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鉄撮り屋

撮り鉄ぺぺのブログです!
ここは、これまで撮りためてきた懐かしい鉄道写真をシェアする発信基地
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おはようございます、ぺぺです。

いつもご覧いただきありがとうございます!

懐かしいのを…。

2019.11.5 鷹取駅で撮影したクモヤ443です。

鉄道ファンの間で「見るとテンション爆上がりする車両」といえば、豪華な特急や新幹線だけではありません。
その代表格が クモヤ443 です。

「え?クモヤって何?普通の電車ちゃうん?」と思った方、そこが沼の入口です(笑)。

クモヤ443は、お客さんを乗せて走る電車ではありません。
線路の上を走りながら、架線(電車に電気を送る線)や信号設備を検査する“鉄道のお医者さん”でした。


1. 誕生は昭和50年(1975年)

クモヤ443は、国鉄時代の1975年に登場しました。

当時、日本では電化区間がどんどん増えていました。
しかし電車というものは、電気がちゃんと流れなければ走れません。

そこで、

「架線が少し下がってへんか?」
「電気の状態は大丈夫か?」
「信号設備に異常ないか?」

を専門に調べる車両として作られました。

製造されたのはわずか、

  • クモヤ443+クモヤ442 × 2編成
  • 合計4両

だけです。

少なっ!(笑)

普通の通勤電車なら何百両も作られる時代に、たった4両。
この「特別感」が鉄道ファンの心をくすぐります。


2. 見た目が最高に国鉄らしい!

クモヤ443の魅力は、なんといっても顔です。

前から見ると……

「おっ!特急電車やん!」

と思うような国鉄特急型の顔。

でも横を見ると……

「ん?急行電車みたいな窓やな?」

という不思議な雰囲気。

つまり、

特急顔+急行風ボディ+検査機器満載

という、まさに昭和鉄道のごちゃ混ぜスペシャルです(笑)。

今のスマートな検測車とは違い、

「ワシ、仕事するために生まれてきました!」

という無骨さがあります。


3. クモヤ443とクモヤ442、役割が違うんです

実は2両編成ですが、仕事分担があります。

クモヤ443

担当:
🚃 架線検測

屋根には特殊なパンタグラフや観測装置を装備。

電車の命ともいえる電気をチェックします。


クモヤ442

担当:
🚃 信号・保安装置検測

信号やATSなど、安全運転に必要な設備を調べます。

つまり、

クモヤ443
「電気、大丈夫か見とくで!」

クモヤ442
「信号、安全確認しとくわ!」

というコンビです(笑)。


4. 全国を走った“旅する仕事人”

クモヤ443のすごいところは、関西だけの車両ではなかったことです。

交直流対応だったため、JR西日本管内だけではなく、

  • 北陸方面
  • 中国地方
  • 四国方面
  • 九州方面

など、幅広い地域へ検測に出かけました。

普通の電車なら、

「今日は大阪行き」
「今日は京都行き」

ですが、

クモヤ443の場合、

「今日はちょっと九州まで健康診断行ってきます」

みたいな感じです(笑)。

琴平付近を行く姿

予讃線 多度津付近を軽快に走っていました!


5. 鉄道ファンから愛された理由

クモヤ443は派手な車両ではありません。

新幹線みたいな速さもない。
観光列車みたいな豪華さもない。

でも……

① 唯一無二の存在

同じ顔の車両はほとんどありません。

「似た電車」はいても、
「クモヤ443そのもの」はクモヤ443だけ。


② 昭和国鉄の雰囲気

クリーム色の帯、赤系の車体、低い屋根。

そこには昭和の鉄道技術の香りがあります。

今見ると、

「昔の職人さんが作った道具箱」

みたいな味があります。


③ 裏方なのに主役級

普通、鉄道の主役は乗客を乗せる列車です。

でもクモヤ443は、

「お客さんを乗せないからこそ、毎日安全を守っていた」

存在でした。

まさに縁の下の力持ちです。


6. 引退――最後まで走り抜いた名車

JR西日本に残ったクモヤ443-2+クモヤ442-2は、長年活躍しました。

しかし車齢は約45年以上。

新しい検測車の登場により、役目を終えることになりました。
後継として総合検測車DEC741が開発されています。

長い間、日本の電化路線を陰から支え続けたわけです。


クモヤ443の魅力を一言で言うなら……

「目立たへんけど、誰よりも鉄道を愛して働いた昭和の職人電車」

です。

派手なスター選手ではなく、毎日グラウンド整備をしてくれる名スタッフ。

でも鉄道ファンからすると、

「いやいや、その人がおらんかったら試合できへんやん!」

という存在なんです😊

クモヤ443は、まさに
“走る検査員”“国鉄魂の生き証人”
と呼ぶにふさわしい名車でした。


ちなみに関西でクモヤ443を見る日は、鉄道ファンの間では「今日は運がええ日や!」と言われるぐらいのレア遭遇でした(笑)。

おはようございます、ぺぺです。

いつもご覧いただきありがとうございます。

 

本日9月5日は、鉄道ファンの間ではお馴染みの「95号機の日」ということで、今回は国鉄最後の日に初めて見た、あの特別な機関車……EF81 95号機との思い出を語りたいと思います。

1987年3月31日。

日本全国の鉄道ファンにとって、この日は忘れることのできない特別な一日でした。

そう、長年続いた「国鉄」が最後の日を迎え、翌4月1日から「JR」という新しい時代へ変わる日です。

全国の駅では記念列車が走り、テレビでも大きく取り上げられ、まさに日本中が鉄道のお祭り状態。

国鉄最後の日を見届けようと駅には多くの人が集まり、列車が来るたびに大歓声。

「鉄道って、こんなに人の心を動かすものなんやなぁ」

子供ながらにそう感じた記憶があります。

そんな中、ぺぺは3月21日、大阪駅で徹夜して購入した「謝恩フリーきっぷ」を握りしめ、関東へ遠征しておりました。

今みたいにスマホもネット予約もありません。

情報源は雑誌や人から聞いた話。

「どこに何が来るんやろ?」
「ほんまに撮れるんかな?」

そんなドキドキ感も含めて、昔の撮影遠征は冒険そのものでした(笑)。

ただ、幼少期ということもあり、さらに撮影技術もまだまだ未熟。

今のように失敗してもすぐ確認できるデジカメなんてありませんから、フィルムを現像してから

「うわ……ピント甘いやん……」

「なんでシャッター切るの早すぎたんや……」

なんてことも多く、この頃の写真は残念ながらほとんど残っておりません(涙)。

しかし、その中でも今でも鮮明に覚えている光景があります。

それが、新宿駅で見たEF81 95号機とスーパーエクスプレスレインボーでした。

この国鉄最後の日には、東京や上野などから各JR会社へ向けて「旅立ち号」と呼ばれる記念列車が運転されました。

ぺぺのお目当ては、機関車そのものだけではありません。

当時注目を集めていたジョイフルトレインでした。

夕方過ぎの新宿駅へ向かい、

「なのはな」を撮影。

「パノラマエクスプレスアルプス」が確かウヤだったかな?

そして、この時期に登場したばかりの

スーパーエクスプレスレインボー

を見に行きました。

スーパーエクスプレスレインボーは、1987年に登場したJR東日本の豪華ジョイフルトレインです。

国鉄からJRへ変わる時代の象徴ともいえる存在で、従来の団体列車のイメージを大きく変えた車両でした。

外観は赤を基調とした鮮やかなデザイン。

車内には豪華なサロン設備や展望スペースが設けられ、「乗ること自体が楽しみになる列車」として人気を集めました。

当時は各地で個性的なジョイフルトレインが誕生していた時代。

「普通の列車ではなく、特別な時間を楽しむ列車」

そんな夢のような存在でした。

そして、そのレインボー専用機として登場したのが……

EF81 95号機。

正直、それまで雑誌に掲載されていたスーパーエクスプレスレインボーは、イメージイラストでしか見たことがありませんでした。

「こんな派手な列車、本当に走るんかな?」

子供心に半信半疑でした。

ところが新宿駅に現れた瞬間……

「なんやこれは!!」

という衝撃。

まず目に飛び込んできたのは、側面に大きく描かれた

EF81

の文字。

そして鮮やかな塗装のEF81 95号機。

当時の国鉄型機関車とは思えないほどインパクトがあり、

「機関車って、こんなにカッコよくできるんや!」

と思った瞬間でした。

この日はヘッドマークこそ装着されていませんでした。

しかし、それでも存在感は抜群。

新宿駅ホームは撮影する人、人、人。

今でいう「撮り鉄の大混雑」ですが、当時はまだ今ほど撮影マナー問題なども話題になっておらず、とにかくみんな純粋に

「最後の国鉄を見たい!」

「新しい時代の鉄道を見たい!」

という熱気でいっぱいでした。

ぺぺもその人の波の隙間から、必死に姿を目に焼き付けていました。

写真はうまく残せなくても、記憶にはしっかり残る。

鉄道撮影って、時にはそういうものですよね。

 

その翌年、中野電車区1周年イベントで展示されたEF81 95号機を見た時も、思わずあの日の新宿駅を思い出しました。

あれから何年も経ち、イベント列車の先頭に立つ姿を見るたび、

「そうそう、最初に見た時もこんな迫力やったなぁ」

と、国鉄最後の日の熱気が蘇ります。

EF81 95号機は、単なる機関車ではありません。

国鉄からJRへ変わる激動の時代。

新しい鉄道の未来への期待。

そして、子供だったぺぺが初めて感じた「鉄道のカッコ良さ」。

その全部を背負った特別な存在でした。

今ではスーパーエクスプレスレインボーも引退し、EF81 95号機も第一線から退きました。

でも、あの日の新宿駅で見た輝きは、今でも心の中では現役です。

鉄道車両はいつか走り去ります。

でも、その瞬間に感じた感動だけは、何十年経っても色あせませんね。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

おはようございます、ぺぺです。

いつもご覧いただきありがとうございます。

 

アフリカの大地で第二の人生!ザンビアへ渡ったDE10を追いかけたい話

 

~まさか国鉄型ディーゼル機関車がヴィクトリアの滝を走る日が来るとは~

鉄道ファンなら、このニュースには思わず二度見した方も多いのではないでしょうか。

「え?あの秋田港に留置されていたDE10がザンビア?」

最初に聞いた時、私も「いやいや、写真加工ちゃうん?」と思いました(笑)。

しかし現実でした。

日本で長年活躍してきた国鉄型ディーゼル機関車 DE10形 が、はるばるアフリカ南部の国・ザンビアへ渡り、新天地で貨物列車を牽引しています。現地ではGoRail Freight Limited(ゴーレイル・フレイト)で使用され、なんと世界的観光地であるヴィクトリアの滝近くの鉄道橋を走る姿まで見られるという、鉄道好きには夢のような光景になっています。

「昔、地方線区や入換で見ていたDE10が、今はアフリカの大自然の中を走っている」

これだけで胸が熱くなりますね。


DE10ってどんな機関車?

DE10は日本国有鉄道(国鉄)が開発したディーゼル機関車です。

1960年代後半から製造され、主にローカル線の貨物列車、入換作業、工事列車など幅広く活躍してきました。

特徴は何と言っても独特なスタイル。

前後で車体幅が違う「凸型」の姿。

大きなボンネット。

そして中央に運転室。

派手なスター機関車というより、黙々と仕事をこなす「働き者」です。

蒸気機関車が姿を消した後、日本各地の駅や貨物ヤードを支えてきた存在でした。

鉄道ファンからは、

「地味だけど味がある」
「どこにでもいたから逆に貴重」

そんな愛され方をしてきた機関車です。

まさに日本の鉄道界の縁の下の力持ちですね。


なぜザンビアにDE10が?

日本ではJR各社の車両更新が進み、DE10は徐々に数を減らしました。

しかし、機関車というものは簡単に使い捨てできるものではありません。

丈夫な車体。

狭い線路でも走れる性能。

低速で力を出せる構造。

こうした特徴は海外の鉄道でも非常に魅力的です。

ザンビアのように鉱山資源輸送など貨物輸送が重要な国では、まだまだ機関車の活躍場所があります。

そして日本で役目を終えたDE10が、新たな仕事場を見つけたわけです。

「定年退職したベテラン職人が、海外で再就職した」

そんな感じでしょうか(笑)。


ザンビアってどんな国?

ここで少しザンビアという国について。

ザンビアはアフリカ南部に位置する内陸国です。

首都はルサカ。

周囲をコンゴ民主共和国、タンザニア、マラウイ、モザンビーク、ジンバブエ、ボツワナ、ナミビア、アンゴラに囲まれています。

海がない国ですが、豊かな自然があります。

特に有名なのが……

ヴィクトリアの滝!

世界三大瀑布のひとつとも言われる巨大な滝です。

ザンビア側から見る滝は迫力満点。

そして、その近くには鉄道橋があります。

そこを……

DE10が走る。

もう鉄道好きからしたら、

「ちょっと待って、映画のワンシーンですか?」

という世界です(笑)。

日本では山間部を走っていたDE10が、今度はアフリカの大地、サバンナ、巨大な滝を背景に走る。

人生ならぬ「機関車生」の大逆転ですね。


GoRail Freight Limitedとは?

GoRail Freight Limited(ゴーレイル・フレイト)は、ザンビアの民間貨物鉄道会社です。

鉱物資源などの輸送を中心に、鉄道貨物サービスを展開しています。

ザンビアは銅の産出国として世界的にも知られており、鉱山関連輸送は非常に重要です。

道路だけでは大量輸送に限界があります。

そこで鉄道貨物の役割が大きくなります。

GoRailは、そうした貨物輸送を担う鉄道会社のひとつです。

そして今回、日本から来たDE10たちがその仲間入りをしました。


日本のDE10がアフリカで3重連!?

さらに驚くのが運用風景。

現地写真ではDE10が複数連結された姿も見られます。日本ではイベント列車などでしか見られなくなったような迫力ある編成が、ザンビアでは貨物輸送のために活躍しているようです。

日本の鉄道ファンからすると、

「昔、撮影地で待っていたDE10重連が……今はアフリカで普通に働いている」

という不思議な感覚です。

なんというか……

出世した元同級生を海外で見つけた気分ですね(笑)。


いつかザンビアへ行ってみたい!

正直、行きたいです。

ザンビアへ行って、

ヴィクトリアの滝を見る。

広大な大地を見る。

そして……

DE10を見る。

こんな旅、鉄道ファンには最高すぎます。

日本からザンビアは決して近くありません。

飛行機を何度も乗り継ぐ長旅になります。

でも、遠いからこそ価値があります。

日本で役目を終えた機関車が、約1万km以上離れた場所で元気に走っている。

その姿を自分の目で見られたら、きっと感動するでしょう。

「昔、日本でありがとう」

ではなく、

「アフリカでも頑張れ!」

と言いたくなりますね。


最後に

DE10の魅力は、速さでも派手さでもありません。

どんな場所でも黙々と働く力強さです。

雪国でも。

山でも。

港でも。

そして今はアフリカでも。

日本の鉄道遺産が海を越え、新しい物語を作っています。

いつかザンビアの大地で、

赤茶色の土煙を上げながら走るDE10を見ながら、

「ほんまに来てよかったわ!」

と言える日を夢見ています(笑)。

その時はもちろん、カメラ片手です📷

 

 

※写真はホームページより

 

GoRail Freight Limited — 鉄道によるバルク貨物輸送

 

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おはようございます、ぺぺです。

いつもご覧いただきありがとうございます。

本日9月2日は阪急電鉄 今津線開業の日!って事で。

開業の経緯

  • 1921年9月2日:宝塚駅から西宮北口駅までの区間が「西宝線」として開業。この区間が阪急今津線の北側路線の原型に。

     

  • 1926年12月18日:西宮北口駅から今津駅までが延伸開業し、路線名を「今津線」に改称。これにより宝塚〜今津間が全通。

     

~ペペ撮影記 2018年1月、3000系終焉前の記録~

阪急今津線って、派手な観光路線……というよりは、じわ~っと味が出る「関西のええ路線」なんです。
西宮北口から宝塚へ向かう今津北線は、住宅街を走りながらも、甲山や六甲山系の景色がちらっと見えたり、仁川の競馬開催日には一気に人が増えたりと、普段着の阪急らしさが詰まっています。

「短い路線やから地味やろ?」と思ったら大間違い。
鉄道ファンから見ると、車両の歴史がぎゅっと詰まった“宝箱”みたいな路線でした。


■ 映画にも登場した、阪急らしい日常風景

今津線といえば、映画『阪急電車 片道15分の奇跡』の舞台としても有名です。
西宮北口~宝塚間の約15分の旅の中に、学生さん、通勤客、沿線の人々の人生模様が流れている……そんな雰囲気が魅力でした。

駅間も短く、カーブや踏切も多いので撮影地としても面白いんです。

「電車を撮っているはずが、気付いたら沿線の空気まで撮っていた」

……なんてこともあります(笑)。


■ 3000系が走った最後の時代

2018年1月、ペペが撮影された頃は、阪急3000系にとってまさに終盤の時代でした。

3000系は1960年代に登場し、神戸線・宝塚線の主力として活躍した車両です。長年阪急の顔として走り続け、晩年は今津線など支線で最後の活躍をしていました。

特に今津線では、最後まで残った3056Fが貴重な存在になっていました。2017年には3078F、3082Fが引退し、2018年1月時点では今津線の6両編成3000系は3056Fのみという状況でした。

 

■ 3000系の魅力は「古さ」ではなく「貫禄」

3000系って、新車みたいなピカピカ感ではありません。

でも阪急マルーンの車体に、長年走った風格がありました。

ドアが開く音。
モーター音。
車内の雰囲気。
そして少し年季の入った車体。

全部合わせて「阪急3000系」でした。

今の車両は快適で静かですが、昔の車両には昔の車両だけが持つ“味”があります。

例えるなら、

最新スマホも便利やけど、昔のフィルムカメラには味がある……

みたいな感じですね(笑)。


■ 今津線は車両博物館みたいな路線だった

今津線では3000系だけでなく、3100系や5000系など、阪急の歴史を感じる車両が活躍しました。

世代交代のたびに、

「また新しい電車が来たなぁ」
「でも、あの古い電車も良かったなぁ」

という沿線の日常が繰り返されてきました。

鉄道ファンにとっては、短い区間の中で阪急の昭和から平成への流れを見ることができる路線だったんです。


■ ペペ撮影 2018年1月の価値

2018年1月という時期は、本当に絶妙でした。

まだ3000系が普通に走っている。
でも、もう「いつまで見られるか分からない」という空気があった。

その瞬間を撮影できた写真は、単なる車両写真ではなく、

「阪急今津線の平成最後の風景」

を残したものと言えると思います。

電車は走っている時は当たり前の存在ですが、引退した瞬間に急に宝物になるんですよね。

「あの時、撮っといてよかった!」

これが鉄道写真の一番の魅力やと思います😊

おはようございます、ぺぺです。

いつもご覧いただきありがとうございます。

9月1日「91号機の日」って事で。

EF65 91+オハフ50+マニ50 試1991レです。 1991年


赤い50系の中に青い1両……マニ50が連結された普通列車の魅力

50系客車といえば、やっぱり真っ赤な車体が連なる姿です。

オハ50、オハフ50が何両も続く普通列車。
ホームに入ってくる姿を見るだけで「国鉄の汽車が来た!」という感じになりますよね。

過去の話ですが…。

 

そんな50系、当時の記録を見ていると、四国や東北などでは普通列車の編成の中にマニ50がポツンと連結されて走る姿がありました。

これがまた、たまらないんですよね。

赤い50系客車が何両も連なる中に、突然現れる青い荷物車。

赤、赤、赤……。

「あれ? 1両だけ色が違うぞ?」

と思った瞬間、目が釘付けになります(笑)

今なら車両の色やデザインを統一するのが当たり前ですが、国鉄時代の列車はもっと実用的でした。

「荷物を運ぶ必要があるから連結する」

ただそれだけ。

でも、その結果できあがる編成が、鉄道ファンには最高の魅力になるんですよね。

私自身、ちょっと違いますが(笑)試運転でオハフ50+マニ50が連結された姿を撮影したことがあります。

それだけでも十分貴重な記録でした。

しかし、ずっと見てみたかったのは、営業運転の長い50系普通列車の中に組み込まれたマニ50です。

四国や東北のローカル線で、赤い50系編成の中に青いマニ50が1両だけ混ざって走る姿。

客車列車なのに、どこか貨物列車のような雰囲気もあり、実用本位の国鉄らしさが詰まった編成でした。

「なんで1両だけ青いん?」

一般の人ならそう思うかもしれません。

でも鉄道好きからすると、

「そこがええんや!」

なんですよね(笑)

編成美という意味では揃っていない。

でも、その不揃いさこそが当時の列車の個性でした。

赤い50系の中に、たった1両だけ青い荷物車。

その小さな違いが、列車全体を何倍も魅力的に見せてくれる。

もし今、そんな写真が出てきたら、間違いなく何時間でも眺めてしまうと思います。

「あぁ、この頃の鉄道は本当に面白かったなぁ」

そう思わせてくれる、マニ50連結の50系普通列車。

派手ではないけれど、忘れられない魅力を持った編成。

 

その頃の編成とは違う鷹取工場出場試運転の短い編成ですが国鉄時代を思い出させてくれる魅力がありました。