鉄撮り屋

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おはようございます、ぺぺです。

いつもご覧いただきありがとうございます。

「ぺぺ節」強め、鉄道ブログらしく写真キャプションも入れた形に整えました。

本日9月24日は「サロンカーなにわ」運転開始日!

1983年誕生!輝く金帯時代をもう一度!!

本日9月24日。

鉄道ファンにとっては、ちょっと特別な日でございます。

そうです!

昭和58年(1983年)9月24日、あの名車……

「サロンカーなにわ」運転開始の日!!

今回は懐かしい金帯時代のサロンカーなにわの写真を眺めながら、ちょっと昔話をしてみたいと思います。

いや~、この頃の客車列車って、ほんまに夢がありましたなぁ(笑)


国鉄が生んだ関西のスター

サロンカーなにわが登場したのは国鉄時代。

当時は各地で個性的なジョイフルトレインが誕生していましたが、その中でも関西のスター的存在だったのが、このサロンカーなにわでした。

なんといっても魅力は、この姿!

落ち着いた車体に輝く金帯。

ホームに入ってくるだけで、

「おっ!今日は何か特別な列車が来たぞ!」

と思わせるオーラがありました。

普通の客車とは違う、特別な列車。

乗る人も、撮る人もワクワクさせてくれる存在でした。


EF58が引くサロンカーなにわ……夢の組み合わせ

そして忘れてはいけないのが、国鉄時代生まれだからこそ実現した組み合わせ。

そう……

EF58牽引のサロンカーなにわ!!

これですよ、これ!!

晩年まで宮原機関区に残った名機。

EF58 126号機
EF58 127号機
そしてまだ青い!EF58 150号機。

青いゴハチが金帯のサロンカーなにわを引く姿。

今写真で見ても鳥肌モノです。

さらに竜華機関区のEF58 66号機。

関西のゴハチファンにとっては、まさに夢の時代でした。

今なら「神組み合わせ!」なんてネットで大騒ぎになるところですが、当時はそれが日常のように走っていたんですから……。

いやいや、昭和って恐ろしい時代です(笑)


写真は懐かしい金帯時代

今回掲載する写真は、そんな輝いていた金帯時代のサロンカーなにわ。

車体に輝く金帯。

客車独特の雰囲気。

そして後ろに続く長い編成。

今ではなかなか見ることのできない「列車らしい列車」の姿です。

シャッターを切った瞬間の緊張感。

機関車の音。

ブレーキの音。

駅や沿線に響く客車列車の走行音。

大阪駅入線前のアナウンス「10番線二…団体列車ガ…入リマス…ゴチュウイクダサイ」

写真を見るだけで、あの日の空気が戻ってきます。

 


ぺぺの思い出……なんとか間に合ったEF58 150号機

ちなみに、ぺぺが撮影できたEF58牽引サロンカーなにわは……

なんとか間に合った(笑)

民営化後、茶色になったEF58 150号機牽引の姿。

国鉄時代の青い150号機も憧れでした。

でも、茶色ゴハチが金帯サロンカーなにわを引く姿も、本当に格好よかった!

「もう少し早く生まれていたら……」

鉄道ファンなら一度は思うやつです(笑)

でも、ギリギリでも記録できたこと。

それだけで十分幸せなことでした。

鉄道写真って不思議ですね。

何十年経っても、1枚を見るだけで、その日の風景、音、匂いまで思い出せるんですから。


名車の最後、そして残された記憶

長年、関西を中心に活躍したサロンカーなにわ。

団体列車、イベント列車として多くの人を乗せ、たくさんの思い出を作ってきました。

そして時代の流れの中で、最後の運転を迎えることになります。

ラストランには多くのファンが集まり、沿線から最後の雄姿を見送りました。

それだけ愛された列車だったということですね。


サロンカーなにわは永遠の名車

1983年の登場から、多くの機関車と組み合わせを見せてくれたサロンカーなにわ。

EF58
EF65

EF66
DD51

C57 1
DE10……

どの機関車が前についても似合う、不思議な魅力がありました。

特に国鉄時代のゴハチとの組み合わせは、今では伝説級。

金帯に輝く客車。

唸る機関車。

そしてホームで見送る人々。

そんな昭和の鉄道風景は、今でも多くのファンの心に残っています。

本日はサロンカーなにわ運転開始記念日。

金帯時代の写真を見ながら、あの頃の鉄道に乾杯です!

……しかし改めて思います。

EF58が普通に走っていた時代って……

ほんま、ええ時代やったなぁ(笑)

サロンカーなにわ、ありがとう!

これからも鉄道ファンの心の中では、永遠に走り続けます。

 

 

 

 

 

 

 

 

昔の名撮影地が、今も同じとは限らない

先日、ある撮影地を訪れた方が、現地で立ち入りを断られたという投稿をされていました。

その投稿には注意をされた地元の方への批判、老舗のあの有名店(現在は移転)の名前まで出し、更にはその県民への誹謗中傷等で炎上に。

 

 

遠方から時間をかけて訪れた場所で、思い描いていた撮影ができなかった。その残念な気持ちは理解できます。鉄道写真を撮るために予定を組み、交通費や時間をかけて現地へ向かう撮影者にとって、期待していた場所で撮れないことはガッカリした気持ちになるでしょう。

しかし、同時に撮影する側にも考えなければならないことが多々あります。

 

それは「その場所が、現在も同じ条件で存在しているのか」ということです。

昔、撮影地ガイドや鉄道雑誌に掲載されていた場所だからといって、今も自由に撮影できるとは限りません。

私自身も、過去に撮影地ガイドのような雑誌へ何度も写真を投稿させていただき、出版社の方々には大変お世話になりました。

当時、撮影地情報を共有することは、鉄道写真を楽しむ多くの方にとって貴重なものでした。自分が見つけた場所や、美しい風景と列車の組み合わせを紹介することには、大きな喜びがありました。

ただし、掲載された場所には必ず「現地の状況を確認すること」「周囲に迷惑をかけないこと」といった意味が込められていました。

撮影地ガイドは、決して「ここへ行けば必ず撮影できる」という保証書ではありません。

実際に現地へ行ってみれば、工事をしている場合があります。建物が建ち、景色が変わっている場合もあります。土地の所有者が変わっていることもあります。

以前は問題なく撮影できた場所でも、現在では立ち入りができない場所になっている可能性もあります。

その時に必要なのは、「昔は撮れたのだから」という考えではなく、今の状況を見て判断することではないでしょうか。

撮影できない理由があるなら、それを受け入れることも撮影者として大切な姿勢だと思います。


今回の投稿をされたカメラマンの方は、撮影歴も長く、また写真素材販売サイトなどでも作品を発表されている方だと聞いています。

長く写真に関わっている方であれば、撮影におけるルールやマナーについても十分理解されていることと思います。

素材販売サイトなどでも、撮影場所における権利や周囲への配慮について一定のルールがあります。

だからこそ、経験を積んだ撮影者ほど、現地での最終的な判断が大切になるのではないでしょうか。

インターネット上に撮影場所の情報が出ている。

それ自体は、そこへ行ってはいけないという意味ではありません。

多くの撮影者が情報を参考にして、素晴らしい写真を残してきました。

しかし、「情報が公開されていること」と「自由に利用できること」は同じではありません。

現地へ行った時に、その場所がどういう環境なのかを見る。

近隣の方が生活されている場所ではないか。

私有地ではないか。

安全面に問題はないか。

周囲の方が不快な思いをされないか。

そういったことを考えるのが、大人の撮影者として必要な判断だと思います。


鉄道写真は、列車だけを撮影するものではありません。

その列車が走る場所には、沿線で暮らす方々がいます。土地を管理されている方がいます。鉄道会社や駅を利用する方々がいます。

撮影者にとっては一瞬の撮影時間でも、地域の方にとっては毎日の生活空間です。

その場所をお借りして撮影させてもらっているという意識を忘れてはいけません。

また、現在はSNSによって情報の広がり方が以前とは大きく変わりました。

一人が写真を投稿すると、多くの人が同じ場所へ向かうことがあります。

昔は数人しか知らなかった場所が、一気に有名撮影地になることもあります。

その結果、地域との摩擦が起きたり、安全面の問題が発生したりするケースもあります。

撮影環境は常に変化しています。

昨日撮影できた場所が、今日も同じように撮影できるとは限りません。


ぺぺ自身も、以前撮影した写真について「この場所は今でも撮影できますか?」と質問をいただくことがあります。

その時には、残念ながら「○○年の撮影でして現在は同じようには撮影できないと思います。」とお伝えしています。

昔撮影した写真は、その時代、その環境だから残せたものです。

過去の写真が存在するからといって、現在も同じ条件が続いているわけではありません。

駅での撮影についても同じです。

昔は問題なくできた撮影方法でも、現在の駅のルールでは認められない場合があります。

安全確保や利用者への配慮からルールが変わることは当然です。

撮影者も「昔は大丈夫だった」ではなく、「今の決まり」に合わせる必要があります。


鉄道写真を楽しむ人が増えることは素晴らしいことです。

しかし、撮影者が増えるほど、一人ひとりの判断や責任も重要になります。

撮影地情報は便利です。

SNSも素晴らしい情報共有の場です。

ただ、その情報をどう使うかは、最終的には撮影者自身に委ねられています。

「行ける場所」ではなく、「撮影しても大丈夫な場所」なのかを考える。

「撮れるかどうか」だけではなく、「撮ってよい状況なのか」を判断する。

その冷静な視点こそが、これからも鉄道写真という趣味を守っていくために必要なのではないでしょうか。

写真を撮る技術だけではなく、周囲への配慮や現場での判断力。

それもまた、長く鉄道写真を続けてきた撮影者に求められる大切な力だと思います。

おはようございます、ぺぺです。

いつもご覧いただきありがとうございます。

懐かしいのを…。

ブロックナンバープレートのEF65 2号機が牽く785系甲種を。

民営化後にもEF66休車からの奇跡の復活がありましたが、これも復活した機関車でしたね!

果たしてほんとうに元2号機だったのかどうなのかぺぺにはわかりません。

元は別号機という話も出ていますね。

1990 吹田信号場

 

 

 

おはようございます、ぺぺです。

いつもご覧いただきありがとうございます。

本日は近鉄から、鉄道ファンにはたまらない夢のような企画が!

その名も「ミッドナイトひのとり」。

80000系「ひのとり」による団体臨時列車で、普段は味わえない深夜の名阪特急旅を楽しめる特別なツアーです。

運転日は、
本日2026年9月21日(月・祝)、
10月11日(日)、
11月21日(土)。

運転区間は、

近鉄名古屋(1日目23時32分発)~大阪難波(2日目6時16分着)

大阪難波(2日目0時01分発)~近鉄名古屋(3日目7時02分着)

という、まさに夜を走る特別な行程となっています。

夜の静まり返った駅を出発し、赤く輝く「ひのとり」が闇の中を駆け抜ける……。

これはもう、鉄道ファンの心をくすぐる企画ですね。

80000系「ひのとり」誕生までの歩み

ここで「ひのとり」の歴史を振り返ってみましょう。

2019年8月

近鉄は、新型名阪特急の名称を「ひのとり」と発表しました。

車両形式は80000系。

深い艶感のあるメタリックレッドの車体、先進的なフォルム、そして上質な車内空間。

翼を大きく広げて飛翔する「ひのとり」のイメージから名付けられました。

2019年末

営業運転開始に向けて試運転が始まりました。

新しい近鉄特急の姿を一目見ようと、多くの鉄道ファンが沿線に集まり、「いよいよ新時代の名阪特急が始まる」と期待が高まりました。

2020年3月14日

ついに「ひのとり」がデビュー。

大阪難波~近鉄名古屋間を結ぶ新型名阪特急として営業運転を開始しました。

コンセプトは「くつろぎのアップグレード」。

プレミアム車両には3列シートやハイデッカー構造を採用し、レギュラー車両にもバックシェルを設置するなど、移動時間そのものを楽しめる列車として誕生しました。

まさに「速く移動するだけの列車」から、「乗ることが目的になる列車」への進化ですね。

2020年~2021年

登場後は順次編成が増備され、名阪特急での活躍の場を広げました。

そして2021年には、鉄道友の会のブルーリボン賞を受賞。

快適性やデザイン面でも高い評価を受け、近鉄を代表する車両へ成長しました。

そして現在

デビューから数年が経った今でも、「ひのとり」は大阪と名古屋を結ぶ近鉄の顔として走り続けています。

赤い車体を見るだけで「あっ、ひのとりや!」となる存在感。

しまかぜとはまた違った都会的な魅力を持つ、近鉄特急の新しい象徴になりました。

夜のひのとりは特別な時間

今回の「ミッドナイトひのとり」は、そんな歴史を持つ車両を夜に楽しめる貴重な機会。

深夜の車窓、静かな車内、そして夜明け前の名阪間。

きっと忘れられない時間になることでしょう。

「こんな企画、ええ夢見られそうやなぁ」

と思った方も多いはず。

ただし、ここで問題がひとつ(笑)

鉄道ファンは果たして寝られるのでしょうか?

「せっかくの夜行やし、ゆっくり寝よう」

……と思って乗った瞬間、

「今どこの区間走ってる?」
「深夜の駅通過を撮りたい!」
「車内の雰囲気を記録せな!」

となるのがマニアの宿命(笑)

夢の中で見るはずの「ひのとり」が、目の前で走っているんですから、そりゃ寝不足にもなります。

でも、それもまた鉄道旅の楽しみ。

夜の近鉄を駆け抜ける特別な「ミッドナイトひのとり」。

参加した人だけが味わえる、最高の一夜になりそうですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おはようございます、ぺぺです。

いつもご覧いただきありがとうございます。

本日9月20日は… 2003年ボンネット485系「懐かしの雷鳥号」が運転された日であります。

ぺぺはこの頃、香川にいた事もありこの記念列車を撮影しておりませんので(^^;)

過去の「雷鳥」の写真でも…。

北陸を走り続けた名門特急「雷鳥」物語

~ボンネット485系だけでは語れない、その歴史~

2003年9月20日。
大阪駅に帰ってきた485系ボンネット車の「懐かしの雷鳥号」。

しかし、この列車の感動を語るには、まず「雷鳥」という名前が歩んできた長い歴史を振り返らなければなりません。

「雷鳥」は、ただの特急列車ではありません。

関西と北陸を結び、半世紀近く人々の夢や思い出を運んできた、まさに北陸特急の代表選手だったのです。


昭和39年、雷鳥誕生!

「雷鳥」が登場したのは昭和39年(1964年)。

大阪~富山間を結ぶ特急として誕生しました。

この頃は481系という車両。

北陸本線は交流区間、東海道本線は直流区間。

つまり、電化方式が違う地域を直通できる画期的な車両でした。

「電車で大阪から富山まで行ける!」

これは当時、大きな出来事だった事でしょうねぇ。

昔は大阪から北陸へ行くとなると、まさに「旅行」という感じ。

駅弁を買って、車窓を眺めながら、ゆっくり旅を楽しむ時代でした。

今みたいにスマホで動画を見る?

そんなものありません(笑)

見るものは窓の外の田園風景、そして車内販売のお姉さんが来るタイミングでした。

「お弁当いかがですか~」

この声が旅の楽しみだったんですよね。

2003年 金沢総合車両所 撮影会


485系登場!雷鳥の黄金時代へ

昭和43年(1968年)、全国的なダイヤ改正を機に485系が登場。

485系は、交流・直流両方に対応できる万能特急車両でした。

そのため全国各地の特急で活躍。

もちろん「雷鳥」の主役にもなりました。

クリーム色に赤い帯。

丸いボンネット。

ホームに入ってくる姿は迫力満点。

当時の子供たちは、

「うわ!雷鳥や!」

と大興奮。

今でいうスター列車ですね(笑)


583系「寝台電車」も雷鳥に登場!

ここが雷鳥の面白いところです。

昭和53年(1978年)には、なんと583系も「雷鳥」として使用されました。

583系といえば、昼は座席特急、夜は寝台特急として走れる「昼夜兼用電車」。

「月光型」と呼ばれた伝説の車両です。

そんな583系が昼間、特急「雷鳥」として大阪~北陸を走る姿は、鉄道ファンにはたまらない光景でした。

「寝台電車が昼間走ってる!」

という驚きですね。

現在なら、新幹線車両が突然、別の特急で走るような感覚でしょうか(笑)

583系による雷鳥運用は昭和60年(1985年)に終了しました。

その後は団体列車・集約臨で見る事が出来ました。

そうそう寝台急行「きたぐに」くらい長く活躍してほしかったなぁ…。

急行「きたぐに」は、2012年3月17日のダイヤ改正で定期運行を終了

国鉄時代、向日町運転所583系は「雷鳥」以外に団臨の活躍も多く見られました。


雷鳥、最大勢力へ!

昭和50年代になると、雷鳥はどんどん本数を増やしていきます。

大阪~金沢。

大阪~富山。

さらに大阪~新潟まで。

北陸を代表する特急として成長しました。

昭和53年の改正では、大阪発着の「北越」も雷鳥に組み込まれ、最大16往復体制に。

昭和57年には18往復まで増えました。

まさに、

「大阪駅へ行けば雷鳥がいる」

そんな時代でした。


489系、そしてスーパー雷鳥へ

雷鳥では485系だけでなく、489系も活躍しました。

489系は、碓氷峠の急勾配対応車両として登場した車両ですが、北陸特急でも重要な役割を果たしました。

そして平成元年(1989年)。

新しい時代の雷鳥が登場します。

その名も……

「スーパー雷鳥」

パノラマグリーン車を連結し、先頭から前面展望を楽しめる豪華な列車でした。

「同じ雷鳥でも、普通の雷鳥とはちょっと違うで!」

という存在です(笑)

民営化直後のあの白いの、ぺぺは撮ってませんでした。もう機関車専門でして(;^ω^)

猫みたいな顔のコレは撮ってました(笑)


サンダーバード誕生、時代交代へ

平成7年(1995年)。

681系を使用した「スーパー雷鳥(サンダーバード)」が登場。

高速性能と快適性を持った新世代特急でした。

平成9年(1997年)には「サンダーバード」に改称。

その後、683系も投入され、時代は新型車両へ移っていきます。

そして平成23年(2011年)。

長年親しまれた特急「雷鳥」は定期運転を終了。

名前は「サンダーバード」に受け継がれることになりました。


だから2003年「懐かしの雷鳥号」は特別だった

2003年9月20日の「懐かしの雷鳥号」。

あれは単なるイベント列車ではありません。

481系から始まり、

485系ボンネット。

583系。

489系。

スーパー雷鳥。

数々の車両が走った「雷鳥」という歴史の最後に、もう一度ボンネット485系が姿を見せてくれた瞬間だったのです。

大阪駅に響く485系のモーター音。

赤とクリーム色の車体。

大きなヘッドマーク。

そこには昭和から続く北陸特急の魂がありました。

「昔の電車は良かったなぁ」

と言うだけではありません。

あの列車には、人それぞれの思い出が乗っていたんです。

家族旅行。

修学旅行。

出張。

初めての一人旅。

そして撮影に夢中になった鉄道少年たち(笑)

みんなの記憶を乗せて走った列車。

それが特急「雷鳥」だったのです。

 

 

 

 

 

 

 

おはようございます、ぺぺです。

いつもご覧いただきありがとうございます。

 

DEC743用の新型ホッパ車キサヤ143に注目集まる!ホキの歴史とこれからの活躍に期待大

鉄道ファンの間で、SNSでの見たまま情報からじわじわと注目を集めている車両があります。

それが DEC743用の新型ホッパ車「キサヤ143」です。

……と言いたいところですが、今回の記事の写真はなんとホキしかおまへん(笑)

「キサヤ143の記事やのにホキの写真だけ?」と思ったそこのあなた、鋭いです(笑)。

でも、ホッパ車の歴史を振り返るには、まずはこの“ホキ”たちを見てもらわんと始まりません。

(汗)

鉄道を陰で支えてきたホキたち

ホキといえば、昔から貨物輸送や保線作業などで大活躍してきた縁の下の力持ちです。

大量の砂利や砕石などを運ぶために作られたホッパ車は、普段の旅客列車のように華やかな存在ではありません。

しかし、線路を守るためには欠かせない存在。

列車が毎日安全に走れるのも、こうした裏方車両たちの働きがあってこそです。

「目立たへんけど、実はめちゃくちゃ重要やん!」

そんな魅力がホキにはあります。

 

昔は関西でも多く見られたんですけどねぇ。

あまり撮る機会が無かったです。大好きだったEF65 123が牽引してきたのは専ら岡山界隈のみ。

更に以前、幼少期は高槻駅からも見えた高槻信号場側線に留置され目の前で見ていた記憶も。

 

2021.11.8 向日町

 

新たな時代のホッパ車、キサヤ143

そして今回注目されているのが、DEC743と組み合わせて使用される新型ホッパ車キサヤ143です。

最新技術を取り入れた車両が、これまで培われてきたホッパ車の役割を引き継いでいく姿には、鉄道ファンとしてワクワクするものがあります。

昔ながらのホキたちが築いてきた歴史。

そのバトンを受け取るように、新しい時代の保守用車両として活躍が期待されるキサヤ143。

まさに「ホッパ車の新章」といったところでしょうか。

 

1990年頃、吹田信号場から鷹取へ廃車回送されるマニ50、ワム、ホキ 西ノ宮

DEC743とのコンビにも期待!

DEC743とキサヤ143が実際に現場で活躍する姿を想像すると、これからの線路メンテナンスがさらに進化していく感じがします。

鉄道ファン目線では、走る姿を見る楽しみももちろんありますが、「この車両が未来の鉄路を守っていくんやな」と思うと、また違った感動があります。

派手なスター車両ではないかもしれません。

でも、鉄道を支える車両には、スターとは別の渋い魅力があります。

ホキも、そしてキサヤ143も、まさにそんな存在です。

これからの活躍に期待!

今回はホキの写真しかありませんが(笑)、ホキが歩んできた歴史を思いながら見ると、また違った味わいがあります。

長年、線路を支えてきたホッパ車。

そして新たに登場するキサヤ143。

DEC743とのコンビで、これからどんな活躍を見せてくれるのか楽しみでなりません。

「派手さはないけど、なくてはならない。」

そんな鉄道車両の魅力を、これからも追いかけていきたいと思います。

キサヤ143、そしてDEC743の未来の活躍に大いに期待です!

ほな、次にその姿を見られる日を楽しみに待ちましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おはようございます、ぺぺです。

いつもご覧いただきありがとうございます。

本日9月19日は四国旅客鉄道、8000系電車が臨時の特急「しおかぜ」「いしづち」で営業運転開始日。 - 1992年

って事で。

香川に住んでいた頃に撮影した8000系を…。

四国8000系、その輝き 2003~2004年頃の記憶

2003年から2004年頃に撮影したJR四国8000系。

今、写真を見返してみると、そこにはただ車両が写っているだけではなく、ひとつの時代の空気が残っているように感じます。

この頃の8000系は、大きな転換期を迎えていました。

登場時の姿を残した車両と、これから始まるリニューアルへ向かう車両が混在していた時代。

まさに「変わりゆく8000系」を記録できた貴重な時期でした。

1992年に登場した8000系は、JR四国の特急列車を大きく変えた存在です。

1993年から特急「しおかぜ」「いしづち」として走り始め、それまでの四国の鉄道風景に新しい風を吹き込みました。

最大の特徴は、制御付き振り子装置。

予讃線の曲線区間で車体を傾けながら、スピードを落とさず駆け抜ける姿は本当に衝撃的でした。

カーブに進入すると、車体が自然に身を預けるように傾きながら走っていく。

その姿には「四国のエース」という言葉がよく似合いました。

当時、沿線で8000系を待っていると、遠くから流線形の先頭車が見えてくる瞬間にワクワクしたものです。

「来た!」

そう思った瞬間、独特のスタイルをした8000系が風を切って通過していく。

あの存在感は今でも忘れられません。

2003~2004年頃の魅力は、何といっても登場時のカラーがまだ見られたことです。

白い車体に青や赤のラインが入った姿は、90年代特急車両らしい未来感がありました。

シャープな先頭形状、連結面まで考えられた美しいデザイン。

当時は当たり前のように見ていましたが、今振り返ると非常に完成度の高い車両だったと思います。

その後、8000系はリニューアル工事へ入り、外観や車内設備も大きく変化しました。

もちろん現在の姿も魅力的ですが、個人的には、あの変化直前の8000系には特別な思いがあります。

そして、8000系を語るなら、その前の主役だったキハ181系「しおかぜ」の存在も忘れることはできません。

キハ181系が走っていた頃の四国は、また違った魅力にあふれていました。

エンジン音を響かせながら走る姿。

力強いディーゼル特急らしい走り。

トンネルを抜けた瞬間に聞こえる轟音。

あの迫力は電車特急では味わえないものでした。

キハ181系の「しおかぜ」は昭和の特急そのもの。

そして8000系の「しおかぜ」は、平成の技術を詰め込んだ新世代特急。

時代は変わりましたが、どちらも四国を代表する名列車だったことに変わりありません。

キハ181系から8000系へ。(もちろんキハ185も好きです!忘れてません!)

国鉄時代から続く特急の伝統を受け継ぎながら、四国の鉄道は新しい時代へ進んでいきました。

2003~2004年頃に撮影した8000系の写真には、そんな時代の境目が写っています。

旧塗装の8000系、変化を迎える車両たち、瀬戸大橋を渡る姿、予讃線を駆け抜ける姿。

一枚一枚の写真を見るたびに、あの頃の四国の鉄道風景がよみがえります。

最新型車両には最新型の魅力があります。

そして今、2度目(再)のリニューアル工事を順次実施しています。

2023年度から本格始動し、2027年度末までに全11編成(45両)の更新を完了する計画

歴史ある愛称の四国を代表する特急!新時代ですね!