私的 日本フォーク伝 | 懐かしエッセイ 輝ける時代たち(シーズンズ)

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懐かしい’60s’70s’80s
ひときわ輝いていたあの時代の思い出のエッセイ集です。
毎週土曜日更新予定です。

今日は。

吉田拓郎がツアーを開始するとの話が入ってきています。
井上陽水も昨年あたりからツアーをやっていますし、泉谷しげるはテレビをドラマでにぎわしています。
これで、小室等が出てくれば、往年の「フォーライフ」のカルテットとなりますね。
小室は、新聞のコラムで時たま名前を見ます。
そういえば、小室はファンの要望に応えて、六文銭を一時的に再結成するらしいですね。


今回は、自分の経験から見た「日本のフォーク」について書きたいと思います。



<フォーク・クルセダーズ(フォークル)>
 
フォークル  僕が最初に日本のフォークとして認識しグループは、小学生の時に、フォーク・クルセダーズ(フォークル)だったと思います。
その頃フォーク ソングとして認識していたかは、わかりません。
「帰ってきたヨッパライ」のそのユニークさに驚きました。
この曲にはテープの早回しがあったりするので、テレビで放映する時は、レコードをそのまま流し、画面では人形などの寸劇を流していたりしていました。
そういう意味ではフォークではなく、ビートルズの影響を受けたポップスだったかもしれません。


 フォークルの次のシングルは「悲しくてやりきれいない」
これにはまいりました。
こんな曲も歌うんだ!!!!と。

小学生だった僕にも、何かこの歌の持つもの悲しさが伝わってきました。
でもこの曲はセカンドシングルとして予定していた「イムジン河」が放送禁止と販売中止になったため、急遽つくったシングルです。
(当時は、放送禁止と記憶していましたが、実際は放送自粛だったらしい)


 販売禁止に納得いかなかったものの、加藤和彦が、当時パシフィック音楽出版(現フジパシフィック音楽出版)会長から「3時間で曲を作れ」といわれ、時間がないなか「イムジン河」のメロディーを逆にしたらどうなるかと思って作った曲です。
その後に、作詞を依頼するために、サトウ・ハチロウ―のところに、会長と一緒に直に曲を持っていったという話です。


 でも、一番好きだったのは、クラッシクの旋律を借りた「水虫の唄」でした。
この曲は、「ザ・ズートルビー」というグループ名で発表されました。
加藤和彦関連の本を読んでいて、この曲が、大学生グループのカバー曲と最近知りました。
この曲は、メンデルスゾーン「無言歌集 第30番 春の歌」からメロディーを借用しています。
それから、前奏の部分ではベートーヴェン交響曲第6番「田園」の第1楽章冒頭部(第1主題)を使っているんですね。
僕は、この部分はあまり覚えがなかったのですが、ウイキペディアをチエックしていて知りました。
今聞けばすぐ分りますが、小学生の僕にはわからないのは仕方がないと思います。


 アルバムは68年に「紀元弐阡年」が発売されいますが、そのジャケットはあまりよく覚えていません。
また、2歳年上の兄貴が、友人からフォークルのアルバムを借りてきて、兄のいない時にレコードを拝借してよく聞いていました。
その中で、「ムサシ」という曲があり、t当時お気に入りで、いまだに曲を覚えているのですが、このアルバムのタイトルが特定できないのは残念です。


 本当は最初にフォークルのメンバーを書かかなければいけないのでしょうが、最後になってしまいました。
皆さんご存知かとは思いますが、念のために。
加藤和彦(主に作曲とギター)北山修(主に作詞とウッドベース)そしてはしだのりこ(主にギター。フォークルには二人のあとから参加)。
結成当時から、1年間の限定のグループだったこともみなさんもご存知かと思います。


<カレッジフォーク>
 
マイ眞木  でも今から年代で追っていくと、フォークルの前にいわゆる「カレッジフォーク」をテレビやラジオで聞いていたと思います。
当時カレッジフォークと言っていたと思いますが、どういう定義をしていたかわかりません。
大学生が歌っていたのをそう呼んだのか、あの手のサウンドを呼ぶのか。


 
 僕がカレッジフォークとして認識しているのは、マイク真木「バラが咲いた」(66年)です。
サウンド的にそう覚えています。
大御所のの浜口庫之助「先生」の作詞作曲ですが、雰囲気がそうですよね。


 ブロード・サイド・フォー「若者たち」(66年)も、よくテレビから曲が流れてきました。
「空にまた 日が昇る時 若者は また、歩き始める」
このフレーズは残っていますね。


 森山良子「この広い野原いっぱい」(67年)。
でも僕には、その後に発表された、歌謡曲っぽい「禁じられた恋」(69年)の方が強烈だったように覚えています。


 そして、兄弟デュオのビリーバンバン「白いブランコ」。(69年)
最もよく覚えているのは、確か石坂浩二主演TV「3丁目4番地」のテーマソング「さよならをするために」(72年)。
(この曲の作詞は、石坂浩二)


 カレッジフォークの興隆がフォークルに続くのかもしれません。
そしてカレッジフォークは、アメリカを60年代に一世を風靡したモダンフォークの影響だと思います。


本当は、もっと簡単に日本のフォークについて紹介しようと考えていたのですが、書いているうちに、内容がふくれてしまいました。
70年代以降は、次回にしたいと思います。