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がんと闘いながら子育てしている、お母さんたちへの応援ブログ

「残念ながら進行がんです」と宣告されてから、十数年。
その時、私は39歳、子どもたちは9歳と6歳でした。
これまでの日々をブログに・・・

入院中から、睡眠薬(睡眠導入剤)と縁がきれませんでした。

夜が大嫌いでした。 夜が怖かった・・・。



昼間は子どもたちの世話や、家事で気がまぎれるのですが、夜は布団に入ると、これからどうなるのか、

とか、私は死んでしまうのかといったことを考えてしまうのです。

子どもたちを残して死んでしまうのか・・・

なぜ? どうして? 私が何か悪いことをした?

どうして私がこんな目に? などと考えてしまいます。

不安と怒りと恐怖が頭を駆け巡り、目がさえてしまって眠れません。

体は疲れているはずなのに、眠れません。



不安と恐怖で眠れないのが、嫌で、つらくて、退院してしばらくは、入院中に引き続き、睡眠導入薬を飲んで眠っていました。

睡眠導入剤を飲めば、いろいろなことを考えずにすみました。

確実に眠れました。


1錠飲む日もあれば、1錠の2分の1とか4分の1だけ飲む日もありました。

その日の調子で量を変えていました。




私が飲んでいた睡眠導入剤は7時間から8時間くらい眠らないと、朝起きた時、頭がすっきりしませんでした。

途中で起きようとすれば、なんとか起きられましたが、しばらく頭がぼーっとしました。 

睡眠薬の効き目が残りました。

7~8時間睡眠をとれずに、途中で無理やり起きた日は、午前中、頭がぼーっとしていました。

そんな副作用がありました。



睡眠導入剤を飲まないと眠れない生活はよくないと思いつつも、夜の恐怖になかなか打ち勝つことが

できませんでした。 

精神的に私はとても弱かったのでしょう。

死んでしまうのではという恐怖、これから先私のがんはどう進行していくのか、苦しむのか、痛いのか、

私が死んだら子どもたちはどうなるのかという不安、なぜ私がこんな目にという怒りが私を苦しめました。



主治医には睡眠導入剤を辞めるようにと言われていました。

でも、精神的に弱かった私は、なかなか辞めることはできませんでした。






そんなある日、朝、起きられなくて、子どもたちが学校に遅刻してしまいました。

睡眠導入剤が効きすぎて、朝起きられなかったのです。

その時、こんな生活もう辞めなくては、と真剣に思いました。





不安や恐怖で眠れないときは、無理に寝ようとせず、電気をつけてビデオを見たり、

本を読んだりしまして過ごしました。

1日くらい寝なくても、大丈夫、と自分に言い聞かせました。




それでも、相変わらず夜眠れず、昼夜が逆転してしまうこともありましたが、

睡眠導入剤を飲むよりもいいと思うことにしました。

子どもが学校に行っている間に、寝たりしていました。

家族がそんな私を責めることなく、許してくれていました。



時が少しずつ、夜の恐怖、死の恐怖をやわらげていきました。

でも、完全に夜の恐怖、死の恐怖を感じなくなるのには、長い時間がかかりました。















昨日、私の犬(オス)が余命宣告を受けました。

長くてあと1年生きられればいいほうだろうと・・・。

状況はとても厳しいです。



私や私の家族を癒してくれた犬でした。

闘病中、私が落ち込んだり、泣いたりしていた時は、黙ってそばにいてくれました。



私ががん治療の為、病院に行っている間に、子どもたちが学校から家に帰ってきた時は、私の代わりに玄関まで出迎えて、はちきれんばかりに尻尾をふって、「お帰り~」といった感じで出迎えてくれて、そのあとも、ずっと子どもに寄り添っていてくれたそうです。

「だから、一人で待っていても寂しくなかったよ~!」と、当時子どもたちが言っていたのを思い出します。




私が子どもたちを叱っていると、心配そうにそばにいて、私が声を荒げると、黙って私のところにやって来て、私の口をなめました。  子どもが泣いていると、子どものそばに行って、手や顔をぺろぺろなめて、慰めていました。 そのしぐさがかわいくて、怒っていたはずなのに、思わず笑顔になってしまったこともよくありました。



私たち親子は、この十数年どれだけ彼に慰められ、癒されたことか・・・。

彼には本当に感謝してもしきれません。




最初、子どもが犬がほしいと言った時、私は躊躇しました。

なぜなら、私はがんの闘病中で、手術をしてから3年くらいしかたっていませんでした。

犬の寿命を考えると、飼った犬を最期まで面倒みられるか、不安でした。

犬が年をとって死ぬまで、私が生きていられるか全く自信がなかったので、正直悩みました。

私が途中で、死んだら、子どもたちと主人だけで犬を最期までめんどうみられるのかと・・・本当に悩みました。



でも、主人も子どもたちも「絶対大丈夫!! ちゃんと面倒みるから!!」と言うので、根負けし、飼い始めてしまいました。

でも、案の定、主人も子どもたちも、あまり面倒を見ず、犬の世話は私の仕事になりました。


あまりにも犬の世話を手伝わないので、子どもたちを怒ったこともあります。

私が疲れている時は、ほったらかしになったことも・・・。

私たちはあまりいい飼い主では、ありませんでした。



でも彼は私たちに常に愛情を示してくれました。

私たちがあまりかまってあげないと、本当に寂しそうにしていました。

彼の余命が残り少ないと知らされた今、私は後悔の気持ちでいっぱいです。

もっともっと、かわいがってあげればよかった・・・

もっともっと、かまってあげればよかった・・・と。



病気にもっと早く気づいていれば、ここまでひどくならなくて済んだのに・・・苦しい思いをさせてしまってごめんなさいと、後悔の思いしかありません。

他のうちで飼われていたら、もっと幸せだったのではないかと・・・

本当に本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。



彼にもらった愛情は、本当に私の癒しになりました。

彼のおかげで、闘病中でも、愛情にあふれた生活を送ることができました。

闘病中の暗い雰囲気が、明るくなりました。



今の私にできることは、彼が最期まで苦しむことなく、楽しく暮らしてくれるようにすることだけです。

彼の最期を考えると、今から怖くてたまりません。

余命宣告された昨日は、ショックでショックで、涙がでました・・・。

もうちょっと、彼と一緒にいる時間が残っていると思っていたので、本当につらいです・・・。




でも、考えてみれば、私が長生きできたので、彼の最期を見守ることができるのですよね。

そのことには、感謝しています。


今日夕方彼を病院に迎えに行きます。 今日退院です。

これからも、いろいろあるでしょうけれど、今までの感謝を込めて、

最期まで頑張って面倒を見ていこうと思います。










抗がん剤治療中、子どもの小学校の運動会がありました。


子どもが通っていた小学校の運動会は、校庭にシートを敷いて、家族でお弁当を食べることになっていました。

病気になる前はそれを特に何とも思っていませんでした。



運動会のお弁当の時間、周りを見ると、みんな家族でおいしそうにお弁当を食べていました。

お弁当の中には、ごちそうが並んでいました。

それが当たり前といった感じでした・・・。



私がいなくなったら、うちの子どもたちにとって、運動会のお弁当の時間はつらい時間になるだろうなと思いました。 周りは家族で楽しく食べているのに、うちの子どもたちには、母親がいない・・・、 それはそれでしかたないことだけれど、きっと寂しく思うだろうと思いました。



頼りになる女性の親族のいない私にとっては、(私の母は介護が必要で、主人の母はもう亡くなっていました、私にも、主人にも姉妹はいませんでした。)、私がお弁当を作れなくなったら、誰が、お弁当を作るのだろう?と、不安な気持ちにもなりました。

みんなはお母さん手作りのおいしいお弁当を食べているのに、うちはたぶんコンビニ弁当だろうなと・・・。

主人にお弁当を作って!というのはとても無理でした。 





私の上の子は、私が病気になる前に、家庭の事情で、小学校を転校しました。

転校前の小学校は、運動会のお弁当を家族と一緒には食べませんでした。

教室にもどり、いつもの給食のように、教室で、子どもたちと担任の先生とでお弁当を食べていました。

親が運動会に来られない子たちがかわいそうだから という理由からでした。

親は小学生の子ども抜きで、校庭か体育館で食べるか、家に帰ってお昼ごはんを食べていました。



当時は、「そういう学校もあるんだなー」程度にしか思いませんでしたが、病気になった後は、

前の学校のお昼の食べ方のほうが、親が運動会に来られない子どもが寂しい思いをしなくていいような気がしました。

そういう配慮をする小学校もありました。





運動会が終わるたび「あー、今年も子どもたちに寂しい思いをさせずに済んだ。 来年もまた一緒にお弁当を食べられるといいなあ」と思いました。

私の地元では、中学生になると、もう親と一緒に運動会のお弁当は食べないので、運動会が終わるたびに、あと何回お弁当を一緒に食べればいいのか数えました。


抗がん剤治療を受けていた時、子どもたちは小学校5年生と2年生でした。

中学生になるまで、上の子はあと2回、下の子はあと5回運動会がありました。

あと5回なんて、私生きていられるかなあと本気で思いました。

5年先まで生きているなんて自信は全くありませんでした。 

5年先は、はるか先のことのように思われました。



とりあえず1回ずつ、後悔のないよう、一生懸命お弁当を作りました。

子どもたちにあとで、「お母さんのお弁当はおいしかったなあ」と思いだしてもらえるよう頑張りました。

どんなお弁当だったかわかるように、お弁当の写真も撮りました。

もし、私が死んでしまっても、私がどれだけ頑張って愛情を持ってお弁当を作ったか、記憶に残してもらえるようにお弁当の写真を撮っておきました。

運動会が終わるたびに、ほっとしました。




下の子が小学校6年生になり、小学校の運動会が終わったときには,本当に嬉しかった!!

周りのお母さんたちは、「小学校の運動会が終わってしまって寂しいわね~」とか言っていましたが、

私は全く寂しいなんて思いませんでした。 終わって嬉しい!ということだけでした。


これで、親と一緒に食べるお弁当は終わったのだ、これで子どもたちに運動会のお弁当のことで寂しい思いをさせずにすむのだと思いました。




運動会のお弁当をピクニック気分で家族と食べるのは、 確かに楽しいでしょう。

でも、家族が来られない子どもにとっては、つらい瞬間であることは確かです。

どちらがいいのか・・・難しい問題ですよね。