鉄撮り屋

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撮り鉄ぺぺのブログです!

こんにちは、ぺぺです。

いつもご覧いただきありがとうございます。

懐かしい「あさかぜ」の写真を…。

寝台特急「あさかぜ」は、1956年に東京〜博多間で運転を開始した、日本のブルートレイン文化を象徴する名列車ですわ。

登場当初から夜行特急としての格式が高く、「走るホテル」と呼ばれた20系客車の投入によって一気に人気が高まりました 。冷暖房完備の快適さは当時としては画期的で、長距離移動のスタンダードを作った存在やったんです。

その後、1970年代には24系25形が導入され、A寝台「シングルデラックス」やB寝台個室「カルテット」「デュエット」、ラウンジカーなど、設備の充実が進みました 。特に一等寝台車を6両も連結した「殿様あさかぜ」は豪華さの象徴で、今聞いても「どんだけ贅沢やねん」とツッコミしたくなるレベルですわ

運行区間は時代とともに変化し、最終的には東京〜下関間の1往復に縮小。

新幹線や航空機の発達で利用者は減少し、2005年3月のダイヤ改正で惜しまれつつ廃止されました 。ブルートレインの象徴として半世紀近く走り続けた「あさかぜ」は、今も多くの鉄道ファンの心に残る存在です。

 

https://lit.link/tetsutoriya     https://izm123.wixsite.com/izm123
改めましてこんにちは!カメラと鉄道と音楽が大好きな「鉄撮り屋」のぺぺです🚃🎸
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思い出フォト1991年3月


山口県の観光PRキャラバン列車として「旅路」4両と12系レトロ風客車2両による「ドラマチック山口号」が運転。浜松町でも展示されましたね。

当時は各地で展示行脚する列車が多く民営化直後のアメトレや50系使用オランダEXP等色々ありました。

この日は大阪駅展示後、宮原へ向かうところを。


お座敷小唄列車「旅路」は、かつてJR西日本(旧国鉄広島鉄道管理局)が運行していた臨時の団体専用車両。

昭和56年(1981年)に12系客車を大改造して生まれた、全車グリーン車仕様の豪華な和式客車でしたね。

車内に入ると畳敷きの座敷が広がっていて、窓には白い障子、宴会ができる長机が並ぶ極上の移動空間やったわ。

赤と金の派手なボディに、展望車まで備えたリニューアルを経て「TABIJI」の愛称で親しまれたけど、平成19年(2007年)に惜しまれつつ引退しましたねー。




こんにちは、ぺぺです。

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今日は鉄道でなく音楽の話を…。

学生時代、コピバンとは別にオリジナル曲のみを演奏するバンド「SHUFFLE」を結成していました。

5人中3人がそれぞれ作った曲を持ち寄り、試行錯誤しながら音を重ね、吹田にあったライブハウスFREE BIRDでライブを開催。ヴォーカルは、当時参加していたカラオケの場で「この人は絶対うまい」と感じた方に思い切って声をかけ、「やりまへんか?」の一言から参加してもらいました。メンバーは皆それぞれ違う環境から集まったものの、不思議と音楽でつながり、短い活動期間ながら濃くて楽しい時間を共有できました。最近になって久しぶりにメンバー2人と再会し、当時のライブや曲作り、失敗談まで話が尽きず大盛り上がり。
青春の一ページとして、今でも大切な思い出です。
※写真はイメージですがまさにこんな雰囲気でした。
AIに依頼。ありがとう😊

 

 

 

嵯峨野観光鉄道は、現在では嵐山観光を代表する存在として知られていますが、その起源は旧来の山陰本線にあります。とりわけ保津峡区間は、鉄道史と自然景観が重なり合う特別な場所として発展してきました。

この区間が開業したのは1899年(明治32年)、京都鉄道によるものでした。保津川に沿って敷設された路線は、急カーブや勾配が連続する難所であり、蒸気機関車の時代から運転には高度な技術が求められていました。峡谷の中を縫うように走る列車は、当時の鉄道ファンや沿線の人々にとって印象的な光景だったといえます。

しかし、輸送量の増加やスピード向上が求められる中で、この区間は次第に限界を迎えます。線形の厳しさに加え、トンネルや橋梁が多いことから、大規模な改良には課題が多く残されていました。

転機が訪れたのは1989年(平成元年)です。山陰本線の複線化と電化に伴い、新たにトンネル主体の新線が建設され、列車はそちらへと切り替えられました。これにより、保津峡を通る旧線は営業運転を終了し、一度その役割を終えることになります。

しかし、この旧線は廃止されることなく、新たな形で再生されました。1991年、嵯峨野観光鉄道として観光路線に転用され、いわゆる「トロッコ列車」として再スタートを切ります。かつて幹線として活躍した線路を活かし、ゆっくりと景色を楽しむスタイルへと大きく方向転換したのです。

現在では、春の桜や秋の紅葉の時期を中心に、多くの観光客が訪れる人気路線となっています。旧保津峡駅も「トロッコ保津峡駅」として再利用され、旧線時代の面影を今に伝えています。

嵯峨野観光鉄道は、単なる観光施設ではなく、日本の鉄道が歩んできた変化と再生の歴史を体現する存在です。旧線時代の記憶を受け継ぎながら、新たな価値を生み出したこの路線は、鉄道史の中でも興味深い事例といえるでしょう。


旧線時代の山陰本線馬堀ー保津峡

バブル期に輝いた客車ジョイフルトレイン

バブル経済が華やかなりし1980年代後半から1990年代初頭、鉄道の世界でも「ジョイフルトレイン」と呼ばれる特別な列車が大いに流行しましたね。

特に客車を改造したものが人気を集め、団体旅行やイベント需要を支えました。

それまでの団体列車は和風のお座敷客車が主流でしたが、若者層にも訴求するため、国鉄末期の1983年に登場した「サロンエクスプレス東京」が転機となりました。14系客車をベースに欧風デザインを採用し、個室風のサロン席や大型展望室、カラオケ・ビデオ設備を備えた斬新なスタイルです。以降、JR各社が競うように個性的な客車ジョイフルトレインを投入しました。

代表例として、JR西日本の「サロンカーなにわ」(14系改造、展望室付き欧風)や、和風のお座敷を極めた12系改造車、ディスコカーまで備えた豪華編成などがあります。カラフルな塗装、展望デッキ、豪華内装は、当時の好景気を象徴する鉄路の華でした。

当時人気を博したEF58などの機関車に牽引され、田園や山間を走る姿は今も多くのファンの記憶に残っています。

バブル崩壊後、旅行スタイルの変化や維持費の問題で次々と姿を消しましたが、客車ジョイフルトレインは当時の鉄道文化の象徴として、今も鉄道ファンの間で語り継がれてますね。

懐かしいあの輝きを、写真で振り返るのも楽しいものです


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6月27日、JR西日本は227系「Kizashi」デビュー! 一方、JR四国はハイブリッドの「3600系」デビュー! 両社が『同日デビュー』 って事で(;^ω^)こちらは悲しいですが『同日ラストランセレモニー』 をした100系・300系を。

2012年3月16日のダイヤ改正をもって東海道・山陽新幹線から完全引退でしたね。

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懐かしいのを…。 

松浦鉄道MR-300 MR-200 MR-100 計9両の甲種輸送。 

前2両MR-300はカラオケやビデオモニターのあるイベント車両。 

新潟鐵工所製造車両の甲種は早朝にEF81で吹田信へ。

直流機へ替わり西下するスジでしたね。 

 

1988.3 尼崎

 

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20年前ですが(^^;) 何かの団臨の回送?京都ー大阪での重連だったかな? 忘れましたww 

早朝カミヨドあとは北方へ…。 

多くのファンが詰めかけておりました 重連にトワカニ、一気に目が覚めました 

2006.6.5 新大阪ー大阪

 

 

こんにちは、ぺぺです。

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1987年の夏。 九州へ向かう途中、幡生駅にいてるとやって来たDE10 1042+配給ワム+オハネフ25+キハの珍編成。

地味な入替作業でしたがカメラに収めておいて良かったです この後、ホームベンチでマルヨ決行!がAM1時頃駅員に起こされ駅入り口で寝泊まり。そんな時代でした。