私的 アメリカ フォーク列伝(Part1):PPM | 懐かしエッセイ 輝ける時代たち(シーズンズ)

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懐かしい’60s’70s’80s
ひときわ輝いていたあの時代の思い出のエッセイ集です。
毎週土曜日更新予定です。

今日は。

先日、12月に来日するアート・ガーファンクルのコンサートチケットが招聘もとのウドーから届きました。

アート単独のコンサートに行くのは、これで4回目ですが、12月10日が楽しみです。


今日はそのアートも一旦を担ったアメリカ フォークの話です。



<PPM>

 
PPM2   僕の通った中学は二つの小学校の生徒が集まって来ました。
 1年生の僕はそこで、新しい小学校から来た友達が何人かできました。
 友人の一人はギター少年で、1年生から、早くも当時ギター少年の憧れの「禁じられた遊び」のあの有名な部分を弾いていました。
 彼と彼の元々の友人と僕はギターを弾きだしました。
 それがPPM(Peter、Paul & Mary)でした。

 

 PPMは、ポール・ストゥーキーのバス、 ピーター・ヤローの中高音そして マリー・トラヴァースのソプラノの男女混成三声でコーラスも抜群でした。
 男性二人若いけど既にスキンヘッド気味で、スーツをきちっと着こなし、女性のメアリーはあまり派手ではない、だけど少しおしゃれな服を着た三人組。

  ピーターとポールは抜群のギター ワークでした。
 「500マイル」のアルペジオ、「パフ」のスリーフィンガー、そして「天使のハンマー」のストローク等、僕たちの生きたギターのテキストでした。


 PPMは「レモンツリー(62年)」でデビューし、この三人で数々のヒット曲を送り出しました。
 「悲惨な戦争」「パフ」「ロック天国」など彼らの素晴らしいオリジナル曲もありますが、「500マイル」「わが祖国」「サンフランシスコ湾ブルース」などのスタンダードもあります。
 また、他の作家やシンガーの作品をヒットさせていました。
 ジョン・デンバー「悲しみのジェット・プレーン」ゴードン・ライトフット「朝(あした)の雨」ピート・シガー「天使のハンマー」
 (エッセイ「『説的』フォークシンガー:ピート・シガー」 で書きましたが、「天使のハンマー」の作者の彼は、この作品の半分はPPMが作ったと言っています。)


 なにより、デビューまもないボブ・ディラン「風に吹かれて」「くよくよするな」「時代は変わる」をヒットさせています。
 まるでディランとは別物の作品のようです。
 今まで気がつかなかったのですが、「天使のハンマー」と同じように、PPMはディランの原曲を自然にアレンジしていたのかもしれません。
 ディラン作品とディランの原曲も別物かもしれません。
 PPMのすごさはその演奏能力もありますが、その曲のアレンジ力によるところが多いかもしません。


 
 このバンド、少しおちゃめな所もあります。
 最近「ロック天国」を聞いていて、気がついたのですが、この詩の中にビートルズドノバンがでてくるのですね。
 ドノバンとレノンの歌い方をマネをして、二人をからかっている部分もあります。
 (このドノバンはディランの曲にも登場しますし、S&G「フェイキ・イト」にもMR.リーチとして登場します。)


 彼らの全盛期(60年代)当時は、日本では、PPMをコピーするバンドが多かったと聞きます。
 (残念ながら、僕がPPMを初めて聞いたのはPPMの第一期の活動の解散後の1972年頃ですので、聞きかじりですが)
 例えば小室等の在籍した「PPMフォロワーズ」(1964年から1967年に活動)。
 名前に「フォロワーズ」をつけているのですから、すごいですね。
 多くのプロのミュージシャンはPPMを手本にしています。
 それはギターだけでなく、サウンドも。
 PPMが「私的日本フォーク伝」 でとりあげた、日本のフォークブームの興隆に影響していることは間違いないと思います。
 
 僕は、「風に吹かれて」「くよくよするな」「時代は変わる」等のボブ・ディランの曲を最初にオリジナルのディランではなく、PPMから聞きました。
 詩の持つメッセージよりもそのギター・サウンドに心を惹かれました。
 そのためか、英語力も当時なかったせいもありますが、歌詞は意味よりも歌うためのもので、あまり歌詞の意味を知ろうとはしませんでした。

 PPMの後に、ディランの原曲を聴いてびっくりしました。
 この曲があのPPMの「風に吹かれて」と同じなの?
(このことは先ほど書きましたが、今考えると別物なのかもしれません。)


 ここで二つに分かれると思います。
 ディランに虜にされる人。
 ディランに見向きもしない人。


 前者が僕で、後者が友人でした。 
 僕は、ギターが下手なせいもありましたが、ディランやジョン・デンバーなどの作り手(ソングライター)にのめり込んでいきます。
 友人は、ひたすらギターとPPMにほれ込みます。
 彼は現在も年に数回開かれるアマチュアのPPMのコピーバンドのコンサートに地方都市から東京まで今でも通う熱心なPPM信者です。


  
  PPMがデビューした60年代前半のアメリカはモダンフォークが盛んでした。
 キングストントリオブラザーズ・フォアそしてこのPPM。
 モダンフォークをどう定義するのか僕は当時正確には理解していなかったし、現在も理解していいません。
 先日、そのギターを教えてくれた現在でも筋金入りのPPMファンの友人に電話で質問したら、彼からも明確な回答はありませんでした。 

 

 僕は、モダンフォークは、アメリカ独自の土地がらのフォークソングをベースに、それをウッディ・ガスりーあたりからプロのシンガー・ソングライターがソフォフトケートしたものだと理解しています。


  PPMはフォークソングの世界に僕を連れて行ってくれるとともに、洋楽への窓をあけてくれました。
 PPMにより、ディランを知り、ジョーン・バエズを知り、プロテストソングを知ることができました。
 初めから、ディランを聴くことは難しかったと思います。
 当時、多くの人がたどり着けなかったディランに、PPMの美しいサウンズが僕を連れて行ってくれました。


 今回このエッセイを書くのにWikipediaを見ていら、このグループは自然発生的にできたのではないことを読んでビックリしました。
 Wikipediaに「背の高いブロンド(トラヴァース)、陽気なやつ(ストゥーキー)、そして見た目の良い気のいいやつ(ヤーロウ)」を揃えた「スーパーグループ」をイメージしたマネージャー、アルバート・グロスマンによって生み出されたものである。」と書いてい有ります
 いかにもアメリカ的とは思いますが驚きでした。