統一原理を愛して -8ページ目

統一原理を愛して

私は文鮮明先生、統一原理に出会って神様を感じることができました。このブログをきっかけに統一原理を通して、日々の生活で皆さんが神様を感じていけたら幸いです!!


私は2009年の1月に成約断食をしました。1週間の断食です。その時の証しを書いていきたいと思います。

私は、1日断食しかやったことがなく、1週間も」断食をしたらどうなるか、とても心配でした。高田馬場の聖地で祈りをして備えました。その中で、私は、断食中も精誠を尽くそうと。断食していない時と変わらないぐらい、周りの人に断食しているのを気付かれないぐらい精誠を尽くそうと決意しました。

いざ、断食が始まると、とても守られました。そして、誰よりも為に生きようと歩みました。4、5日目となっていくと、体に力が入りません。まさに脱力感。しかし、為に生きよう愛していこうとしたら、体が不思議と動いてくれました。そして、体も結局、守られ、無事に終わりました。

私は、この成約断食を通して、愛すること、為に生きることは、改めて原理的であり、自然な生き方だと思いました。体の構造もそのように神様がプログラムされていると感じ、この1週間は守られ、神様を感じた一時でした。

ありがとうございました。



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クリーンアップという教会の人たちを中心に街の清掃活動をしています。

以前、参加した時のことを書いていきたいと思います。

「良心」というみ言を信じて実践した証しです。

一時間弱という短い時間ですが、為に生き、街を歩く人に挨拶をしながらやりました。終わった後は、とても爽快感がありました。その帰り道のことです。やっている最中の話じゃないんかいΣ(゚д゚lll)

帰る途中、ゴミが落ちているのを見かけました。私は、何となく通り過ぎましたが、しかし、良心が何か叫んでいるのが聞こえました。ゴミを拾え~~!!
でも、道端で拾ったゴミ、どうするんだ!?家まで手で持って帰るのか!?どこかコンビニがあったらそこで捨てるのか!?一言、面倒くさい💦

私は、しぶしぶ良心の声に従ってゴミを拾いました。

そして、また歩いていると再びゴミを発見。だから、こんな道端でゴミを拾ってどこにすてるんだ!!と思い、通り過ぎると、また良心が「ゴミを拾え」と叫んでいます。
私は再度、しぶしぶゴミを拾いました。

3度目正直!!!

また、歩いていると空き缶が落ちていました。良心が「ゴミを拾え」と言っているように感じたので、今度は、通り過ぎることなく空き缶を拾いました。

そして、家に戻り振り返ったときに、心がとても温かくなってきました。「真の愛」、受ける愛ではなく、与える愛が真の愛、神様の愛、を感じることが出来ました。自分の思いを乗り越えて、良心の声に従って、み言を信じて実践することで、心が復興し、神様の愛を感じることができました。

イベントだから為に生きるだけでなく、いつでもどこでも愛し為に生きることの大切さ。そして、何よりも、み言を信じて実践、良心に従うことの大切さを学ぶことが出来ました。

良心に従うことは原理的だな~~(*´∀`*)



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祈りについて書いていきます。以前は、二性性相という観点から書きましたが、今回はもっとシンプルに書いていきます。
神の二性性相②

教会にいると、良く、愛するんだ、為に生きるんだ、と聞きますよね。それが、原理原則であり、自然な生き方です。これは、祈りにつついても当てはまります。

私は、相手のために祈ると、とても心が復興します。相手の幸せのため、相手を喜ばす為に何ができるかと祈ると、何か答えが与えられなくても、いつも心が復興します。やはり、愛する、為に生きることは、原理原則であり、自然な生き方だと改めて思います。


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緒論についてとことん書いていきます。

原理講論P278、279 ① 信仰基台 から抜粋。今日の抜粋箇所は長いので、赤い部分だけども読んでみてください。

「アダムは神のみ言を信じないで堕落してしまったので、「信仰基台」をつくることができなかった。したがって、彼はみ言の「完成実体」となることができなかったので、創造目的を達成することができなかったのである。それゆえに、堕落人間が創造目的を成就し得る基準を復帰するためには、まず初めに、人間始祖が立てることのできなかった、その「信仰基台」を蕩減復帰しなければならない。そしてその「信仰基台」を復帰するためには、次のような三種類の蕩減条件を立てなければならないのである。
第一には、そのための「中心人物」がいなければならない。・・・・・・・・

その第二は、そのための「条件物」を立てなければならないということである。アダムは「信仰基台」をつくるための条件として下さった神のみ言を信じなかったために、それを失ってしまった。このように、堕落した人間は、「信仰基台」を復帰するための神のみ言を、直接には受けられない位置にまで落ちてしまったので、そのみ言の代わりとなる条件物が必要となったのである。そして、堕落した人間は、万物よりも劣る立場におかれるようになったので(エレミヤ一七・9)、旧約以前の時代においては、供え物、あるいは、その供え物を代表する箱舟などの万物を条件物として立て、「信仰基台」をつくるようになったのである。それゆえに「信仰基台」は、人間の不信によってサタンの侵入を受けた万物を復帰する基台ともなるのである。そして、旧約時代においては律法のみ言、あるいはそれを代表する契約の箱、神殿、中心人物などが、この基台を造成するための条件物であった。また、新約時代においては福音のみ言、さらには、そのみ言の実体たるイエスが、「信仰基台」造成のための条件物であったのである。人間が堕落したのちにおけるこのような条件物は、人間の側から見れば、それは「信仰基台」を復帰するためのものであるが、神の側から見るときには、それはどこまでも所有を決定するためのものであったのである。」


人間は堕落しているため、神様と人間サタンの中間位置。神様も無条件に人間を主管しようとすれば、サタンが讒訴します。人間が蕩減条件を立てることによって、神様はその結果を主管できます。

ここで、原理講論を抜粋した、最後の赤いところ。人間が堕落したのちにおける条件物は、人間から見れば信仰基台を復帰するためのもの。

では、神様からみれば??なんでしょう??



神の側から見れば、それはどこまでも人間の所有を決定するもの。神様は人間が条件を立てなければ主管できません。だから、神様はもどかしいかもしれませんし、切実に私たちが条件を立てるのを待つしかありません。

聖書歴史6000年の間、神様は、摂理上の中心人物やイスラエル民族をそのように見てきたかもしれません。それと同じように、私たち一人一人を神様は切実に見てるのかもしれません。私たちが条件を立てて、神様が私たちを愛で主管したいと。


み言を信じて実践しましょう!!!




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緒論についてとことん書いていきたいと思います。


昨日は信仰基台と実体基台の説明でしたよね。創造本然の人間が個性完成していくのに必要な条件、信仰基台と実体基台。信仰基台はみ言を信じて実践。実体基台は、み言の完成実体。


ここで蕩減条件として、まず、アダムとエバは、神様のみ言を守ることができず、堕落して、万物よりも劣る位置に落ちてしまいました。み言を守れず、堕落したのであれば、逆の経路として、み言を守ることによって、蕩減条件を立てるべきでした。しかし、人間は堕落により、み言を受けられない位置まで落ちてしまっています。そこで、み言の代わりに供え物を捧げました。

今までの中心人物の蕩減条件を立ててきたおかげで、今、私たちは、再臨主に出会いみ言を聞くことができます。私たちは、このみ言を信じて実践することで、個性完成へ近づくことができ、それがまさに蕩減条件なのではないでしょうか。究極的には、み言を守れずに堕落したのだから、み言を守る、すなわち、み言を信じて実践することが蕩減条件となると思います。


み言を信じて実践しましょう!!!


明日に続く・・・・・・・


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