彼と六本木で乾杯した夏から半年過ぎた。
彼はニューヨークのど真ん中で悲願の夢を叶えた。顔をくしゃくしゃにしながら電話を握りしめ、歓喜の叫びをあげたことは想像に難しくない。彼は、自分に、そしてアメリカの猛者どもとの戦いに勝ったのだ。

彼は両親兄弟ともに優秀な家庭で育ったが、一時期、彼だけ典型的な日本人エリートが歩む道から外れてしまった。恐らく彼は、自らがやりたいこと、表現したいことを発揮しており、その時はいわゆる「受験勉強」というものにまったくの興味がもてなかった。そこで、彼は一流と言われる枠内に入らない大学へ進学する。私の知っている彼は、表現力が豊かでユーモアがあり、とても才能がある。しかし、日本社会は表面的な見えるものでヒトを判断する。要は頭が良いかどうかは一流大学かその他かといった尺度だ。その時から、彼は進学後に社会で序列化されたものに対して極めて敏感になる。彼は一気に自分自身に対する誇りを失いかけると同時に、日本社会に対する一種の不信感を抱く。その時、彼はアメリカに発った。

その後、彼はアメリカの大学を卒業し、アメリカ企業に勤め、そしてMBAに進学。一時期、日本で働いていたが、彼はどうしても日本人エリートを好きになれなかった。
彼は常にアメリカで世界で台頭する中韓印と比べられてきた。急激に力を失う母国をかばいたくともかばえない理由、それが日本でエリートと称される人たちの存在であった。英語も喋れない、大学に入った後は勉強をしない、そして同質的な人たちで固まって外部のモノを撥ね除ける、という特徴をもつヒトがあまりにも多く、これでは世界とは戦えない、と彼は憤りを感じていたからである。しかし、日本社会では彼よりも彼らが優秀とされる。彼は初期キャリアを日本で過ごすことを完全に捨てた。

そして、今、彼はアメリカの大手投資銀行本部での職を得た。彼はよく言っていた。
「日本の東大君が威勢良く投資銀行勤務、外資系コンサル出身、と言うのは、アメリカから見たら黄色い猿が住む島国の一支店のローカルスタッフにすぎない。せいぜいこき使い使い物にならなくなったら捨てる、道具のような存在だ。本物になるには、ニューヨークの本店でアメリカ人達と同等のナショナルスタッフとして採用をされるしかない」と。
彼のMBAはアメリカのランキング的にいうとトップではない。さらにアメリカ人ではないハンディを背負っての戦いでもあった。しかし、彼は勝った。日本で認められなかった才能がアメリカのニューヨークのエリートに認められた。彼は間違っていなかったのである。

もちろん勝負はこれからだ。まったく楽な仕事ではないので知力・体力ともにフル回転の毎日が続く。そして、長く続けられる仕事でもない。しかし、彼は常に挑戦者でありアグレッシブだ。きっと、彼は一日本人としてではなく、彼という一個人としてニューヨークに名を残すに違いない。

古代は彼とはまったく別次元での中長期を念頭に置いた勝負をしようと考えているので、彼とはある意味異質だ。考え方も決して近くはない。しかし、いつも彼からはエネルギーをもらう。

古代も少しでも彼の刺激になるような人間でありたい、そのように思う。
改めて心から「おめでとう」。