ユニセフの子供レイプ
2010年05月29日 16:55

* 犯罪


「援助貴族は貧困に巣喰う」という本に、1987年に発覚したユニセフの児童売春行為について記載があった。

当時UNICEFのベルギー委員会の所長であったジョス・ベルビークは特権と信用のある地位を利用して、「猥褻行為並びに子供を使った乱交を扇動した」罪で逮捕された。その後、彼は有罪となり執行猶予二年が言い渡された。しかし上告の後、この判決は証拠不十分で破棄された。もう一人の職員は10年の判決が言い渡されたが、この判決は支持された。警察は委員会の事務所のある建物の地下室に作られた秘密の写真スタジオを発見した。スタジオは子供のポルノ写真を撮影するのに使われていた。子供の多くは第三世界から連れてこられたのである。1000枚以上の写真が、ヨーロッパ15カ国の金持ちの顧客400名の郵送リストと共に押収された。リストはUNICEFのコンピューターに記録、保存されていた。コンピューターは性行可能なティーンエイジャーのカタログのためにも使われていた。P176

ユニセフから子供を守るために、私たちができることは何だろうか。



痛いテレビhttp://zarutoro.livedoor.biz/archives/51462176.html

 
 援助貴族は貧困に巣食う 

 援助貴族は貧困に巣食う  


 
 貧困に巣食うのは悪魔か人間か  

 はたまた神か  

   
  お前たちの来るところではない

2005年08月23日(火)
萬晩報主宰 伴 武澄
 プレトリアの黒人お手伝いさんのユリさんはだんなさんがいた。ともにバスに乗り継いで1日以上かかる遠い村からの出稼ぎだった。メイドとしての労働許可証を持っているユリさんは白人の住宅内に住むことができたが、だんなさんは一緒に住むことは許されなかった。たまに週末などにたんなさんが訪ねて泊まっていくこともあったが、それは筆者の母が“許した”からだが、本来ならば南アの法律に反する行為だった。

 南アでは黒人の住む居住地をロケーションと呼んだ。南ア以外の社会ではタウンシップと呼んでいたが、南アの人たちはロケーションと言っていたのだ。ロケーションこそがアパルトヘイト=人種隔離政策の象徴的存在だったのだ。都市の周辺部にいくつか展開し、そこでは道路が舗装されていることはほとんどなく、電気があればいい方で、水道すらないところも少なくなかった。黒人たちはそこから労働者として朝晩、都市に通うことを余儀なくされていた。

 世界のどこの町でも労働者の住む貧しいゲットーのような町があるではないかといわれれば、確かにそうだが、南アではたとえお金があっても黒人というだけで住む場所が決められ隔離されていた。だから同じ貧しさでもタウンシップとゲットーはまったく別物である。

 また都市に通う黒人たちは身分証明書の携帯が義務付けられていた。警察に身分証明書の提示を求められ、不携帯で問答無用に逮捕される黒人の姿を見るのは日常茶飯事だった。たとえ使用人として働いている家の前でもそうだから気が抜けないのである。

 列車もバスも白人と黒人が一緒に乗ることはまずない。仮に同じバスで乗る場合も、車体が真ん中で区切られていて、白人は前から乗って、黒人は後から乗るのである。町の郵便局もトイレも別々。ホテルやレストランは白人の子守である場合を除いて黒人が入れてもらえることは絶対にない。

 一番ひどいのはインモラル・アクト(背徳法)という法律の存在だった。異人種間の結婚はおろか性行為も禁ずる法律で、キスをしただけで逮捕されるのである。多くの白人家庭では、母親は子どもを産むだけ。育てるのは黒人メイドである。黒人に育てられた子どもたちがやがて成長してアパルトヘイトを支持する大人となるのである。

 南アでは町に出るたびに不愉快な体験をしなければならなかった。実際にホテルやレストランで断られる場面に遭遇したことはない。しかし、レストランで受ける白人からの刺すような視線は毎回、覚悟しなければならなかった。彼らの目は教えていた。「お前たちの来るところではない」。

 ユリさんと町を歩くことはなかったが、黒人の運転手さんと遠出をした時に困ることが多々あった。まずレストランに一緒に入れない。われわれ家族は別々に食事をするのが嫌だったから、できる限りテイクアウトで食事をした。宿泊だけは仕方がなかった。白人用のホテルには必ず運転手用の宿泊施設があったからそこを利用してもらうしか方法がなかった。

 ふつうならこんな社会が長く続くと思わないだろう。しかし、南アだけは別だった。1960年代、南アの白人社会は世界で最も裕福な社会生活を送っていた。それを可能にしたのは人権を奪われた無尽蔵な黒人労働力だった。(続)
   

http://www.yorozubp.com/0508/050823.htm    
  

    いつだって君はそうだねぇ 僕のことなのに
    自分のことのように 喜んでくれるんだぁ

    君の泣いたり笑ったりが 僕のぬぐいきれぬ
    傷だらけの日々に 色をそえてゆく

    君といて 僕を知る
    何ももとめぬほどに 伝わる愛
    何もかざらぬほどに 深まるライフ

    いつだって君はそうだねぇ
    僕のことを見て ”救われたよ!”なんて言うから 不思議なことさぁ

    晴れたり曇ったり 変わりやすい僕の空
    今日も君が遊びに来る 傘もささずに…。

    君といて 僕を知る
    何ももとめぬほどに 伝わる愛
    君といて 僕を知るよ
    何もかざらぬほどに 深まるライフ 

         作詞:永積タカシ 作曲:永積タカシ

 

   私の祖母96歳は喜代子って言うんですよ ええ名前でしょ。

  
   自分のことのように ~ 喜んでくれるんだぁ♪ 
  
   
    
    5月21日(金)あなた達は伝えようとしただろうか?

 夏のように暑い一日。午前中ジムに向かう時、タンクトップの上に一応Gジャンを着て出かけたのだが、アパートのエントランスを出た途端に脱いでしまった。今日は講談社から出る京極夏彦さんの新作小説が、「iPad」向け電子書籍として発売することが決まったというニュースがあった。また、ソニーとグーグルが提携して、今秋にはアメリカでインターネットテレビが発売されるそうだ。これらに関し「報道ステーション」で、元新聞記者としての意見を求められた鳥越俊太郎氏は、「新聞にはインターネットの検索に無い知識を拾い読む面白さがある、それを若い人達にも知って欲しい」と語り、古舘伊知郎さんは「本には紙の持つ独自の暖かさがありますからね」というようなことを言っていた。やれやれ、である。

 僕は、鳥越さんも古舘さんもとても好きな人達だが、ひとこと言わせて貰いたい。新聞や本がネットやiPadに脅かされるのは何故なのか? それは面白さを失ったからではないか。そして新聞をつまらなくしたのは誰なのだ、活字文化を衰退させたのはいったいどの世代なんですか、と。宅配というシステムに寄りかかり、洗剤やら野球のチケットで釣ることばかりを考えて、新聞を中身の面白さで売ろうとしてこなかったのはいったい誰だ? 「再販制度が無くなると良書が駆逐される」と大ウソついて、本屋を潰してきたのは何処の誰なんでしょう? あなた達の世代ではないか。少なくとも若い世代ではないぞ。それをあなた達は「若者の活字離れ」と嘘に嘘を重ねて誤魔化し続けて来たのだ。「日本人は本を読まなくなった」なんて真っ赤な嘘だ。だったら何で、『1Q84』みたいな長い長い小説が累計で300万部も売れるんだ?

 僕は30年くらい前の事を思い出す。団塊の世代の連中は我々によくこう言ったものだ。「お前達はあの時代を何も知らない、70年安保の闘争とその挫折を知らない」「だからお前らはダメなんだ」と。しかし、そう誰かを非難する前に、あなた達は伝えようとしただろうか? 当時はまだ子供だった我々の世代に、まだ生まれていなかったもっと若い世代に、一度として真摯に教えようとしたことがあるのだろうか。

 団塊の世代に限って言えば、先に『1Q84』の例を出したが、村上春樹という作家が未だ、若い世代から圧倒的な支持を受けているのは何故だと思いますか? それは彼が誰よりも自らの世代を引き受け、若い人に伝えようとしているからだ。その方法論は決して直接的ではないけれど、『ノルウェイの森』や『羊をめぐる冒険』、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』を読めば、あの時代をリアルタイムに体験しなかった者達も判る。肌で感じることが出来る。つまり彼だけが、あなた達が大好きなあの嫌ったらしい表現を使えば、「自分の世代にオトシマエをつけている」のだ。

 安保の問題も沖縄の基地の問題も同じだ。大人達は一度でも、子供達に判りやすく伝えようとしたことがあるだろうか? 中学でも高校でも、歴史の授業ではほとんど現代史を教えない。何故なら教えても入試には出ないからだ。試験に出ないことは学ばなくても良い、試験に出る問題だけ勉強して、良い大学に入り、良い会社に入って出世することが大切と、インチキを言い続けて来たのは何処の誰なんだろう? その挙げ句「今の子供は歴史を知らない」「アメリカと戦争したことすら知らない」「活字を読まない」と言っている。歴史を殺し、活字を殺し、戦争を隠蔽してきたのは誰なのだ?

 でもまあ、もうそんなことはもうどうでも良いのかもしれない。これからの賢い子供達はインターネットで歴史を学ぶだろう、iPadで好きなだけ、面白い本を読むだろう。 

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 この人はホントいいこと言う。 優しい人なんだろうなー    
  

   曲名も当然歌詞の意味も分からない。
 
     でもグッときた。  
 
   好きになる理由なんて関係ない 糞食らえだ。
 
    
     
  
     あとがき 

  暗室の片隅で未発表の写真を見つけたのは四年前、ガンを宣告され意気消沈していた頃の事だった。

 告知されたときには、いきなり平手打ちを食らったような気分だった。痩せの大食いで、食べたいものを食べ、カメラマンとして自由に仕事をしてきた僕は、何かに裏切られたような、劇の途中で幕が下がりはじめたような腹立たしさを感じ、苦しんでいた。

 僕は写真をみた。まだ二十代の自分が出会ったアフガニスタンの人々がそこにいた。あの頃、自分は何を思っていたのだろう。一枚一枚、じっくりと眺めているうちに、ふと風が通う瞬間があった。以来、アフガンの写真を取り出しては、自分のなかに生まれるかすかな感情の揺れを確かめ、考えた。


 さて、人生とはなんだったか。

 なぜ、それほど生きていることに執着するのか。


 ある日、若い友人に写真をみせたら、「こんな平和なアフガニスタンはみたことない」と言った。はっとした。
 そこには笑顔があり、貧しくても仲の良い家族がいた。何にでも興味を示し目をきらきらさせている子どもがいた。人間が速く歩けとせかしても焦る気配のない驢馬の歩みがあった。生きている手ごたえが、どの写真にもうつっていた。
 
 僕はアフガニスタンの写真を眺めながら、前よりも落ち着いた気持ちで考えるようになった。幸せについて、平和について、奪われてはならぬものについて。

 愚かな僕は病気になることでやっと立ち止まれた。健康なときには見えないものがあり、平和な時代には気づかないものがある。

 毎日の、この場所の、この瞬間が、なにものにも代えがたい人生だった。生きているこの瞬間が、人生だったのである。

 アフガニスタンの人々が見せてくれた生きる喜びを、僕の写真が少しでも伝えることができているなら、とてもうれしい。  

  二00七年 四月  

 カメラマン 岩間史朗  「名もなき日々」  
  Hiram Lee

2010年3月18日

インビクタス

反アパルトヘイト闘争におけるその役割ゆえに、30年間近く獄中ですごした、ロベン島にある監獄からの、ネルソン・マンデラ釈放20周年記念より、わずかに早く公開された、クリント・イーストウッド監督による「インビクタス」は、アパルトヘイトの後、人種的緊張を克服しようとした南アフリカ人指導者と彼の努力への賛歌だ。映画の主役、モルガン・フリーマンとマット・デイモンは、いずれもその演技でアカデミー賞候補にノミネートされた。

インビクタスが始まると、新たに選出されたマンデラ大統領は、人種的緊張で分裂した国家と向き合うことになる。統合された社会への移行は始まったばかりで、しかもその課程は困難なものだった。

白人の南アフリカ人に対し、長年のアパルトヘイト支配への報復としての偏見を、彼の政権が抱いてはいないことをなんとか示めそうと、マンデラは、元大統領デ・クラークのスタッフに、自分の政権にとどまってくれるよう依頼する。全員黒人のマンデラ警備陣にも、デ・クラーク警護隊の白人職員が参加する。 “ちょっと前までこの連中は俺たちを殺そうとしていたんだぞ”黒人ボディガードの一人は文句を言う。“寛容が魂を解放する”とマンデラは答える。

マンデラの党、アフリカ国民議会(ANC)が、他のあらゆる南アフリカ・スポーツ・チームでそうしたように、南アフリカ・ラグビー・チーム“スプリングボックス”の名を“プロテア”に変更しようと動き出すと、そうはさせまいとマンデラが踏み出す。チームと そのエンブレムは、黒人の南アフリカ人たちから、アパルトヘイトの象徴として嫌悪されていたが、白人南アフリカ人の間には多くの熱狂的ファンがいるのだ。マンデラは、このチームからその名前と色を剥奪すれば、国内の緊張が激化するだけだと考えた。

“民衆”はスプリングボックスが嫌いなのですと言われて、マンデラは答える。“この場合は民衆が間違っている。”彼はスプリングボックスの主将フランソワ・ピナール (マット・デイモン)と会うと決心する。二人の会話の中で、マンデラは、むしろ謎のように、ピナールに任務を与える。南アフリカは、1995年のラグビー・ワールドカップを主催することになっている。もしも黒人と白人の南アフリカ人両方が一緒に応援するようにして、スプリングボックスがカップで優勝できれば、アパルトヘイトの傷を癒すための大きな一歩になるだろう。

その後、チームの勝ち進む力が疑わしくなると、19世紀のイギリス詩人ウイリアム・アーネスト・ヘンリーの詩“インビクタス”の写しを、マンデラがピナールに激励として渡す。映画は、追い詰められたチーム・メンバーが、マンデラに与えられた任務を実現しようと苦闘する姿を追う。

アパルトヘイトから変化してゆく南アフリカ、そして、その課程におけるマンデラとANCの役割を批判的に検討する映画なら大歓迎だ。そのような映画、作家や映画監督にとって、劇的可能性として絶好の機会となるだろうに。不幸にして、これはそういう映画ではない。

インビクタスが、観客に対して与える衝撃は驚くほど僅かだが、これは、イーストウッドが、アパルトヘイト後の南アフリカと深く関係している最も重要な疑問に取り組むことができず、より深く掘り下げ、こうした条件下の生活や、マンデラとANCの政策について、何か最も重要なことを明らかにしそこねたことがその大きな原因だろうと言わざるをえない。貧しい南アフリカ人が直面する社会条件、彼らの怒り、彼らの希望、彼らのフラストレーションについての描写が余りに僅かで、マンデラとピーナールの“運命”描写が余りに過多なのだ。

束の間かいま見る郊外の黒人居住区、最も衝撃的なレベルの貧困がはびこっている場所は、映画の主人公達がわずかな時間だけとおり過ぎる舞台セットのレベルを決して越えることがない。言い換えれば、インビクタスの中には、世界の重さが見いだせないのだ。

この映画は、マンデラを巡る神話を作り上げようとする、もう一つの試みだ。とはいえ、この作品を特にそうした狙いを追求しようとしたものと見なすのは、おそらく誤りだろう。イーストウッドは、単にマンデラについての公式説明を受け入れ、そこから話しを進めただけなのだと言う方が、より正確だろう。イーストウッド映画のマンデラは、悪いことをするはずのない偉大な政治家で、人の手を借りずに、何十年も分裂していた国を一体化させた、先見の明をもった南アフリカの救済者だ。彼は聖人なのだ。

南アフリカの人種差別主義者による弾圧に対する戦いで果たした彼の役割ゆえに、マンデラが、多くの人々によって、今後長い時間、高く評価され続けることは間違いない。1948年以来、反アパルトヘイト運動で活動してきたマンデラは、1960年代初期には、ANC軍事組織の指導者として、人種差別主義の国民党政府に対し武器を取って戦うことも辞さなかった。

CIAの支援を得て、国民党政府は、1962年にマンデラを逮捕し、1964年に終身刑を言い渡した。1990年に釈放されるまで、マンデラは27 年間牢獄で過ごした。彼が無事に生き延びたのは素晴らしい事だ。彼を牢獄から釈放させるキャンペーンは、虐げられた南アフリカ人との団結と、国民党政権の残虐な政策への反対のほとばしりとなって、世界中で何百万人もの人々によって支持された。

アパルトヘイトに対するマンデラの一貫した、往々にして勇気ある戦いゆえに、多くの人々が、マンデラを英雄と見なしてはいるが、マンデラとANCの綱領は、決して南アフリカ人や国際的な労働者階級の綱領ではなく、国民の大多数の権利を擁護することはできなかったという事実は変わらない。ANCの綱領はブルジョア民族主義者的性格のものであり、“非ヨーロッパ人”資本家を権力につけることを要求していた。

現在の南アフリカの状態が、ANCと彼らの綱領の本当の性格を明らかにしている。ANCの支配層エリートが成功する中、貧者と労働者階級の国民は苦しみ続けている。World Socialist Web Siteが、マンデラ釈放記念にまつわる最近の記事で触れたように、“最新の数値によれば、国民の約70パーセントが法定貧困レベル以下で暮らしている。現実的な推計によれば、失業は労働人口の約40パーセントに達している。同時に、社会の裕福なメンバーは、年間収入が50パーセントも増加した。

“異なる民族集団の間で、また同一民族集団の中で、社会的不公平が深まった。黒人南アフリカ人の大多数は依然貧しい生活を送っているが、与党アフリカ民族会議(ANC)のトップにたつ僅かな少数派は億万長者となり、アパルトヘイト体制下で南アフリカを運営してきた裕福なエリートたちに加わった。” (http://www.wsws.org/articles/2010/feb2010/pers-f15.shtml)

これらの事実からだけでも、インビクタスで描かれる時期や出来事に対し、より批判的な取り上げ方が要求されているように思われる。イーストウッドが人種差別反対に関し、誠実であることは間違いないが、芸術家には、より深く掘り進め、物事の表面下にある真実を浮き彫りにする責任がある。映画はマンデラを傷つける必要などないし、実物以上に持ち上げる必要もあるまい。欲しかったのは、正直で批判的な描写だ。

映画中で、国家主義的な連帯に基づく結束として、愛国的なプライドの象徴を中心に、黒人と白人の南アフリカ人を団結させる、というマンデラが提案した計画は、映画制作者による批評の対象とはならない。スプリングボックスの最終的な優勝が、あらゆる人種の貧しい南アフリカ人の苦難を和らげる為には何の役にも立たなかったという事実は、見過ごされたか、無視されている。優勝は、たとえ短時間であるにせよ、国民を良い気分にさせたのだが、明らかに、それが重要だったのだ。

インビクタスのハッピーエンドは、むしろ空ろに響く。映画は、スプリングボックスがカップで優勝した後、黒人と白人の南アフリカ人が街路で一緒に祝うところで終わる。マンデラは、リムジンの外の雑踏する街路を眺め、目にしているものに微笑みながら、車でスタジアムを去る。画面に写らずにフリーマン演じるマンデラが“インビクタス”の詩、末尾数行を朗読する。“門がいかに狭かろうと/いかなる罰に苦しめられようと/私が我が運命の支配者/私が我が魂の指揮官なのだ”困難をものともせず、マンデラは天命を実現させたのだ。

もっと真剣な映画制作者であれば、スプリングボックスの輝かしい優勝の直後から物語を始めて、ラグビー試合によって統合されたはずの国で、日々、月々、そして年々、何が起きたのかを問うただろう。マンデラとANCが、正確には、一体どれほど国民を“癒してくれた”のだろう? 残念ながら、その話は完全に欠落している。イーストウッド、現実の出来事を題材に、ほとんどおとぎ話へと変容させたのだ。

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2010/mar2010/invi-m18.shtml

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サッカーFIFAワールド・カップ日本代表選手23人が発表された。

はるばる応援に出かける皆様のご無事をお祈りする。

南アフリカ大会は、2010年6月11日から7月11日。
ネルソン・マンデラ釈放20周年は、2010年2月11日だった。

wsws.orgに掲載された順序と逆に、前回翻訳した『グリーン・ゾーン』で主役だったマット・デイモン、こちらにも登場。

* 音楽が非常に苦手な人を称して「音痴」という言葉がある。
* 運動が非常に苦手な人を称して「運痴」というだろうか?

小生は後者で、運転教習所の先生方に、死にたくなければ車に乗るなといわれ挫折したほどであるゆえ、この映画全く知らなかった。スポーツ・ニュースが始まるとテレビを消している。スポーツ欄は基本的に読まない。記事の意味がさっぱりわからないからだ。野球のルールも知らない!

blogに書かれている皆様によるインビクタスの感想、拝見すると絶賛また絶賛。悲しいかな、少数派には理解ができない。

選挙のたびに、有名スポーツ選手が続々自動的に与党(かつては自民、いまや民主党や、こけろみんな、満身創痍党等々)の議員になるのを見るにつけ、スポーツ嫌い(正確には体育会系嫌い?)こうじるばかり。

今日も大物選手が偉大な政治家に説得され出馬する大ニュースを聞かされた。

「英雄的なスポーツ選手など皆無だ」というつもりはない。世の中広い。

「プラハの春」時、ソ連の侵略・支配に反対し、ドゥプチェクらを支持する「二千語宣言」にエミール・ザトペックやベラ・チャスラフスカ等世界的に有名な選手も署名した。署名撤回を拒否した人々、ソ連崩壊まで、極めて苦しい生活を強いられた。そこまで覚悟して声明に署名しただろう。

日本にも、沖縄基地、安保問題で、与党・エセ野党に反対する「英雄的」スポーツ選手、おられるのだろうか?

そこで一句。

わが抱く思想はすべて 運痴に因するごとし 初夏の風吹く

似たセリフ「デトロイト航空機テロ事件」記事末にも書いた。
悲しきトラウマ。

「初夏の風」といえば、川上澄生作品を思い出す。素晴らしい言葉と絵。
鹿沼市立川上澄生美術館にある作品、見られるのは時期限定らしいのでご注意を。2010/5/11時点では美術館web冒頭に、この作品がある。

大物選手出馬ニュースで、すっかり気分が落ち込んだが、五十嵐仁の転成仁語
5月10日(月)本家イギリスで明らかとなった小選挙区制の問題点
を拝読して、気分回復。

皆様が絶賛される大政治家氏が率先して小選挙区制や政党交付金制度を導入したのだ。ソマリア派兵を進める長島昭久議員を防衛大臣政務官にしたのも彼の采配だろう。アメリカ様にもの申せる政治家は彼一人だそうだが、基地問題については黙して語らない。

こぞって小選挙区導入の提灯持ちをした日本のマスコミ、もちろん、こうした視点には決してふれず、たけのこ政党宣伝ばかり。 

  マスコミに載らない海外記事 http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-930f.html      
  

http://www.youtube.com/watch?v=9rq0nLJL_ec
   
  歌詞もじっくり噛みしめて聴いてみてください 。

  聞く と 聴く は違いますから 

  聴くと 効く は同じです。 

  


   作詞:Rikuo 作曲:Rikuo

東京ではもう桜の花が散り始めています
一斉に咲き乱れて しおれる前に散ってしまうなんて
美し過ぎるようにも思うのですが
どこか懐かしく 哀しくも感じられ 心はざわざわと揺れ動いて
はかめいてはかめいて仕方がないのです

近頃心かき乱されることが多いのは 季節のせいかもしれません
忘れていたはずのことを ふと急に思い出してしまうんです
昨日もなんとなくいたたまれない気持ちになって
真夜中にふらりと散歩にでかけ
桜並木の美しい川沿いの遊歩道を一人で歩いていました

風が騒ぐ度に はらりはらりと桜が舞い散り
そこかしこに落ちて行きました
川面に目をやると 一面が桜の花びらでうめつくされていました
ゆっくりと流されてゆく花びらを眺め続けているうちに
さまざまな想いが心の中を巡ってゆきました

桜の樹の根元には裸の男と女が眠っていると歌った人がいるそうです
そう言えば目の前の桜の花の色は
あなたの肌の色に似ている気がします
あなたとの出来事が夢なのか現なのか
僕にはもうよくわからないのです
それで言葉にすることもうまくできず いまだに戸惑い続けています

「『幸せ』とは、なるとかなりたいとか、
そういうものではなく、瞬間に感じとるもの」
そんなあなたの言葉を何度も思い出しています
止めようもなく咲き乱れ 止めようもなく散って行く
本当の気持ちを知るなんて とても恐ろしいことですね
僕は臆病な人間です

僕はこれらもいけしゃーしゃーと暮らしてゆくでしょう
桜の花はあまりにも美し過ぎます
僕はこれからもうろうろおろおろ暮らしてゆくでしょう
桜の花はあまりにも儚すぎます

でも この哀しみを忘れたくない
この胸の痛みを失くしたくない
あなたとのことだけは忘れたくないのです
    
 これは客観的な本ではない。ジャーナリズムのしきたりからまず取りのぞきたい言葉は『客観的』という言葉だ。そうすれば、出版の『自由』は真実に大きく近づくことになるだろう。そしてたぶん『自由』は取りのぞくべき二番目の言葉だ。この二つの歪曲から解き放たれたジャーナリスト写真家が、そのほんものの責任に取りかかることができる ”


“ ジャーナリズムにおける私の責任はふたつあるというのが私の信念だ。第一の責任は私の写す人たちにたいするもの。第二の責任は読者にたいするもの。このふたつの責任を果たせば自動的に雑誌への責任を果たすことになると私は信じている ”


“ 写真は見たままの現実を写しとるものだと信じられているが、そうした私たちの信念につけ込んで写真は平気でウソをつくということに気づかねばならない    

 ユージン・スミス 写真家