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鉄撮り屋

撮り鉄ぺぺのブログです!
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おはようございます、ぺぺです。

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ドクターイエローが江田島に!?

~江田島でまさかの展示、鉄道ファン大注目です~

いやぁ、びっくりしました。

あの黄色い新幹線、みんな大好きドクターイエローが、なんと江田島で展示されるというニュースです。

「えっ、江田島でドクターイエロー!?」

最初に聞いたとき、ペペは思わず二度見しました。

新幹線といえば山陽新幹線をビュンビュン走っているイメージですが、今回はそのドクターイエローを、海のある江田島で見られる機会がやってくるんです。

これは鉄道ファンにとって、なかなかの事件です(笑)。

ニュースでは、江田島町にあるJR西日本グループの広成建設(広島市東区)の研修施設に運び、来秋にも公開を計画とか。

黄色い車体が江田島にやってくる!

ドクターイエローは、新幹線の線路や設備を走りながらチェックする、いわば「新幹線のお医者さん」です。

普段から乗れる車両ではありません。

しかも走っている姿を見るだけでも「今日はええ日や!」となる存在ですから、それが今回は展示という形でじっくり見られるというのがポイントです。

走っているところを撮影しようとすると、

「来た!」

「黄色い!」

「速い!」

「……もう行ってもうた!」

となりがちですからね(笑)。

展示なら、落ち着いてじっくり眺められるのがありがたいところです。

江田島で見るドクターイエローって、どんな感じなんやろ?

江田島といえば、瀬戸内海の景色が魅力の場所です。

そこに新幹線の黄色い車体。

この組み合わせ、なかなかおもろいです。

「新幹線、海渡ってきたんか?」

……いや、もちろんそんなわけありません(笑)。

でも、普段は新幹線の線路でしか見ない車両を、いつもとは違う場所で間近に見られるというだけで、かなり特別感があります。

鉄道ファンはもちろん、

「ドクターイエローって実物どんな感じなん?」

という方にも、楽しんでもらえそうです。

子どもさんにも見てほしいです

ドクターイエローは、鉄道好きの大人だけのものではありません。

黄色い車体はやっぱり目立ちますし、新幹線好きのお子さんならテンション上がること間違いなしです。

いや、むしろ大人のほうがテンション上がってる可能性もありますけどね(笑)。

子ども
「わぁ、ドクターイエロー!」

お父さん
「うおおおお!」

お母さん
「……どっちが子どもやねん」

こんな光景があちこちで見られるかもしれません(笑)。

「見るだけ」でも特別な存在です

ドクターイエローは、長年にわたって新幹線の安全を支えてきた車両です。

その役目を終えた車両が、こうして展示される機会があるというのは、鉄道ファンにとっても感慨深いものがあります。

「いつでも見られるやろ」と思っていたものが、実はそうではなかった。

そんな存在だからこそ、実物を目の前にすると、

「今までありがとうな」

と、ちょっと言いたくなってしまいます。

……ペペ、たぶん実物を前にしたら、しばらく黙って見てます(笑)。

江田島でドクターイエローを楽しもう!

というわけで、今回は江田島で展示されるドクターイエローのニュースをご紹介しました。

鉄道ファンにとってはもちろん、家族でのお出かけにも楽しめそうな話題です。

黄色い新幹線を、普段とは違う場所でじっくり見られる。

これはなかなか貴重な機会です。

「ドクターイエロー、見てみたいねん」

という方は、ぜひ展示の詳細をチェックしてみてください。

そして現地では、

「うわぁ、ほんまに黄色い……!」

と、まずは実物を見て感動しましょう(笑)。

新幹線の安全を守ってきたドクターイエロー。

江田島で、どんな姿を見せてくれるのか楽しみですね。

ほな、ペペも黄色い車体を眺めながら、心の中でこう言うときます。

「長いこと、お疲れさんでした!」

鉄道って、やっぱりええもんですなぁ。

 

では、過去撮影したドクターイエローを色々と。

おはようございます、ぺぺです。

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思い出の南海6000系撮影記 ステンレスに魅せられて

鉄道写真を撮っていると、「この車両だけは特別やな」と感じる瞬間があります。

私にとって、その代表が南海6000系でした。

ピカッと光るステンレスボディ、無駄のない直線的なデザイン、そして半世紀以上にわたって南海の線路を走り続けてきた貫禄。

派手なカラーリングで目立つわけではないのに、なぜか目を引く。

「これぞ南海や!」

そう思わせてくれる存在でした。

初めて見た時から気になっていたステンレス車

南海6000系が登場したのは1962年。

当時としては画期的だったオールステンレス車体を採用し、腐食に強く、長寿命な車両として誕生しました。

今ではステンレス車両は当たり前の存在ですが、昭和30年代にこのスタイルを実現したことは、まさに先進的でした。

しかも6000系は、ただ新しいだけではありません。

シンプルなのに古さを感じさせない。

角ばった車体、独特な窓配置、重厚感のある走り。

長い年月を経ても「古い車両」ではなく、「味のある車両」として愛され続けた理由がそこにあります。

いざ撮影へ!ぺぺの情熱、燃え上がる

そして2023年9月11日。

南海6000系のステンレス原色復刻デザイン車両が運行を開始しました。

このニュースを聞いた瞬間、私の中の鉄ちゃん魂に火がつきました。

いや、もう火事です(笑)

「これは撮らなあかん!」

頭の中は6000系でいっぱい。

カメラを準備し、時刻を確認し、撮影場所を考える。

その姿はもはや遠足前日の小学生……いや、小学生より落ち着きがありません(笑)

家族から見たら、

「また電車?」

と言われそうですが、こちらから言わせてもらえば、

「ちゃいます!歴史を記録してるんです!」

……と胸を張ります(笑)

復刻された無塗装ステンレスの魅力

今回復刻された姿の最大の魅力は、やはり無塗装ステンレスの美しさです。

昔の6000系が持っていた、あの銀色の輝き。

光の当たり方によって表情を変える車体。

晴れの日には眩しく輝き、曇りの日には落ち着いた渋さを見せる。

塗装された車両とは違う、素材そのものの魅力があります。

派手なラッピングやカラフルなデザインも鉄道の楽しみですが、6000系の魅力は「引き算の美学」。

余計なものがないからこそ、形の良さが際立つんです。

まさに、

「シンプルイズベストや!」

という言葉がぴったりです。

ファインダー越しに蘇る昭和の風景

撮影した6000系をファインダー越しに見ていると、不思議な気持ちになります。

最新型車両にはない存在感。

長年、通勤通学のお客さんを運び、多くの人の生活を支えてきた歴史。

ただ走っているだけではなく、たくさんの思い出を乗せてきた車両なんだなと感じます。

駅に停車する姿を見ると、

「まだまだ現役やで!」

と言っているようにも見えました。

ステンレスの車体には、半世紀分の時間が刻まれているようでした。

 

南海6000系よ、ありがとう

6000系は、単なる古い電車ではありません。

南海の歴史そのものです。

昭和から令和へ時代が変わっても、多くの鉄道ファンを魅了し続ける存在。

そして今回の復刻デザインは、その魅力を改めて教えてくれました。

銀色に輝く車体を見た瞬間、胸が熱くなる。

シャッターを切る手にも力が入る。

ぺぺは完全に燃えました(笑)

これからも走り続ける南海6000系。

その姿を見られる時間を大切にしながら、またカメラを持って会いに行きたいと思います。

「やっぱり6000系、ええ電車やなぁ」

そう呟きながら。

ステンレスの輝きは、いつまでも色あせません。

必要なら次に「撮影場所・写真キャプション入りの実際の鉄道ブログ投稿風」や「もっと関西のおっちゃん感強めの笑える文体」にも調整できます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おはようございます、ぺぺです。

いつもご覧いただきありがとうございます。

本日9月16日は東海旅客鉄道100系、東海道新幹線での営業運転終了の日ですね!  2003年

京都鉄道博物館での展示車両。あのCMのテールライトが印象的でした…。

 

 

新幹線100系――それは、昭和から平成へ向かう時代の「夢の新幹線」でした。

1985年に登場した100系は、0系の丸い優しいイメージから一歩進んだ、未来的で洗練されたスタイルを持っていました。

低くシャープに伸びた先頭形状、白い車体に青いライン、そして何より印象的なあの顔立ち。

ホームに入ってくる姿を見るだけで、

「来た!100系や!」

と思わせるスター性があったんです。

当時の新幹線は、単なる移動手段ではありませんでした。遠くへ行く憧れ、家族や恋人に会いに行く特別な時間。その象徴として100系は時代の空気をまとっていました。

そして100系を語るなら、JR東海のCMは絶対に外せません。

1980年代後半から1990年代にかけて放送された、あの名作CM。

そう、山下達郎さんの「クリスマス・イブ」が流れる「クリスマス・エクスプレス」。

駅のホームで、遠く離れた大切な人を待つ。新幹線で帰ってくる人を迎える。その一瞬のために走る列車――。

あのCMの世界観に登場した新幹線は、まさに100系が持っていた「特別な存在感」と重なりました。

また「シンデレラ・エクスプレス」も忘れられません。

遠距離恋愛の恋人たち、週末だけ会える二人。新幹線の発車ベルが、楽しい時間の終わりを告げる……。

「もう少し一緒にいたい」

そんな切ない気持ちを乗せて、東京駅を出発する新幹線。

100系は、ただ人を運んでいたんやなくて、誰かの思い出まで運んでいたんですねぇ。

今振り返ると、あのCMに映っていた100系は、鉄道車両というより「時代のアイコン」でした。

そして人気を決定づけたのが、「グランドひかり」。

2階建て車両を連ねた堂々たる編成は、まさに新幹線の王様。

車内には食堂車もあり、旅そのものを楽しむ時代の象徴でした。

「東京から博多まで、新幹線で行く」

その時間が特別なイベントだった頃、100系は主役やったんです。

しかし、どんなスターにも時代の流れは訪れます。

2003年、東海道新幹線での100系営業運転は終了。

最新型車両へ世代交代し、あの憧れの顔も第一線から姿を消しました。

そして、ぺぺが撮影したのは、そんな100系の晩年。

山陽本線で活躍していた頃の姿です。

全盛期には16両編成で堂々と走り、2階建て車両を組み込んだ「グランドひかり」として全国の注目を集めた100系。

しかし晩年は短編成化され、編成も短くなりました。

昔の華やかな姿を知っているだけに、

「えらいコンパクトになってもうたなぁ……」

と思わず言いたくなるような姿。

かつてテレビCMで恋人を迎えに来る主人公の横を颯爽と走ったスターが、今度は山陽の街を静かに走っている。

その姿には、少し寂しさもありました。

でも、ぺぺにとっては、その晩年の姿こそ大切な記録でした。

全盛期だけが100系の歴史ではありません。

短くなった編成でも、少し年季の入った車体でも、最後まで走り続けた姿。

それもまた、100系が歩んだ人生の一ページです。

若い頃は映画スター。
晩年は味のある名俳優。

そんな感じです(笑)

昔、テレビの中で「会いたい人を乗せて走った」100系。

そして最後の時代に、ぺぺのカメラの前を走ってくれた100系。

華やかなスター時代も、静かな晩年も、どちらも忘れられない。

新幹線100系とは、そんな特別な車両やったんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おはようございます、ぺぺです。

いつもご覧いただきありがとうございます。

本日9月15日は…。

鉄道省が東京駅~下関駅間の特急列車に「富士」「桜(櫻)」に愛称を付けました!

1929年(昭和4年)9月15日の事です。

これが日本で初めて列車に愛称が付けられた事例となりました。

って事で。

寝台特急「富士」を。

2004.8.14 岡山駅

2002.5 広島駅

 

当時愛称は、利用客の減少に苦慮した鉄道省が実施した一般公募に集まった上位10点の(1)富士、(2)燕(つばめ)、(3)櫻、(4) 旭(あさひ)、(5) 隼(はやぶさ)、(6) 鳩(はと)、(7) 大和(やまと)、(8)鴎(かもめ)、(9) 疾風(はやて)、(10)千鳥(ちどり)、から選ばれたそうです!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


民営化直後のスター貨物列車

スーパーライナーとピギーバック輸送 ~夢を乗せて走ったJR貨物の時代~

こんにちは、ぺぺです。

いつもご覧いただきありがとうございます!!!

 

 

 

昭和62年(1987年)4月1日。
国鉄が分割民営化され、新しい「JR」の時代がスタートしました。

その中で大きく変わろうとしていたもののひとつが「貨物輸送」でした。

それまで貨物列車というと、どちらかと言えば縁の下の力持ち。

「荷物を運ぶ列車」

という印象が強かったと思います。

ところが民営化直後のJR貨物には、今までとは違う勢いがありました。

新しい輸送サービス、新しい車両、そして鉄道ファンを夢中にさせるスター列車。

その代表格が……

スーパーライナーでした。


憧れの高速貨物列車「スーパーライナー」

スーパーライナーは、まさに高速貨物列車の象徴でした。

EF66形電気機関車が先頭に立ち、長いコンテナ列車を力強く引っ張る姿。

あの青い車体、独特の風貌、そして高速で駆け抜ける迫力。

当時の鉄道ファンにとっては、

「貨物列車にもスターが誕生した!」

そんな存在でした。

ぺぺも線路際で待ちながら、

「今日は何号機が来るかな?」

なんてワクワクしていたものです。

今のようにスマホで運行情報を簡単に確認できる時代ではありません。

時刻表を片手に、経験と勘を頼りに待つ。

そして遠くから聞こえてくるEF66独特の走行音。

「あっ、来た!」

その瞬間、カメラを構える。

あの緊張感と興奮は、今でも忘れられません。


スーパーライナー最大の魅力……それは輝くヘッドマーク!

そして、スーパーライナーを語るうえで絶対に外せないものがあります。

そうです……

あの専用ヘッドマークです。

貨物列車というと、どうしても「黒子」「裏方」というイメージがあります。

しかしスーパーライナーは違いました。

EF66の先頭に掲げられた堂々たるヘッドマーク。

それを見た瞬間、

「これは特別な列車や!」

と感じた鉄道ファンは多かったのではないでしょうか。

機関車の美しいスタイルに、誇らしげに輝くマーク。

高速で走り抜ける姿は、まさに貨物列車界のスターでした。

ぺぺも撮影するとき、一番ワクワクしたのは、遠くからヘッドマークが見えてくる瞬間でした。

「あっ!スーパーライナー来た!」

その一瞬のためにカメラを構える。

シャッターを切った後、列車が通過して静かになった線路を見る。

でも、しばらく胸の中にはあの走り去る姿が残っている……。

そんな魅力がスーパーライナーにはありました。

そして驚くことに、このヘッドマークは過去の思い出だけではありません。

現在でもJR貨物の機関区公開イベントなどで復刻展示や掲出が行われることがあります。

それだけファンから愛され、JR貨物を象徴する存在として認められているということですね。

時代を超えて登場するスーパーライナーのヘッドマーク。

まさに「貨物列車の王様」と呼ぶにふさわしい存在です。

最新の機関車やコンテナ列車ももちろん魅力的です。

しかし、あの時代のEF66+スーパーライナーの組み合わせには、特別なオーラがありました。

貨物列車が単なる輸送手段ではなく、見る人をワクワクさせる「スター」だった時代。

スーパーライナーは、その象徴だったのです。


もうひとつの革命児「ピギーバック輸送」

そして忘れてはいけないのが、もうひとつの挑戦。

それがピギーバック輸送です。

名前だけ聞くと、

「豚さんを運ぶ列車?」

なんて思ってしまいそうですが(笑)

もちろん違います。

トラックを貨車に載せ、そのまま鉄道で運ぶという画期的な輸送方式でした。

「トラックの機動力」と「鉄道の大量輸送力」を組み合わせる。

まさに未来型の物流でした。

ぺぺが初めて見た時の印象は、

「貨物列車なのにトラックがおる!」

でした(笑)

普通ならコンテナやタンク車が並ぶ貨物列車。

そこに大型トラックが堂々と載っている姿は、とても新鮮でした。

専用貨車も独特で、

「鉄道でトラックを運ぶ」

という発想そのものが、とても夢のある光景でした。


あの頃のJR貨物には夢があった

昭和から平成へ変わる頃。

日本全体に勢いがあり、物流も大きく成長していた時代です。

JR貨物も、新しい時代に向けて積極的な挑戦を続けていました。

スーパーライナー。

ピギーバック輸送。

どちらも「これからの鉄道貨物」を感じさせる存在でした。

もちろん時代の変化とともに、ピギーバック輸送は姿を消し、スーパーライナーも過去の列車となりました。

しかし、写真に残った姿は今でも輝いています。

EF66の力強い顔。

先頭で輝くスーパーライナーのヘッドマーク。

長いコンテナ列車。

そして線路際で待った、あの日のワクワク感。

鉄道写真というのは、車両だけを記録するものではありません。

その時代の空気、音、匂い、そして撮影した人の思い出まで残すものだと思います。

ぺぺにとってスーパーライナーとピギーバックは、

「民営化直後、日本の鉄道貨物が夢を追いかけていた時代の象徴」

なのです。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9月12日は鳥取県民の日

歴史ある鳥取を走った列車たちを訪ねて

こんにちは、ぺぺです。

9月12日は「とっとり県民の日」です。

鳥取県にとって、この日はとても大切な意味を持っています。

鳥取県民の日の由来と歴史

鳥取県は、明治4年(1871年)の廃藩置県によって誕生しました。

しかし、その後の明治9年(1876年)には島根県に編入され、一度「鳥取県」という名前がなくなりました。

「もう一度、鳥取県を復活させたい」

そんな県民の強い思いから鳥取県再置運動が起こり、明治14年(1881年)9月12日、現在の鳥取県が再び誕生しました。

この歴史ある日を記念して、平成10年(1998年)に「とっとり県民の日」が制定されました。

一度は消えた県が、県民の力で復活したという歴史。

鳥取という土地には、昔から「ふるさとを大切にする心」が受け継がれているんですね。

私は鳥取県出身ではありませんが、景色、人の温かさ、そして鉄道の魅力に惹かれて、大好きな県のひとつになりました。

今回は、そんな鳥取を代表する列車を、ぺぺの撮影写真の思い出とともに紹介します。


鳥取の現在を代表する特急

スーパーはくと

まず最初に紹介したいのは、やっぱり スーパーはくと です。

京都・大阪方面と鳥取を結ぶ、鳥取の玄関口とも言える特急列車。

白い車体に青いライン、智頭急行線を力強く駆け抜ける姿は、今の鳥取を象徴する列車です。

関西から鳥取へ向かう人にとっては、

「スーパーはくと乗ったら、もう鳥取来た気分やなぁ!」

そんな存在ではないでしょうか。

 

ぺぺの撮影でも、何度もカメラを向けた大切な一編成です。

 


昭和の鳥取を走った名車

キハ181系特急

そして、鳥取の鉄道を語るうえで忘れてはいけない存在が キハ181系 です。

国鉄時代から山陰を走り続けた名車。

力強いエンジン音、重厚な車体、国鉄特急らしい風格。

鳥取駅で見るキハ181系には、昭和の山陰特急の雰囲気がありました。

今では現役を退いていますが、鉄道ファンの心には強く残る車両です。

ぺぺにとっても、撮影したキハ181系の姿は鳥取鉄道史の大切な記録です。

キハ181、実際営業列車を撮影したのは晩年のキハ181「いなば」「はまかぜ」が中心ですが(^^;)


地域を支えた快速列車

とっとりライナー

特急だけが鳥取の魅力ではありません。

地元の足として活躍した列車、それが とっとりライナー です。

鳥取と米子方面を結び、通勤・通学や日常の移動を支えてきました。

車体に掲げられた「とっとり」の文字。

シンプルですが、地元への愛着を感じる列車でした。

華やかな特急とは違っても、地域の人々の生活を運んだ列車には、また違った魅力があります。

ぺぺの撮影でも、鳥取らしさを感じる大切な一枚になっています。


最後に

9月12日は「とっとり県民の日」。

鳥取県が歩んできた歴史を振り返ると、県民の思いによって復活した大切な県だということが分かります。

そして、その歴史の中で鉄道も人々の暮らしを支えてきました。

ぺぺの撮影では、

・スーパーはくと
・キハ181系
・とっとりライナー など

という鳥取を代表する列車たちを記録してきました。

列車には、その土地の歴史や思い出が詰まっています。

これからも、好きな鳥取の鉄道風景を大切に撮影していきたいと思います。

9月12日、鳥取の歴史と鉄道に思いを寄せて。

ぺぺでした。

若桜鉄道も鳥取を代表する路線!イベントやツーリングでも人気!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おはようございます、ぺぺです。

いつもご覧いただきありがとうございます!

懐かしいのを…。

新大阪発着の20系臨時「あかつき」と京都発着「ムーンライト高知」かな?増結用の12系を向日町運転所から宮原運転所への回送列車。

当時は「ML高知」の牽引をEF58 150が担当していた為、こちらも宮原へ返却するために実現したモノ!

冬の季節臨だったかと思います。

側面に光が当たって撮影できる場所が天王山付近の小泉川堤防、百山踏切、上牧カーブ、上淀川橋梁くらいでしたので各所大勢のファンで盛り上がりました!!