【事務次官の傲慢もかくあり-日本は平和だ】
【事務次官の傲慢もかくあり-日本は平和だ】
今回は毒舌です。許してください。
根回しをしなかった小池も悪い。
が、
小池防衛相が求めていた守屋武昌防衛次官の更迭は守屋の横柄さにある。守屋本人自身が気が付いていないことが危うい。大臣は国民代表である。次官は直接の国民による選挙で選出されているわけではない。人事が大臣によると言うことは、主権者としての国民が人事をするということである。大臣を公然と批判したり、事前の相談がないというのはおこがましいなぞと言っている守屋のほうこそおかしい。顔を洗って出直してこいと言いたい。ま-、守屋のような傲慢極まりない輩は、日本にいて欲しくない。害あって益なし。
防衛の任務は大臣→次官の指揮・命令がしっかりとすることである。シビリアンの大臣の命令が次官によって無視されるとしたらどうであるかだ。そして、官房長官が取りまとめるのは何かということであるなら、塩崎も馬鹿さを露呈している。扇の要なのだから、しっかりして欲しいね。次官会議でも仲良しぶっている暇はない。仲良しクラブもここまで来るとお笑いである。
さらに悪いことに、官僚にくみする輩がいることだ。あの早稲田出の元総理、森である。17日、TBSのテレビ番組収録で、「辞めなければならないと(守屋氏が)自分で分かっていて、『武士の最後の華だ』と切腹しようとしたら、小池氏が後ろから刀で切りつけた感じだ」と不快感を示したと電子版が報じている。
馬鹿と言いたい。武士であるなら、なぜ黙って切腹しないのか。諫死しないのか。五百歩下がっても、「辞めなければならないと(守屋氏が)自分で分かってい」たんだったら、すぐに、即刻やめるべきであった。それが「武士」である。許しがたい言葉だ。森は本当に馬鹿である。
コンナ奴が総理大臣だったとは、情けない。レイプした男子大学生を評して、元気があると言い放ったのは誰だ。森である。なにが武士だ、切腹だ。武士を愚弄しているとしか言いようがない。森は、新渡戸の『武士道』を読んでないんだろう。「ノブレス・オブリージュ」をかみ締めろって言いたい。守屋が守屋なら、森も森だ。国民を愚弄している。守屋が「とても立派な人だ」というのなら、どうして切腹しないんだ。立派な人物だったら、大臣を批判して問題を起こせばいいのか、と言いたい。問題を起こさせないように下地を作るのが事務次官の能力だろうて。
なぜ、森のような魯鈍がこういうことを言うのか。
立派な人物の守屋と傷を舐めあっていればいいんじゃ-ないですか。
私は、本当に頭にきている。
最近の時評 アラカルト④
【偉大な大相撲横綱 朝青龍】
大相撲の横綱朝青龍が2本場所の出場禁止となった。これまで土俵際の駄目押しの方法や場外における行動において、いろいろと問題があった。メディアや協会では、若気の至りだとか今後を見てみようとか、目を瞑ってきた。その附けが回ってきたんだと思う。若いといってもこの横綱は26歳だ。横綱審議委員会はなぜこう言う輩を横綱にしたんだいと言いたい。あのサッカーゲームでの天心爛漫さは幼子だ。まー、あの貴乃花だって、地方巡業で観客(お客様)の頭をポカリと殴っても問題にはしなかったのだから、この有り様は当然だともいえる。日本人の常識が通じないのが日本相撲協会だからね。
また、あの懸賞金の受け取りの儀式=手刀を切るにおいては情ない。あれはモンゴルの刀の振り回しだろうて。これを「美しい」と言った有名人がいたが日本文化の継承地=土俵でやることではない。懸賞金を差し出された力士は右手で手刀を切ります。左、右、真ん中の順番で空を切る所作をする。これには勝利の神様に御礼をするという意味があるんだから、伝統の所作が必要なんだってつーの。その神とは『左=神産巣日神(かみむすびのかみ)、右=高御産巣日神(たかむすびのかみ)、真ん中=天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)』の三神であると言われるそうなんだ。美しい日本が土俵の上で蔑ろにされているのが分らんのか~と声を大にして言いたいんです。この朝青龍を横綱に推挙した審議会のメンバーの「あさちえ」なんですね。審議会も幼いんですね、きっと。
善悪で言えば最も悪いのは朝青龍なんだが、その親方の朝汐も同列に悪い。近大出の学士さんなんだから、常識を身につけてやって欲しいんだな。それとも親方が悪いのかも知れん。現役時代からちとどこか抜けていてそれが可愛くもあったんだが、年寄りになってもこのままって感じだな。その親方が所属する相撲協会が悪いんだろう。いやいや、朝青龍のモンゴルの親の躾がなってないんだろう。まこと喧しい。一つ言える事は、相撲界から放逐するに値するぜよ。「一罰百戒」と読売新聞の記事にあったが、「一戒百罰」の方がいいんでないかい。一つの戒めが百の罰の効果があるほうがいいぜよ。なぜ、放逐しないんだ~(怒)。
【皇室アルバム徒然時事 抄】
最近と言っても確か、大相撲名古屋場所開催期間中にモンゴルに出かけた皇太子が、その朝青龍の実家に立ち寄ったという報道がなされておった。これは如何に。何故だ。なぜそれじゃー横綱白鵬の実家には行かなかったんじゃ。何故だ。皇太子も辛かったといえばそれまでだが、これを盛んに肝煎でメディアに流させている宮内庁の平衡感覚が疑われるんだね。「君」は無私でなきゃいかんきに。行くべきでなかったじゃきに。行くんだったら白鵬の実家にも立ち寄るべきだったんじゃなかろうき。しっかりしておうーせ。愛子内親王が朝青龍のフルネームをモンゴル語で話をするなんてのも流れておったの。それがどうしたんじゃ。白鵬はどうなんじゃ。公平無私の「君」の血筋に求められているんじゃろが。喜んでいるのはどこのどいつジャー。
【告 参議院議員通常選挙終わる。】
この選挙戦中、安倍首相は「首相として相応しいのは私ですか、それとも小沢さんですか、それを決めるのがこの選挙なんです。」と連呼していた。安倍氏は敗戦した。相応しいのは、小沢さんなんですね、と念をおしたらいや違うと言って「まだ首相をやりたい」と言う。国民との意識がかけ離れているんだろう。名前の由来である、長州藩上級藩士・奇兵隊創設者;高杉晋作が聞いたら「怒」だろう。印象的だったのは、かの国際政治学者先生の「後ろから弾が飛んでくるんだ、おい止せよ」と。この選挙については後日、評論します。
最近の時評 アラカルト
アラカルト③
民主党は「政府公報」の新聞への折込を批判している。これは何事ぞと思い、配達されるのをまった。本日7/20の朝刊に挟んであった。なるほど、これはこの期に臨んでよくもまあということです。自民党政権の政府公報だから仕方ないと思われるところもあるが、しっかりと読んでいると、安倍首相の連日メディアを通して言い訳している、この参議院の通常選挙でのプロパガンダの内容に酷似していることがわかる。時期が時期だけに「政府」として公報するのなら選挙後でも間に合う内容である。であるから、鳩山幹事長の「自民党を告発する」なぞと言うことも一理はある。金と機関の権力機構によって全国的に、横断的に一気に公報できるのだから、今回の「公報」は、年金問題が最高に盛り上がった先の国会開会中にすべきものであったろうと私は思う。そうすれば、国民の疑心も少しは晴れただろうに。
宮崎県ではまたも「裏金」が発覚した。東国原氏は知事に当選した直後に、幹部クラスを前に「裏金はありすか?あったら、今言ってください」と言ってセンセーショナルな登壇をした。その直後に「鳥インフルエンザ」問題が発生して彼の政治的、行政的力が試されたのだったが上手く処理しえた。彼の対メディア対応は生来的のものもあるだろうが、メディアをずいぶんと研究し知っているのであろう。その「恐ろしさを」分っているのだ。であるからこそ、メディアのインタビュアーの面前で幹部にかく言うことが 彼の政治的一撃必殺の疑義となったのだ。これが彼の政治的権力の基盤であることを表明したものでもあったのだ。
その「裏金」とは一体なんぞや。それは市民の納めた「税金」である。前にも話したことがあるんですが、「税金を納める」と言うことは「民主主義の根幹」なんです。みんな大切にしている民主主義はこの税金がどのような形でわれわれ市民のために使われるのかにかかっているんです。崇高な「お金」なんですよ。これを、権力を背景として市民の、国民の税金を掠めていこうなんてのは、国民に対する犯罪です。単なる詐称や詐欺ではない。崇高な民主主義に対する挑戦でもあるんです。ですから、アメリカの創生期に東部13州が母国のイギリスに独立戦争したんです。われわれ13州の納めた税金は母国に掠め取られているだけではないか、われわれの代表者が母国の議会にいないではないかと言って独立宣言したんです。でありますから、「税金」に対する考え方は日本人と違って全く厳しいのですよ。これが、だからこそデモクラシーの力となりえるのです。東国原知事にエールを送ります。
われわれの年代しかも関西あるいはその周辺で生まれ少年期を過ごした者にとっては、毎週土曜日の午後のTVの楽しみの大きなものは吉本新喜劇で、平三平(たいらさんぺい)、岡八郎(おかはちろう)、花紀京(はなききょう)、船場太郎(せんばたろう)、山田スミ子(やまだすみこ)、谷繁(たにしげる)、間寛平(はざまかんぺい)、木村進(きむらすすむ)、原哲男(はらてつお)、チャーリー浜(はま)、桑原和男(くわばらかずお)などが活躍したのだった。その劇場はグランド花月であった。松竹新喜劇には藤山寛美がおり一世を風靡していたのだった。藤山寛美抜きで関西は語れないし、我が青春の一時も語れないほどの役者馬鹿:藤山寛美(藤山直美の実父)なんです。今昔、今は昔の話ではないと思うが、当時のTVに出た役者、芸人は「見てくださる」劇場の、あるいは「TVの前のお客さん」に退屈はさせなかったと思うんですね。自分の芸を見てくださるお客さんに感謝があった。少なくともTVを通じてもそれがひしひし感じられたんです。自分だけが笑いこけて嬉しがっているような昨今の「お笑い芸人」ではないんですね。さんま?やハマグチのあの「同僚芸人」を小ばかにした物言いはなんですか。頭をぶん殴ってはへなへなと喜んでいる様は何ですか。信頼関係があるから「そうやってんのや」とさんまやハマダが言うかもしれませんが、見ているTVの前には伝わりません。「自分の芸を見ていろ」と言わんばかりです。吉本の前専務だった木村何某氏は、「今の吉本の芸人はつまらんですなあ」とラジオ番組で言ってました。「自分たちだけがおもろいんですわ」と言っていました。見させるものが何もないんだと。至言。
*アラカルトは今回で、一時休止です。政治学講義ノートに戻ります。
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