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がんと闘いながら子育てしている、お母さんたちへの応援ブログ

「残念ながら進行がんです」と宣告されてから、十数年。
その時、私は39歳、子どもたちは9歳と6歳でした。
これまでの日々をブログに・・・

病気と闘っているお母さんにとって、子供の入学式、卒業式は、たぶん健康なお母さんよりずっとずっと嬉しく感じる出来事だと思います。

わが子の晴れ姿を見ると、「あ~ここまで生きてこれた。 生きて子どもたちの姿をみることができた。」と思います。 そして「私も頑張った、本当に生きていられてよかったな。」と心の底から思うのです。

私にとって、卒業式は嬉しいだけで、寂しいなんて気持ちは全くありませんでした。

入学式は、多少、子供が新しい学校になじめるかしらとか不安はありましたが、子どもが大きくなり、次の過程に進むということですので、喜びのほうが大きかったです。





私は現在までに、、2人の子供の小学校入学、卒業、中学入学、中学卒業、高校入学、高校卒業、大学の入学、卒業を経験しました。 (我が家では、高校の卒業式までは親が出席しましたが、大学の入学式、卒業式には出席していません。)

その中で一番印象的だったのは、下の子(娘)の小学校卒業式です。

娘の小学校卒業式の日、娘の小学校1年生の時の担任の先生から声をかけられました。

「無事にこの日を迎えられて、本当によかったですね。 お母さんも本当にがんばりましたね。」と。

そうです。私は5年ちょっと前、娘が小学校1年生の時、娘の担任だったその先生に、 「私はがんになってしまったので、これから入院して、手術を受けます。 どれだけ入院するかわかりませんが、娘のことをよろしくお願いします。」と挨拶に行ったのです。 先生に病気のことを話しながら、涙が止まらなくなってしまいました。 不覚にも、私は先生の前で泣いてしまったのです。 冷静に話をするつもりだったのに、まだ小さい子どもたちを残して、がんで入院しなければならない不安が心を押しつぶしました。

先生は私が泣くのを黙って見ていてくれました。

先生も何と声をかけたらいいのかわからなかったのでしょう。




先生には私が入院中、娘のことを色々気遣ってもらいました。

あとで、娘から、「先生が大丈夫?ってしょっちゅう私に聞くんだよ。 だからいつも大丈夫、って答えたんだよ。 だって大丈夫だったんだもん。」と聞きました。 私が入院しているというのに、娘がどういうつもりで大丈夫といったのかはわかりませんが、娘は案外、私が心配していたほど私の入院のことを深く考えていなかったのかもしれません。


先生はよく娘に声をかけてくれていたようです。

私の入院中、娘の周りにはお父さん、おじいちゃん、叔父さんと男の人ばかりしかいなかったので、いきとどかないことも多かったのでしょう、先生は学校でさりげなく娘の髪を結び直したりとか、そういうこともしてくれていたようです。 優しい先生でした。


だから、娘の卒業式で、1年生の時の担任の先生に声をかけられた時、  悲痛な思いで「入院をします。」と挨拶に行ったときのことが思い出され、また涙があふれてきてしまいました。

5年前、先生に挨拶に行った時は、娘の小学校卒業を見るなんて事ができるとは思えませんでした。 

そんな先のことどうなるかなんて、考える余裕もありませんでした。 目先の、これから始まるがん闘病がどうなるのか、私がいない間子どもたちがどう過ごすのか…そんなことしか考えられませんでした。

5年前の必死だった自分の姿を改めて思い出し、5年が無事に過ぎ、娘の卒業式を見ることが出来た幸せに感謝しました。 先生のねぎらいの言葉に、「ありがとうございます。」と答えるだけで精いっぱいでした。







私にとって、子どもが小学校を卒業し、中学生になるということは、大きな節目でした。

中学生になればある程度、自分のことは自分でできますので、これで一安心、という感じがしました。  でも、中学生になると、新たに反抗期や高校進学をどうするという問題も出てきて、それはそれで大変でしたが、生活の面では母親がいなくても、なんとかやっていけるだろうと思えました。



高校に入学すると、上の子(息子)はほとんど何をやっているのかしゃべらなくなり、何を考えているのか分からなくなりました。 将来をどうするのかも、うちの息子は、すべて自分で決めてしまいました。

もう母親はうっとうしくて、必要ない(?)みたいでした。


下の子(娘)は、高校に入っても、私に学校であった事を色々話してはくれましたが、(息子ほどではありませんでしたが、) 娘からもいろいろうるさがられることも増えてきました。

もう彼女も、小さい時ほど母親を必要としなくなっていました。





2人とも当然と言えば当然の成長の証しですよね。

いつまでも母親べったりで、母親がいないと何もできないというのはおかしい話ですから。

入学式と卒業式を繰り返し、子供はだんだん親の手を離れていきます。

子供が小さいうちは手がかかるけど、大きくなると手はかからなくなるけれどお金がかかると誰かが言っていました。 本当にその通りだと思います。

















がんになって5年が過ぎました。

よくがん治療後5年が無事過ぎれば、もう大丈夫という話は聞きますよね。

でも、私のがんは5年再発転移しなくても、治ったとはいえない種類のがんだったので、決して安心はできませんでした。 医者からも「5年たったからといって、もう大丈夫とは言えないんだよね。」と言われていました。

私の夢は、「子どもたちが大きくなるまでのあと10年は生きたい」ということでしたので、ようやく10年の半分が過ぎたかという感じでした。 「あともう5年は頑張らないと」と、気持を新たにしたのを覚えています。



治療に関しては、劇的に変化しました。
5年がたって、飲み薬もついになくなり、1か月に1回通っていた病院に行かなくてもよくなりました。

がんの治療がすべて終わったのです。

手術・抗がん剤・注射・飲み薬と私のがんの治療には5年かかりました。

1か月の入院、全身麻酔による4時間の手術、半年にわたる6クール計12回の抗がん剤治療、2年間の注射と飲み薬による治療、その後の2年半の飲み薬のみの治療・・・、 トータル5年間、多い時には月に3~4回、少なくても月に1回は病院に通い続けました。

それが、これからは、再発・転移の定期検査だけ受ければよくなったのです。

手術前の恐怖、手術後の痛み、抗がん剤の辛さ、死の恐怖・・・本当にいろいろな試練や困難を乗り越えてきた5年間でした。 睡眠導入剤を飲まなければ眠れない日も多々ありました。

もちろん、完治という訳ではないので、異常を感じたら、またすぐ病院に行かなければなりませんでしたし、再発転移の恐怖は常にありましたが、毎月通院しなくてもいいと思うだけで、何とも言えない解放感がありました。

こんな日がくるなんて、5年前の発病当時には、想像もできませんでした。


ある程度進行したがんの治療には、時間もお金もかかります。

がん治療の辛さは私の想像をはるかに超えていました。

それを思い知った5年間でした。



5年間のがん治療にはお金もたくさんかかりました。

私の場合、5年間で軽く100万円は超えました。

それでも、私は専業主婦でしたので、治療にかかるお金の心配だけですみましたが、

がんになったのが一家の家計を支える人だったら、本当に大変だろうなと思いました。

収入が減ったり、なくなったりしてしまったら、家族が路頭に迷う場合もありえるのだなと思いました。

入院、通院には会社を休まなくてはならないし、周りの理解や協力がなければ、がんと闘うのは難しいだろうと思われました。

やはり、がんは色々な意味で、大変な病気です。






我が家では、5年がたって、子どもたちは、14歳と11歳になっていました。

中学2年生と、小学5年生です。

私ががんになったとき、下の子は、まだ6歳で、一人では何もできませんでした。

一人で留守番も、家事(食事の支度や洗濯など)もできませんでした。

上の子は、9歳だったので、留守番くらいはできましたが、家事はできませんでした。




この5年間、2人の子どもたちには家事を教えてきました。

私が入院しても、死んでも困らないよう、しっかり教えてきたつもりです。

料理も、洗濯も、アイロンがけも、掃除もすべて教えました。

まだ小さいのに、こんなに家事をいろいろやらせるのはかわいそうかなとも思いましたが、この先どんな事態になっても、子どもたちが生活するのに困らないようにと私は必死でした。 

何とか子どもたちが自分たちの力で生きていけるようにしたかったのです。

2人とも私ががんになった当初は本当に一生懸命手伝ってくれました。

小さいながらも、一生懸命手伝ってくれて本当に可愛かったし、嬉しかった・・・。

子どもたちも、母親が死んだらどうしようと心配していたのだと思います。




でも、上の子は反抗期に入ると、自分の世界を持ち始め、あまり手伝ってくれなくなりました。

がんにはなったけれど思ったより母親が元気だと安心したのか、5年の間に、だんだん何もしなくなりました。

下の子の方が、女の子でしたし、よく手伝ってくれましたし、上手でした。

上の子に手伝うよううるさく言っても、「勉強が忙しい。」とか「学校が忙しい」とか言って、だんだん手伝わなくなりました。

マンガを読んだり、ゲームをしたりする時間は結構あったようなので、本当に勉強や学校が忙しかったのかは疑問ですが・・・。

親の心子知らずですよね。 こっちは、親が死んでも困らないように色々教えようとしていたのに、当の本人には覚えようという意識が全くなくなってしまったのですから。

親ががんで苦しんでいるのに、手伝おうとしないなんてありなの?と上の子に腹を立てたりしましたが、

親ががんであっても、反抗期の子どもなんてこんなものなのかもしれません。





後日談ですが・・・

上の子、反抗期が過ぎればもうちょっと手伝ってくれるかと期待していましたが、反抗期が過ぎてからは、私に言われればやるけれど、言われなければ自分からは何もしない・・・いう子になりました。

私に言われたことをやらないと、私がうるさいので仕方なくやるという感じで手伝います。

本当にしぶしぶです。 態度でわかります。

それでは、手伝ってくれてもあまり嬉しくないような・・・。

どこで、教育を間違えたのでしょう・・・。


下の子は、現在でも私が疲れている時など、言われる前に気を利かせて私を助けてくれています。

この差は男の子と女の子の差なのか、 性格の差なのかはわかりません。
























先日、半年ぶりにがんの再発転移の定期検査をしてきました。

がんになってから、十数年たちますが、私はいまだに半年に一回定期検診を受けています。

それは、まだ転移再発する可能性があるからです。

もう何回定期検診を受けたことか・・・もう30回は軽く超えています。

でも、いまだに定期検診の前は憂鬱な気分になり、行くのが嫌で嫌でたまりません。



半年に一回、血液検査(腫瘍マーカーを含む)、尿検査、1年に1回 Ⅹ線検査、腹部エコーをしています。 最初の8年くらいは1年に一回CTと骨シンチ検査もやっていました。

主治医との付き合いも、十数年になります。

ずいぶん長くなりました。



検診に行くと、いまだに、主治医は当時を振り返り、「子どもが大きくなるまでは絶対に死ねないんです。とよく言ってたよな」と言います。 あの当時の私は本当に必死で、鬼気迫るものがあったのでしょう。 

主治医に強く印象に残ったのだと思います。

「がんが大きかったから、どうなるかと思ったけれど・・・よかったな」とも言われます。




私がここまで生きてこられたのは、どうしてだかはわかりません。

癌の進行に関しては、運が良かっただけではないかとも思います。

別に特別なことはしてきませんでした。

がんに効くらしいということはしてきませんでしたし、規則正しい生活をしてきたわけでもありません。

健康的な食事をしてきたわけではありませんし、ちゃんと睡眠をとっていたわけでもありません。

(前にも、書いたように、夜眠れず、長い間睡眠導入剤を飲んで眠っていました。睡眠導入剤を飲み続けていた後遺症はこれからでてくるかもしれません。)

ただ、先生の言う通り、医学的な治療を受けてきただけです。




あまり先のことは考えずに生きてきました。

目の前の一日一日を淡々とすごしてきました。

その積み重ねが、この十数年です。

あまり悲観的にもならず、かといって楽観的にもならず生きてきました。

人間は、いつか死ぬのだ、 早いか遅いかの違いだ、 と心のどこかで覚悟しながら生きてきました。

先がどうなるかなんて、誰にもわかりません。

自分がどうなるかなんて、誰にもわからないのです。

同じくらいのがんでも、同じ経過をたどる人はいません。

がんの進行は人それぞれ・・・。がんの治り方も人それぞれ・・・。

あせらず、あきらめず、生きていきましょう。



多くの人は最期は病気と闘う運命にあります。

まだ、病気と闘ったことのない人は、今までがただ運が良かっただけ・・・。

どんな人にも、まさかの病気が、人生のどこかで落とし穴のように待っている、

この世に生まれたものは、いつか必ず死ぬのだ、

今から、100年後には、今この世にいる人のほとんどが死んでしまっていないのだ、

生きものは、生まれた時から死に向かっているのだから・・・などと、がんになってから、よく考えていました。

こんなことを考えながら、いつも、自分で自分の身に起こった不運を慰めていました。

がんは人生について多くのことを考えさせますね。




今回の定期検診は、異常なしでした。

また半年後、定期検診を受ける予定です・・・。