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lilyのつれづれなるままに

九州某県で、のびのびと暮らしています。日々のよしなしごとを時々つづります。

秋分の日、義実家に行って、仏壇に手を合わせてきた。


2020年、義兄と、義理の祖母が次々と他界した。以来3年、あっという間だったなあとしみじみ。


仏壇には盃に注がれたお水やお酒が供えられている。少しボーっと見ていると義母から、お酒の盃に小さいヤモリが泳いでいたと聞いてびっくり。


水でなくお酒のあたり、折しもお彼岸ということもあり、お酒好きだった義兄がやってきたのか、などと話す。


一戸建てだけど、生きものがすんなりと入れるほどの隙間のあるような家ではない。さて、どこから入ってきたんだろう‥


よりによって仏壇にたどり着いてしまったというのも驚かされた秋の日であった。


肩につくくらいまで伸ばした髪の毛を、

クルンクルンのカールボブにしました。

パーマをかけたことはこれまでに何度もあるけれど、

根元からしっかり、前髪までも、

こんなにもしっかりとパーマかけたのは初めてです。


軽いです、フワフワです。

自分史上最高にチャラついている。

もうアラフィフなのにオエー

誰の目にもわかるようなイメチェンしてしまった。


思うところがあって。

この数年、仕事や私生活で「制限」されることが多かった。がまん、忍耐ばかりしてきた。

ウェルカムじゃないものとガチ勝負してきて、ちょっとつかれた。

髪型くらい自由にさせろや!と思ったわけですね。


以前の自分なら、尻込みした髪型かもしれないけど、周りの反応など全く気にならないです。


好きな髪型は楽しいです。朝のセット時間も短くなった。パーマはいいですよ!

なによりもやはり、好きな自分と繋がれてほんとうによかったと思ってます。


時々、誤って下唇を噛んでしまうことがあって。

春先、やらかすことが多かった。

また痛いんだ、これが(;´д`)‥


するといつしか、唇の事故現場近くに

なんか違和感。

気がつくと、白っぽいおできが育っとる!

なんかコリッとした舌触りなんだけど、

柔らかいような

若干芯が残ってるような‥


でも痛くない。


そのまま2週間くらい様子を見ていたけど

大きくも小さくもならず、

でもふとした拍子に見えそうなので、

薬なり何なりでなんとかしたいと

病院へ行くことにしました。


だけど、これってどんな病院を訪ねたらいいの?と、しばらく途方に暮れ、

あれこれ調べ、どうやら口腔外科や歯科を訪ねるといいということがわかった。


予約のときに症状を伝え

いざ歯科を受診すると、早かった!

診察から麻酔、処置までにだいたい30分位で完了。

お医者さんによると、粘液嚢胞(ねんえきのうほう)なんだそうだ。

そんな言葉聞いたことなく、病状を調べていても全然わからなかった。


処置の痛みはまったくなし。

術後の腫れでちょっとくちびるモンスターになりつつ、

さっさと治療に行ってよかった。


下唇の裏側のできものは、粘液嚢胞!

また病名にくわしくなってしまったという記録です。



月に一度程度、義実家を訪ねて夕食をごちそうになる。


スイーツや鍋スープ等々毎回行くたびに抱えきれないくらいのお土産をもらうのだが、


今回いただいたのは「文藝春秋」‼


帰りぎわ、義父が「○○ちゃん(←私のこと)、文藝春秋は読むかね」と聞いてきた。


時々読んでいて、ちゃんと読みたいけれど置き場所がなくて大体立ち読みなんですよ、などと答えると、


「もう読み終わったからあげるよ、読んだら捨てるなり好きにするといいよ」と、持たせてくれた。


決して薄く軽い本ではないけど車で来ていたのでありがたくいただいた。


なんてありがたいんだ…。読むぞ~、芥川賞!


この訪問のとき私は、義両親に人生相談をした。(以下、超長文失礼)


昨年の3月、父の再婚相手が亡くなった。それから一年もしないうちに父は新たな女性と再再婚することになり、私は気持ちのやり場がないという話をした。


私の母は、今年に入ってから父に復縁を申し出る内容の手紙を書いたらしい(父から聞いた)のだが、父は断った。この話の流れで、私は父から再再婚の話を聞いたのだった。


昨春の再婚相手の死後、寂しさを紛らわすためか頻繁に電話をかけてくる父の話に耳を傾けてきた私は、再再婚話を聞いたときなんとなく感情的になってしまい、前の奥さんがなくなって一年もしないのにけじめがないと怒った。本来、私が腹を立てる理由などないはずだったが、賛成するのもなんとなく違うと思ったから。


けれども再婚相手さんの死後、父が寂しさに耐えかねつつあることと、私にはどうすることもできないこともよくわかっていた。


父の面倒を見てくれる人が現れたことは喜んで良いことだと思うが、復縁を申し出た母の心情を想像すると気持ちのやり場がなかった。


再婚相手さんには身寄りがなく、父との間に子どもはできなかった。葬儀には父の職場の人が来てくれていろいろお手伝いしてくれたが、身寄りの人間は私以外現れることはなく、父と私二人で骨を拾った。


葬儀屋さんは父と一緒にいた私を便宜上、故人のご長女様と呼んだ。私は一度会っただけの人だし、私には他に兄一人姉二人もいるのだが…末っ子なのになぜかこういう役回りになってしまう。


私は再婚相手さんを「娘」として見送った責任感をなんとなくだが感じる。私には父をけじめがないと言うだけの資格はあるだろうと思う。


ということを話させてもらった。話すだけでも気持ちの整理ができたような気がして、耳を傾けてくれた義両親には大変感謝している。


いろいろなことは静観しようという気持ちにいまは落ち着いた。母の気持ちは置いといて、父とは話をしなければならないとは思うが。よく知らない人のご長女様になるのはごめんこうむりたい。


義両親と実の両親をくらべて云々する気はまったくない。私だって至らないところだらけなのだから、人のことをあれこれ言う資格などない。


それにしても、「お父さんは元気にしてる?」と聞かれ、絶句して口ごもってしまった私に、「病気じゃなければもしかすると、再婚とか?」と言い当て、「80近くで再再婚なんて大したバイタリティだよ」と指摘した義母に敬服する。


悩みごとは日々生じるものだけど、それを受け止めてくれそうな人生経験豊富な方には相談して、視点や視野を広くしてみるものだと思った。


一昨年の年明けにめんどうなプロジェクトに巻き込まれて、今も巻き込まれ続けている。


プロジェクトは最初は5人いたはずなんだけど、みんな逃げた。いまは逃げ遅れた私一人のソロプロジェクトになっている(オリジナル・ラブみたいでしょう、と適当なことを言ってみる)。プロジェクトの終わりは、私一人で作っている読み物が完成するときだ。


読み物のデザインや進行管理はさすがに業者さんにたのんでいる。担当者であるその男性は、ワタシのプロジェクトではほぼ唯一といっていい仕事相手である。


決して言い訳ではないが、私は他にレギュラーがいくつかありそこそこ忙しい。ソロプは余力でなんとか回している。でも関わりのない人も色々言ってきてまとまらない。また恥ずかしいことに、もはや体力気力も限界に近い状態でやっているので、パフォーマンスが低い。負け戦である。


ソロプの仕事相手はそれを知っていて、原稿を私にメールするときはものすごく気を遣ってくれるし、逆に校正済の原稿を戻したときの返信メールでは、そんなに!?っていうくらい喜んでくれる。


たぶん、この人が仕事相手でなければ私はとっくに投げ出している。そしてそのことを、仕事相手はとっくに見抜いているはずだ。


ある時こちらが、社内での色々な意見を集約した結果、相手にはかなりの負担(迷惑)となる内容の修正を頼んだとき、さすがに困ったのか改善を求められた。私も、社内のあれこれを掌握できてなくて済まないと謝った。


その時相手からかけられたのが、


「ご苦労お察しいたします」


という返答であった。


私はショックだった。仕事をしてきてこのような言葉を、業者さんからかけられることになるとは思わなかった。

自分がいかに追い込まれているか、そしてそのために相手に迷惑をかけてしまっているか思い知らされた。


少なくとも私は、仕事相手にかけたことのない言葉ではある。


苦労は苦労としてなんとか早くこの状況を脱したいが、今が我慢のしどころなんだろう。

負け戦ではあるが、自分のためにいろいろ配慮してくれる人のために、なんとか生きて完走する他ない!


たぶんここまでの期間コミュニケーションをとり、築かれた関係性だからこそ納得できる言葉であった。以前の私ならナーバスになっただろうが、今なら受け止められる。この苦労を無駄にしないようにしなければ。


手相は数年に一度鑑定に行くようにしています。

特に行きつけがあるわけではないけれど、お正月で混み合うファッションビルの目立たない場所に占い館があったのでのぞいてきました。


20分で3,300円。占い師さんは60代くらいの女性。赤系のスーツに同系色のネイル。腕時計はロレックス風の金銀のコンビ。どこの指かは忘れたけどパヴェの大きな指輪を一つ。色のついた大きめのメガネをかけている。


名前と生年月日を書き入れると20分のアラームがセットされてスタート。


まず、何を相談したいかを聞かれ、仕事についてと回答した。仕事を訊かれた。生まれ持った性質を教えてもらった。


生年月日によるとプライドが高いらしい(あたりニヤリ)。そして独立心が旺盛。経営者になっても良いそうな(これにはびっくりチュー)。リーダーになる運命だとも(いよいよびっくりびっくり)。


最近の仕事はどうだったか聞かれ、この数年はかなり気苦労が多かったことを話す。今年はようやく報われる年らしい…これ、ホントだったらいいなあ。


続いてお楽しみの手相では、両手に神秘十字があるのでご先祖さま(か、もしかすると私)が前世でメッチャ徳を積んだらしい(ご先祖様に感謝泣き笑い)。ギリギリで難を逃れることが多いでしょうとのこと。親指の下の厚みがあるのが特徴的らしい。収入源は複数箇所あるのではと指摘された。


中年以降の運命線がくっきり出ているので後半生に頑張る運命。頭は若い頃のほうが冴えていた(これもあたり笑い泣き)。体力はあるけど限界超えて色々やっちゃうから疲れやすい人。気が回る人。頑固者。


今何か悩みはないかと聞かれ、頑張ってもなかなか報われない、出世に結びつかないと答えた。占い師さんの答えは、女優になったつもりで、嘘も方便、役割を柔軟に演じ上司を喜ばせましょうとのこと。私はこれを開運のアドバイスと受け取りました。


20分はあっという間、最後にカードを一枚引きます。その結果は…「流れに逆らわず身を委ねよう」でした。


延長しようかなと思ったんだけどいつの間にか私の後ろに行列ができてて(客寄せの仕事したぜ)終了しました。


自分でも占いはしますが、占い師さんのところに行くと自分の現在地と進路のちょっとしたヒントをもらえますね。


本格的な鑑定書などはもっときちんとしたところに行くことをオススメしますが、たまの対面鑑定で占い師さんから直接話を聴くのはやはり楽しかったです。


親しい友人Sちゃんと、そのご主人Yさんと、ご主人の取引先の方で私も顔見知りのHさんと私の4人で食事に行きました。


ワイン数本開けて🍷わいのわいの…がやがやと話し込んだ数時間。


今ひとつ仕事でブレイクしきれていない私へは、3名様から辛辣かつ温かいアドバイスなどももらいました。


知識と教養あふれる3名様に対してそんなに気の利く言葉など話していなかったはずが、


翌日、友人がHさんと交わしたLINEを見せてくれました。


そこには、なぜか私の強みが挙げられ、「(会社には)すごい戦力ですね」と書いてくれていた…!


強みが何かは内緒にするとして、これまで仕事するうえであまり意識したことがなかった、


いやむしろ少し邪魔なのでは?とさえ思っていた点を褒めてくれていた。


ありがとうHさん、Sちゃん!


最高の贈り物をもらった気分。


私も人の長所に気づいたら、躊躇なく褒めよう!また、誰かが誰かを褒めているのを耳にしたら、伝えよう!と思いました。


たった一言がこんなにも励ましてくれて自信を与えてくれるとは。言葉の力を感じました。


たぶんずーっと忘れないだろうな。宝物をもらった感激で少し泣きました。


この冬はコートを新調するつもりでおりました。候補は次の4点。

ピンキーアンドダイアン

ミッシェル・クラン

23区

ラ・トータリテ

今回のコート選びのおもな条件は次のとおり 

裏地付き、ウール素材

スーツにもなじむ

ライトグレー〜ベージュ

長過ぎず短過ぎない丈


ということで、画面上の最終選考?で1番上と2番目のコートにしぼりこんだ結果、ミッシェル・クランのコートに相成りました。


ピンキーアンドダイアンはウェブサイト予約商品で店頭での試着ができず、迷っているうちに自分のサイズが売り切れてしまいました。


ウェブ掲載写真も点数が少なく、シルエットや細部までがよく確認できなかったので、それも決めきれなかった一因。高いものだし、しっかりと確かめたいからなぁ、色々。


ミッシェル・クランは百貨店店頭で試着ができました。私は小柄なので、小さいサイズを買いに行ったのはここだけの話ニヤリ


お店で実際に袖を通したことで、サイズ感や色味など納得できました。やはり長く着るものは納得して買いたいものだ‥


しかし!


家でもう一度着てみると、ベルトループがないことに気付きました昇天なくてもなんとかなるけど、ないと困るよベルトループ。


刺繍糸と針を引っ張り出し、細々と針仕事して、ベルトループを作り(やり方は適当汗うさぎ)ひとまずコート準備は完了。これでいつ寒くなっても大丈夫!


ちなみに上記の条件は、この本を参考にしました。

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-08-EK-1255242 


好きな色、好きな雰囲気の外套をせっかく手に入れたのだから、もう少しがんばって働いてみます。

SONGS「藤井フミヤ」の回を見ました。相変わらずおしゃれだなぁ、イケてるおじさんだなぁと思いつつ、還暦と聞いて感慨にふけってしまったアラフィフのわたくし。


還暦にしてやっぱりかっこいい、そして風格と何処か少年ぽさとをかもしだしながらカメラの前にいるフミヤ氏の話から、いくつか感じたことがあった。


まずはチェッカーズの人気爆発から解散までの話。売れてやるつもりはなく、久留米からメンバー皆の集団就職のような感じで、東京に行けるぞやったぁ!みたいな感じだったとのこと(若干聞き違いはあるかも)。


当時まだ20歳そこそこの若者だもんな、わかるなあと思った。また、まさかアイドル扱いされるとは思ってもみなかった、とも話していた。


フミヤ氏が歌う番組はこの数年なんとなくチェックしていたが、セルフイメージと大衆の抱くイメージに大きなギャップがあったことを初めて聞いた気がする。本人たちの方向性とはまるで違っていたのですね。でも、人気が爆発するときってそういうことは往々にして有り得ることかもしれないと思う。


人気が出た当時、久留米よりももっと田舎の小学生だったわたしは、ただただかっこいいなぁ、都会の人はすごいなあと憧れていたチェッカーズ。


しかし弟の尚之氏の述懐によれば、支持を得たのは、田舎から出てきたバンドに多くの人がなにか新鮮味を感じ取ったのではということだった(これも実際の発言とはちょっとニュアンス違うかもだが)。


このことは、いまもわたしが地元にいればピンとこなかったかもしれないけれど、久留米より人口もかなり多い都市に長く住んでいるいまは、なんとなく解る。勢いとか若さとか野性味とか、きっと刺さるものがあったに違いないのだ。


そして、印象深かったのは、バンドは始まったときから解散をどこかで意識しているというフミヤ氏の言葉であった。


たしかにな〜、ずーっと続くことではなく、終わりを意識するほうが上手く行くってことあると思った。緊張感がもたらされるからなのか?


いろいろな要素が反応を起こして大きな人気を博したんだなということがよくわかりました。また、チェッカーズのデビューしたばかりの衣装とかを改めて見ていると、よくこのスタイリングしたなあ、これは売れるだろうなあと感心しました。


ソロになってから最大のヒット曲、TRUE LOVE。歌い継がれる歌は、ソフトもハードも必要なく、人々の記憶に残り、歌い続けられることによって、そんな存在になると言っていた。お友達の木梨氏がいうTRUE LOVEおじさんって最高のあだ名だな。この人といえば、という代名詞となる歌を持ってる歌手なんてなかなかいないんじゃないかな?


どんなときでもこの曲を歌い続けるという言葉に、プロフェッショナルの矜持と覚悟、頼もしさを感じ、久しぶりにフミヤさんのライブに行きたいなと思ったのでした。



朝起きたら即肩凝り、みたいな状態が常態化していたこの半年(原因はたぶん働きすぎ)。


肩凝りに効くというアリナミンを飲むと、少しは楽になったけど、ほかにもいろんな錠剤を飲むお年頃なので、これ以上ラインナップを増やすのに抵抗がありました。


なにしろアラフィフだから命の母とか、風邪予防と美白効果に期待してビタミンcとか、日々摂取するわけです。この先何か持病ができるかもわからないし。


鍼灸院とか行きたいんだけど、なにしろ忙し過ぎてそんな暇もないし、探したり予約を取るのもちょっとしんどくて。


そんなときに思い出して購入したのがこれ!



中山式快癒器!!


仰向けになって、良きところに自体重を掛ける、それだけ。


ちょっとずつ動かしながら、背中や腰にあててツボ押しします(けっこう痛い)。


自分では手が届かないところにもしっかりと指圧ができます。100円ショップとかによくある孫の手っぽい指圧棒より、しっかりと力が入ります。


使い続けて一週間、朝起きたときの肩凝りはちょっと和らいだかも?また、なんとなくぐっすり眠れるようになった気がします。あくまで当社比だけど。


早くも必需品になってます。場所をとらないし、薬飲まなくて良いし、一人ですぐにできるってのが良いです。


長い付き合いになりそうなんだけど、できることなら肩が凝らない生活がしたい。