長期休暇には、娘ちゃんを絵の教室に連れていきます。

90分の間のお一人様カフェも定番になってきました。


この時間を使ってこの一年の振り返りをしていました。


やってきたこと
言われたこと
起こった出来事
そして、
感じたこと


などなと書いていたら、「こんなことやりたいなー」とかいう気持ちが久しぶりに沸いてきて、ちょっとビックリニコニコ



また、ゆるゆるなんかやってみようかな~とか思いました


休暇で海でプカプカしたり、テラスに寝転んで雲をみたり、高原に降る星や天の川をみたりして、だいぶ元気がでたのかも。。

この一週間、ネットからも仕事からも大阪からも離れて、家族でのんびりしてました~。


先程無事帰宅ニコニコ


九州縦断してまして、900キロ近く走りました。


よく頑張ってくれた車にも感謝!
本が好きで結構読んでいます。
ちょびちょび紹介していきたいと思います。

まずはじめはやっぱりこれ!

科学するブッダ 犀の角たち (角川ソフィア文庫)/角川学芸出版
¥864
Amazon.co.jp

これを読んで量子論の世界にはまりました。
この時の感想はコチラリンク見える世界と見えない世界の境界は...実はないのかも な量子論


そう。山口由起子さんのコーチング講座に行き、もうずっと長い間忘れてしまっていた、
「自分が好きなこと」 を思い出す必要があることに気づかされたのですが、
あまりに長い間自分の気持ちをおざなりにしていたので、なかなかピンと来るものがなかったところに
たまたま旦那さんからこの本を借りて、

「そう!ワクワクってこういうものなのよ!」


と気づくきっかけになった大事な本です。

この世はどうしてこんなに美しく成り立っているのだろう?
かたや人の心はどうしてこんなに不完全なんだろう?
そもそも心ってなんだろう?
よくいうエネルギーってなんだろう?


素晴らしく機能的すぎる生命に感動し、ワクワクしながら授業を受けていた中学の頃を思い出しました。

あと、当時は全然繋がってませんでしたが、なぜか同時期仏教にもとても興味を持っていて、仏教系の高校に行こうとたくらんだり、天台宗の友達に般若心経の写経セットをもらい、自宅で地味に書いたり唱えたりしてましたらば、祖母には大変ほめられて、母親には大変心配されたりしたのも懐かしい思い出です。


あ、本のことを書いてないわすみません。

この本は、仏教学者さんである佐々木閑(しずか)さんが書かれた本です。
物理学・進化論・数学という科学の発展経緯を丁寧に述べた後(著者はこれを「科学の人間化」と呼んでおられます)、仏教のとの関係を記した上で、仏教についてまた丁寧に述べてくださっています。
私は恥ずかしながらこの本で、初めて大乗仏教と釈迦時代の仏教の違いを知りました。
釈迦時代の仏教は別の本でも述べられていますが、仏さまをあがめるという宗教的な色は薄く、極めて合理的な思想であったようです。 

科学と仏教の関係を記された個所を少しだけ引用します。
『科学は物質世界の真の姿を追い求めて論理思考を繰り返すうちに神の視点を否応なく放棄さえられ、気がついたら、神なき世界で人間という存在だけを拠り所として、納得できる物質的世界観を作らねばならなくなっていた。

一方の仏教は、同じく神なき世界で人間という存在だけを拠り所として、納得できる精神的世界観を確立するために生まれてきた宗教である。』
(科学するブッダ 第四章 釈尊、仏教 より抜粋)


文章から伝わるかとは思いますが、まあちょっと難し目ではあります^^;
でもとても丁寧に言葉を選んで述べてくださっていると感じます。

そして何より、私がこの本を好きな一番の理由はやっぱり、
著者が科学という学問と、科学者にすごく敬意と愛情を持って本を書かれているのが、
読んでいて伝わってくるところです。


好きなことを話している人は素敵だし、聞いていて楽しいものですが、好きなことを書いておられる方の文章もまた伝わるものだなと感じました。


知識以外にもそういったいろんな気付きをくださった一冊です。


本はたいていAmazonで買います。 キンドルで買うと次の瞬間読めるし、本も翌日には手元に届くからです。



でも本屋さんも好きで、よくブラブラしています。本屋さんによって個性があって、置いている本が違うからです。
Amazonでサーフィンしていても目に留まらなかった本が、ちょこんと本棚にあったりするのをみると、すごく素敵な出会いをした!という気分になります。


今日もそんな本と出会いました。


ま~さ~に~私が知りたくて、そしてみんなに伝えたいことが書いていそうです!



・・・・ん~だいぶ読んだので、本の紹介もそろそろぼちぼちやっていかねばあせる



で、ウキウキと本を抱いて歩きながら、『こんなにもすでに本が存在してるし、似たようなことを生業にしてる人も沢山いるんだから、私がなんか書いたり表現することは意味がないかもなあ』と、ちょっとシュンとしてしまったのですが、そのあとすぐに気づいてしまいました。


人の表現、伝え方はひとりひとり違うから、同じことを伝えていても全然異なるものになるんだと。



先日記事に書いた古本は、あまりにコンディションが悪いのでAmazonに返品することにしましたが、あの本の著者さんは、すごく柔らかいトーンで、まるで音楽を奏でるような美しい表現で、この世の理を書いておられます。
別の著者さんは、全く別のアプローチで、この世の理を書いておられます。

私はどちらも大好きです。

私がこのあいだFBでちょっとつぶやきましたが、あまり好きでない書き方をしておられる著者さんもいらっしゃいますが、その方の本はベストセラーです。つまりその方を好きな方も沢山いらっしゃる。


感じ方もそれぞれ。そして同じ本を読んでも「素敵!」と思うポイントも人それぞれ。


そう思ったら、私がつたない知識で発信することも何も臆することはないんかもな~なんて、台風の合間の青空を見ながら思ったりしました。



物理や化学の本を読んだり、哲学や仏教に触れたり、会社でがっかりするようなことが立て続けに起こり、いい年してエネルギーがからっぽになったり。



最近のこんな日々を経て感じるのは、


人の心の動きは生きることそのもので、それはその人のもの。

そこから生じる言動が、間違ってるとかあってる、よいわるいは、本来その人が決めることで、周りがどうのこうの言うのは社会や受取手の主観。


あなたはそう思う
私はこう思う



それだけ。



時々互いに受け入れられずものすごい反発のエネルギーが生まれたり、
お互いガッツリタッグを組んで相乗効果が生まれたり。


それだけ。



社会一般的な成功法則、それはそれ。
なにかに寄り掛かることなく見ることで、より本質が見えるんだなあ。




当たり前なことなんだけど、今回いろんなことを経験して、改めて体感できました。



そして世の中には完璧な人などいないということ、その不完全さこそが人間なんだとも。

今までどうやらそこを認められないなにかがあったようです。

そんな自分自身の不完全さもやっと受け入れられた気がします。