友達から「タイガー&ドラゴン」のDVDを借りて見ました。浅草生まれの私としては懐かしい風景もてんこ盛りで久々に練りこまれたドラマを見たような気がします。新津章夫が生きていれば、ぜひ見せたかった。
というのも、我々新津三兄弟は大の落語ファン。「落語特選会」(TBS)や「落語in六本木」(フジテレビ)をよく一緒に見たものです。新津章夫が大好きな落語家は立川談志。まさに孤高の人らしい、としかいいようがありません。
さて、落語というのは、究極の一人芝居であります。顔の向き、声質、話すリズムを変えて最低でも2人の役をこなさなければならない。しかも、客から見えるカッコは例の羽織姿。場合によっては声だけしかわかりません(ラジオ中継では)。非常に高度な芸なのです。
一人で作・編曲、演奏、レコーディング、エンジニアリング、ミキシングをこなす新津章夫も、いわば音楽の落語家みたいなもの、だといえるでしょう。
元々が、エッシャーのだまし絵、クラインの坪やメビウスの輪、シンメトリーとパラドックス、そして、アンチクライマックス、回文、円周率…。そんな視覚や論理の"まやかし"が好きな人ですから、彼の音楽もまずはそういった構造作りから始まります。
小さなギャグをちりばめて練りに練りこんだ話を作り最後に落とす。落語の構造ととても似ているのです。
たとえば、「I・O」に収録されている「光のオルゴール」は三度(半音3つ)の転調を4回繰り返して元のキーに戻る(完結する)という構造です。メロディー作りよりも、まずは曲のデザインありきなのです。
同アルバムの「迷宮の森」は動物や鳥の鳴き声、さらには雅楽に使う笙篳篥(しょう・ひちりき)などの音まで、すべてがフェイク(ギターによる物真似、芝居)です。
とあるサイトで、新津章夫のついて、こんなことを書いてくれている人がいます。
「昨今のサウンドスケープ指向のミュージシャンは、完結しないことを好むようだ(新津章夫などとは大違い)。」
”歌は世に連れ、世は歌に連れ”などといいますから、本来、音楽とは時代とともに変化するものなのかもしれませんが、昨今の、まるで情報誌のように旬が過ぎたら使い道がなくなってポイッと捨ててしまうような音楽には涙が出てきます。時が過ぎようと世の中が変わろうと、なんら影響を受けない古典落語のような、完結した音楽を作るミュージシャンが少なすぎるのです。
ちなみに、我々新津三兄弟、長男の干支は寅、次男・章夫の干支は辰(1952年)。まさに、「タイガー&ドラゴン」なのでした。
おあとがよろしいようで。(お囃子入る)