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青空Music♪

自由に思いを綴る場所。
放置グセが強くなってきてますが数ヶ月に一度くらいはきっと更新します(^^;)

幽霊👻

 

 

 

実際にそういう経験を何度かしてしまっている身としては、信じないわけにはいかないと思っています…😅

 

 

 

 

 

注意怖いお話が始まりますので、そういうのが苦手な方は閲覧をお控え下さい🙇‍♀️

 

 

 

 

 

 

 

人生初の経験は、小学1年生頃の事だったと思います

これは幽霊とはちょっと違うのですが…

 

 

当時父親が入院していた病院へお見舞いに行った時の事

1FからB1への階段を見つけて、探検してみようと下りて行ったのですが…

 

 

どんなに下りても下りても、B1フロアに辿り着かないのです…

 

 

その時母も一緒だったのですが、どんなに行ってもフロアが見えてこないので戻ろうと言う事になり、階段を上り始めると…

踊り場を一つ超えたくらいで、すぐに元の1Fに着きましたガーン

 

 

明らかにそれは、そこまで下りてきた距離とは一致せず…

 

こういう現象は何ていうのでしょう…時空の歪み的な????

 

 

 

 

 

 

「見た」系の出来事で言うと、

 

小6の修学旅行で、小樽市にある某ホテルに泊まった時。

夜中眠れなくて、ふっと目を開けてみると、

 

真っ暗な部屋の中央に、緑色に光る子供が立っているのを見ました。

後ろ姿でしたが、直感的に、自分より少し年下くらいの男の子だと感じました。

 

その子はすぐに消えてしまったのだけれど、あまりに一瞬の出来事で、逆に何故かあまりびっくりはしなかった事を覚えています。

 

 

 

 

 

 

また、高校時代にも不思議な事がありました。

 

 

学校から帰ってきて自転車を停めようと、自宅のガレージに入ったら…

 

床に、

寝袋のようなものに入った人が横たわっていましたガーン

 

 

 

不思議なのはこの後で、

 

その時私は、そこで寝ている人が何故か自分の父親だと思い、

「お父さん何してるんだろう?」と思いながらも、特に声をかけることもなくスルーしました。

 

 

普通、そんな状況を見たら「何やってんの!?」と声をかけると思います。

なのに、何故かその時の私はそのままガレージを後にし、自宅に入りました。

 

 

リビングには父親の姿があり、

 

「あれ?お父さん今ガレージの中で、寝袋に入って寝てなかった?」

と普通に質問しました。

後から思うととてもおかしな質問なのですが、この時の私は完全に純粋な気持ちで父に聞いていたのを覚えています。

父は突拍子もない私の質問に、は!?という反応でしたが、ずっと家にいた、ガレージには行っていないと答えていました。

 

 

そしてその日の夜だったと思いますが、

父親の従兄弟が亡くなったと言う知らせが届きました。

 

 

亡くなった時刻が、

ちょうど私がガレージで寝ている人を目撃した時間と一致していましたガーン

 

 

実は父親も昔から霊体験をよくする体質で、その日の私が体験した出来事をすんなりと受け入れている様子をよく覚えています。

「あいつ(従兄弟)、パッチを通して俺に知らせに来たんだなぁ」

と呟いていた姿が、とても印象的でした。

 

私があの寝ている人を父親だと感じた事も、同じ血が流れる繋がりある人物だったという事で妙に納得が行きました。

 

 

 

 

 

もうひとつ私が今までで一番怖かった出来事があるのですが、既にもういくつかの体験を書いてしまって長くなりそうなので…

それはまた機会があったら書く事にします😅

 

 

 

 

幽霊を信じるor信じない

 

 

 

 

 

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YouTubeに新たなチャンネルを開設する事にしました。

今回は、音楽関連のチャンネルとなります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日「SKY BLUE」の動画を公開した時に、

飛行船専用のチャンネルしか持っていない事に不便さを感じた事がきっかけです。

 

 

 

私がこれまで趣味として作成してきた音楽達のご紹介をメインとして、展開して行く予定でいます。

過去曲のご紹介中心になるかとは思うのですが、時には新たな作品作りにも挑戦してみたり、色々と自由にマイペースにやってみようかと考えていますニコニコ

 

 

 

 

記念すべき(?)最初の動画は、私がボーカルとして活動してきたユニットSky Blueの2作目

「僕と桜と青空と」という曲にしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

試運転的な意識で作った動画で、いくつか初の試みも交え完全オリジナルで作成しています。

音源は2010年公開当時の公式のものですが、動画は私が個人的に作成した全くの別物という形になります。

(作成に当たり、Sky Blueコンポーザーの龍徹さんには快くご承諾頂き、感謝しております)

 

 

今後もこのような形で、過去曲をご紹介していけたらと考えています。

時間に余裕があるなら、新たな曲作りもメインとしてやっていきたいのですが…

今の環境では、そこまではちょっと難しそうです😅

 

 

今後はSky Blueに加えて、自分自身のオリジナル曲や、カバー曲、ボカロ曲など、チャンネル内で色々とカテゴリ分けして展開して行く事を考えている所です。

聴く人、実際いないでしょうけれど💦

せめて、Sky Blueの曲が1人でも多くの方に触れて頂ける機会になれば…という思いはあります。

 

 

実際に出来るのか、どのような形になって行くのかはまだ私にもわかりませんが…

やれる範囲の事を、楽しみながら自由にやっていけたらいいなぁと思っています照れ

 

 

 

 

 

この投稿ネタで私が記事を書く事で誰が得をするのか…という大きな謎がまず存在するのですが😅

 

今日のトレンドになっていた事と、きっとみんな大好きなテーマだと思うので、片隅でこっそりと参加しときます笑

 

 

 

 

 

 

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何かの記事でも書いたような気がしますが、若い頃の私は恋愛にそもそも全然興味のない子でした汗

 

 

そんな私でも、人生の中で自分から好きになった人が2人います。

 

 

 

 

1人は、中学生の頃に好きだったS君という人でした。

 

と言っても同級生とかではなく、S君は実は3つ年上で当時高校生。

ざっくり言いますが、趣味繋がりで知り合った人でした。

 

月1〜2回程趣味関連の集まりで会っている中で、いつもさりげなく私の事を気にかけて優しくしてくれる姿に惹かれていました。

家は離れていて逆方向なのに、集まりの帰りには私の家まで送ってくれたりするようになり、ある日の帰り道で告白されて、S君とはお付き合いすることもできました照れ

両思いだった事がとても嬉しかった事を覚えています。

 

 

S君の高校卒業と共にお別れする事になってしまいましたがチーン

彼は進学の為に地元を離れる事になり、遠距離は辛いという事でS君から申し出がありました。申し出ってなんかおかしいか笑

 

 

この話にはちょっとした後日談的なものがあって、

私もその後高校を卒業してとある専門学校に入学したのですが、なんとその専門学校はS君が私と別れた後に進学した学校だった事が後々わかりましたびっくり

 

別れる時に進学先などは特に話していなかったので全く知らず…

学科は違うのですが、知らないうちに私はS君の後輩になっていたようでした笑

 

しかも、私の友達が専門卒業後にS君の働く職場に就職していたようで、先輩後輩として関わりがあったそうで。

世間の狭さを感じた出来事でしたあせる

 

 

 

 

 

もう1人は、高校時代に吹奏楽部の高文連で知り合った他校のN君という人でした(旦那じゃないんかいと言われそうですが笑い泣き笑い泣き笑い泣き

 

 

詳しく書くと長くなってしまうので省略しますが、友人の紹介で知り合った形でした。

N君は初対面でしたが、何故かやたらと気が合って、話が弾みました。

 

その後も会場の中で私を見かけるたびにN君は笑顔で声をかけてくれ、練習や本番の合間の短い時間に立ち話をしては盛り上がっていました。

なぜかN君は本当に私に優しくしてくれて、私も彼との会話の時間が楽しくて、なぜ同じ高校じゃないんだろうと悔やんだ程でした。

会話を少し楽しんだらそれぞれの持ち場へと戻らなければならない事が、もどかしくてしょうがなかった事を覚えています。

 

 

3日間という高文連の行程の中で、時間の許す限り私達は一緒にいた記憶があります。

部員達から「パッチがよく一緒にいるあれは誰だ」「彼氏ができたのか?!」と質問責めをされたりしたけれど、当時の私にはN君は気の合った新しい友達という感覚だったので、全否定していましたが😅

 

 

高文連が終わってからは、N君はたまに私に電話をくれるようになりました(最終日に連絡先を教えた)

当時携帯なんてまだ持ってないので、家電です電話

学校が終わって、夜に家で彼と電話で話す時間がとても楽しくて、親に迷惑そうな顔をされながらも長電話を楽しんでいました😅

 

不思議と「会おう」とか言う話にはなりませんでした。

お互い高3で、進学関係の事で忙しかったのかもしれません(詳しくは覚えてないけど)

 

 

 

次第にN君からの連絡も来なくなり…

また話したいなぁ、と私は寂しさを覚えながら、残りの高校での時間を過ごして行きました。

 

 

 

 

当時「気の合った新しい友達」という感覚だった私の気持ちは、実は彼に対する片思いの感情だった事に気づいたのは、高校を卒業してからの事でした。

 

高文連で知り合ってから、私の中にはN君の事を思う気持ちが常に存在していて、連絡が取れなくなってからは寂しさで更に彼の事を思うようになっていて…

ただの友達だったらこんな思いはしないだろうって、だいぶ後になってから気がついてしまいました。

 

 

多分この事は、私の何でも話せるような特別仲の良い友人達さえも知らない話だと思います。

記憶違いでなければですが、この事は誰にも話した覚えがないので…

 

 

 

N君の担当パートはトロンボーンで、背が高くスラッと、それでも程よくしっかりとした体格の彼にとても良く似合っていたのを覚えています。

 

私は今でも、トロンボーンを見るとN君を思い出してしまいます照れ

 

 

 

 

 

ちなみに旦那さんはどうだったのか?というと、

 

好きと言うよりは「なんか気になるなぁ」くらいのスタートだったので、自分から好きになったというのとはまた違った感じでした笑い泣き

旦那さんを余談的な位置に持ってきてしまって申し訳ないですが笑い泣き笑い泣き笑い泣き

でも旦那さん以外の人との結婚は私の中ではありえないので…もちろん彼がNo.1ですよグッド!

(そりゃそうだ汗

 

 

 

 

 

S君もN君も元気でいてくれている事を願っています。

またどこかで会えるといいなぁ。

 

 

 

好きだった人

 

 

 

 

 

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コロナ禍が始まる直前だった2020年1月以来、実家に帰省が出来ていません。

 

 

距離で言えばいつでも帰れる範囲内ではあるのですが、コロナ禍に加えて妊娠・出産・子育ての日々が始まった事で、いまだ行けていないのが現実真顔

 

 

 

直接会いに行けていた頃は、母の日になると必ずプレゼントを持って帰省していたんですが…

今となっては、メールで感謝の気持ちを伝えるだけに💦

何かしたい気持ちは山々なのですが…

 

 

 

 

年に2回くらいは向こうからこっちに来てくれてはいるので(孫の顔を見る為に)

全く会っていない訳ではないんですが、

 

会うごとに、母はどんどん小さくなっていっているように見えます悲しい

つい少し前まで、いきいき、ピチピチとしたお姉さんだったような気がしていたのに。

 

…それは言いすぎ?笑い泣き笑い泣き笑い泣き

 

 

でも私が子供の頃からずっと見ていた「お母さん」は、本当にそんなイメージ。

 

 

気づけばもう高齢者。完全なる、おばあさんです👵

 

そりゃそうよね…私がもうこんなおばさんなのですから😅

 

 

 

 

それでも、毎日メールをくれて、孫の写真を見て日々の成長を楽しみに見守ってくれていて…

 

娘が生まれてからというもの、本当に母とは毎日欠かさずにメールをしています。

それまではそんな事全くなかったのに。

 

 

孫の事を誰よりも愛し、気にかけ、成長を心から楽しみにしてくれて、日々の中でのほんの少しの進化も心の底から喜んでくれて、

娘である私に対する心配、気遣いも忘れず、離れていても毎日のように支えてくれる大切な母に、心から感謝です。

ありがとうの言葉は、朝になったら直接伝えますニコニコ

 

 

これからもずっと長生きして、孫との時間を楽しく過ごして思い出をたくさん作って欲しいと思っています爆笑

 

 

 

今年こそは娘を連れて帰省したいと思っています。

今は何もできないけれど、それが今年の、母の日のプレゼントになってくれるといいなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生の中で何度かあります…

どういうわけか、私は事故に好かれやすい人みたいですガーン

 

 


信じるか信じないかは…ですが、

 

あまりにも私が事故に遭いまくるので、昔友達が「勝手に姓名判断をさせてもらった」と言ってきた事があって😅

やはり事故に遭いやすい名前だという結果が出たと教えてくれましたあせる

 

 

 

 

今パッと思い出せるだけでも最低6件は事故に遭っていて(ちなみに、1件の単独事故を除いて全てが貰い事故です)

もう本当に全部書いているとキリがないので、人生で一番の大事故の時の事を書きます。

 

 

 

 

19歳の冬休み、深夜に眠れなくて気分転換に1人でドライブをしていました。

当時乗っていたのは小型の軽自動車です。

 

隣町方面へと国道を走っている時に、対向車線を前方から走ってくる車の様子が明らかにおかしい事に気づきました。

猛スピードで、完全にコントロールを失っているかのように左右に車体を激しく振りながら蛇行して走っていたんですガーン

路面が凍結していてスリップした様子でした。

 

 

その車が突然スピンしながら猛スピードでこちらに吹っ飛んできて、私の車に大激突しました叫び

もうドンピシャでした。そこに私が来る事を知っていて、狙って当ててきたのかなというくらい見事なまでの命中。

スピンしながらこちらにすごい速度で向かってくる時の様子は今でも映像として脳が覚えています。

 

 

私は衝撃でハンドルに胸を強打し、激痛で息ができなくなっていました。

体の前側を強く打ったのですが、一番痛いと感じていたのはなぜか背中でした。

(ちなみに斜め方向からの激突だった事でエアバッグは作動してくれませんでした)

 

 

すごく変な話なのですが、エンジンも完全に停止しグチャグチャになった静かな車内に何故かカーステレオの音だけは止まる事なく鳴り続けていて、

その時に流れていたのが、Favorite Blueの「Sleepless love」という曲だった事をはっきりと覚えています😅

 

何故でしょうね、こういう事をはっきり覚えているってとても不思議です汗

この曲もFavorite Blueも、今でも大好きです笑

 



 





私は本当にあまりの痛みに声も出ず、何も出来ずシートにもたれて苦しんでいたのですが、事故の相手らしき人が外で電話をかけている声が聞こえていました。

救急車も勿論呼んでくれたようでしたが、これから友人に会いに行く予定だったらしく「事故っちゃったよ…」と慌てた様子で言っていたのを覚えています。

 

 

救急隊が到着し、人生初の救急車に乗って隣町の大きな病院に運ばれました🚑

背中が痛くて痛くて、とにかく息が出来なくて苦しくて苦しくて、早くどうにかしてほしくて本当に辛かった…

 

 

 

運び込まれた病院で言われたのは、

 

 

背骨を骨折している

損傷箇所があと2cmずれていたら、下半身不随になっていた

 

 

という事でした。

 

 

この時、大怪我をしたとは言え普通に生きている事が本当に奇跡だと強く感じました。

下半身不随って…2cmって…

不幸中の幸いという言葉は、自分の為にあるんだとさえ感じました😅

 

背骨の骨折という事で絶対安静を言い渡され、期間はどのくらいだったかはっきり覚えていませんが寝たきりの生活が始まりました。

一定期間安静にしていれば骨はくっつく、それまでは何があっても絶対に起き上がってはいけないと強く言われました。

 

 

突然始まった寝たきりの生活にはショックしかありませんでした…

あのとき、眠れないからって夜中にドライブに行くんじゃなかった……と、19年生きてきた中で一番の後悔をしました。

 

 

事故翌日、私は何かと安心できる地元の行き慣れた病院に搬送される事になり、両親のサポートのもと寝たきりの入院生活が始まりました。

 

19歳にして、食事も排泄も全て寝たきりの状態のままで、という経験をする事に。

心身共に地獄のような日々でした。

世の中にはもっともっと大変な思いをしている方もたくさんいるとは思いますが、その時の私にはそんな事を考える余裕などなく、誰よりも辛い時間を過ごしているような気持ちになっていました…

 

 

出口のないトンネルみたいな日々が過ぎて、ようやく起き上がる事を許された時の事は今でも覚えています。

久しぶりに起き上がったら少し眩暈がしたのと、全身に力が全然入らないなぁという感覚を覚えました。

 

 

それからは、体力を取り戻す為のリハビリの毎日でした。

小さな頃から通い続け、全てを知っていたつもりでいた病院だけれど、その時まで全く知らなかったリハビリ室の場所を初めて知り、マシーントレーニングで筋トレ的な事をする日々がスタートしました。

握力なんかも信じられないくらい落ちていて、人ってずっと何もせず寝ていると一気に力がなくなるんだという事を実感させられました。

 

 

 

最初にも書いたとおりちょうど冬休み中で、私は1月に成人式を控えていました。

先生からは、常にコルセットをきっちりと固定して、一泊二日での外泊という形で成人式に参加してくる事を許してもらえました。

高校時代からの大好きな仲良しグループの皆と、無事に成人式を迎える事が出来て本当に心から嬉しかった事を覚えています爆  笑

振袖の下はコルセットでぎちぎちでした絶望

誰も出来ないような経験をしたなと思います…😅

 

 

 

 

入院から退院までは冬休み期間内に収まったので、学校の授業に影響が出る事もなく済んで本当に良かったです。

春には無事に卒業できました卒業証書

 

 

 

その時の背骨の骨折箇所は、今から数年ほど前まで、たまに痛みというか違和感が出る事がありました(多分天候とか気圧とかの影響で…)が、今ではもう何事もなく過ごしていますニコニコ

 

 

 

その経験で車の運転が怖くなったとかいう事も一切なく、その後またすぐに中古で別の車を購入して乗り始めました笑

どんなに、何度事故に遭っても私は、車の運転が大好きみたいで、今もずっとそれは継続しています車

 

 

 

ちなみに20代半ばくらいからはもう一度も事故には遭っていません。

幼少期から始まり、20数年続いた事故に好かれる人生もとりあえずは幕を下ろしてくれたようで…💦

 

姓名判断的な視点から言ったら、今は結婚して苗字も変わったので、また違った診断結果になっているのかもしれません。

やった事ないからわかんないけど笑い泣き

 

 

 

 

車の運転は、甘いものじゃないです。

生半可な気持ちでやっちゃいけないし、自信がないんだったら極力、出来るなら絶対にしない方が良いと思う、自分の為にも人の為にも。

 

 

 

事故に遭った経験

 

 

 

 

 

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