①大滝さんと桑田に共通するのはお二人とも60年代の日本語訳のアメリカンポップスが好きなこと。 ②当時の日本語のアメリカンポップスは日本語で歌っていたが、メロディに載せにくい部分は英語のまま歌っていた。 ③しかし、歌手は英語が話せる人が多かったわけでもないので、「ルイジアナ・ママ」を例に取ればサビの♪あーあ、ルイジアナママ、from new orleansを「フォニオリ」って歌っていた。 ④フォニオリ自体にはなにも意味性を感じられないことは当時のミュージシャンの間で笑い話的によく話題になっていた。 ⑤フォニオリってカタカナ的に歌っても聞いている日本人もわからないし(What time is it nowを掘った芋いじんな、と覚えるようなもの)、もちろん他の歌詞は日本語だから英語圏の人もわからない。 ⑥大滝さんはこういう背景も踏まえて、いかに日本語をロックにのせるかを考えた。 ⑦一方、桑田は乗せにくい部分にはあえて抵抗せずに、そのまま英語を用いて、むしろ空耳的に英語と日本語を混在させた。 ⑧「おいしいね~傑作物語」に出てくる「業界不惑」と歌詞を書いて「業界ファック」と歌うなどはその一例。 ⑨これに対し、大滝さんは、はっぴいえんど以降、「ロングバケーション」までの間に、たとえば、「福生ストラット」みたいな、R&Bのコール&レスポンスさえ日本語にできないかと模索していた。♪福生行きの切符買って(オーマモリーニー=お守りに)なんて、どこの実験音楽家と当時ファンも唖然とした。←これは音聞かないとわかりにくい。申し訳ない。 ⑩そういう鍛錬を続けて、日本語をアメリカの音楽に載せる譜割りを考案してきた。もし大滝さんがいなかったら、「こりゃメロにのせにくいな」と作曲家が思った部分はすべて英語もどきのままだったんじゃあないかと思う。
まずは、いきなり珍品登場、ネイディーンのオーバードライブです。1980年ごろにL.A.のネイディーンズ社と椎野楽器とで共同開発したエフェクター「Nadine's / Signal Device」。右側の「IN」にギターのプラグを差し込むと自動的にスイッチが入り中央上のインジケーターが点灯します。チューブアンプを彷彿とさせる倍音の多い情感豊かでとてもナチュラルな歪みが特徴です。
これは何に使いましたかねぇ…、入手したのは「I・O」の後ですから未発表状態かもしれません。そのうち、音をアップします。イメージ的にはボストンの名曲「宇宙の彼方へ/More Than A Feeling」のリード音に近いですかね。