抗がん剤治療中、子どもの小学校の運動会がありました。
子どもが通っていた小学校の運動会は、校庭にシートを敷いて、家族でお弁当を食べることになっていました。
病気になる前はそれを特に何とも思っていませんでした。
運動会のお弁当の時間、周りを見ると、みんな家族でおいしそうにお弁当を食べていました。
お弁当の中には、ごちそうが並んでいました。
それが当たり前といった感じでした・・・。
私がいなくなったら、うちの子どもたちにとって、運動会のお弁当の時間はつらい時間になるだろうなと思いました。 周りは家族で楽しく食べているのに、うちの子どもたちには、母親がいない・・・、 それはそれでしかたないことだけれど、きっと寂しく思うだろうと思いました。
頼りになる女性の親族のいない私にとっては、(私の母は介護が必要で、主人の母はもう亡くなっていました、私にも、主人にも姉妹はいませんでした。)、私がお弁当を作れなくなったら、誰が、お弁当を作るのだろう?と、不安な気持ちにもなりました。
みんなはお母さん手作りのおいしいお弁当を食べているのに、うちはたぶんコンビニ弁当だろうなと・・・。
主人にお弁当を作って!というのはとても無理でした。
私の上の子は、私が病気になる前に、家庭の事情で、小学校を転校しました。
転校前の小学校は、運動会のお弁当を家族と一緒には食べませんでした。
教室にもどり、いつもの給食のように、教室で、子どもたちと担任の先生とでお弁当を食べていました。
親が運動会に来られない子たちがかわいそうだから という理由からでした。
親は小学生の子ども抜きで、校庭か体育館で食べるか、家に帰ってお昼ごはんを食べていました。
当時は、「そういう学校もあるんだなー」程度にしか思いませんでしたが、病気になった後は、
前の学校のお昼の食べ方のほうが、親が運動会に来られない子どもが寂しい思いをしなくていいような気がしました。
そういう配慮をする小学校もありました。
運動会が終わるたび「あー、今年も子どもたちに寂しい思いをさせずに済んだ。 来年もまた一緒にお弁当を食べられるといいなあ」と思いました。
私の地元では、中学生になると、もう親と一緒に運動会のお弁当は食べないので、運動会が終わるたびに、あと何回お弁当を一緒に食べればいいのか数えました。
抗がん剤治療を受けていた時、子どもたちは小学校5年生と2年生でした。
中学生になるまで、上の子はあと2回、下の子はあと5回運動会がありました。
あと5回なんて、私生きていられるかなあと本気で思いました。
5年先まで生きているなんて自信は全くありませんでした。
5年先は、はるか先のことのように思われました。
とりあえず1回ずつ、後悔のないよう、一生懸命お弁当を作りました。
子どもたちにあとで、「お母さんのお弁当はおいしかったなあ」と思いだしてもらえるよう頑張りました。
どんなお弁当だったかわかるように、お弁当の写真も撮りました。
もし、私が死んでしまっても、私がどれだけ頑張って愛情を持ってお弁当を作ったか、記憶に残してもらえるようにお弁当の写真を撮っておきました。
運動会が終わるたびに、ほっとしました。
下の子が小学校6年生になり、小学校の運動会が終わったときには,本当に嬉しかった!!
周りのお母さんたちは、「小学校の運動会が終わってしまって寂しいわね~」とか言っていましたが、
私は全く寂しいなんて思いませんでした。 終わって嬉しい!ということだけでした。
これで、親と一緒に食べるお弁当は終わったのだ、これで子どもたちに運動会のお弁当のことで寂しい思いをさせずにすむのだと思いました。
運動会のお弁当をピクニック気分で家族と食べるのは、 確かに楽しいでしょう。
でも、家族が来られない子どもにとっては、つらい瞬間であることは確かです。
どちらがいいのか・・・難しい問題ですよね。