目の前で起きた現象。

 

それを

 

「善くない」と判断し【否定】した途端

 

ハートが閉じる。

胸が詰まる。

 

 

その詰まった感覚が『不快』であるので

 

目の前で起きた現象=不快

 

....としてしまう。

 

 

例えば、

 

自分でナニカにつまづいて転んだトキと

街中で思わず誰かに押されて転んだトキ

 

 

どちらも物理的に同じ衝撃と痛みであった場合

 

『不快感』は後者の方が長引く。

 

 

自分で転んでしまったトキは、

つまづいたナニカに怒りを感じるかもしれないが

 

「しょうがない(肯定)」

と受け入れるしかないので

 

『不快」は長引かないが

 

 

自分ではない他人からの害の場合、

受け入れるまでの時間は長引く。

 

それまでの間、

否定し続けるので『不快』は続く。

 

 

冷蔵庫からドレッシングを出して

勢いよくボトルを振ったら

 

フタが閉まりきっておらず

部屋中がオイリーまみれになって

香ばしすぎるニオイが充満。

 

 

フタを閉め忘れた犯人が

自分であった場合と

自分以外の家族だった場合

 

『不快』の度合いは雲泥の差となる。

 

 

自分以外の家族が犯人だったトキ、

しかもケンカ中であったのならなおさら

その不快さと言ったらない。

 

 

目の前の現象は同じであるのにも関わらず

不快さ加減は大きく変わる。

 

 

自分が閉め忘れたのなら

 

しょうがない、と肯定するまでの

時間は短いが

 

他人の場合は、

 

いつまでも責め続けて

なかなか肯定できない。

 

だからずっと『不快』

 

 

 

目の前の現象が『不快』なのではなく

 

自分が【否定】した途端、

 

ハートが閉じ

胸が締め付けられ詰まるから

 

『不快』を感じている。

 

自分が【肯定】した途端、

 

ハートが開き

エネルギーは流れ

詰まりが流れるので

 

『快』と感じる。

 

 

目の前の現象、デキゴト(ニュートラル)

ではなく

 

己の判断.....

【否定】しているか

【肯定】しているか

 

ハートが閉じているか開いているか

...で『不快』『快』を感じている。

 

▼▼▼

外側の現象に

 

『善い悪い』があるのではなく、

 

 

こちら側で

 

『善い悪い』と判断して

 

それによって

 

ハートが閉じる(冷える)から不快に感じ

 

ハートが開く(温まる)からと感じます。

 

 

 

 

 

______

 

 

ナニかの情報をみて

 

「どうしよう」

「そんなことになったら大変だ」

「このままではいけない」

「これからどうやって生きればよいのだ」

 

 

というような

否定、不安が出たとする。

 

 

ハートは閉じまくり

胸がキュッと詰まってくると思います。

 

そんなトキ、

 

はやく【肯定】して

ハートを開かなきゃ!!

 

とするのではなく、

 

 

「どうしよう」

「大変なことになる」

「このままではいけない」

 

と思って心配して恐れている子(自我)が

カラダの内臓部分あたりに

出てくるので、

 

「どうしよう、大変なことになったらどうしよう」

 

と不安になっている子をジーーっと視てあげる。

 

ジーーーーっとジーーーーっと視る。

 

「どうしよう、どうしよう、どうしよう」

と不安いっぱいで泣いている子をただ視る。

 

 

 

 

 

 

しばらく視ていると

不安で泣いている子は消えていなくなる。

 

 

『感じて』しまえば消える。

 

 

そのあと、

 

同じ情報をみたとする。

 

 

感じ方が変わっているはずです。

 

 

「ま〜なんとかなるだろう」肯定

「そのトキになったら考えればよし」肯定

「いまは、リラックスしよう」などなど。

 

 

まだ不安で心配な「不安子ちゃん」が出てきたなら

 

また...ただ視るただ視るただ視る

 

「どうしよう、どうしよう、どうしよう」

 

 

 

 

 

不安子ちゃんは自分ではない。

 

視ているのだから自分ではない。

 

不安子ちゃんと同調しているから苦しい。

 

不安になっているトキは同調しているので

 

気づいて離れる。

 

 

「このままではいけない」

「大変なことになったらどうしよう」

 

.....と出てきたトキ、

 

 

いままでなら

 

頭の中でどうしようかと

考え始めると思いますが、

 

 

これからは、

 

「どうしよう」と泣いている

不安子ちゃんを視る

 

「どうしよう、どうしよう」と

感じきって仕舞えばよい。

 

 

 

 

今日は以上です。

ありがとうございました。