ハイジの退屈日記 パリ・東京 -37ページ目

この瞬間を生きない性分

ヘミングウェイが「海流の中の島々」だったかで
幸せを感じる瞬間というのはとても貴重なので
それを感じたら、存分に味わえ、
というような意味のことを言っていた。

私はよくその言葉を思い出す。
特に休暇などにおいて。

「今この瞬間に生きる」ことが不得意なようで
いつも「相対的にみた今」のことを考えているんだね。
それは、その瞬間を存分に楽しまずに
いつも、今ではない先のことを考えているということだろう。

これも一種の貧乏性なんだろうか。




GWにタイ・サムイ島に行ってた時もそう。

バンコクに夜到着。
そこから延々と、カウントおよび自分への言い聞かせが始まる。
「今日を含めて8泊ある。なんて嬉しいんでしょう!」

そして翌朝、サムイ島へ。
「ここで7泊できる、あと7泊8日もある!」
そして翌朝、
「あと6日もある、6泊7日もある!」
これを呪われたかのごとく、律儀に毎日続ける。




休暇の予定が半分も終わる頃には
実はすでに「寂しさ」にとらわれている。
しかし、そこで寂しさを捩じ伏せる。
あたかも「ポジティブ人間」かのごとく
自分に言い聞かせる。
「あと半分もある!」

私の嫌いな、手垢のついた世の説教のひとつ、
「コップに水がまだ半分もあると言う人、しかないと言う人」

しかし、なってみようじゃないの、この私もポジティブ人間に。
「あと半分もあるわ!私ってなんて幸せ!」

あと休暇の残りが一日になった時も
「あと丸一日もあるなんて、なんて私は幸せなの!」
と、ディズニーの妖精のように
燦々と輝く太陽に、とびきりの笑顔で微笑みかける。
だが、目だけは笑っておらず。

そうやって帰国当日を迎えると
一転、妖精から禅僧へと変身、
「無の境地」で現実に対処する。




その瞬間の幸せを存分に味わおうとすると
相対で比較してしまうというクセ。
自己防衛を重ねてきた挙句の損な性分なのでしょう。

だから、移動の多い休暇では、さらに損。
ただでさえ「相対で今をとらえる」ので
常に先の行動を考えている傾向がある。
「この瞬間」を楽しんでいるとは言い難い。

これは「先を読む賢さ」とは程遠い、
「哀れな知性の低さ」
と言えるのではないだろうか。

部屋は体を表す

夫ペーター(日本人)のパリの家は
かなり広い。トータルで250平米ほどか。
窓が多いため、天気が良ければ明るいし
いわゆる「ロフト風」で
コンクリートの柱が何本も部屋の中央にあり
天井も高いし
ハードはカッコいいと言えなくもない。




「言えなくもない」、などというのは
夫の家に対して、妻としての謙遜の表現というよりは
この家に対する私の第一印象というのは
「素敵なような気もするが、でも、なんだか不思議」
という感じだったからである。

カッコいい、のかもしれないが、
次の瞬間には、純朴さ、と言えばいいんでしょうかね、
気取りがないというか、
もっといえば不協和音というか、こなれ感の不在というか。
(言葉を選ぶのは難しい)

そして、なぜそう感じたのかというのは
まもなく明確になった。
「不思議な物体が多い」

といっても、中には結構、それなりに「味がある物」もある。




これは↑ノミの市で買ってきたそうだ。
まあ、よくわからない物体ではあるが
なんとなく、この部屋の雰囲気に合うとも言えよう。




これは↑コンラン・ショップで買ったそうだが
これも良しと思う。
部屋のスタイルに溶け込んでいる。




これは↑夫が自ら木材でつくり、ペイントした「作品」。
この十字架を木のまま、壁に垂直に掲げていた時は、ちょっとなあ!と思ったが
白くペイントしてこのように置く分には
オブジェとして成り立つし、不思議感満載だが、許せる。




このランプも、コンクリとテーブルの質感とも合ってるし




この照明も
ちょっと逸脱のボーダーラインだが
ギリギリOKかと。

そうなんです
目指すは「統一したスタイル」であるべきで
それが最重要。
さらに、ロフト風のガッチリとしたハードを活かすためには
「本物感=オーセンティシティ」が重要なポイントではないかと
私は思うわけだ。

だから
このようなものは↓



ハズしている。

確かにありますよ、
西洋建築、インテリアの中にスパイスを与える東洋テイスト。
仏像やらカリグラフィやら。

でも、そういうアレンジはかなり高度なワザではないか。
素人が無難にやるには、相当に高級感ある本物を持ってこないと
イタいことになる。

そう、夫の家の「不思議感」は
統一を目指したスタイルの中に
フト、紛れ込んでいる、「はぐれモノ君たち」。

この際、一箇所に集めてみました。




これらを、うまく使うのは
難しいよ。

コンテンポラリー感をなんとか演出しようとしているのに
これら「民芸みやげもの風」が紛れ込むと
いきなり、ものすごい生活感が出てきて
旅行先の土産物屋で物色していた姿が浮かんできて
「いじましさ」も感じられる。




部屋というものは
趣味嗜好だけでなく、その人の「人となり」というものを表すとは
よく言われることだから
この夫の部屋も、きっとその通りなんだと思う。

スタイルを追求しようとしているが
どこか純朴。
どこかズッコケ。
クールになりたいのだが
なぜか笑いを誘う。
まさしく夫そのものではないか!





























節酒宣言!

ついに!このたび!
節酒生活に入ることを決断した。
この「プチ公式の場」で宣言します。

ナニ大げさなこと言ってるんですか、と
お酒を飲まない方は思うであろう。
しかし、連日大酒を飲むことが習慣化していて、少しでもそれに罪悪感を覚えている人なら
この私の決断に、「おっ」と思う人もいよう。

飲酒との葛藤については
ここに何度も何度も書いていますが

日々の罪悪感や葛藤にもウンザリしてきたし、
脂肪肝の疑いあり     、にもなったことだし、
西洋占星術の先生に、2016年には記憶力がグンと落ちるでしょう、と言われたし、
やはり、そろそろ重い腰を上げて
アクションを起こす時がやってきた、と感じる。

まずは、この本を読んでみた。
【1000円以上送料無料】今日も飲み続けた私 プチ・アルコール依存症からの生還/衿野未矢
¥864
楽天
読んでいるところを人に見られたくないようなタイトルですね。

しかし、とても参考になった。
作者のスタンスが
「断酒はしたくない。適量飲酒ができるようになりたい」
という私と全く同じものだったので。

日本のアルコール依存症治療は
白か黒か、つまり断酒を目指すものだそうだけど
私は入院・通院までしたくないし
なによりお酒を全く飲まない人生を送りたくない。

種々の「依存度テスト」によると
私はかなり重度の依存症らしいので
一人で頑張る、などということで上手くいくのか・・・という不安はあるのだが
どうしても節酒がうまくいかないのなら、
その時にあらためて
断酒の道を選ぶか、肝硬変&脳萎縮の道を選ぶか考えてもいいのでは、と
今はそんなところです。

甘い?
まあ、やってみようではないか。
とりあえず、私にはここまででも前進です。



でもさ
「依存度テスト」に出てくるような、
朝から飲む、迎え酒をしたことがある、
仕事にいけなかったこと、約束を守れなかったこと、
酒が切れると症状がでる、酒がないと寝付けない、
とか、そういうことは全くないのに、
連日の酒量が多い、飲むと止められなくなる、記憶がなくなることがある、
というだけで「かなり重篤」なのかね。

そんな人、た~~~くさん、知ってますよ!
と反駁したくなるが、
アルコール依存症は「否認の病」だそうだから
そうなんでしょう、
私は重篤なアル中という認識でいきましょう。
「重篤なアル中」がいかに(私のまわりに)多いか、ってことでしょう。

アルコール依存症というのは
治療して10年以上断酒して完治したと思っても
たった一杯飲んだだけで、また元の木阿弥に戻るというケースが9割以上らしい。
それだけ中毒性のある薬物としてアルコールは恐ろしいらしい。
実は、正体不明の不死身の魔物と戦うようなものなのかもしれない。
そう考えると、緊張しないでもない。




とりあえずの目標としては
週に2回は飲まない。
飲む日はワインや日本酒にして2合まで。
月に2,3回、友人と飲むときがあれば
ワイン2分の1本まではOK、
というところで設定しました。

甘い?

なんでも「節酒プログラム」というのがあり
それによると、まず節酒に入る前に
30日間の禁酒をすることになっているそうだ。

でも、私には30日間の禁酒なんて有り得ない。
2日連続だって自信がない。
30日連続なんて、それはもう「偉業」と言ってよく
そんなことが自力でできるのなら、こんな苦労はしない。
かといって入院するわけにもいかないし。



というわけで
まずは自分で試行錯誤してみます。

先述の本によると
自分の飲酒行動を客観的に見つめなおし
パターンをみつけて適量や対処法を見つけ出す、
より少ない量で満足感を得るスキルを得ていく、ことらしい。

このブログにも
ついに「酒」テーマを追加した。
ここに綴っていくことで、
ほんの少しは「人に見られている感」もあるので頑張ります。

ブログに新設した「テーマ名」は、「人生に酒あり」。
酒を止める気はさらさらないことは明白だが
明るく楽しい飲酒人生を目指す、よいテーマ名だ、と思うのですが!
それが皮肉になりませんように。