あとがき 

  暗室の片隅で未発表の写真を見つけたのは四年前、ガンを宣告され意気消沈していた頃の事だった。

 告知されたときには、いきなり平手打ちを食らったような気分だった。痩せの大食いで、食べたいものを食べ、カメラマンとして自由に仕事をしてきた僕は、何かに裏切られたような、劇の途中で幕が下がりはじめたような腹立たしさを感じ、苦しんでいた。

 僕は写真をみた。まだ二十代の自分が出会ったアフガニスタンの人々がそこにいた。あの頃、自分は何を思っていたのだろう。一枚一枚、じっくりと眺めているうちに、ふと風が通う瞬間があった。以来、アフガンの写真を取り出しては、自分のなかに生まれるかすかな感情の揺れを確かめ、考えた。


 さて、人生とはなんだったか。

 なぜ、それほど生きていることに執着するのか。


 ある日、若い友人に写真をみせたら、「こんな平和なアフガニスタンはみたことない」と言った。はっとした。
 そこには笑顔があり、貧しくても仲の良い家族がいた。何にでも興味を示し目をきらきらさせている子どもがいた。人間が速く歩けとせかしても焦る気配のない驢馬の歩みがあった。生きている手ごたえが、どの写真にもうつっていた。
 
 僕はアフガニスタンの写真を眺めながら、前よりも落ち着いた気持ちで考えるようになった。幸せについて、平和について、奪われてはならぬものについて。

 愚かな僕は病気になることでやっと立ち止まれた。健康なときには見えないものがあり、平和な時代には気づかないものがある。

 毎日の、この場所の、この瞬間が、なにものにも代えがたい人生だった。生きているこの瞬間が、人生だったのである。

 アフガニスタンの人々が見せてくれた生きる喜びを、僕の写真が少しでも伝えることができているなら、とてもうれしい。  

  二00七年 四月  

 カメラマン 岩間史朗  「名もなき日々」