャンを廃業してコンピュータ・プログラマーに転身しました。

しかし、その頃に知人を通じて「曼荼羅」というコンピュータグラフィックスを使ったメディテーションビデオへの音楽の依頼があり、そのために作られた音源かと思います。

キーボード数種の重ね録りという極めてシンプルな音作りなれど、そこはそれ、新津章夫らしい切なくもロマンティックなメロディーになっています。


新津章夫 「曼荼羅」 01