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がんと闘いながら子育てしている、お母さんたちへの応援ブログ

「残念ながら進行がんです」と宣告されてから、十数年。
その時、私は39歳、子どもたちは9歳と6歳でした。
これまでの日々をブログに・・・

がん宣告されてから入院するまでの間、 昼間は子どもたちの面倒を見なければならなかったので、多少は気が紛れたのですが、ふとした時に自分ががんであるという現実を思い出し、泣きました。 子どもたちの顔を見ながら、私はいつまでこの子たちといられるのだろうとなどと思って、やっぱり泣きました。 


でも、私が泣いていると、子どもたちが不安になると思い、子どもの前では、涙を見せないように努力しました。 子どもたちの前では、できるだけ笑っていました。 そして、いつもと変わらない生活を送るようにつとめました。



でも、夜はもう最悪で、眠ろうとすると、頭の中をいろいろな不安が駆け巡り、眠れませんでした。

特に、私はもうすぐ死ぬかもしれないという恐怖がつらかった・・・。 死が急に身近に迫るって、本当に怖くて、恐ろしいです。 この気持ちは経験した人にしかわからないでしょう。

私が死んだら、子どもたちはどうなるのだろうと思うと、さらに不安が増しました。

本当に本当に眠れない日々が続きました。




その一方で、入院するまでの間、私がいなくても、できるだけ困らないように、準備しました。

日用品を買いだめしたり、食事を作って冷凍しておいたり、子どもたちの洋服の準備をしたりしました。

子どもたちには、「お母さんは病気になってしまったから、ちょっと入院して病気をなおしてくるね。」とだけ伝えました。 頼れる母のいなかった私は、私の入院中、子どもたちがどうなるのか不安でいっぱいでした。



あと、子どもたちの通う小学校に行き、担任の先生に、私ががんであること、 近々入院することを伝え、

入院中の子どもたちのケアをお願いしました。

私の入院中、先生も、子どもたちにいろいろ声をかけてくれたようです。

私のがんは、大きかったし、痛みもあったので、このまま何もしなければ、そう遠くないうちに間違いなく死ぬだろうという確信があったので、一日でも早く手術をして、がんを取り除かなければいけないと思っていました。 ですから、入院、手術に対しては覚悟ができていました。



こんなことを思ったり、したりしているうちに、あっという間に入院の日がやってきました。









がん宣告を受ける前、実は体調に異変がありました。

私は、毎年がん検診を受けていて、そのときも直前の検診で、「異常なし」との結果を受けていたので、

これががんであるわけがないと思っていました。(そう思い込もうとしていました。)

ですから、すぐには、病院に行きませんでした。


でも、からだの変調は続き、いよいよ無視できない状態になってきました。

これは絶対におかしい! 

そうなってから、初めて、病院に行き、精密検査を受けました。 



がん宣告を受けた時、がんはすでに大きくなっていて、小さめのにわとりの卵くらいの大きさになっていました。 痛みもありました。 決して早期ではないことは、私にもわかりました。

なぜ、もっと早く病院にこなかったのか、本当に後悔しました。

こんなにがんが大きくては、私はもう死んでしまうのではないか・・・そう考えると怖くて、恐ろしくて、

眠れない日々が続きました。



がんの宣告は2月に受けました。 私は、その前の年の7月に検診を受けていました。

その時は、確かに「異常なし」という検診結果でした。
7月には「異常なし」だったのが、翌年の2月には、「小さめのにわとりの卵ぐらいのがん」 ということに

なったのです。



明らかに、検診で、見逃されましたよね。 なまじ, がん検診を受けていたために、私は、明らかにおかしかった症状をがんと結び付けないようにしていました。 私はまだ若いし、検診で問題ないと言われたのだから、これががんであるはずがないと。 

自分ががんかもしれないなんて、恐ろしくて、考えたくありませんでした。

でも、そんな自分の甘い考えが、厳しい状況を招きました。



私は検診を否定するつもりはありません。 誤診はされましたが、今でも、検診を受ける意味はあると思っています。

実際検診のおかげで、早期発見が出来る場合もありますし、検診は受けた方がいいと思います。




でも、検診は決して万能ではないということは忘れないでください。 おかしいと思ったらたとえ検診結果で異常がなかったとしても病院へ行ってください。

自分で感じた異常のほうが、正確です。




私は今でも毎年がん検診をうけています。 再発や新しいがんやその他の病気の有無を確認するためです。 でも、今度は、結果をうのみにはしません。 検診結果で異常がなくても、 自分が変だと思った時は勇気をだして病院に行こうと思っています。

何でもなければ、それはそれでいいのですから・・・。






がん宣告をされた時、私は39歳でした。 

がん宣告は、主人と一緒に受けました。

宣告された時、一瞬血の気が引くような気がしました。

でも、嘘をつかれるのは嫌だったので、「すべて本当のことを教えてください。」と先生に頼みました。

そのせいか、先生は楽観的なことは何一つ言いませんでした。


宣告以前から、もしかすると「がんかもしれない。」と心のどこかで思っていたので、宣告を受けた時は、

本当に、ショックはショックだったのですが、青天の霹靂という感じではありませんでした。

心のどこかで、やっぱりねという感じがありました。



宣告の衝撃の後、すぐ、子どものことが、頭をよぎりました。

子ども2人は9歳と6歳で、まだまだ母親が必要な年齢でした。

子どもたちをどうしようと思いました。

手術をうけるため入院する間、こどもたちの面倒を誰がみてくれるのか、どうしたらいいのだらろうかと

心配でたまりませんでした。



なぜなら、私の母は存命でしたが病気で、とても私の子供の面倒をみることができず、

主人の母は、もう亡くなっていました。

主人は仕事が忙しくて、とても会社を休むわけにはいきませんでした。

頼りになる姉妹もいなくて、どうしたらいいのか本当に途方にくれました・・・。





結局、主人と私の父と主人の弟の男3人が協力して何とか私の入院中1か月を乗り切りました。

昼間は私の父が面倒をみて、朝・夜は主人や主人の弟が面倒をみてくれました。

でも、料理もあまり出来ない3人だったので、できあいのお惣菜やインスタント食品を

食べさせることも多かったようです。

洗濯は週末に主人がまとめてやっていました。



私の住んでいる地域は、小学生は私服で登校していました。

小学校生だった子どもたちに、どんな洋服を着せて学校に行かせればいいのか主人にはわからなかったので、私が入院前に洋服の組み合わせを月曜日から金曜日までの分(=つまり5セット)作り、それを1セットずつポラロイドカメラで写真にとりました。

日曜日の夜、乾いた洗濯物の中から、子どもたちが写真を見て、私が作った組み合わせどおりにセットし、月曜日から1セットずつ、好きなものを着ていくという形をとりました。

本当に苦肉の策でした。



子どもたちの健康も、精神状態も、食生活も心配でしたが、私にはどうすることもできませんでした。

私にできたことは、病院から電話したり、ときどき手紙をだすことだけでした。


手術後動けるようになった後、ほぼ毎日電話をしました。

子どもたちの元気な声を聞くだけで安心しました。

毎日電話することで、子どもたちが私を思い出し、かえって寂しい思いをするのでは!?とも思いましたが、私が子どもたちの声を聞きたくてたまらず、電話をしていました。


点滴をしながら、病院の売店に行き、便箋と封筒を買ったり、お見舞いに来てくれた伯母に便箋と封筒を買ってきてくれるよう頼んだりして、子どもたちに手紙を書きました。

私が入院していた病院にはポストがなかったので、いつも看護師さんに頼んで、投函してもらいました。

主人は子どもたちの面倒をみなければならなかったので、あまり病院には来られませんでした。

主人は、昼休みや仕事の合間に時々顔をみせてくれましたが、しょっちゅう来るわけにはいきませんでした。 



とにかく、一日も早く退院して子どもたちのそばに帰りたいとそればかり思っていました。