「古代は頑固だな、それでは創造できないよ」by 古代の師
古代と諸先輩二人との議論を聞いた後、私の師は言い放った。
ここから何を読み取らねばならなかったのか。師からのメッセージなだけに、私は半月ほど暇があれば考えていた。けれども、とうとう本日この問いに対する答えを哲学の世界に見いだした。
古代はご存知の通りビジネス経験を経て学問世界の扉を叩いている。相手にプレゼンをすることも多かったし、会議で利害が一致しない部門と侃々諤々の議論をかわしてきた。
これらの経験で染み付いた体質とは、「自分(所属部門)の意見を押し通すこと」だった。
すなわち議論とは弁証法的な、自分の結論の正当性を主張し戦わす戦場だったのである。
この一連のマインドセットが私の師に「古代は頑固」と言わしめる根源な気がする。
では、私の師は一体何が言いたかったのか。ポイントは議論における創造性である。
哲学の世界、いや、学問の祖というべきソクラテスの弟子であるプラトンの『饗宴』という作品がある。
この『饗宴』の中で、お酒を酌み交わしながら「エロス=愛」について語り合う場面があるのだが、そこでの議論にはルールがある。ルールは極めて単純で
1.参加者は自説を展開 2.参加者は反論をする 3.しかし、前の人の発言に関連した反論をすること。 である。
ここでプラトンは「対話が学びの基本構造」であることを提示している。
要は対話とはお互いの自説をぶつけ合うものではない。お互いの自説を自分の側の文脈に取り入れて返答または反論をし、その議論を一歩でも創造的に前に進めることなのだ。
多くの方々は自説の展開には長けているが、相手の説をくみ取り、自分の文脈に乗せ、その論を発展させる姿勢で返すといった建設的な対話がなかなか自然とできていない現状がなかろうか。プラトンはこのような対話の重要性を提示している。
私の師匠はきっと、「そんなビジネスマン的で弁証法的な頑固な態度で臨まず、フィロソフィア(哲学)的態度で議論に臨みなさい」と言っていたのだろう。
うん。そのような気がするのだ。
饗宴 (岩波文庫)/プラトン

¥630
Amazon.co.jp
古代と諸先輩二人との議論を聞いた後、私の師は言い放った。
ここから何を読み取らねばならなかったのか。師からのメッセージなだけに、私は半月ほど暇があれば考えていた。けれども、とうとう本日この問いに対する答えを哲学の世界に見いだした。
古代はご存知の通りビジネス経験を経て学問世界の扉を叩いている。相手にプレゼンをすることも多かったし、会議で利害が一致しない部門と侃々諤々の議論をかわしてきた。
これらの経験で染み付いた体質とは、「自分(所属部門)の意見を押し通すこと」だった。
すなわち議論とは弁証法的な、自分の結論の正当性を主張し戦わす戦場だったのである。
この一連のマインドセットが私の師に「古代は頑固」と言わしめる根源な気がする。
では、私の師は一体何が言いたかったのか。ポイントは議論における創造性である。
哲学の世界、いや、学問の祖というべきソクラテスの弟子であるプラトンの『饗宴』という作品がある。
この『饗宴』の中で、お酒を酌み交わしながら「エロス=愛」について語り合う場面があるのだが、そこでの議論にはルールがある。ルールは極めて単純で
1.参加者は自説を展開 2.参加者は反論をする 3.しかし、前の人の発言に関連した反論をすること。 である。
ここでプラトンは「対話が学びの基本構造」であることを提示している。
要は対話とはお互いの自説をぶつけ合うものではない。お互いの自説を自分の側の文脈に取り入れて返答または反論をし、その議論を一歩でも創造的に前に進めることなのだ。
多くの方々は自説の展開には長けているが、相手の説をくみ取り、自分の文脈に乗せ、その論を発展させる姿勢で返すといった建設的な対話がなかなか自然とできていない現状がなかろうか。プラトンはこのような対話の重要性を提示している。
私の師匠はきっと、「そんなビジネスマン的で弁証法的な頑固な態度で臨まず、フィロソフィア(哲学)的態度で議論に臨みなさい」と言っていたのだろう。
うん。そのような気がするのだ。
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