こんにちは!
日本に帰国して1ヶ月経ち、月日の早さを再確認。
母が老健施設に移った次の日、初めて実家を見に行き、本当に愕然とし、ショックを受けました。
その後、母の幼馴染と電話でおしゃべり。
彼女は母と同じ年。母とは小学校からの幼馴染。
あの時代にあるあるの話ですが、家が貧乏で、戦後、農家の納屋で暮らしたこともあると良く言っていました。今、納屋で暮らすなんてあり得ないでしょう?
そしてこれもお決まりの話ですが、旦那さんがかなり浮気して、それに耐え抜いて人生を過ごした人です。旦那さんは東南アジアに住んでいて、現地妻がいて・・・現地妻を連れて帰ってきて本妻に東京見物の案内をさせる・・・それがまかり通っていた時代ってすごいですよねー
もちろん、子育ては彼女だけ・・・
旦那さんが子育てに関わることは全く皆無!
バブルがはじけたあと、借金をかかえ、結局東南アジアから舞い戻り・・・日がな一日時代劇をみていて、本当に嫌だったと言っていましたが、そうこうしているうちに旦那さんは山手線の中で倒れ、そのまま即死。
60代で未亡人になった方です。
手芸が好きで、手先が器用で、何でも作り・・・もともと結婚する前は洋裁の下働きをしていたので、洋服を作るのは朝飯米。私もどれだけ洋服を作ってもらったことか・・・かなり世話になりました。
私がハワイから帰ってきた時代、私はめちゃくちゃ痩せていて、デパートの小さいサイズコーナーでしか買えなかったのです。今では考えられないよね!(今の仕事のお隣のEちゃんからは、そんなに太っているって訳じゃないよね?って嬉しいことを言ってもらえましたけど・・・見た目はね・・・内臓脂肪が酷いんだけど・・・)
その彼女が膀胱癌になって早6年近くでしょうか?
最初は、一年に一回膀胱の内壁の癌を掻き出して、抗がん剤を噴霧する手術を受けていましたが、抗がん剤が合わなく、内壁への噴霧ができなくなりました。
去年話をしたとき、彼女は医師に膀胱の全摘手術をすすめられたのですが、88歳で膀胱摘出してQOLを下げても意味がないと、その手術を断りましたと言っていました。「なので、これからは死を待つだけなの!」と言っていました。
今月14日に話をしたら、癌の進行が進み、足の浮腫が酷く、ほとんど歩けなくなり、彼女は次男の家の近くのホスピスに入ることになったと言われました。
本当に死を待つだけの身となったようです。
去年はスイスの叔母がやはり延命治療を拒否して86歳で亡くなり、今年は母の幼馴染が・・・
年が年なので当たり前の話なのですが・・・
どんなに頑張っても老化は止められない!
どんなに頑張って生きていて、どんなに頭脳を使って・・・どんなに勉強してもしなくても・・・この老化は絶対に止められない。
母の幼馴染やスイスの叔母のように、自分で寿命を決められるのは私は幸いだと思う。自分がどういう状態で、どういう立場になっているのかわからない状況で生きているのは苦しい・・・認知症のように・・・
私も自分が誰かわかっている間に私の寿命を終えたい。
それが私のこれからの念願。
母の幼馴染の決意と尊厳死の覚悟を聞いたバレンタインデーでした!