日本は掠奪国家アメリカを棄てよ  
グローバリゼーションも共同幻想も必要ない
ビル・トッテン・著   ビジネス社   2007年刊


 コロンブスは「勇敢な冒険家」だと教えられた

  かつてのアメリカは、今と違って夢や希望があふれる国だったのだろうか。これに対する私の答えは、若い時分なら「イエス」だった。
 私が子供のころのアメリカは、今よりは輝いていた。そして個々の家庭レペルでは、今よりずっとのんびりしていた。しかし長じるにつれて、アメリカという国は、実はそもそも建国以来、ろくなものではないことに気付かされた。もっと正確にいえば、発見以来、かの国は悪魔に取り憑かれてしまっているのだ。
 今につながるアメリカの歴史は、15世紀末にヨーロッパ人によって「発見」されたことに始まる。この時期の日本は戦国時代だから、庶民にとっても武士にとっても住みにくく、悲惨な事態に巻き込まれた人も少なくないと思う。
 しかしこの時期、アメリカ大陸やその周辺の島々で起きたことは、少なくとも規模だけ見れば、日本の比ではない。残虐、残忍、凄惨、凄絶、極悪、非道、無慈悲、悪魔…アメリカが発見されて以来、かの大陸で起きたことを思うとき、私の頭にはこれらの言葉が次々と思い浮かぶ。
 アメリカ大陸を発見したのはコロンブスだ。時は1492年、大航海時代のただ中。スペインから派遣されたコロンブスの生まれは、イタリアのジェノバといわれる。
 コロンブスは新大陸のことを終生、インド、あるいは東洋のどこかだと信じていたらしい。それゆえ、彼はかの地の先住民を「インディアン(インド人)」と呼んだ。
 今につながる「アメリカ」の地名は、イタリア・フィレンツェ出身の商人で航海者のアメリゴ・ペスプッチにちなむ。ベスプッチは1499年から行なった2度の航海で、そこはインドではなく、ヨーロッパ人から見た新大陸であることを確信した。そして彼の主張が尊重され、アメリカと名付けられたのである。
 ベスプッチにとりたてて個人的な恨みはないが、これから詳述するコロンブスには、恨みに似た感情、少なくとも憤りを抱かずにはいられない。
  このコロンブスが、アメリカでもそうだが日本でも時折、偉人として取り上げられる。あちこちの書店で、子供向けの伝記や偉人物語のコーナーを見てみると、ヘレンケラー、ナイチンゲール、シュバイツァー、ガンジー、あるいは聖徳太子、二宮尊徳、良寛、宮沢賢治などと並んで、コロンブスの名前がある。
  聞くところによると、中身は大体、コロンブスの未知の世界に挑戦する勇気や冒険心を称える内容だそうだ。こうした本を読んだ子供たちは、「勇敢な冒険家」だったコロンブスに憧れて、自分も強くたくましく生きたいと思うのだろうか。
  ある人物に憧れ、あるいは尊敬の念を抱き、その人物を目標にして人生を歩み続けることは、素晴らしいことだと思う。だが、その目標とする人物が、そもそも尊敬するに微塵も値しない人物だったとしたら、どうだろうか。
  仮に今、『世界の偉人 ヒトラー物語』という本があったとして、どこの親が読ませたいと思うだろうか。あるいは『日本の偉人 麻原彰晃物語』は、どうだろうか。あなたは子供や孫に読んで聞かせたいだろうか。
  実は私自身、子供のころ、コロンブスを「偉人」だと思っていた。なぜなら、そう教えられたからである。アメリカ人も、コロンブスが新大陸を発見し、今日につながるアメリカの繁栄の礎を築いたと教えられる。だから、私もそれを素直に覚えたのだ。
  そしてアメリカは今も、コロンブスが新大陸に到達したことを祝うため、「コロンブス・デイ」を設け、ほとんどの州でこの日を休日にしている。
  では、この偉人・コロンブスとは、一体どんな人物だったのだろうか。彼は新大陸で、何をしたのだろうか。

 見せしめに腕を叩き切る偉人

  以下のコロンブスに関する記述は、ハワード・ジン氏の著作によるところが大きい。ジン氏はアメリカの高名な歴史家で、公民権運動やベトナム反戦運動に熱心だったことでも知られる。私も彼の歴史観や見解には、学ぶことが多い。
  コロンブスとその一行がしたことを書くのは、私自身、かなりの勇気が要る。それというのも、彼らの成した行為の数々は、凄惨極まりないからである。
  コロンブスは日記をつけていた。その日記には、バハマ諸島に上陸した時、先住民は数々の贈り物を手に、海の中にまで出向いて歓迎してくれたと記されている。
  コロンブスが「穏やかで優しい」と形容した先住民は、武器を持たないどころか、その存在さえ知らなかったという。コロンブスは記す。「私がサーベルを見せたら、刃のほうを持って手を切ったくらいだった」
 上陸してから数カ月の間、スペインの後援者に宛てた手紙には「彼らは極めて純真かつ正直で、決して物惜しみしない。乞われれば、何であろうと与えてしまう」と書いている。
  しかし、日記の中に突然、次のような一節が現われる。
  「彼らは立派な召し使いになるだろう。手勢50人もあれば、彼らを一人残らず服従させられるし、望むことを何でもやらせることができるだろう」。これが、コロンブスが先住民に対して抱いていた見解である。客を手厚くもてなす主人としてではなく、自分たちの思い通りのことをやらせるための召し使いとして見ていたのだ。
  コロンブスの日記には、やたらと「黄金」の2文字が登場する。最初の2週間の日記には、75回も出てくる。黄金に目がくらみ、小躍りするコロンブスの姿が目に浮かぶようだ。
  ジン氏が記すように、コロンブスの話で強調されるのは彼の「厚い信仰心」だ。コロンブスはそれゆえ、先住民に「改宗」を迫ったのだろう。一行の主な滞在地であるエスパニューラ島には、至る所に十字架が立てられたそうだ。しかし、それと並べて絞首台も立てられ、1500年には340台を数えているというから、コロンブスの信仰心とは一体何であったのか。
  コロンブスー行の所業には目を覆うばかりである。先住民が持っているわずかばかりの黄金を見ただけで、大量にあるはずだと思い込み、期限を設けて、黄金を差し出すよう命じた。そしてそのノルマを達成できなければ、ほかの先住民への見せしめのため、腕を叩き切ったという。
  山に逃げた者は猟犬に追われ、たとえ逃げ切れたとしても、その先に待っていたのは餓死か病死。いずれにしても死だった。絶望にうちひしがれた人々は、毒を飲み干した。
  コロンブスらが来たことによって、地上の楽園だったエスパ二ューラ島は急速に人口が減っていった。もちろん、この「減る」という意味は、ほとんど「死ぬ」と同義である。もっと正しい表現を使えば、「殺された」ということだ。
  ある学者の推定では、当初30万人いた先住民のうち約10万人が、1494年から96年までの2年間で死亡したという。1508年にはさらに6万人に減り、1548年には生存者は500人いたかどうかも疑わしい。これを「ジェノサイド(集団殺戮)」と呼ばずして、何と呼べばいいのだろうか。

 コロンブスに見る「悪魔の精神」

  コロンブスらの悪行は、これにとどまらない。挙げればきりがないし、書いている身としても気分が悪くなる。しかし英雄の真の姿を知ってもらうためには、今少し、真実に触れておかなければならないとも思う。
  スペインの国王や融資家たちを驚かせるほどの黄金は、ついに見つからなかった。そこでコロンブスは何を考えたか。彼はもう一つの略奪品として、奴隷をスペインヘと送り込み始めたのである。
  彼は500人ほどの先住民を船にぎっしりと詰め込み、大西洋を渡ったが、寒さと病気のために200人ほどが途中で死亡した。1498年9月の日記に、コロンブスは「三位一体(トリニティ)の神の御名において、売れる奴隷という奴隷をどんどん送り続けよう」と記している。まったく敬虔なキリスト教徒だ。後の章で改めて記すが、キリスト教徒は、本当に主であるイエス・キリストの教えに背くことばかりやっている。
  バルトロメー・デ・ラス・カサスという人物がいる。彼はスペイン出身のカトリック司祭で、コロンブスより30歳ほど年下だ。いわばほぼ同時代の人物なのだが、ラス・カサスは当時、スペインが国を挙げて進めていた植民・征服事業における数々の不正と先住民に対する残虐行為を告発し、スペイン支配の不当性を訴え続けた。
  ラス・カサスは自身の著書で、インディアンについて次のように記している。
  「無限の宇宙の中で、彼らは最も明朗で、邪悪さや不誠実なところがまったくない。しかし、この羊の檻の中にスペイン人が突然侵入し、貪欲な獣として振る舞い始めた。彼らは、キリスト教徒には黄金を手にするという絶対的な使命があるとして、殺戮や破壊行為を正当化した」
  そしてラス・カサスは、最も凄惨な現場を目の当たりにする。それは、兵士がふざけてインディアンを刺し殺し、赤ん坊の頭を岩に投げつけるという信じがたい光景だった。
  「隣人を自分のように愛しなさい」「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたが人にしなさい」。キリスト教の始祖であるイエスはそう説いたが、1500年の後、彼の信者たちは隣人を刺し殺し、隣人の赤ん坊を平気で岩に投げつけた。
  もともと「所有」という概念がなく、自分の物も他人の物も区別していなかった先住民が、スベイン人のものを手にした場合には、打ち首か火あぶりにされたという。さらに強制労働に駆り出された先住民の大半は、病気か死に追いやられた。過重労働と飢えで母親の乳が出ないために、大勢の子供が死んだ。ラス・カサスは、3カ月で7000人の子供たちが死亡した、と推定している。
  加えて、先住民には免疫のなかった腸チフス、発疹チフス、ジフテリア、天然痘などの病気がヨーロッパから運ばれ、これらを理由に大勢の人が亡くなった。
  コロンブスが上陸した時にはおよそ800万人だった西インド諸島の人口は、約20年後の1514年には、約2万8000人しか残っていなかったという。要するに、99パーセント以上の先住民が殺し尽くされた計算になる。
  心優しき先住民にとって、コロンブスは偉人どころか疫病神であり、死に神であり、悪魔だったはずだ。恐らくは「この世の終わり」に思えただろう。事実、彼らのほとんどは人生に終止符を打たれてしまった。
  この悪魔の所業については、まだまだ書くことができる。しかし、書いている私もそうだが、読んでくれているあなたも、いい加減、気分が悪くなってきたのではないだろうか。
  コロンブスによって持ち込まれた「悪魔の精神」は、新大陸アメリカヘと引き継がれ、悪しき伝統としてかの国に根づいてしまっているように思えてならない。

 「感謝祭」の真実とハリウッド式洗脳術

  アメリカには、クリスマス前の11月の第4木曜日に「感謝祭」と呼ばれる祝日がある。この日、家族や親しい友人と過ごすために帰省ラッシュが繰り広げられ、どこか日本の正月を彷彿とさせるムードが全土に漂う。
  この感謝祭には、先住民が関係している。1620年11月、メイフラワー号に乗った清教徒(ピューリタン)たちが、イギリスからアメリカ大陸(マサチューセッツ州プリムス)に渡ってきた。
  そこで彼らを待ち受けていたのは厳しい冬だった。そんな彼らに食料を分け与え、カボチャやサツマイモの育て方を教えたのは、アメリカの先住民たちだった。
  自然と調和しながら生きてきた先住民は、当初自分たちの土地へ突然やってきた人々に敵意を持っただろうが、新しい土地で食べるものにも事欠いていた白人たちの困窮をさすがに見かねて、手を差し伸べたのだ。
  イギリス人たちは、先住民から農作物の種を分け与えてもらい、作り方を教わった。そして、初めて採れた作物を料理して、友人たちとともに神の恵みに感謝した。これが、感謝祭の始まりである。
  最初の感謝祭には、先住民たちも招待された。想像の域を出ないが、この時は先住民とイギリス人は互いに打ち解け、心を許して語り合ったのだろうか。それとも、イギリス人は後に行なうことになる悪行を頭に描きつつ、表面だけ取り繕っていたのだろうか。
  いずれにせよ、この後、先住民は白人に殺戮され、自分たちの土地を奪われることになる。人のよい先住民は、共に過ごした感謝祭の夜、そしてその後の自分たちの運命を想像することすらできなかっただろう。
  私がアメリカで受けた学校教育では、アメリカ先住民の文化について、ほとんど教えられなかった。彼らの歴史や文化、彼らに対して白人がしてきたことを知ったのは、実はごく最近のことである。
  新しくやってきた白人たちに、殺戮され、土地を奪われ、居留地に閉じ込められた先住民たちは、アメリカ政府の「同化政策」に服従することを強制された。同化政策とは、彼らから文化を奪うことであり、子供たちは家族から引き離され、国が作った寄宿学校で、西洋の文化やキリスト数的価値観を押し付けられた。
  もちろん、英語以外の民族固有の言葉は、その使用が禁じられた。アメリカがイギリスから独立した1776年、独立宣言は「すべての人間は平等につくられている」と謳ったが、その中に先住民は含まれていなかった。
  学校教育に加えて、ユダヤ系の人々が集まり作り上げたハリウッド映画が「正義の白人と野蛮なインディアン」という図式を喧伝した。西部劇のほとんどは、勧善懲悪のストーリーで、善は白人、悪はインディアンだった。
  今だから話せるが、私自身、子供のころはインディアンが怖かった。
  西部劇に出てくるインディアンは、実に恐ろしい。きつく険しい形相のインディアンが善良な白人たちに襲いかかり、金品を略奪する。対する白人は柔和な表情をしていて、穏やかで明るく優しい。絵に描いたような善人だ。
  荒くれ者の白人が登場する西部劇も少なくはない。白人同士の決闘もあるが、インディアンは常に悪者だ。その悪者インディアンは結局、白人の保安官か騎兵隊に撃ち殺されたり、捕らえられたりして、一件落着…ほとんどが、こういうシナリオで終わる。
  幼い私も、この結末にいつもホッと胸をなで下ろした。子供のころに受けた教育や映画、テレビの影響は絶大で、私は割に最近まで「インディアン=悪」の図式が、なかなか抜けなかった。
  こうした西部劇はまさしく劇であり、真っ赤な嘘であることは今や常識である。さすがに最近は、このような「白人=善」「インディアン=悪」の映画やドラマが、ほとんど作られなくなったが、イラク侵攻を正当化させるアメリカ政府の論弁を聞くと、かの国の「洗脳工作」は今も健在であることがよくわかる。
  アメリカ政府のプロパガンダはなかなか優れているから、実は今でも多くのアメリカ人は、今のアメリカの発展が先住民族の「屍の上」にあることを知らない。のみならず、野蛮な文化を終わらせたことを文明の勝利と信じて疑わない輩すら、今も多数存在する。
  先住民族が合衆国市民として認められたのは、1924年。最初の感謝祭から、実に300年以上経ってからだった。その間、奪われた土地や言葉や文化は戻ることもなく、先住民はさまざまな民族の中で、今も最下位の層に位置している。
  歴史書のほとんどは、勝者の都合で書かれる。先住民の土地を奪略し、無実の彼らをことごとく殺し尽くしても、白人にとってそれは未開を文明化する正当な行為であり、進歩であり、正義だった。歴史は今も事実を隠蔽し、文明と進歩と正義を前面に打ち出し、子供たちを洗脳し続ける。
  感謝祭が行なわれる日、今のアメリカ人でまったくどれだけの人が、先住民から受けた恩を思い起こすだろうか。そしてどれだけの人が、その先住民を殺戮した事実を知っているだろうか。
  ハリウッド映画で描かれるアメリカは、今日まで明るく誇らしく希望に満ちている。しかし真実のアメリカは、過去も現在も、ドス黒く邪悪な悪魔が棲み着いている。

● ミニ解説 ●
  著者はアメリカ生まれ、アメリカ育ちの生粋のアメリカ人ですが、2006年にアメリカに見切りをつけて日本に帰化しています。アメリカという国が「悪魔の住む国」であることがわかったからだと言います。日本に住んでいると理解しにくいかも知れませんが、いまやアメリカは中産階級が破綻して貧困層へと没落していくなかで、ごく一部の富裕層に支配されたたいへん住みにくい国と化しているのです。
  富裕層の圧倒的多数を占めるのがユダヤ人だと言われています。そして、ここに出てきたコロンブスの一行と、その後、新天地で一旗揚げるためにイギリスから流れてきた清教徒たちの多くもユダヤ人だったのです。
  新大陸に押し寄せた人たちが先住民にどういうことをしたか、ということは、アメリカの子どもたちが使う教科書には全く載ることはありません。なぜなら、アメリカは今や完全にユダヤに支配された国だからです。著者も文中でやんわりと述べていますが、主要なマスコミはもちろん、ハリウッドで作られる映画もすべてユダヤ資本に押さえられ、コントロールされているのです。
  そんなアメリカに嫌気が差して、著者は日本へと逃れてきたわけですが、その日本にも、ユダヤの魔手はしっかり入り込んでいますので、このままいけばアメリカとよく似た社会が実現することになるでしょう。そうなると、もう世界中どこにも逃げるところはなくなってしまいます。
  実は、コロンブスが目指したのはこの日本だったと言われています。もし彼らが目的どおり日本にたどり着いていたら、インディアンが直面した運命は日本人のものとなっていたかも知れないのです。決して人ごととは思われない話です。
  この本で著者は今日のアメリカという国の病理を余すところなく指摘しています。その上で「アメリカは世界のならず者国家である」「日本はアメリカを追うべきではない」というのが著者の結論です。これからの日本を占う上でもたいへん参考になりますので、ぜひ書籍を購入して読んでいただきたいと思います。お勧めの本です。
                                      (なわ・ふみひと)
  http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/hitokuchi031.html   

 
 大航海時代って今でも教科書に書いてるのかな? 


 大量殺戮時代って書いた方が適切だと思われるのですが・・・・・・・ 

 
 まあとにかくコロンブス糞食らえ!と叫んでおこう。 

  
 アメリカの戦争の隠された犠牲者: 毎日18人の退役軍人が自殺

Bill Van Auken

2010年4月28日

オバマ政権とペンタゴンが、ワシントンの侵略戦争に駆られている自殺のまん延に関して、益々防御的になる中で、毎日平均18人のアメリカ退役軍人が自殺をしている。

アメリカ退役軍人省当局者の発言を引用した驚くべき数値が、先週ミリタリー・タイムズによって報じられた。

退役軍人省は、省による治療を受けている退役軍人の自殺企図が毎月950件あると推計している。このうち、7パーセントは自殺に成功し、11パーセントが、9カ月以内に再度自殺を試みる。

自殺が一番増えているのは、イラクとアフガニスタン戦争の退役軍人たちのもので、9月30日に終わる2009年度で、1,868件の自殺企図があった。このうち約100人が自殺に成功している。

兵士の自殺の“増加”と、イラクとアフガニスタンで継続している戦争との関係は否定できない。同等の(年齢と性別を補正した)一般市民の間での自殺率は、横ばい状態のままであるにもかかわらず、軍内部の自殺率は、2001年と2006年の間で倍増した。しかも、この数値は着実に増え続けている。 2009年には、160人の現役勤務の軍人が自殺したが、2008年には、140人、そして2003年には、77人だった。

自殺が増大するのは、いわゆる“対テロ戦争”が10年目を迎えようとしており、およそ200,000人の米兵がアフガニスタンとイラクに派兵されている中、全員が志願兵であるアメリカ軍の軍人であれば否応なしにあじあわされる、繰り返される戦地派兵が原因だとする人々は多い。

繰り返される派兵の効果が、イラクとアフガニスタンでの戦地勤務の間の、アメリカ本土の基地で過ごす合間、つまり、いわゆる“滞留時間”の短さによって更に悪化する。二つの戦争では、大半の場合、要員不足のおかげでこの期間は、わずか一年に限定されている。現在では、二年に近くなっているが、派兵されていた時期に味わった心理的なストレスを改善するには、少なくとも、三年必要であることが、心理学的研究によって判明している。

軍司令部は、この二つの関連を曖昧にしようと務めてきた。 先月、例えば軍医総監エリック・シューメーカー中将は、上院委員会で、兵士の自殺において、最よくある因子は“何らかの形の壊れた人間関係”だと語った。だが明らかに、複数回の派兵と、それが兵士に対して及ぼす心理的衝撃が、人間関係の断絶に到るような、破綻した結婚生活や、精神衛生上の問題の主要因なのだ。

自殺に関し、ペンタゴンに助言をしている元空軍将校で、テキサス州大学精神分析医のクレイグ・ブライアンは、現象を軍自身が行っている訓練と結びつけている。

“制御された暴力・攻撃を使用するよう、困難に直面した際の強い情緒的反応を抑えるよう、肉体的、精神的苦痛に耐えるよう、怪我や死の恐怖を克服するように、わが戦士を我々は訓練しています”と彼は今月早々タイム誌に語っている。こうした項目は、兵士が、疑わずに人を殺せるようにさせるべく設計されており、“自殺のリスク上昇とも関連しています”と彼は述べた。こうした心理的特性は“わが軍の戦闘能力に、悪影響を与えることなしに”変更することはできないと、彼は補足した。単刀直入に言うと、ブライアンによれば、自殺は一種の職業災害なのだ。“端的に言えば、軍人は兵士訓練のおかげで、自殺する能力が強化されるのです”と彼は言う。

まさにその訓練が、イラクとアフガニスタンでのトラウマ的経験とあいまって、市民社会に再度溶け込もうとしている、二つの戦争に出征した退役軍人たちの多くに対し、重度の困難さをもたらしているのだ。自殺というのは、こうした問題の、最も目につく悲劇的な指標だが、問題は他にも色々ある。

先月、イラクとアフガニスタンからの退役軍人の失業率は、14.7パーセントに達したが、アメリカの公式失業率より50パーセントほど高い。

最近の退役軍人省による推計の一つによれば、154,000人のアメリカ退役軍人が、ホームレスで、彼らの多くは道路で暮らしている。こうしたホームレス軍団の人数は、イラクとアフガニスタンから帰国する人々で、次第に膨れ上がりつつある。

軍医総監シューメーカー中将は、月曜日、精神的問題との戦いから復帰しつつある兵士に対する軍の対応の一つが“過剰投薬”だと認めざるを得なかった。

“我々は過剰投薬を懸念していると申しあげることができる”と中将は語り“使われている薬剤の満艦飾と、種類を我々は大いに懸念している。”と補足した。

ミリタリー・タイムズによる先月の報道によれば、アメリカ軍兵士の6人に1人が何らかの向精神薬を服用しており、兵士の15パーセントが、前月に処方薬を乱用したことを認めている。

シューメーカーのこの発言は、ニューヨーク・タイムズが日曜日に掲載した、コロラド州のフォート・カーソンの、いわゆる“傷病兵士療養部隊”を暴露する記事に答えて、開催された記者会見でなされたものだ。記事は、この施設や同様の施設を“'病んだ退役軍人の男女が人目につかぬ様に隔離され、処方された薬品を山の様に与えられ、下士官に厳しく扱われる絶望の倉庫”と呼んでいる。

記事の中でインタビューをされた兵士たちは、鎮痛剤を処方されたが、睡眠薬や他の薬剤と同様、その依存症になってしまったし、アルコールやヘロインは兵舎内で、簡単に手に入ると語った。ところが、ごくわずか、あるいは全く治療されていないのだ。

2007年以来、フォート・カーソンの部隊に配属された兵士の少なくとも四人がそこで自殺した。

4月16日、元陸軍参謀長で退役軍人省長官のエリック・シンセキは、退役軍人の自殺に関し、連邦議会で証言し、同様に多くを物語る数値を提示した。ホットラインは、月に退役軍人の自殺10,000通話の相談を処理していると彼は説明したのだ。

シンセキは、議会委員会で、アメリカ軍要員の二つのイメージに悩まされていると語った。一つ目は“我々のあらゆる期待をしのぐ偉大な若者たち”である新兵のイメージだ。

二つ目は、“アメリカのホームレス、失業、精神衛生(問題)、鬱病患者、薬物乱用者、自殺、の不釣り合いな割合”を占める退役軍人のイメージだ。

途中で“何かが起きたのです”シンセキは語っている。“そして我々は、それが何であるのかを解明しようとしています。”

それは、偉大なる謎などというものではない。こうした“偉大な若者たち”は、侵略戦争と植民地型占領の中に投げ込まれ、そこで恐ろしい暴力にさらされ、全国民の征服に従事させられ、必然的に民間人の男性、女性や子供を殺害することになる。こうした条件から生じた精神的、情緒的トラウマがあることを認めた人々は、のけ者、弱虫として扱われるのだ。

シンセキがワシントンで証言をしたまさにその日、イラク戦争の退役軍人で、心的外傷後ストレス障害の治療を受けていた27歳のジェシー・ハフは、オハイオ州デイトンにある退役軍人省医療施設の外で自殺した。イラクで道端に仕掛けられた爆弾によって負傷していたハフは、(アメリカ南北戦争の)北軍兵士像の足元で、自動小銃で頭を二発撃って自殺した。いとこの一人は、AP通信社に、イラクから帰還してからというもの“彼は別人のようでした”と語り、若者と一緒に暮らしていた父親は、ハフは“本当に苦しんでいました”と語った。

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2010/apr2010/mili-a28.shtml

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2009年11月、テキサス州フォートフッド米陸軍基地で、退役軍人に対応していた精神科軍医が、アフガニスタンへの派遣命令を受け、13人を射殺した事件の背景にも、warrior transition unit(傷病兵士療養部隊=訳が見つからないので適宜訳した)があった。

この事件については、ブログ「薔薇、または陽だまりの猫」をお読みいただきたい。[TUP-Bulletin] 速報848号 米軍基地銃乱射事件:イラク帰還兵に深まる心の闇

「希望は戦争」という言葉が、昔、話題になった。今は廃刊になった雑誌に2007年1月に載った論文の題名だったようだ。

文章に驚いたが、すかさず反論した人々が、見当はずれだと揶揄されたことに、もっと驚いた。

文章をみると、「戦争が起きれば社会は流動化する」や「国民全員が苦しむ平等を」という文章がある。ごく一部、引用させていただこう。

「 もちろん、戦時においては前線や銃後を問わず、死と隣り合わせではあるものの、それは国民のほぼすべてが同様である。国民全体に降り注ぐ生と死のギャンブルである戦争状態と、一部の弱者だけが屈辱を味わう平和。そのどちらが弱者にとって望ましいかなど、考えるまでもない。

 持つ者は戦争によってそれを失うことにおびえを抱くが、持たざる者は戦争によって何かを得ることを望む。持つ者と持たざる者がハッキリと分かれ、そこに流動性が存在しない格差社会においては、もはや戦争はタブーではない。それどころか、反戦平和というスローガンこそが、我々を一生貧困の中に押しとどめる「持つ者」の傲慢であると受け止められるのである。」

宗主国アメリカ、長いこと永久戦争をしているが、社会は流動化しているのだろうか?格差は縮小しているだろうか?国民全員が苦しんでいるのだろうか?持たざる者が、戦争によって得るものは一体なんだろう?

砲弾の餌食を生み出そうという大本営宣伝部隊プロパガンダ、着々進行中。

『戦争における「人殺し」の心理学』(ちくま学芸文庫) という本を大分前に購入しては見たが、人殺し訓練の説明?読む気になれず、行方不明。ベトナム退役軍人の、こうした問題も詳しく書かれていた(ように思う。)

藤永茂氏のブログで知ったシルコーというネイティブ・アメリカン作家の『悲しきインディアン』は、第二次大戦時、フィリピンで戦って、やはり神経症になったネイティブ・アメリカン、タヨの話。   
 マスコミに乗らない海外記事 http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/18-a640.htmlより 

 、「戦争が起きれば社会は流動化する」や「国民全員が苦しむ平等を」ってか 

 流動化とはなんぞや  

   反戦平和というスローガンこそが、我々を一生貧困の中に押しとどめる「持つ者」の傲慢であると受け止められるんですか? 
 そうですか私は持たない物のひとりなんですが。 

 戦争は流動食なんですかね あれは不味いらしい 
 
 ま 見たらわかるよね。

 

    
   大統領は、私たちの土地を買いたいとの手紙を送ってきた。 だが、空がどのように売り買いできるのだろうか? 土地を買う? この考えは私たちにはとても奇妙だ。 この空気の清々しさや水のほとばしりを私たちが所有しているわけではないのに、どうしてそうしたものを売り買いできるのだろうか?

この大地のどの部分も、私たちにとって神聖なものである。 輝く松葉一本一本が、砂浜の一粒の砂が、深い森の霧が、草原が、羽音をたてている虫たちが.....。 すべてが私の種族の体験と記憶の中で神聖なのである。
私たちは、血管に流れている血液を知っているように、木に樹液が流れていることを知っている。 私たちは大地の一部で、大地は私たちの一部なのだ。 香る花たちは私たちの姉妹であり、熊や鹿や大鷲たちは兄弟だ。 ロッキーの谷、牧草地のミルク、ポニーの体温、そして人間、みな同じ家族である。

海や川を流れる輝く水はただの水ではなく、私たちの先祖の血である。 もし、私たちがあなた方に土地を売るとしたら、それが神聖なものであることをあなた方は忘れてはならない。 湖の澄みきった水の反射一つ一つが、あなた方に私たちの生活の記憶や出来事を語る。 水のつぶやきは、私たちの曽祖父の声なのだ。
川は私たちの兄弟である。 私たちの渇きを癒してくれるのだ。 カヌーを運び、子供たちを育ててくれる。 だから、あなた方は兄弟に対する親切さを川に与えなくてはならない。

もし私たちが土地を売ったら、空気が私たちにとってどれだけ貴重であるかを忘れてはならない。 空気はすべての生命を支え、すべての生命とその精神を分け合っている。 風は私たちの祖先に最初の息を与え、そして最後の息をひきとった。 風はまた、私たちの子供たちに生命の息吹を与えているのだ。 だから、もし私たちが私たちの土地を売ったら、あなたがたはその土地を、いつでもそこへ行けば牧草地の花の甘い香りを運ぶ風が味わえる場所として、別にして神聖にとっておかなければならない。

あなた方は、あなた方の子供たちに、私たちが子供たちに教えてきたように教えますか? 大地は私たちの母である大地に生じるものすべてが、大地の息子たちであると。
 
私たちは知っている。大地が人間に属するのではなく、人が大地に属するのだということを。 すべてのことは、血液のように私たちを一つにしているのだ。 人は生命の布を織らなかった。 人はただ、その中の一本の糸にすぎない。

私たちは知っている。 私たちの神は、あなた方の神でもあることを。 大地は人にとって尊いものであり、大地を傷つけることは創造主への大いなる侮辱である。

あなた方の運命は私たちにとって謎である。 バッファローがすべて虐殺されたらどうなるのか? 野生馬が家畜化されたら? 森の中の神聖な場がたくさんの人間の臭いで充満したら、昔からの山々の景色が電話の線で汚されたら、いったいどうなるのか?

木の茂みはどこにあるのか? 今はなくなった! 鷲はどこにいるのか? もう見えない! 元気なポニーとの狩りに別れを告げるものは何か? 生存の終わりと残存の始まりである。

最後のインディアンが原野と記憶とともに消えたとき、草原を横切っていくのは雲の影だけ。 そんな砂浜や森がそのときまだここにあるだろうか? 私たちの精神はまだ残されているだろうか?

私たちはこの大地を、生まれたての赤ん坊が母親の心臓の鼓動を愛するように愛している。 だから、もし私たちが私たちの土地を売ったら、私たちが愛したように愛してください。 私たちが気にかけたように、気にかけてください。 あなたが受け取った、そのときのままの土地の記憶をずっととどめていてください。 子供たちのためにその土地を保存し、愛してください。 神が私たちすべてを愛するように。

私たちは土地の部分であり、あなた方も土地の部分である。 この土地は私たちにとって尊い。あなた方にとっても尊いものだ。 私たちが知っていることは一つ、神は一人しかいないということだ。 インディアンであろうと白人であろうと、人間は引き離すことはできない、私たちは結局は兄弟なのである。 -

(つい最近、シアトルは環境保護団体から全米一のクリーンでグリーンな都市との称号を与えられた。 自然破壊も続いているが、せめてこのことをシアトル酋長に伝えたい。)

 http://scottts.exblog.jp/10661740/#10661740_1 
 
  さあ 何を買う? 
 
  

  

  わが友ホロゴンというブログより  

 

 モナ・シメオナという人が創始した「癒しの方法」があるそうですね。
ホ・オポノポノ
ハワイの人間国宝が考え出した、全責任を負うことからもたらされる癒しの方法である。

    人間は、自分の一生について責任を取るべきであり、
    そのことは、一生に体験したすべてのことの責任を取ること、
    これが「セルフ・アイデンティティ・ホ・オポノポノ」と名付けたそうです。
    (いわば、自分の全身全霊を肯定するということでしょうか?)
    体験、世界は自分の外にあるものではなく、自分と一体であり、
    世界を変えるためには、自己自身が変わらなくてはならないというのです。

この教え、なんだかアレキサンダー・テクニークにとても似通っています。
当然でしょう。
偉大な教えというものは、一つの真理から発するはずだからです。

このモナの弟子のイハレアカラ・ヒューレンは、その方法をこう教えているそうです。

    なにか問題があるとき、自分の過去の記憶を探って、
    その問題の根源を探り、それが見つかると、
    次の4つの言葉を全部使って、過去との和解を達成する。

         ごめん
         許して
         ありがとう
         愛してる

これって、いつも自分の奥さんに向かって言っている言葉みたいですね。
それだって、ホ・オポノポノなのでしょうね。

自分の写真たちに対しても、同じ態度だと気づきました。
人から見たら、つまらない写真たちばっかり。

    でも、そんな写真を撮ったのは、私です。
        ごめんね。
    立派な写真にできなかったこと、
        許してね。
    でも、とにかく、こんな楽しい写真になってくれて、
        ありがとう。
    みんな僕の家族みたいなもんだ。
        愛しているよ。

今回も、そんなホ・オポノポノのプロセスを経た、愛しの写真を2枚。
    いつも、そんな風に「いいよ、いいよ」ってしてたら、
    進歩なんか、ありえないじゃないの?
あなたはそう言うかも知れません。
でも、肩肘張らずに、ゆったりとした気分で撮影し、
撮れたものを全部認めてあげることで、
次の撮影への心の支えができる感じがします。
いくら気張っても、無理しても、撮れないものは撮れない。
自分の実力を超えて、幸運を狙っても仕方がない。
果報は寝て待てと言います。 

 引用終了・・・・  

 リンク先に素晴らしい写真の画像がたくさんあります。  
 
 
 ・・・・・・・   

       

     
    タバコと「共生」しましょう 「★ つ・ぶ・や・き★(1021217)」
       あらゆる生命は、生命そのものを創ることはできません。
あらゆる生命は、他の生命をいただいて、その生命を繋いでおります。

あらゆる生命は、天寿をまっとうしたい、自分の子孫を残したいと思っております。
あらゆる生命は、自分が一番可愛いのです。

ですから、あらゆる生命は、まず自分を防衛します。
動物は、動くことができますので、捕獲・捕食されないように逃げます。
一方、植物は動くことができません。

ですから、一度は「捕獲・捕食」されても、「2度目」はないように自主防衛システムを創ります。
つまり、自分で「毒」を作り出し身に付け、「捕獲・捕食」されないようにします。

更には、この「毒消し」を獲得したものにだけ、自分の生命を捧げ、同時に子孫を残す役割を担って貰っております。

これが棲み分けです。

人間も、例外ではなく、他の生命の有害なものをもいただいて、自分の命を繋いでおります。
玄米にも、大豆にも、ニンジンにも、ほうれん草にも、それが無農薬で栽培されたものであっても、毒を含んでいるのです。

人間の「毒消し」の代表選手が「唾液」であり、腸内細菌様や腸内酵素様です。
感謝

ですから、有害物質を含む「食べ物」は、良く噛んで唾液を分泌させ、その唾液とグチャグチャに混ぜ合せて腸様に送り届けなければなりません。

腸内では、分解、選別、組み立て、消化、吸収、そして毒物の排出へと、生命維持の根幹部分の活動が「天の采配」によって行われ、心身のバランスが保たれています。
更には免疫システムが同じ「天の采配」によって稼動して「悪者退治」をしていただき、言わば「二重の生命維持機能」というダブルチェック機能が働いております。

勿論、嗜好品の「タバコ」にも有害なものが含まれているのは当然です。

北海道新聞2月26日朝刊の第一面のトップ見出しは、
「公共の場 全面禁煙  厚労省通知 受動喫煙防ぐ」とあります。
以下、前文を引用掲載します。

「厚生労働省は25日、飲食店やホテルなど不特定多数の人が利用する公共的な空間を原則として全面禁止とするよう求める通知を都道府県など自治体に出した。
受動喫煙による健康被害の防止を目的とした措置で、自治体を通じて関係施設への周知を図る」
                          引用終了

この根拠となっているのが「タバコ発がん説」であることは間違いありません。
さて私は「タバコ発がん説」が間違っているという立場です。

タバコも生命ですから有毒物質を持っています。
その毒も、人間の免疫力の守備範囲内であれば「毒消し」となります。
そして、その有益な部分が人間に活用されてきていますので、今日まで「嗜好品」として、時には「生薬」として嗜まれてきています。

タバコの毒が強調され始めたのは、たかだか約50年前からです。
この頃は、物質的には豊かになり始めましたが、環境汚染や食生活が「文明化」されて、免疫力が低下し始めました。

食べ物も農薬塗れの農作物から料理されるようになり、生命力の少ないものとなりましたので、いただく私たちの自然治癒力、免疫力も低下していくのは当然です。

日本の伝統食であります穀菜食を良く噛んで少量いただいていますと、自然治癒力も、免疫力も、適正な水準に維持されていきます。

この「適正な水準」を下回ってしまったから「タバコの毒」が「毒消し」されないまま、「注意信号」を送って「氣付き」を与えていただいているのでしょう。

ここに「タバコ発がん説のウソ(エセ科学者と厚生省の犯罪的役割)」山田千晶著
恒友出版1996年9月刊 という書籍がありますので、以下、引用掲載します。

まずは「タバコ発がん説」の原点となっている疫学調査の「平山雄センセイ一派の間接喫煙の動物容験」です。

「ハツカネヅミを二つのグループに分けて、一方のグループには毎日30~40分間タバコの煙が充満した180リットルの密閉部屋に入れ、他方のグループのハツカネヅミはまったくタバコの煙にふれさせずきれいな空気のなかで育てる。

1年後にはタバコの煙にさらしたグループでは17%の肺がん発生と33%の前がん変化があり、1年半後には33%の肺がん発生と30%の前ガン変化がみられたという。

タバコの煙に触れさせていないグループでは、1年後には肺がんはゼロ、前がん変化のみ3%、1年半後に肺がん4%、前がん変化12%が生じたのみであると言っている。(中略)

先の実験のコントロール(対照群)実験としては、
毎日30~40分密閉部屋へ移し替えられるストレスのコントロールとして煙のない密室部屋へ移し替える対照群のネズミも必要であるし、
お線香やもぐさ等タバコ以外の煙にさらす対照群のネズミも必要である。

密閉した部屋へ移し替えるストレスを与えても、タバコ以外の煙にさらしても、発がん性が増加しないというコントロール実験がなされていれば、タバコの発がん性は少しは説得力もあろう。

それにしても、小さいハツカネズミが30~40分、煙の充満した部屋のなかで過ごす実験が、人に適用した場合どんな意味があるのであろう」

更には「平山センセイの拠り所265,118人の疫学(調査)」は、1966年から1982年にかけて調査されたものです。

この調査も始めから「タバコ発がん、ありき」を前提とした恣意的な方法であり「統計でウソをつく方法」の典型的な見本であると言う。

続けて「自殺者が自動車の排気ガスを車中に引き込んで30分くらいで目的を成就するというのに、毎日何千万台の自動車が排気ガスを撒き散らし往来している事実を、健康の疫学調査にいっさい考慮しなしでいられる、その非人間性こそが問題である。

大気汚染裁判の裁判官に大きく影響を及ぼし、自動車業界に免罪符を与え続けていくことだけに情熱を傾けているのであろう」と最もな主張です。


「タバコの有害成分とやらは、この程度の微量成分なら自然食品のあらゆるものに含まれているものであり、タバコ成分の有害性を強調するならば、他の食品にはこうした成分がまったく含まれていないというコントロール(対照群)を示すべきである。

タバコ発がん説に共通しているのは、疫学調査でも動物実験でもコントロールの弱さであり、心ある研究者から軽べつされ信用されないのもその点にある。

コントロールの弱い研究は、いくらでも新発見ができるのである。

疫学や動物実験に厳密な対照群が要求されるのは、実行者による恣意的解釈を許さないためである。
タバコ発がん説を強調するためには、タバコ以外に考えられる原因を複数リストアップし、それらを対照群として疫学調査の対象とすべきなのである」

更には、「一番本質的なことを論議するのは大変厄介であり、差し障りも多い」ので、つい、身近な「二番め」から「議論するのが通例である」。

「本質的問題解決を避けるがための"二番手思考"は、国や世界のレベルでは歴史的犯罪を冒すことになり、個人的身辺で常用していると、八方美人として信頼を失うことにもなる。

だからといって、"二番手主義"の社会的潤滑油としての効用を認めないわけではない。
"二番手主義"は現在の情報社会で、"一部の事実を誇張"し"一部の事実を無視"すれば作り上げることのできる"らしさ文明"の基盤となる。

"二番手主義"が潤滑油としての役割から、"切捨て主義"へ変質堕落する道は、"二番手主義"に内在する本質的問題の回避志向を厳しく受け止めようとしない精神の堕落から生じる」

このような文明論にも言及する著者は、元国立予防衛生研究所室長という「らしからぬ」役人さんです。

最近は少なくなってしまった、愛煙家の皆様、
「タバコが生活のリズムを作り、その人の状況によって適度に興奮作用があり、適度に沈静作用があるという西洋医学にはない漢方薬的効能があることを身体で知覚しているのである。
そのリズムが大変健康に役立っているのである」から、適正な穀菜食を実践して、大きな顔して、公共の場でも、嗜好品としてのタバコを満喫してください。

さて、「魔女狩り」に引っかからないよう用心しなければならないのは、愛煙家様だけではありませんよ。
次のターゲットは貴方かも?

いや、その前に私かな?

付記 本質的な問題を先送りする「二番手主義」で「大気汚染」のスケープゴートにされているのがタバコです。
この「大気汚染」の元凶は、農(毒)薬と自動車の排気ガスです。

たかが嗜好品に過ぎないタバコを締め出す前に、農(毒)薬塗れの食品を「公共の場」そして「田畑」から締め出さなければなりません。

これは厚労省や農水省、文部科学省など個々の役所の問題ではなく、日本国全体の本質的「政治」問題です。

今では、世界的に絶滅種となってしまった「政治家」が決断して断行すべきお仕事です。

 http://plaza.rakuten.co.jp/kennkoukamukamu/diary/201003010001/  
 全面禁煙化は中小企業や飲食店には厳しい
たばこ税は国と地方をあわせ2兆円規模で安定した財源でもある

2010年3月24日

 職場や飲食店の屋内原則禁煙化を義務づける動きが進んでいる。新聞では全面禁煙ともとれる見出しがつけられているけれどもミスリードだ。厚生労働省の有識者検討会でも指摘されたように、中小企業や飲食店の経営に配慮する必要がある。
「職場の禁煙 法制化へ」という見出しはミスリードだ


 2月7日付の朝日新聞は、「職場の禁煙 法制化へ 厚労省 飲食店にも規制」という見出しで次のように報じた。

「他人のたばこの煙を吸わされる『受動喫煙』から労働者を守るため、厚生労働省が職場の原則禁煙化に乗り出す。事業者に受動喫煙を防ぐよう義務づける労働安全衛生法の改正案を、早ければ来年の通常国会にも出す方針だ。

 法改正が実現すれば、通常の事務所や工場では、仕事をする空間で喫煙できなくなる。ただ、男性の喫煙率が3割を超え、建物をすべて禁煙にするのは非現実的だという意見も多く、当面は喫煙室設置を認めることになりそうだ」

 見出しに「職場の禁煙 法制化へ」とだけ打つのは、あたかも全面禁煙が実施されるようであり、ミスリードだ。記事本文では書かれているように、厚生労働省の検討会は全面禁煙とは言っていない。

分煙を進めることが現実的ではないか

 2010年4月をめどに取りまとめられる、厚労省の「職場における受動喫煙防止対策に関する検討会」報告書の骨子案には、次のように書かれている。

「顧客が喫煙する職場(サービス業)も一般事業所と同様の措置は必要だが、顧客に対して禁煙等とすることを一律に事業者に求めることは困難」

 2009年3月に取りまとめられた「受動喫煙防止対策のあり方に関する検討会」報告書でも、中小企業や飲食店などに対する配慮が盛り込まれている。

「中小規模の事業所が多数を占める飲食店や旅館等では、自発的な受動喫煙防止措置と営業を両立させることが困難な場合があることに加え、利用者に公共的な空間という意識が薄いため、受動喫煙防止対策の実効性が確保し難い状況にある。しかしながら、このような状況になっても、受動喫煙をできる限り避けたいという利用者が増えてきていることを十分考慮し、喫煙席と禁煙席の割合の表示や、喫煙場所をわかりやすく表示する等の適切な受動喫煙防止措置を講ずることにより、意図せずしてたばこの煙に曝露されることから人々を保護する必要がある」

 事業者に過度な負担をかける全面禁煙ではなく、分煙を進めることが現実的だと言っているのだ。分煙でも、排煙設備や分煙設備の投資が必要になるので、中小事業者にとっては大きなコストである。

 かりに全面禁煙となれば、飲食店の売り上げに直接響く。喫煙する客をつなぎとめるためには、屋外テラスのような飲食スペースをつくらなければならない。多額のリノベーション費用が必要となる。

欧米諸国の飲食店やビール会社は全面禁煙で売り上げが減少

 すでに全面禁煙が実施されている海外では、飲食店の売り上げが実際に減少している。

 イギリスでは、2007年7月から屋内全面禁煙が実施された。それにともない、飲食店は多額のリノベーション費用を負担した。そこまでのコストをかけたにもかかわらず、全面禁煙の結果、パブの売り上げは7.3%も減少している。

 とくに、屋外の飲食スペースをつくるだけの余裕がないパブは打撃を受けた。5000軒のパブが廃業に追い込まれるおそれもある。

 このほかにも、全面禁煙実施によって、アメリカ・カリフォルニア州の267都市にあるレストランでは、売り上げが4%減少した。ドイツのホテルレストランでは、15%の店で売り上げが半減。フィンランドでも、パブやレストランでの売り上げが3分の1減少し、15%のレストランで雇用が減らされた。

 アイルランドでは、2004年1月に屋内喫煙の全面禁止を施行した。その結果、アイルランドのパブライセンスの交付総数は、2004年の9964 件から、2005年には9237件、2006年には8800件と、減少を続けている。パブライセンスが減ったということは、営業しているパブの数が減ったということである。

 また、アイルランドでの全面禁煙は、ビールの売り上げにも影響した。喫煙する客が自宅でお酒を飲むようになったためだ。飲食店で飲むよりも、自宅で飲む方が酒量は減る。あるビール会社は、5%もビール販売量が低下した。

たばこ税の税収減は地方自治体の財政に大きな影響を与える

 海外で全面禁煙による弊害がすでに出ていることをふまえて、検討会では一律的な全面禁煙ではなく、分煙による現実的な対応をとっている。4月から施行される神奈川県の受動喫煙防止条例でも、小規模飲食店の禁煙・分煙は努力義務に緩和された。

 僕のオフィスの近所を見ても、ランチの時間帯は喫煙可能な飲食店の方が繁盛している。会社で吸える機会が減っているから、ランチくらいは飲食店でゆっくり吸いたい人が多いのだ。全面禁煙は、飲食店にとって死活問題となる。

 一方で、全面禁煙は、たばこ税の税収減をもたらすおそれもある。

 たばこ税税収は、国が1兆円、地方が1兆円、合計2兆円規模だ。東京都だけでも、都と区市町村あわせて1200億円となっている。2兆円のたばこ税税収の重要性を忘れてはいけない。

 小さな町や村では、たばこ税税収の重要性がとくに大きい。東京都でも、たとえば奥多摩町で2600万円、檜原村で600万円のたばこ税税収がある。これだけの税収がなくなったら、財政への影響は甚大である。

 法人税は好況時には10兆円の税収があるけれども、世界不況で5兆円に税収が減った。企業が赤字になると税収が減る法人税にくらべて、たばこ税は安定した税収だ。分煙したうえで、喫煙者にたばこを吸ってもらえれば、安定した税収が得られるのだから、こんなにありがたい話はない。

 安易に全面禁止の流れをつくろうとする人たちは、中小企業や飲食店の経営問題、たばこ税税収の重要性をわかっているのだろうか。
猪瀬直樹(いのせ・なおき)http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20100323/217044/?bptv   
        

     題名:No.914 日本はアメリカの植民地
From : ビル・トッテン
Subject : 日本はアメリカの植民地
Number : OW914
Date : 2010年04月02日
先週、マイケル・パレンティが15年前にアメリカを帝国と呼んだことについて書いたが、私は13年前に自著「日本はアメリカの属国ではない」でそれを指摘した。私の主張は日本はアメリカの属国、すなわち植民地だ、というものだったし、いまでもそう思っている。
(ビル・トッテン)

日本はアメリカの植民地

その根拠は、植民地の特徴である、領土の一部を宗主国が所有(米軍基地)、植民地の軍隊は宗主国が指揮、宗主国に天然資源を供給(日本には天然資源はないが、工作機械などをアメリカに輸出していることに置き換えられる)、植民地の税金は宗主国の意のまま、などが挙げられる。この税金というのは、日本が長年外貨準備高のほとんどをアメリカの国債で保有している事実である。

日本の輸出企業が製品を海外に販売すると、代金はほとんどの場合米ドルで受け取る。それを日本政府または日銀が円で買い取り、輸入業者など米ドルを必要とする人に売る。この政府や日銀の行為によって、円と米ドルの為替変動のリスクを負うのは納税者だといえる。日本は貿易黒字国であるため、政府が保有する外貨は毎年増え、日本政府は米国債を購入し続けている。為替レートが固定相場制であった頃は外貨準備高も一定だったが、1971年から変動相場制が採用され、円に対してドルはどんどん安くなった。従って、例えば30年国債などは、償還時期には購入価格の3分の1の価値しか受け取ることができなくなるということが起きる。この損失の影響を受けるのは日本の納税者なのである。

世界人口の5%に満たないにもかかわらず、世界の天然資源の3分の1を消費し、世界で生産される工業製品の3分の1を消費しているアメリカだが、しかし、どんなに日本がお金を貢いでもその帝国の衰退はもはや誰の目にも明らかである。アメリカ一般国民自身もその帝国主義の犠牲となり、国内の貧富の格差はもはや第三世界の国ほどに広がっている。アメリカではわずか1%の富裕層が富の半分以上を所有し、それとは対象的に90%のアメリカ人は住宅ローンやその他の借金を差し引いた後は、ほとんど何の資産も持っていない。消費者の平均借金額は収入の2倍に膨らみ、数百万人が貧困線以下の生活をし、健康保険や他の保険にははるかに多くの国民が未加入なことはいうまでもない。

その一方でアメリカ帝国は、世界の国々を全部合わせたよりも多くの資金を軍備に使い、何百もの軍事基地を世界中に維持し、核兵器を含む新たな巨大兵器を開発し続けている。日本が属国としてアメリカに奉仕することは、世界中のあらゆる普通の人々に巨大な犠牲を支払わせることを意味する。

アメリカ財務省が発表した2010年1月末の統計によると、日本の米国債保有残高は7,654億ドルであった。米国債を買う人がいなければアメリカは戦争ができない。財政赤字の軍事帝国主義国家アメリカを支えているのはまさに日本人のお金なのである。

   http://www.ashisuto.co.jp/corporate/totten/column/1192533_629.html