前記事の

 

『己が己の機嫌をとるだけでイイ』

 

....についてですが、

 

 

「機嫌をとる」とは、

 

不機嫌をご機嫌に改善させる

 

というのではなくて、

 

『己の機嫌に気づいている』

 

ということです。

 

ご機嫌が

不機嫌が

 

ではなくて、

 

 

不機嫌は不機嫌で

それはただの流れであるから

それはそれでイイ。

 

ただ、

 

「自分は不機嫌である」

と気づいていること。

 

 

『自覚ある不機嫌』

と言いましょうか。

 

 

自覚のない不機嫌は、

残念なことに

「公害」になりかねないので、

 

己の機嫌に気づくこと。

 

 

「わたしはいま機嫌が悪いーーー!!」

 

と気づき、認め、赦すこと。

 

 

「機嫌が悪い自分」を

無意識に責め、

 

不機嫌から解放されたい!!

こんな気持ちはイヤだ!!

抵抗するから

 

いつまでも不機嫌は不機嫌のままに

なってしまいがち。

 

 

「ワイ、いま不機嫌!!」

 

気づき、受け入れ、認め、

 

全面的に己を赦す

 

「不機嫌でもイイ」と。

 

 

流れてきたその現象...

「不機嫌である現象」を

拒否ることなく受け入れて流せば、

 

「不機嫌である現象」は役目を終えて

消えてゆく。

 

 

コレこそが

 

「己が己の機嫌をとる」

 

.....です。

 

 

つまり、

 

 

もっと平たく乱暴に言っちゃえば、

 

「自己否定すんな!」

 

ってこと。

(己にも言っている)

 

自分を愛そう、とか

自分に優しく、とか

 

そんなことではなく、

 

自分を善悪なしに

全面的に認め赦すこと。

 

 

『自分=世界』であるなら、

 

自己否定していると、

世界も否定まみれ、

非難したくなる状況ばかりが起こる。

世界から否定されるような現象が起こる。

 

 

世界に目を向け、

他人に優しく、

誰にでも優しい自分であれ、と

 

努力するけれど、

そんなものは保たない。

もつわけがない。

 

世界に顕れてくる

他人という現象、

起きてくる現象は、

 

あまりにも対象が多すぎる。

 

いまのこの状況を

ひとつひとつ「肯定」してゆくなんて

対象が無限すぎるのだ。

 

だったら、

 

己が己をイチイチ認めて赦すだけでイイ。

 

 

 

不機嫌であろうと、

イライラしていようと

否定しまくっていようと、

 

グズでノロマでだらしなくても

イイではないか。

 

なにか問題あるか?

 

 

▼▼▼

 

 

 

「己が己の機嫌をとること」

 

闇系が1番嫌がることだと

前記事にも書きましたが、

 

自我が芽生えてからずっと

 

カラダがなくなるまでずっと永遠に

 

「自己否定」していてもらいたいんですよ。

 

 

『このままではダメだ』

『もっと善くならなければ』と。

 

 

イチイチ手を出さなくても

 

ひとりひとりが

自分で自分を縛る「ひとりSM」を

進んでやってくれるのだから

 

手間が省けて万々歳なんですよね。

 

あっぱれです。

 

 

ここはもう、

 

怒っても泣いても暴れても

なにを想っても

どんな酷い思考が湧いたとしても

 

己を否定しないこと。

 

そうか、そう想ったのか...以上。

 

▼▼▼

 

 

 

世界を見渡してしまうと、

どうしても現象に飲み込まれてしまいがち。

 

対象が多すぎるので、

 

観るのは己だけ。

 

己の内面に起きてくる現象だけに注目する。

 

 

外側の現象、

「なにが起きた」かは関係なくて

 

内側での反応「現象」を観る。

 

 

今日は以上です。

ありがとうございました。