徒然時事日記 -4ページ目

憲法第59条について

日本国憲法だが、このように規定されている。

第59条 法律案は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、両議院で可決したとき法律となる。
 衆議院で可決し、参議院でこれと異なつた議決をした法律案は、衆議院で出席議員の3分の2以上の多数で再び可決したときは、法律となる。
 前項の規定は、法律の定めるところにより、衆議院が、両議院の協議会を開くことを求めることを妨げない。
 参議院が、衆議院の可決した法律案を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて60日以内に、議決しないときは、衆議院は、参議院がその法律案を否決したものとみなすことができる。」


時事通信社のWEB版ニュースで以下のように伝えられている。

「与謝野馨官房長官は10日午前の記者会見で、インド洋での海上自衛隊の給油活動を継続させるための法案が参院で否決された場合の対応について「(衆院での3分の2以上の賛成による再議決は)常に使う手続き法の一分野であって、何も大げさに考える必要はない。(衆参の)意思が分かれた場合、普通に使ってよいという憲法上の規定だ」と述べ、与党が圧倒的多数を握る衆院での再議決による成立を積極的に検討していく方針を明らかにした。
与謝野長官はまた、安倍晋三首相が給油活動継続に向け「職を賭す」と発言したことに関連、テロ対策特別措置法の期限が切れる11月1日までに法案が成立せずいったん海自が撤収した場合でも、今国会中に成立して給油活動が再開されれば、首相の責任は生じないとの見方を示した。」と(9/10)。


また、日本国憲法には以下のとおり規定されている。

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」


与謝野官房長官の言に従えば、憲法第9条はどのように考えることが一番正しいのか。「普通に考えればいい」のであるから、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」とは、小学生にでもわかることである。自衛隊は憲法違反なのだ。ということが証明されたのである。自衛隊の存在が参議院で違憲だとする。衆議院では合憲だとなる。ところが、普通に考えれば自衛隊が違憲だった。多数の議決でここに来て合憲であるとは矛盾だ。さっきまで白猫だったのに、用を足している間に黒猫になってしまったのでは、笑い話しかならない。


官房長官は憲法とは何かをご存知ないらしい。憲法は基本法であり、派生する単なる法でもなければ手続き法でもない。原理である。原理とは、衆参の徹底的な議論を経てその法が国民生活と生命・財産に不可欠の法であるとの統一的の意思の結合を求めて決断されることである。初めに、「ありき」ではない。


斯様の憲政の常道を心得ないならば、きっと国民から乖離することとなり、選挙においても奈落に突き落とされよう。小手先の手続きをのみ弄することは、決してわが国の民主主義の発展には寄与しないであろう。今は、だから野党の意見を十分すぎるぐらいに聞いて、国民の声を感じ、天声・人語を聞くことである。

わが国の教育制度の原点とは

  本日の朝日新聞『耕論』は、大学の9月入学についてである。三者三様である。これでは、朝日新聞の意思が見えない。


  近藤彰郎氏は従来の4月入学を、山本真一氏はどっち付かず、中嶋嶺雄氏は9月入学を支持した内容となっている。中でも、中嶋何某氏は、イギリスの教育制度が好きらしい。何でもかでもイギリス式がいいらしい。イギリス礼賛主義者 中嶋何某氏の真骨頂である。ならば、彼はイギリスに行けばいいのである。ここは日本である。



  戦前生れの中嶋何某氏は、なぜか日本の教育制度が国際標準ではないと言う。国際標準は真に高等教育を世界に取り残さないのか。高等教育は、初等中等教育があって初めて為しうるものだが、彼によると高等教育がまずありきなのだろう。初等中等教育の国際標準化がなされないでどうして高等教育なのかである。日本人の季節感における文化や教育が為しうるのだろうか。四季折々の中での入学から卒業までの日本文化は、教育の入り口である。正しく、この原理を伝えるところに日本人の使命があろうに、中嶋何某氏はこれを是としない。なぜか。彼の頭の中は、イギリスなんだろう。彼の岩波新書の類を読めば一目瞭然である。



  それについては、近藤氏は立派だ。我が意見に似たり。こぞって国民が納得できる内容であり、戦後教育を受けた我々ではあるが日本人の教育の何たるかは担っている。決して軍国主義的のものではない。自然界と交わっての心の教育が日本人のそもそもの教育の根幹ではなかったか。特段の9月入学をしなければならない理由などない。



  それにしても煮え切らないのが、山本何某氏ではある。疑問だけいっぱい論じても何の解決にもならない。やはり、旧文部官僚である。学校の自主判断が答えだが、そんなこと皆分かっていることだ。


  我々日本人の教育システムは、決して戦後の教育のみではない。明治維新の学制でもない。徳川の寺子屋のみではない。それらが混じりあって営々と築かれきた長い歴史の賜物である。この日本人の考え方に自信を持つべきである




蚊  今回は朝日新聞を支持する

  今朝(9/9)の天声人語は、小生にとり大変納得いく内容である。太平の眠りを1匹の蚊に邪魔されるのは、将に「刺客」来訪である。あの耳元の異様な羽音を聞くと、寝てられやしない。安眠の最大の「敵」である



  我が家では、夏の季節になると、「安心の香り」=蚊取り線香がもてはやされる。私自身と娘は、蚊の来襲に右往左往するからだ。刺された後は、痒みどころの騒ぎではない。キンカンが必携アイテムなのだが、一時が清涼感溢れても、痒みは続く。市販の痒み止めは唯単にそれだけの薬効であるに違いない。赤くはれて面積も広がる。娘氏は成人なのだが、いらいら感が増すとどうしようもないらしく、爪で掻いてしまい、出血も厭わないぐらい掻き込んでしまう。私は、「痒ければ痒みとなれ」と哲学する。笑い。この我慢が心を傷つけるのだ。



  天声人語にある、鎌倉初期の歌人 藤原良経の「蚊の声の僅かにだにも寝こそ寝られぬ」は、本当に本当に我が意を得たるである。あの人道・博愛主義者 娘氏と蚊について語らって私は質問するのである。「この世界から消滅して欲しいものは何だ?」と。答えは、いつも一緒だ。「蚊を抹殺してくれ!」。蚊にも一分の魂はあるものを、、。蚊は、他の生命にどれだけの貢献をしているのだろうかは、天声人語は語っていないが、まずそれは皆無だろうて。


  私の小さい頃はどの家でも夏になると「蚊帳」を吊るしたものだ。私なぞは親父に手ほどきを受けて、6畳用を上手に吊るしたし、畳むこともできた。折り方がまずいと次回はスムーズに吊るせないからだ。鴨居のあたり、6箇所に吊金具がしてあり、それに蚊帳の紐を引っ掛けて吊るすのである。


  また、蚊帳は小さい兄弟姉妹にとっては夏の風物でもあったが、裾からそっと入って戯れる。これがなんとも心地よかったのだ。安心感。囲まれていることは安心に繋がるのだろう。


  また、蚊帳にはとてつもない効用がある。雷様を防げるのだ。小さい頃は、蚊帳のなかにいれば落雷から身を守ることが出来るなぞと、大人たちにご教示を受けたものだった。「本当に、ホントか?」。そう小さいながらも思ったものだった。あの、しなやかな、網目の蚊帳にはそんな底力があったのか~(危ないから、決して小さい子供たちには伝えないでね。)


  西ナイル熱は蚊が媒介すると言われている。天声人語でもふれているのだが、日本には100種類の蚊がいるそうだ。びっくり。その蚊も西ナイル熱病原体を媒介するんだそうだ。やはり、蚊に刺されないほうがいい。


  世界の蚊を抹殺するためには、どうすればいいんだろうか。仕事請負人はいませんか?