「眼にはパワーがある」の続きです♡

 

 

 

 

 

 

「その人の視点がすき」

「その人の眼を感じる事ができて嬉しい」と感じる時がある。

 

 

 

 

↓例えばこの記事で書いた、モネや春樹の視点と一体になれて嬉しいっていうようなことや

 

 

 

↓先日陶器市で出会った、古伊万里好きのおじさんの「見方」も知る事ができて嬉しかった。

 

 

 

 

これらは私の「好み」ですが、そのものよりも、その人の見方に価値がある。

 

ここで心が動いたこの人の見方が好き、と感じる。

 

例えばモネが描いた景色・・・

 

 

ジヴェルニーや蓮自体に価値があると言うより

そこを美しいと見て、描きたいと情熱を注いだモネの眼に価値がある。

 

モネを通して、感じたいと思うからその場所にわざわざ行くのだよね。

 

 

 

 

 

 

 

これも当然だけど、イタリア人の縦列駐車、二重駐車そのものに価値があるわけではないし、それが見たいわけじゃない。

「コロッセウムやバチカン美術館より見物をオススメしたい」と書くほどここに面白さを感じて本に書いた春樹の眼が好きなのだ。

 

 

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ちなみに「眼」というのは、「光を感じ取る部位」とされていますが、これは必ずしも物質的な「光」のことではないと思う。

 

 

 

おもしろい、とか

楽しい、とか

美しい、とか

嬉しい、とか

 

心が動く何か。

それが「光」なんだと思う。

 

 

「どう光を当てるか」とか

「捉え方がすごい」

「着眼点がすごい」という外側からのものではなく。

 

 

 

多くの人は、「見方を変えよう!」なんて言って外側からの視点を、どうにかこうにか変えようとするけれど、内側の眼を持っていなければどんな視点だってブレブレ。だからポジティブしか許せなくなるし、邪眼を気にする。「どう見られているか?」にとても弱い。

 

 

 

 

 

どんなものにでも、確かにある光。

 

それを感じ取る内側の心の眼を、まず持っているってこと。

 

その眼を持っている限り、どんな環境でも、何を見ても、豊か。優しい。

 

 

 

 

 

 

そして、内側の心の眼ががっしりと開いていると

 

どんなに意地悪な誰かの眼も、

どんなに貧しい誰かの見方も、

 

全て対等な「一つの視点」でしかなくなるのだ。

 

 

 

外側から注がれる

 

ポジティブな視点も

ネガティブな視点も

 

全てどうだっていい。

 

 

大事なのは自分の眼だけ。

自分の眼にだけ、自分の見方にだけ創造するパワーがある♡

 

(だから「外側の目(邪眼)を気にするという選択」を自分がした途端に、それは「自分の見方」となり、力を持ってしまうのよ。)

 

 

 

 

 

そうしてから、自分の「好み」に光を当てる。

 

イメージで言うとスポットライト的な。

 

「光あれ」と自分の好みの世界を創造出来る♡

 

 

 

 

徹底的に、取り組むべきは内側から。

とことん自分の「視点」「見方」を知るべきだ。

 

 

 

 

 

 

▶︎自分をとことん知る手帳

 

 

 

 

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