先日、ある方との会話の中で

 

「私の主治医が〜〜.....」

と言われているのを聞いて、

 

あれ?『主治医』ってなんだっけ?

 

と脳内ぐるぐるしました。

 

 

56ちんがはじまった当初、

 

『かかりつけ医』という

わたしにとっては聞き慣れない単語も

よく見聞きするようになりました。

 

 

主治医とは、

かかりつけ医みたいなもんかな?

 

かかりつけ医よりも重要な案件を担う

担当のお医者さんってことかな?

 

....と勝手に納得させた次第。

 

 

 

『主治医』も『かかりつけ医』も

そんな大層な存在は

己の世界に見当たらない。

 

というか、

『診察券』とか持っていないかも。

 

 

知人

「これからずっとお世話になるのだし、

『かかりつけ医』との関係は大切だよ」

 

 

これから年を重ねてゆくと

カラダにガタがきて

 

『かかりつけ医』にお世話になることが多くなる。

 

だからいまからでも

『かかりつけ医』『主治医』との関係を

築いておきなさい....

 

ということらしい。

 

これは我が父もそのようなことを言っていた。

 

56ちんを必死に止めていたトキ、

手紙でわざわざこう返された。

 

父「これからはもっと

『かかりつけ医』にお世話になるのだから

先生の言う通りにする(56ちん撃つ)」

 

.....みたいな。

 

 

年齢を重ねたら『老化』するのが常識で

カラダの調子が悪くなったら

病院へ行くのが当たり前となっている。

 

 

ある程度の年齢になったら

『かかりつけ医』にお世話になる

という前提。

 

 

本当に『老化』ってするのかな。

それって本当かな。

 

 

毎日毎日、

細胞は生まれ変わっているのだから

『老化』なんてマヤカシではないだろうか。

 

 

解離性同一性障害(多重人格)に見られる

 

ひとりのカラダなのに

病気の有る無しや

年齢の変化、

性別や味覚の変化などが現れる事例。

 

ひとりの同じカラダなのに

病気が出たり、なくなったりするという。

 

ある人格では

がん細胞があったのに

他の人格のトキには

がん細胞が消えている。

 

これはやはり、

『老化』も意識の問題だよなと思った次第。

 

 

 

_____

 

 

道元禅師の

「正法眼蔵」にこんな一節がある。

 

 

 

『薪を燃やせば灰となる』

 

 

 

    

薪を燃やせば灰となる。
 

一度灰になったものが薪に戻ることはない。
しかしながら、灰は後、薪は先であると理解してはいけない。

 

薪は薪であることによって薪以外の何ものでもなく、その前後の姿があったとしても、それらは続いてはおらず途切れている。つまり、

実在する時間は「今」以外にない。
 

途切れた「今」が連続することによって、時間はあたかも進んでいるかのように感じられるだけで、実際に存在する時間は常に現在をおいてほかにない
 

灰もまた同じで、今この現在において灰は灰以外の何ものでもない。薪の後の姿なのではない。

 

薪が灰となってから再び薪に戻ることがないように、人が死んだ後に再び生きる人になることもない。
生が死になると言わないのは、仏法において当たり前のことである。
だから不生という。
また、死が生になることはないという真実も、仏法を説く上で定まっていることである。
だから不滅という。

 

生とは線ではなく、生きている今この一点を示す言葉であり、死もまた、死んでいる一点を示す言葉だ。
 

それはたとえば、季節の移ろいを例にするとわかりやすい。
 

冬が春になるという移ろいを、冬というものが春というものになったのだとは普通考えない。
 

春というものが夏というものになったのだとも言わない。
 

冬が春に変化したのではなく、「今、春である」というよりほかに、季節を言い表すことなどできないのである。

 

 

『薪を燃やして』→『灰になる』

これが常識であるが、

 

『薪』が『灰』になったのではなく

 

『薪』は『薪』の今があり、

『灰』は『灰』の今がある。

 

『薪』が先で『灰』が後ではなく

『薪』の今、『灰』の今があるだけである。

 

 

禅語

【前後際断】

 

前際(過去),後際(未来)が

バッサリ断ち切れている。

 

薪は薪でしかない、以上!!

灰は灰であるのみ!!以上!!

 

 

▼▼▼

 

 

 

年を重ねれば→老化する

 

前後際断!!

 

「年を重ねる」以上!!

 

「老化」....けっ、しらねぇ

 

というか、

 

老化してもイイし、しなくてもイイが

 

「年を重ねるから」と

 

そこに矢印を繋げることはない。

 

 

 

 

息子も過去に語っていたけれど、

(過去記事あるはず)

 

 

宇宙には、

老化も病気もケガもないという。

 

地上人だけのものなのかもしれない。

 

なぜなら、

 

地底人は同じ地球にいながら

病気しないというから。

 

 

 

『主治医』も『かかりつけ医』も

我々親子にはいませんけども

 

己が己を診てゆくとします。

 

 

『主治医』や『かかりつけ医』という

聞き慣れない単語を

この567騒動のおかげで覚えることができましたが

 

そのほかにもうひとつ

初めて知った単語があります。

 

それは、

 

 

『不織布』

 

騒動がはじまってから

頻繁に目に入ってきた単語。

 

 

自分はこれが読めませんでした。

 

当初は、

 

「織っていない布」

と脳内でイメージしているのみで

 

数年経ってしまいました。

 

今年の夏あたりでしたかね。

 

いよいよ正解を知りたくなって

知人に

 

「(不織布)なんて読むの?」

 

と聞いたんですよ。

 

すると、知人も読めなかったんです。

 

この2~3年間、

【不織布】という単語ばかりを目にしてきた日本人。

 

なのに読めなかった。

不織布....無念....

 

誰も興味ないのかな。

 

 

あんなに求められていたはずの

大大大人気なはずの不織布マスク。

 

 

答えは、

 

 

「ふしょくふ」

 

 

だそうです。

 

 

これ不思議と覚えられないんです。

 

とっても不思議です。

 

 

今日は以上です。

ありがとうございました。