前記事で息子が話していたこと。
D「外のヒトの言葉を受け取らないんだよ。
受け取りたかったら受け取ってイイけど
中に入れたくない言葉は
絶対に!!入れたらいけないんだよ。
中に入れないの。
いらないモノを入れたら自分が可哀想でしょ?」
急に宇宙語を話し出した後に
息子が語ったのですが、
しばらくして聞いてみると
本人まったく記憶がなく
「そんなこと言ってた〜?」
状態でしたが
詳しく尋ねてみました。
P「中に入れたくない言葉って
”嫌い”とか”バカ"とか....
言われたくない言葉のこと?」
D「言われたくない言葉っていうか〜
闇の言葉を
入れなければイイんだよ。」
P「例えば、
誰かがダイヤくんの絵を見て
"才能ないね"って言ったら
どう思う?」
D「才能ってなんだっけ?
あ、"デキる"ってことでしょ?」
P「ま〜そんな感じ。」
D「"才能ないね"って言われたら
『ふ〜ん』って思う。」
P「その言葉を中に入れない。」
D「うん。
だって誰にも"才能"ってあるでしょ。
みんな神さまなんだから
みんなスゴいんだから。」
P「自分が大好きな絵のことを
他人から何を言われても
ダイヤくんは自分の中に入れないから
傷つかないってことかな。」
D「なんとも思わないよ。
ダイヤくんが好きで絵を描いて
楽しかったんだからそれでイイ。」
外から闇の言葉が飛んできたとしても
自分が闇の言葉として
受け取らなければイイことで
自分で自分に
闇の言葉を入れたら
自分が可哀想
ということらしいです。
自分とそのヒトの世界は違うし、
そのヒトの世界では
"才能ない"と見えたのだからそれでイイ
という感じです。
過去にもこんなことがありました。
やんちゃな子に
「お前クサいから居るのわからなかった」
と言われたけれど
息子は、
「お前はクサい」
という言葉を受け取らず、
自分の中に入れなかった。
自分はクサくないし、
そう思うならそれでイイんじゃない?
という立ち位置にいた息子。
▼▼▼
「★くん(ジャイアン)の世界では、
ダイヤくんがクサいんだから
別にそれでいいんじゃない?」
ジャイアンは、
息子にイジワルを言いたいだけなので
言葉は、
「クサい」でも「ウザい」でも
なんでもよかったのだと思います。
そのヒトのイジワルは、
そのヒトの自由なので、
それをわざわざ
自分で許可して自分の中に
入れる必要はないですね。
息子は、
他人がどう思おうと
自分はそう思わないから
何を言われても気にならないスタンス。
ちょっと角度を変えて
わたしの場合は、
他人がどう思おうと
自分もその通りだと思うから
何を言われても気にならないスタンス。
史上最低女とディスられたエピソードは
こちらです。
▼▼▼
自分のことしか考えていない
ワガママで性格悪い女、
とディスられても
気にならなくなっていました。
もちろん、
言われた瞬間は、
熱いお鍋に触れたら熱っ!!
と反射的に反応するように
はぁ?ってなりますけども
ワガママで性格悪いだなんて
自分が1番知ってます
.....という感じでした。
それに、
ワガママで自分勝手で
性格が悪いのは、
わたしの中の一側面であるので、
彼らは、
その一側面にフォーカスしているだけなので
わたしのあるがままの姿、
全側面を知らずに
言葉を発しているに過ぎない。
だから
激しくディスられても
わたしのココロにまったく
響かなかったのだと思います。
別れ際のことなので、
どうにかして
わたしにダメージを与えたいんだな、
と自分に都合よく
そう解釈したのもありますけども。
自分に対して
マイナスなことを言ってくる人は、
自分の一側面を見て言っているので、
「わたしにそういう一面はありますね」
と認められたら
争いの火は消えてなくなる。
それか
自分でも気づけなかった
自分の一側面を他人から教えてもらった
という捉え方もある。
「あなたの言い方はキツい」
と言われたとします。
自分は優しく言っているつもり
だけれど、
『言い方がキツい』と指摘された。
それは、
自分には見えない
背中についたホコリを
指摘してもらったようなもの。
『キツい言い方だ』は、
『背中にホコリがついていますよ』と同意。
そう捉えると、
教えてくれてありがとう
となる。
つまり、
立ち位置が違うのだ。
自分には自分の背中が見えないけれど
他人には、自分の背中が見えるのだ。
日常にあるさまざまな
意見の相違も
この立ち位置の違いだと思います。
例えば、
道路の十字路があって.....
わたしは縦(下から上へ)に直進するために
赤信号を見ていた。
信号は赤だ!!
と主張します。
ですが、
十字路の横軸に立っている人には、
信号は青に見えます。
信号は青だ!!
と当然主張します。
立っている場所が違うのだから
見えているもの(色)も違う。
お父さんお母さんで
子育てに対する意見の相違が
起こるのも
この立ち位置の違いだし、
ワクチン打つ打たないにしても
マスクにしても、
熱中症の方が危険だから
マスクは外す派と
コロナ第2波警戒のため
マスクは必須派も
立っている位置が違う。
列の後ろの方に並んでいたら、
前方の信号の色しか見えないが、
中央の交差点にやってくると
前は赤、横を見たら青
と両方の色が見えるようになる。
そうすると、
あなたの世界(横軸)は青なのですね。
わたしの世界(縦軸)は赤なのですよ
....と相手を認めることができる。
赤が正解だ!!青は間違いだ!!
と争うことはない。
▼▼▼
世界は、別々にある。
世界は、個人個人それぞれにある。
中央点に立ったら
赤も青もアリですね、
になって、(ニュートラル)
両方の世界を包み込む
拡大した世界になります。
あらゆるものを肯定し
ひとつひとつ受け入れていくたびに
自分の世界が拡大するイメージです。
全肯定の世界へ。
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息子は、最初.....
『才能』という言葉に
ひとつも反応が出ませんでした。
『才能』の意味がわからなかったのです。
言葉は【観念】であり【レッテル】
だということを
また改めてリアルに実感した次第です。
息子とケンカになって
言い争いが起こっても
わたしは、
息子から発せられる
「言葉」の意味を
なるべく追わないようにしています。
カラスがカァーカァー鳴いているな。
スズメがちゅんちゅん言ってるな
....くらいに捉えて
【言葉】ではなく【音】として感じる
......みたいな感じです。
そうすると、わたしの場合
なんだと?
今の言葉、聞き捨てならん!!
とならず、
流せるような気がいたします。
子どもが発した【言葉】を
いつまでも掴んで離さない、
ということがなくなったように思います。
都合が悪くなったら
わたしのココロの中は
いつも.....
ニホンゴ ワカリマセ〜〜ン
.....です。
今日は以上です。
ありがとうございました。









