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自作小説の舞台地を訪ねる。上野公園編。

自分で書いた「小説」に登場した場所を再び訪ねてみた。
まず、東京・上野公園。
最初に行ったのが、「天海遺髪塔」。



ここを目的に上野公園を訪れる人はいないでしょうが、私は、上野に来たら必ず、ここへ行きます。「尊敬」と「感謝」の意を込めて最初に行くのです。
なにしろ「天海」は小説「東毛奇談」の根幹を成す人物であり、「新田源氏」と「徳川家」を結びつけた人物と私は考えているからです。
徳川家の菩提寺が増上寺と寛永寺の2つあることについて不思議に感じたことはないでしょうか。天海は徳川家の謎に深く関わっていると思います。それは……。
まあ、この辺りについては小説の方で。
しかし「天海遺髪塔」の周辺にはほとんど訪問者はいません。静か過ぎて、ここだけ雰囲気が違う感じがします。
場所的には、彰義隊の墓に近くで、駅からは清水堂を目指すとよいでしょう。(といっても行く人はいないでしょが……)
次が、「上野東照宮」。 ここは天海が勧請しました。


下の画像は、酒井家から寄贈された鳥居です。


酒井家もちゃんと「源氏姓」を名乗ってますね。祖先が新田源氏を名乗る「松平親氏」ですから徳川家と同じです。これは第2章で詳しく書きました。

次は、両大師堂。


場所は国立科学博物館の裏手。
天海と天台宗の中興の祖・良源の2人を祀った寺。日光・輪王寺にもありますね。
良源は好きな僧であります。なにしろ、別名がたくさんあって、面白い逸話がいろいろあります。これあとで書きたいな~。


で、このあとは銀座線に乗って、「愛宕神社」に向かいました。



武人埴輪は「大魔神」の原型。東京国立博物館に展示中。国宝埴輪は群馬県太田市から出土。




武人の埴輪といったらこれでしょう。

「挂甲と頬当・錣の付いた衝角付冑に身を固め,両腕には籠手をつける。鞆を巻いた左手には弓を執り,右手を大刀の柄にかけ,完全武装の東国武人の姿を表している。人物埴輪の中でもきわめて優れた作品で,熟達した工人の作品であることを窺わせる。埴輪では数少ない国宝の一つである。」(東京国立博物館  解説)
これ群馬県太田市飯塚町で出土している。

そう「新田肩衝」と「挂甲の武人」が東京上野で急接近していることになるのだ。
多分、私ひとりが興奮していることでしょうが……。
「新田肩衝」が新田義貞か一族の持ち物だったのではないか、というのは以前書いたこと。http://blog103.fc2.com/blog-entry-163.html#comment52" 関連記事。</a>
そして新田源氏の地に「武人の埴輪」が出土していることは、無関係なことではない。
源氏の名門がなぜ新田荘に移り住んだのかといえば、この地が古来より文明的に発展した地域であったからだ。それは埴輪からもわかることでしょう。
まず、歴史的背景としては、「11世紀ころ白河上皇の政治姿勢によって、源義国は都を去ることになり、自身の領地である下毛国足利荘に移り住んだ。義国は領地開拓に励んで、後に足利荘から新田荘に移り住み、開発に取り組む。義国が新田荘で没すると、長兄の義重が新田荘の開発を受け継ぎ、足利荘に残った次兄義康が足利荘を引き継いく」
そしてこの武人埴輪は兜に刀剣を身につけている。つまり鉄。当時の最先端の技術を持った工人がこの地に多くいたことになる。そういった技術が伝わっていた土地に、新田一族が住み着いたともいえる。新田次郎氏の小説「新田義貞」でもこの点が取り上げられていて、刀鍛冶やたたら師が登場し、物語の重要な役回りとなります。詳しくは<a href="http://daikiti431.blog112.fc2.com/blog-entry-57.html " ここで

つまり、「新田一族」と「挂甲埴輪」は無関係ではない。そして新田一族の象徴としての「新田肩衝」がある。(あくまでも自説)
だから、私は興奮しているのだ。

さて、この埴輪は映画「大魔神」のモデルとなっているという。




他にも「埴輪・犬」「埴輪・腰かける巫女」も同時展示されているのが、これらも東毛地区から出土されている。






そして太田市には古代五世紀中期に作られた東日本最大の前方後円墳「天神山古墳」「女体山古墳」がある。
東毛地区は考古学的にも重要な地なんです。

しかし、これらの古墳ですが全く整備が進んでいない。しかも忘れられ去られようとしている。
これ、余りにももったいない。太田市をはじめとする東毛地区は、多くの文化遺産があるのに「文化不毛地帯」となっているのだ。
無理に観光地化する必要はないが、考古学や歴史学的にももっと整備が必要なのではないでしょうか。

「英語特区」「グンマ国際アカデミー」というキレイ事ばかりに力を入れるよりも、こういった文化事業に力を入れて欲しいですね。太田市長!http://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-category-12.html " 関連記事
他の地域だったなら「博物館」が建ってもおかしくないことです。
「国宝の埴輪」「東日本最大の前方後円墳」なんて他にはないことなんですから。
全く手つかずだなんて酷過ぎる。

というわけで気になった方は、「大徳川展」のついでに埴輪も見てみてはいかがでしょうか。

追記  私は11月3日に行く予定です。

画像は東京国立博物館、ウィキペディア、コナミ から転載。

東京巡りの1日

本日「大徳川展」に行く予定で、上野へ行った。

しかし、月曜日は休館日。

ガビーン。

調べてから行けって!

いつになったら、「新田肩衝」に会えるのか。

「新田肩衝」は114日までしか展示してないという。もう会社さぼってでもいくしかなくなった。

それに別館で、埴輪「挂甲の武人」も展示してあるというのでこちらも見たかった。

これは12月中までなので、こちらも時間がない。

というわけで時間が大幅に余り、歴史ミステリー小説「東毛奇談 第4章・本能寺の変のこと」に出てくる場所をもう一度訪ねてみることにした。

上野公園は「寛永寺」、「東照宮」、「天海遺髪塔」

あとは「日枝神社」と「愛宕神社」

写真も撮ったので、明日くらいに書こうと思う。

赤坂、虎ノ門から新橋あたりを歩いていたら、道に迷った。愛宕神社がなかなか見つからず、だいぶ歩きまわった。

歩いているときの最初の気分は司馬遼太郎の「街道をゆく」か、宮部みゆきの「平成お徒歩日記」だった。しかし目的地が見つからず歩き疲れてヘトヘト。あとになってみれば、目的地の周辺をグルグル回っているだけだった。

日枝神社へ行く道は愛宕神社の巫女さんに聞いたので、すぐに分かった。

「巫女さんありがとう」また伺いますよ。

というわけで、続きは明日。

アメーバブログは特殊か?

アメーバブログは特殊です。


書いた記事をワードや他のブログからコピー&貼り付けすると、文字の大きさや字体変わってしまい、特殊記号などが表示されません。この現象が起こるのはアメーバブログのみ。

よって、記事によって文字が違うのはそのせいです。(私のブログだけでしょうか)

しかも、過去の記事の編集ができない。だから誤字脱字があっても修正できない。これもアメーバブログだけ。

それに、重いし、閲覧できなくなったりするなど不備が多い。


だが、いい面もある。ぺタなどの面白い機能があるので、仲間を増やしやすい。またアクセス解析はなかなかいいし、ルーム、フォトはいい機能だと思う。


やはり、ココログ、goo,ブログ人などの標準的なものから比べるとかなり、かなり異色だと思う。


私のメインブログは小説を載せている、自由度の高い「fc2」だ。また「亀田」「沢尻エリカ」などの言葉に反応がよくアクセス数が伸びるのはヤフーブログだ。(同じ内容で、アクセス数はアメブロの3倍)


やはり、それぞれ一長一短あって、個性があって扱い方も違う。

いろいろ使ってみたが、その中でもアメーバブログは特殊だと思うが、どうでしょうか?

亀田興毅記者会見、速報。



10269時より、会見が始まった。

感想、やはり謝罪すれば、流れは変わるな、と思った。記者たちが悪役のように見えた時点で、この会見は亀田側にとって成功だった。

これから同情論は増えていくだろう。以前の記事参照してください。

国民の声を代表しているかのような記者たちが、的外れなことをしていた。抽象的質問が多くて、あれでは答えづらいでしょう。

また、「なぜ父・史郎氏が出てきて謝罪しないのか」と質問した記者やコメンテーターがいたが、これは攻撃する相手、欲求不満を晴らす、目標を失って苛立っているようだった。

やはり、亀田騒動は一連のドラマのようですね。

これで、復活劇を国民が見たいとなれば、この「物語」は更に進んでいくことになる。

世の中の人々が思い、望んだように「この物語」はこれからも書きすすめられていくようだ。

この一家は、民衆が望んでいる「演者」となっているだけなのだろう。

(あくまでも私見)