息子がはじめて

ひとりで遊びに出かけたのはいつの頃だったか。

 

あのトキの緊張感。

 

もう2度と会えないかもしれない

これで最後かもしれない

 

という覚悟で

息子の全身をスマホで撮って

送り出したあの頃....。

 

 

 

先日、息子は

 

子どもたちだけで

浅草花やしきに出かけてきました。

 

8人というそこそこの大所帯で

遊びまくってきたらしい。

 

 

 

 

 

2週間ほど前に

その予定を聞かされたトキ、

 

もう心配で心配で恐れおののきました。

 

その日が近づいてくるまで

 

「中止になってくれたらイイのに....」

 

とずっと思っていました。

 

 

子どもたちだけで遊園地へゆく。

 

遊園地.....めちゃくちゃ危ない....

 

子どもだけだと

目をつけられて連れ去られたりしないように

 

現場では絶対に単独行動をしないよう

強く強く言い聞かせる必死すぎる母。

 

 

P「トイレにひとりで行ってはダメ!!

誰かがトイレに行くと言ったら

その子をひとりで行かせてはダメ!!

 

その日はなにがなんでも

『連れション』するように!!!!!!!」

 

 

キングダムの『伍』のように

8人の運命共同体として

全員無事に帰還すること。

 

それがダイヤの使命。

 

 

午前9時ごろに出かけ

夕方17時過ぎに無事帰宅。

 

予算は5000円と言われたのですが

ほぼキレイに使っていました。

 

フリーパス買って

焼きそば食べてソフトクリーム2コ食べて

あとなんか食べて...炭酸買って....ナドナド

 

 

とにかくものすごくものすごく

楽しかったようで、

 

園を出た瞬間に

「みんなでまた絶対来よう♪」

と約束したのだそうです。

 

 

イイ想い出、体験ができてよかった。

 

こうなることは

はじめからわかっているのに

 

子どもを送り出すまでの葛藤。

 

通常通りに暮らしていても

なにかの拍子に湧き上がってくる恐怖。

 

 

心配性である気質は今も昔も

なにも変わらないのだけど、

 

昔の自分だったら

心配と恐怖に押しつぶされて

マジで病気になっていたかもしれない。

 

 

『子を持つとは、

なんと苦しいものか』

 

と思う瞬間が度々やってくる。

 

 

 

いまでは

その『思い』がやってくると

眺めていることができる。

 

なにも気づかずに

その『思い』に飲み込まれて

うーうー唸っているとやがて気づく。

 

すると、その『思い』は

シャボン玉が弾けるように消えてゆく。

 

 

▼▼▼

 

 

「持つ」と「失う」はセットで

 

「出会い」と「別れ」もセットです。

 

子を持つ喜びもあれば、

失う恐怖も味わう。

 

出会えば別れる。

 

 

 

これからも

 

息子ひとりでなにかをする

はじめての経験のたびに

 

母はイチイチ『恐怖、怖れ』と

向き合うことになるのでしょう。

 

 

それが「わたし」の

プログラムであり体験です。

 

 

ちいさい子どもが犠牲にならない世界

交通事故のない安全な世界

 

...を望みますがね。

 

 

 

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朝9時に送り出すトキ、

 

やはり全身スマホに撮って

服装がわかるようにしていました。

 

『これで最後かもしれない』

 

以前ほどの深刻さはありませんでしたが

真剣に「これが最後かもしれない」と

思って力強くぎゅーってして送り出しました。

 

 

玄関の鍵を閉めたら

速攻でベッドに戻って爆睡したんですけどね。

 

起きてたらあらぬ想像しちゃうからね。

 

 

寝るのが1番。

寝れば「わたし」は消える。

 

 

▼▼▼

 

 

 

世の「お母さん」を

ココロから尊敬いたします。

 

子が

「バイクの免許を取りたい」だの

「ひとりで海外行きたい」だの

言い出すたんびに

 

それぞれひとつひとつの「恐怖」を

乗り越え許し温かく見守り続け

【いま】があるのですよね。

 

 

尊敬する。

尊敬しかない。

 

 

そう考えると、

ウチの両親もスゴいな。

 

 

 

今日は以上です。

ありがとうございました。