徒然時事日記 -6ページ目

農林水産大臣の辞任 天が呵う

安倍改造内閣の農水大臣が辞任した。本人が関わる組合の公金不正受給によると言われている。


先に、身体検査のことで塩梅が悪かったと書いた。「身体検査」でも恥部が分らなかったのである。それはそうだろうと、妙に私なりに納得がいく。「恥部」は誰にも見せたくないものだからだ。


前回のブログに投稿がなされていた(感謝したい)。この読書子と同じで、政治家全員を調べなおす必要があろう。5千万人の年金処理に比すれば、簡単なことだろう。ただし、政治資金規正法は、このようなことがないようにするための最低限の法律だったはずだ。と言うことは、「ザル法」なのだろう。



1円から領収書をつけるのは、政治活動に制約ができ、不都合が生じると言われている。どうしてだろうか。一般通念では、1円でも領収書が必要である。バランスシートは1円でも違うと大変なことになる。経理担当者は念には念を入れて1円を計算する。1億円も「1円」からなのである。金銭の授受には、領収書が証拠として必要である。納められたお金で、世界のあらゆる民主国家の政治的自由活動が許されているのだ。「1円から」領収書をつけるとどうして政治活動に制約ができるのか。不思議で、歪曲された論法である。学問的には、曲学阿世というのだ。


戦後、日本は日本人としての誇りを喪失してしまった。だから、ある意味で安倍総理が「美しい日本」を標榜したのであろうか。そうであれば嬉しい限りだが、根が浅いから美しくありえないということもわれわれは知っておかなければならない。


ブルーノ・タウトが日本美を礼賛して、日本人自身が忘れていた「日本美」を知らしめてくれたものだった。そこは床の間だったり、襖だったりあるいは庭園だったりしたが、タウトはそれらの創り成す歴史的時間の集積と日本人の心がそこに凝縮されていることを観たのである。それが「日本美」なのである。美しい日本とは、日本人自身がもつ心の美しさである。



それを思うと、政治と金のおぞましい醜態は、かの日本人の美しい心が喪失しているとしか言いようがない。詳しくは知らないが、一流の大リーグの選手やプロバスケットの選手は、ただ単に高額の契約金をもってステイタスシンボルとしているわけではないらしい。その稼いだお金の一部をチャリティーに注ぐのだという。松井選手も中越地震の際、何千万円か寄附したし、イチロ-もそうだという。こう言う人を美しい日本人といえば言えなくもないが、素晴らしいところはそれをもって妙に喧伝していないということである。


品格のある国家がどうかが喧しく言われたのも束の間である。そもそもわが国には品格などないのである。ないところにそれを求めてもどうしようもない。いまさらどうして品格を問うのだろうかと読んでみたが、私にはつまらない代物だった。こう言う本が出され、読まれて大騒ぎするほどみっともないことはない。政治家が読んで、TV討論であれやこれやのたまわっていたが、消滅した品格を論うことほどに政治家の品格がないことはない。


であるから、政治と金の問題は、諸悪の根源は何かと言う問題になろう。先に述べた、身奇麗さは我々の先輩たちが何百年も架けて培ってきたものであった筈だ。だが、それらは戦後レジュームの中で没却されて今はない。宗教の世界にもない。ほとんど骸骨同然である。天が呵う。


私はただ宮沢賢治のように生きたい。

北畠顕家のこと

この歳まで知らなかったのだが、神皇正統記を書いた北畠親房の嫡子に北畠顕家なる人物がいた。論文を書くために、平家物語や他の軍記物を調べているとき、ひょんな事から北畠顕家を知った。



後醍醐天皇の建武新政時代に、彼は16歳で従三位 陸奥守となって、遠く陸奥の国に赴任するのであった。多賀城国府に入って、蝦夷の平定を進める大役であった。



公家としての出自は生まれるとすぐ従4位下を与えられる高位・顕官を継ぐ家柄ではあるが、父親房の薫陶をえて公家の中の公家として育ち、英邁の誉れを独り占めした「少年」であった。



WEBサイトで「北畠顕家」をひいて、北方謙三の『破軍の星』の主人公として描かれていることを更に知った。早速、古書店に出かけていって買おうとしたが、なかなか見つけられなかった。どうしても読みたいと思いを募らせて、息子の意見に従って新刊本を買い求めたのである。そして、一気に読み終えたのであった。この何とも言えないすがすがしい読後感は久しぶりのものだった。



論文のテーマは、「武士のジレンマ」(仮題)であったから、公家をリサーチして何とするかであろうが、顕家は公家でありながら陸奥という戦場に出かけていった「武将」であると思惟し、その周辺をどうしても知っておきたかったのである。


教科書には出ていないと思うのだが(出典があったらお許しを願いたい)、顕家は陸奥守として未開の地を平定して、大いに新政のために尽くしたのだが、石津の浜で足利尊氏麾下の武将 高師直の軍に敗れてしまう。その戦に出かける直前に、顕家は後醍醐天皇宛に『諌奏文』を認めるのであった。


中央集権の弊をやめること、租税を3年間免ずこと、官爵を正しく付与すること、月卿雲客(げっけいうんかく)僧侶等の朝恩を定めること、臨時の行事および宴飲を閣(さしお)くこと、法令を厳格にし朝令暮改をやめること、愚直の輩(女官・僧侶・公家)を排除すること、先非を改めていただくことなど7か条を天皇に届けさせたのである。腐敗した朝廷をばっさり批判して、天皇の行いそのものも批判する。諌死覚悟である。立派な若武者、ノーブレス・オブリージュ。若干、20歳にして討ち死にを遂げるのである。


顕家は、16歳から死ぬ20歳まで、陸奥守として縦横無尽の働きで、後醍醐天皇に尽くしたのである。楠正成と正行との別れ(桜井の別れ)の比ではない。諌奏文に顕家のすべてが凝縮されていると言っても過言ではない。上司、役員、社長・理事長、大臣、総理大臣を斯様に諌奏することが現代の若者の中にいるだろうか。いや、いない。将に「滅私奉公」の姿を見せられた気がした。斯様の人物が、それも若干20歳の公家が国史にいたとは驚きであった。



私は、頭を深く垂れて、真に尊敬する。

政治とカネ  雑感

安倍改造内閣がまたしても「政治とカネ」の問題に苦悶している。身体検査なぞと言いふらして、さも隅々にまで裸にして分かりきっている様な塩梅では幼いと言うほかない。


農水行政は、明治以来の深い深い谷間を洗いざらいしないと、究極には官僚でさえも魑魅魍魎とした谷間の中で右往左往、左顧右眄するしかないのだ。それほど腐りきっているのがわが国の農業世界なのである。


一時は、大蔵省が槍玉に挙がったが、それは序の口だ。補助金行政がある限り、この問題が起こり、金のあるところに人が集まり、そして錬金術師が暗躍する。目のあたりにする「金」はもはや「血税」ではない。ただ、金なのである。而して、大切なのは身奇麗で、人のものに手を付けない意識なのである。何でも金の意識がそうするのであろう。金は人を幸福にもするが、悲劇をも齎す。どちらかといえば、現実には悲しいことを人が起こすのである。決して金そのものではない。唯、足るを知るという倫理観がその人にないといつまでもこの問題がおこる。


私は、そう言う自分でありたい。