本屋の森のあかり
なんとなく、タイトルとカバーに引かれて購入。
金魚屋みたいなのをイメージしてたんだけど
いくぶんちがった。
金魚屋が「本のおもいで」をノスタルジックに語るスタイルなのに対し
こっちは出版業界の中の本屋という世界で生きる人の生活を書いてる。
- 芳崎 せいむ
- 金魚屋古書店 1 (1) (IKKI COMICS)
本に関わる商売をすると、本を読む時間や気力がなくなる
というのが自分の本屋さん(古書含む)に対するイメージなんだけど
割と地に足ついた、働く風景みたいなのが
それなりに楽しそうに展開されてて
「あー案外楽しいのかもな」とちょっと印象変わりました。
まあフィクションなんだけど笑
出てくる作品が
ケストナー、ナルニア、エンデ、ロビンソンクルーソと
子供の頃に読んでた本が多く懐かしかった。
他にも、江戸川乱歩とかホームズとかズッコケ三人組とか好きで
小学校の帰り道にニノミヤキンジロウよろしく読んで帰ってました。
時々車にひかれそうになったり笑
まあ、それはともかく地味だけど
淡々と面白いです。
本が好きな人は読んでみてもいいかも。
化物語
戯言シリーズ以来、久しぶりの西尾維新。
いやー、相変わらず軽いけど面白い。
いいかんじに娯楽小説。
-----------------------------------------------------------------------------
「そんなこんなで、なにはともあれ」
あらかた、星座の解説を終えて―
戦場ヶ原は、平坦に言った。
「これで、全部よ」
「ん……? 何がだ?」
「私が持っているもの、全部」
星空を見上げたままで言う戦場ヶ原。
「勉強を教えてあげられること。
可愛い後輩と、ぶっきらぼうなお父さん。
それに―この星空。
私がもっているのは、これくらいのもの。
私が阿良々木くんにあげられるのは、これくらいのもの。
これくらいで全部」
-----------------------------------------------------------------------------
この台詞の背景に、
ひたぎの歪んでいるけど強い愛情
―できるだけ沢山のことをしてあげたい。
でも、自分は多くのものを捨てて今ここにいるから、与えられるものは限られている
だからこそわずかに手元に残った大切な財産を惜しみなく与えたい。
それが自分にできる最大限のこと―
的な背後の気持ちが見えてきて
なんかもう、いてもたってもいられなくなります笑
妄想が止まらない笑
つーか西尾維新の、歪んだ人間観(まともな人間なんていやしねー)と
にもかかわらず、人の純粋な気持ちを信じたい、と思ってるようなとこが好きです。
世界が歪んで見えるからこそ、人の意志が尊く見えるんでしょね。
-----------------------------------------------------------------------------
「わかるか?戦場ヶ原。ついてき欲しくないからって
―逢う人間全員に、そんな台詞を言わなくちゃいけない奴の気持ちが、
お前に分かるってのか?頭を撫でられそうになったら、その手に噛みつかなくちゃ
いけない奴の気持ちなんて―僕には全く分からないぞ」
「でも、わからなくても、それでも、自分が道に迷っているときに
―1人でいるときに、そういうことを言わなくちゃならない気持ちを、
それでも―僕もお前も、違う形で、経験してきているはずだろう。
同じ気持ちじゃなくても、同じ痛みを抱えてきたはずだろう。」
-----------------------------------------------------------------------------
苦しいときに、こんなことを言われて、心が動かない人がいるでしょうか?
このひどくまっすぐで純粋な気持ちゆえに、阿良々木君は物語の中で
ヒーローとして存在できるのです。
社会や組織という概念抜きに、閉じた世界の中で
個人対個人という関係でしか
有効性を発揮しえない考え方
だとは思いますが。
※集団の都合を優先せんがために、個々人のそういった痛みが黙殺
されることはわりとよくあります。ほんとは良くないことなんだけど。
でも、だからこそ、そういった気持ちは尊いのです。
そういった想いは現実には、回収されないほっとかれがちだし
その想いの全てが回収されることは恐らくこれからもきっとないだろうと
どこかで諦観するからこそ、阿良々木君が上記台詞をはきボロボロになりんがらも
人を救済していく姿にぐっときました。
いやー、相変わらず軽いけど面白い。
いいかんじに娯楽小説。
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「そんなこんなで、なにはともあれ」
あらかた、星座の解説を終えて―
戦場ヶ原は、平坦に言った。
「これで、全部よ」
「ん……? 何がだ?」
「私が持っているもの、全部」
星空を見上げたままで言う戦場ヶ原。
「勉強を教えてあげられること。
可愛い後輩と、ぶっきらぼうなお父さん。
それに―この星空。
私がもっているのは、これくらいのもの。
私が阿良々木くんにあげられるのは、これくらいのもの。
これくらいで全部」
-----------------------------------------------------------------------------
この台詞の背景に、
ひたぎの歪んでいるけど強い愛情
―できるだけ沢山のことをしてあげたい。
でも、自分は多くのものを捨てて今ここにいるから、与えられるものは限られている
だからこそわずかに手元に残った大切な財産を惜しみなく与えたい。
それが自分にできる最大限のこと―
的な背後の気持ちが見えてきて
なんかもう、いてもたってもいられなくなります笑
妄想が止まらない笑
つーか西尾維新の、歪んだ人間観(まともな人間なんていやしねー)と
にもかかわらず、人の純粋な気持ちを信じたい、と思ってるようなとこが好きです。
世界が歪んで見えるからこそ、人の意志が尊く見えるんでしょね。
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「わかるか?戦場ヶ原。ついてき欲しくないからって
―逢う人間全員に、そんな台詞を言わなくちゃいけない奴の気持ちが、
お前に分かるってのか?頭を撫でられそうになったら、その手に噛みつかなくちゃ
いけない奴の気持ちなんて―僕には全く分からないぞ」
「でも、わからなくても、それでも、自分が道に迷っているときに
―1人でいるときに、そういうことを言わなくちゃならない気持ちを、
それでも―僕もお前も、違う形で、経験してきているはずだろう。
同じ気持ちじゃなくても、同じ痛みを抱えてきたはずだろう。」
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苦しいときに、こんなことを言われて、心が動かない人がいるでしょうか?
このひどくまっすぐで純粋な気持ちゆえに、阿良々木君は物語の中で
ヒーローとして存在できるのです。
社会や組織という概念抜きに、閉じた世界の中で
個人対個人という関係でしか
有効性を発揮しえない考え方
だとは思いますが。
※集団の都合を優先せんがために、個々人のそういった痛みが黙殺
されることはわりとよくあります。ほんとは良くないことなんだけど。
でも、だからこそ、そういった気持ちは尊いのです。
そういった想いは現実には、回収されないほっとかれがちだし
その想いの全てが回収されることは恐らくこれからもきっとないだろうと
どこかで諦観するからこそ、阿良々木君が上記台詞をはきボロボロになりんがらも
人を救済していく姿にぐっときました。
メシアの処方箋
「いいか、俺達は”凡夫”だ。
俺も、あんたたちも。
ここは凡夫の集まりだ。
誰一人、真理を分かって生きているものはいない。
凡夫だから、己のことしか考えられない。
考え方も生き方もバラバラだ。
こうして一緒にいるが、仲間でも友人でもない。
誰にシンパシーを感じることもない。
ましてこの中の誰かに愛されているわけでも、
愛しているわけでもない。孤独な人間の集まりだ」
「・・・子供の頃から成績優秀。いつも褒められていた。
しかし、何か足りない気がする。何かは分からない。
それを一緒に探してくれそうな奴は、まわりに一人もいない。
誰といてもいつも孤独だ。人と馬鹿話をしていても心から笑えない。
自分の求めているものは、こういう馴れ合いではないという意識が、常にある」
というわけで、そんな絶望を感じている人たちが
救済の可能性を求めて、メシア(救世主)を遺伝子操作で
作り出そうとする話。
つまり「私はどのようにして救済されうるのか?」という問いですね。
科学と宗教の狭間でそれを探求します。
ここら辺は、前作「神様のパズル」とほぼ同じ構図。
前作は科学よりで、今回は宗教より。
問題設定自体は、割と凡庸なもののように思います。
「どうして自分は生きているんだろう?」とか「何かが足りない」
という問いに取り付かれた人は、宗教家か学者か作家になる場合が多い。
要するに救済が欲しいんですね。
そういう意味で、作者もまたアウトサイダーの系譜に連なる者なんですね。
※プラネテス4巻のロックスミスと神父の問答なんか、まさにこの主題を巡る話です。
自分の卑小さ寄る辺なさに耐えられない人が、ここではないどこかを志向するんですね。突破願望というか。
相思相愛とかはなかなか難しいけど、それをを目指していかないと
やっていけないよってことなんでしょうね。
やっぱりプラネテスに似てるなあ。
面白そうなもの
■teddy
2次元で書いた落書きを3次元モデリングしてくれる。
なんちゃってプロダクトデザイン面白い。
ある意味ラピッドプロトタイピング。
実際の形が無いけど。
http://www-ui.is.s.u-tokyo.ac.jp/~takeo/teddy/teddy-j.htm
■memorium
水槽の中を発想が漂う。
眺めるインターフェース。
■spore
ゲームの天才、ウィルライト製作ゲーム。
プランクトンから宇宙侵略まで。
伽藍とバザール
伽藍とバザールってなあに?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%BD%E8%97%8D%
原文
http://cruel.org/freeware/cathedral.html#10
コミュニティをデザインして、何かを作ろうとする
人にとってこの文章の価値はすごいですよー。
自分的な価値を端的に示すと こんな感じ。
・楽しんだほうが、成果があがるという思想を
実際の成果を伴って教えてくれる点
・社会変革のビジョンとして、こういう方向性が
あるということがわかる点」
・実践コミュニティを作る際の戦略の
おおまかな輪郭が明らかにされている点
・イノベーションを起こすにあたって
アイディア/着想が重要となるということ。
そのためにどんな環境を作るかという課題が
伽藍⇔バザールという対立構造を越えて
重要になってくるという提言。
ということでビビっと来た部分を引用。
コーディングは基本的に孤独な活動だけれど、
真に偉大なハックはコミュニティ全体の関心と
能力を動員することで実現されるってこ と。
閉ざされたプロジェクトの中で、
自分の脳味噌だけを使う開発者は、
オープンで発展的な文脈をつくりだして、
デザイン空間の探索やコードの貢献、
バグつ ぶしなどの改善をもたらすフィードバックが
何百人も(あるいは何千人も)から戻ってくるように
できる開発者に負けてしまうんだ。
Linux は、意識的かつ成功裏に全世界を
才能プールとして使おうとした最初のプロジェクトだった。
安いインターネットは、Linux モデルの発展にとっての必要条件ではあったけれど、でもそれだけでは十分条件ではなかったと思う。もう一つの重要な要素は、開発者が共同開発者を集めて、 インターネットというメディアを最大限に活かすためのリーダーシップのスタイルと、協力のための慣行が開発されたことだろう。
効果的に活動して競争するには、共同プロジェクトを仕切りたいハッカーは、クロポトキンが「理解の原理」で漠然と示唆しているモードを使い、 有益なコミュニティをリクルートしてやる気を起こさせる方法を学ばなくてはならない。
リーヌスのやり方は、「エゴブー」の効率的な市場をつくりだす方法として見るといいかもしれない。個々のハッカーたちの利己性を、協力体制を維持しない と実現不可能なむずかしい目標に、できるだけしっかり結びつける方法だ。
ネットワーク化されたシヤワセな集団プログラマー/アナキストたちが、伝統的な閉鎖ソフトの階級社会を競争でうち負かして圧倒
ぼくたちは、楽しんでやっているんだもの。ぼくたちの創造的な遊び は、技術面でも、市場シェア面でも、精神的なシェアでも、すさまじい勢いで成功を重ねてきている。ぼくたちは、もっといいソフトがつくれることを示しただ けじゃない。よろこびが資産であることを証明してもいるんだ。
むしろぼくが指摘しているのは、そういうグループ開発もすべて出発点は――つまり、それに火をつけるのは必ず――だれか一人が思いついた、いいア イデア一つなんだ、ということだ。
でも、もっと根本的には、そもそも洞察を持てるような人たちをたくさん育てるにはどうしたらいいか、ということだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%BD%E8%97%8D%
原文
http://cruel.org/freeware/cathedral.html#10
コミュニティをデザインして、何かを作ろうとする
人にとってこの文章の価値はすごいですよー。
自分的な価値を端的に示すと こんな感じ。
・楽しんだほうが、成果があがるという思想を
実際の成果を伴って教えてくれる点
・社会変革のビジョンとして、こういう方向性が
あるということがわかる点」
・実践コミュニティを作る際の戦略の
おおまかな輪郭が明らかにされている点
・イノベーションを起こすにあたって
アイディア/着想が重要となるということ。
そのためにどんな環境を作るかという課題が
伽藍⇔バザールという対立構造を越えて
重要になってくるという提言。
ということでビビっと来た部分を引用。
コーディングは基本的に孤独な活動だけれど、
真に偉大なハックはコミュニティ全体の関心と
能力を動員することで実現されるってこ と。
閉ざされたプロジェクトの中で、
自分の脳味噌だけを使う開発者は、
オープンで発展的な文脈をつくりだして、
デザイン空間の探索やコードの貢献、
バグつ ぶしなどの改善をもたらすフィードバックが
何百人も(あるいは何千人も)から戻ってくるように
できる開発者に負けてしまうんだ。
Linux は、意識的かつ成功裏に全世界を
才能プールとして使おうとした最初のプロジェクトだった。
安いインターネットは、Linux モデルの発展にとっての必要条件ではあったけれど、でもそれだけでは十分条件ではなかったと思う。もう一つの重要な要素は、開発者が共同開発者を集めて、 インターネットというメディアを最大限に活かすためのリーダーシップのスタイルと、協力のための慣行が開発されたことだろう。
効果的に活動して競争するには、共同プロジェクトを仕切りたいハッカーは、クロポトキンが「理解の原理」で漠然と示唆しているモードを使い、 有益なコミュニティをリクルートしてやる気を起こさせる方法を学ばなくてはならない。
リーヌスのやり方は、「エゴブー」の効率的な市場をつくりだす方法として見るといいかもしれない。個々のハッカーたちの利己性を、協力体制を維持しない と実現不可能なむずかしい目標に、できるだけしっかり結びつける方法だ。
ネットワーク化されたシヤワセな集団プログラマー/アナキストたちが、伝統的な閉鎖ソフトの階級社会を競争でうち負かして圧倒
ぼくたちは、楽しんでやっているんだもの。ぼくたちの創造的な遊び は、技術面でも、市場シェア面でも、精神的なシェアでも、すさまじい勢いで成功を重ねてきている。ぼくたちは、もっといいソフトがつくれることを示しただ けじゃない。よろこびが資産であることを証明してもいるんだ。
自分の仕事のプロセスにびくびくゲロゲロ状態で関わり合う(それがつきはなした皮肉なやりかただったとしても)というのは、それ自体が、そのプロセスの 失敗を告げるものととらえるべきだ。楽しさ、ユーモア、遊び心は、まさに財産だ。
むしろぼくが指摘しているのは、そういうグループ開発もすべて出発点は――つまり、それに火をつけるのは必ず――だれか一人が思いついた、いいア イデア一つなんだ、ということだ。
でも、もっと根本的には、そもそも洞察を持てるような人たちをたくさん育てるにはどうしたらいいか、ということだ。
もしたった一人の たった一つのアイデアでいいなら、一人の人間がそのいいアイデアで、何百、何千という人々の協力をすぐに集められる社会方式のほうが、クビになる心配なし にそのアイデアに基づく作業ができるようになるために、階級機構に対して政治的な売り込みをしなくてはならないようなシステムに比べて、革新は早いに決 まっている。







