今朝、

 

息子の「卒業式に遅刻する」夢をみました。

 

母であるわたしは、

呑気にのんびりお化粧をしている最中で

 

「このままだと卒業証書を

受け取る現場がみられないな.....

まいっか、

ひとりひとり壇上に上がらないかもしれないし、

クラス分一纏めで受け取る可能性があるから

まぁ〜いいや.....」

 

と思っていて、

 

『さすが、わし....』

 

という思考と共に

 

あ、あれ?あれあれーー?

 

このまま夢をみ続けていれば

 

いつものように

「これは夢だ」と気づいて、

 

夢の中で自由にコントロールして遊べたのに

 

「さすが、ワテ」

 

と思ったと同時に

 

アラームのピヨピヨ(小鳥のさえずり設定にしている)

に引っ張られ、

 

残念ながら俗世に戻ってきた次第です。

 

 

 

ちなみに

 

スマホを寝室のドア外に置いているので

アラームを止めるためには

起き上がって歩かねばならぬので

2度寝はできない。

 

 

自分は夢の中でも

 

遅刻しそうになったら

慌てて急ごうとしないのだな

 

と思いました。

 

 

「急ごうとしない」

 

 

昔からそうです。

 

 

小中高時代は、

朝ごはんを食べていたので、

 

いくら寝坊しても

 

しっかり朝ごはんを食べ、

トイレでゆっくり大をしていかないと

断じて家を出発しない。

 

パンをかじりながら

「行ってきまぁ〜す!!」とダッシュしてゆく

昔の学園ドラマみたいなシーンは

1度もやったことがありませんでした。

 

 

頻繁に遅刻するような生徒では

なかった気もするが

 

 

いま、思えば

 

「起きたデキゴト」に抵抗せず、

 

そのままを受け入れ

現象を否定することなく淡々と

全体の流れに乗っていたように感じる。

 

 

自分にとって大切な日は、

寝坊なんてしなかったはずだから。

(試合の日とか)

 

 

 

「起きたデキゴト」はもう過去で

 

いくら頑張って努力しても

変えようのない現象です。

 

 

人間は、頑張って努力すれば

それを変えることがデキる!!

 

...と勘違いして生きてきました。

 

 

「なぜ?こんなことに.... 」

 

と原因と理由を追求し

自分か他人か状況、環境を

批判して責めることになる。

 

 

 

人間は、後付け、意味付け

辻褄合わせが大好きで

 

あれがあったから

こうであ〜でこうなった

 

自分にとって

意味があることだった!!

運命だった!!

 

....というふうに

時系列で繋げて納得したがるフシがある。

 

 

 

それが起きた...ただ起きた...以上。

 

 

それ以上もそれ以下もない。

 

ただそれが起きた。

 

全体の流れでそれが起きた...以上。

 

 

 

 

我々は、

 

「いまこの瞬間」しかない

 

と識っているのに

ついつい忘れてしまいますよね。

 

 

なぜ?忘れるのかというと、

 

『考える』からで

 

脳で思考して

脳の中で世界を想像して

その世界があたかも現実であるかのように

勘違いしているからです。

 

寝てみる夢の世界とまったく同じです。

 

 

 

 

結局ナニが言いたいのかというと、

 

まさに昨年のきょう、

 

そのまんまを書いていました。

 

▼▼▼

 

我々は、

 

なんのために生まれてきたのかというと

 

『いまこの瞬間』のために

 

生まれたのです。

 

 

 

2021-12-31_01-02-15.jpg

(漫画HUNTER×HUNTERより)

 

 

コムギとメルエムのように

死ぬ間際の2人の時間という

 

崇高的な「いまこの瞬間」に限らず

 

「いまこの瞬間」

スマホを触るために生まれ

 

「いまこの瞬間」

お茶碗を洗うために生まれ

 

「いまこの瞬間」

泣くために生まれ

 

 

ただただ

「いまこの瞬間」のために生まれました。

 

 

 

 

 

 

 

「いまこの瞬間」

息しているだけでイイ。

 

 

今年ももうすぐ終わりますが、

 

それもコレも大きな流れの中で

ただ起きていることなので、

 

 

特別に過ごしてもイイし

いつもの日常でもイイ。

 

 

自分が心地よければ

なんでもイイ。

 

 

 

 

 

過去記事でもよく

 

「息していればいい」

 

と書いていましたが、

 

「息していればいい」とは、

 

「生きていればヨシ」であり

 

人間も猫さんも犬さんも

動物すべてみな『生物』であります。

 

 

『生物』とは

 

生きるもの

 

 

『生物』の使命は、

 

「生きること」

 

 

「生きていればヨシ」

 

.....です。

 

 

 

ひとりで過ごそうが、

家族で過ごそうが、

ケンカしようが、

病気で寝ていようが、

怒ろうが泣こうが

 

人間....「生物」たるもの

「生物」として

 

「生きていればヨシ」

 

大成功です!!

 

____

 

 

今年も本当にありがとうございました。

 

みなさまの貴重なお時間を

『一生無事』に使っていただき

ありがとうございました。

 

 

来年も生きられるまで無事に生きましょう。

 

 

『一生無事』

 

みなさまの一生無事を祈ります。

 

 

 

今年は以上です。

ありがとうございました。